第24話 花③
「わたしの部屋はこっちだから」
長い廊下をそのまま真っすぐ突き進む――かと思いきや、案内されたのは玄関から一番近い手前の左に位置する部屋だった。
月の家賃が俺の住むアパートの約一年分はあろうタワマンのリビングがどんなものか一目見てみたかったけど、ここには遊びに来たわけではないのだから贅沢を言ってはいけない。
花ちゃんの部屋は……何ていうかザ・お嬢さまって感じは全くしない、普通の女学生だなあという感想が一番に浮かんだ。
シングルベッド、勉強机、大きめの本棚が一つ。明かりはシャンデリアが吊り下げられ――ているわけでもない。
「何もないけど座布団があるから好きなところに座ってね。わたしは何か飲み物を取ってくるから」
と言って、部屋の外に出ようとする花ちゃんを俺は慌てて呼び止める。
「いいよそんな気を遣わなくて! 病人なんだから、ほらちゃんとベッドに横になっていないと! 必要になりそうなものは俺が買ってきてるから 」
背中を押して花ちゃんをベッドの近くまで移動させると、本人は渋々と言った様子で横になって布団をかぶった。
けど少し安心できる部分はあった。
さっきのメッセージでは危篤アピールがすごかったため、そんなに重症なのかと心配したが、こうして歩いたり普通に話すことができるぐらいの余裕はあるみたいだ。
「本来ならわたしがもてなしてあげないといけないのに、ごめんね」
「そんなのいいって。何か口にできそうなものはある? ゼリーとか買ってきたけど」
俺はコンビニ袋から購入したものを取り出して花ちゃんに選んでもらう。
「あっ、マンゴープリンある。これ食べたい」
「分かった」
花ちゃんは数種類あるデザートの中でも、一番小さくて量の少ないこのマンゴープリンを指さした。これに目をつけるとはなかなか。
このマンゴープリンは俺も好きでたまに買って食べたりしている。中に果肉は入っていないんだけど、その分ゼリーそのものが非常に濃厚なマンゴーの味がするのだ。
「はいどうぞ」
俺はふたをめくり、プラスチックのスプーンを添えて花ちゃんに手渡す。そんな俺に不服そうな目を向ける花ちゃん。
「……ぴょんきちくんが食べさせてくれるんじゃないの?」
「え……?」
「わたし病人なんだよ。四十度の熱があるんだよ。こんな重たいもの持ちながら食べるなんて無理だよ」
ベッドの上でもぞもぞしていた花ちゃんは上体を起こし、つけていたマスクを外した。無言の圧力。さすがに何を求められているのかぐらい、俺にもわかる。
ていうか、聞いていた体温よりかなり上昇しているような気がするけど、それを指摘するのは……怖いしやめておこう。
まあ口移ししろとか言われたわけでもないし、実際に見て取れるほど体調がよろしくないのも事実だから、これぐらいの看病は断る理由もない。
こうやって誰かに食べさせてあげるのなんて、昔妹がインフルエンザにかかって看病したとき以来だ。確かあの時の妹は熱が四十三度あるとか言ってたっけ。実際は三十九度だったけど。
数年前の思い出を懐かしみつつ、スプーンで一口すくい、花ちゃんの口元へと運んでいく。
「……ん、おいしい」
最初は俺も緊張したけど、やってみれば恥ずかしさやそういったものは特に感じることはなかった。
花ちゃんの姿を見ていると同級生の女の子というよりも、それこそ妹を相手にしている感覚の方が強かった。
マスクを外した素顔も声音や話し方からはイメージしづらい童顔で、大きな丸メガネもインテリ女学生ではなく、ドジっ子娘がかけていると言われた方がしっくりくる。
ああそうか、なんで急に妹のことを思い出したのかと思ったら、似ているんだ。
眉の下まで垂れさがった黒い前髪。毛先がくるっとして肩にかかっているナチュラルウェーブ。こんな身体の状態でセットできるとは思えないけど、これは天然なのだろうか。
首から上だけを見て取れば、本当に容姿がそっくりなんだ。まあ似ているのはそこだけでそれ以外のパーツは正反対と言っても間違いではない。
「わたしの顔に何かついてたりする?」
「いや、大丈夫だよ」
「……なんかそんなに見つめられると照れるね」
「ご、ごめん……」
――妹に似ているから、気恥ずかしさを感じない。
そうやって自分に言い聞かせて、花ちゃんを一人の女性だと意識しないようにしていたと言い換えるべきか。
つまり何が言いたいかと言うと、村雨のようなお子様の体つきの妹とは違い、花ちゃんは立派な大人だということだ。
部屋に入ったときにカーディガンを脱いだ花ちゃんが纏っているのは、春物のパジャマだけだった。
冬に着るような分厚いものではなく、身体のラインがハッキリと見て取れ、さらに男にはない女性特有の二つの膨らみが激しくその存在を主張していた。
そのため花ちゃんに近づいてスプーンを動かすとき、最後まで平常心を保つには、俺は花ちゃんの顔以外を視界に入れないようにする必要があった。
彼女いない歴=年齢のような俺にとっては、一度でもそれを意識してしまうとすぐに表情や目に出てしまう恐れがあるため、とにかく花ちゃんを妹と置き換えることによって乗り切ろうとする作戦を立てたのだった。
ただでさえここは俺と花ちゃん二人きりの空間だ。もし花ちゃんに不信感や恐怖感を与え警察を呼ばれたらもうその時点で人生が終了してもおかしくはない。
まあおかしいと言ったら、俺を家に上げている時点で十分おかしいのだが、そういう話は花ちゃんが元気になってからでいいだろう。
「ありがとう、おいしかったよ」
「飲み物もあるけど飲む?」
「うん、お水をお願い」
マンゴープリンを全部食べ切った花ちゃんに、俺はふたを緩めたペットボトルの水を渡した。
食欲はそこそこあるみたいだし、あまり心配しなくても大丈夫だ。あとは冷蔵庫の場所だけ教えてもらってそこに残りの買ってきたものを入れたら俺の役目は終わり。
花ちゃんが食べる姿を見ていたら、俺もマンゴープリンが食べたくなってきた。帰りにデザートとして買って帰ろう。メインは何にしようか。弁当かパンかカップ麵か……。
「――そうだぴょんきちくん。もう一つお願いしてもいい?」
「えっ……いいけど……」
何だろう、けど内容も聞かずに断るわけにもいかない。
花ちゃんはパジャマの袖で額を拭い、うちわ代わりに手を顔の前でパタパタさせながら言った。
「食べたら暑くなっちゃって……身体、拭いてほしいな……」
花ちゃんの視線が俺の斜め後ろにある勉強机に移動した。もう見ただけでそれが何かってのは分かったけど、一応立ち上がり近くに行って確認した。
その上には氷と水の入った桶のような入れ物。それから青いタオルが畳んで置かれていた。
「自分でやっても届かない所とか出てくるから……お願い」
次に俺が花ちゃんの方を振り向いたときには、すでにパジャマのボタンが二つほど外されていた。
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