終わりと始まり

 暗い夜道を歩き続けた。

 僕たち三人は同じ想いを胸に宿し、もう棒切れ程になってしまったという感覚すら覚える両足をただ動かし、約二時間が経った。


 時刻が午前三時を回った頃、ようやく岬へと続く道が目の前に広がった。ガードレールとガードレールの間に林の中へと続く道があり、その道を無我夢中で昇り続ける。木々が生い茂り足場の悪いその道で時折枝に擦れて切り傷を作りながらも、ライトを灯した携帯で足元を照らし足を動かした。ただ海月に会いたい。その一心で。


 十分程そうしていると、ようやく木々が開けてきた。頭上には再び夜空が広がる。


 足元の急斜面を両手を駆使しながらやっとの思いで登りきった時、僕は大きく目を見開いた。鼓動が早鐘のように打ち始め、身体が一瞬にして熱を持つ。


 それは、この場所まで身体を酷使し続けてきたせいじゃない。


 そこに、海月がいたからだ。


 ライトで照らす先には切り立った崖があり、その向こうでは何もかもを呑み込みそうな程の真っ暗で広大な海が広がっている。


 海月は、その真っ暗な海を眺めていた。後ろ姿でも僕には分かった。すらりと伸びた長い手足に、腰辺りまで伸ばした髪の毛、制服に身を包んでおり、周りに纏う空気感が、あれは海月だと、心が、頭が、訴えかけていたのだ。


「海……月。」


 ぽつりと、その名前を口にした時、頬を涙が伝った。

 やっと会うことが出来た。ずっとこの時を僕は待っていた。

 胸の中で海月への想いが濁流のように溢れ、目元から流れ出てくる。


「あっ。海月。」

「やっと会えたな……。」


 僕が送り続ける視線の先に、二人は合わせた後、口々に呟いた。


 ようやく僕たちに気付いた海月は振り返ると、口元の両端を持ちあげる。暗がりでよく見えないはずなのに、僕にはそれが夜を照らす程に美しいもののように感じた。


「こんばんは、みんな。うん……?もうすぐ朝だからおはようか。待ってたよ。」 

「海月。」


 僕はそう呟いたあと、一歩前へと足を出した。 


 すると、「響、それ以上近寄らないで!みんなもよ。あと一歩でも近づいたら今すぐここから飛び降りるから。」と先程までとは打って変わって、鬼気迫るような目つきを宿した。


 海月の送る視線の先には切り立った崖があり、そこから飛び降りれば真下は海だが間違いなく死ぬだろうと容易に想像できる。林を抜ける前は感じることのなかった風が、服をはためかせ、髪の毛の間を吹き抜けていく。潮の香りを孕んだ風が、いやに強く感じた。


 僕は踏み出した足をゆっくりと戻し、「分かったから落ち着いて。」と言った。


 その姿をみて、海月は落ち着きを取り戻したのか、寸前まで鋭かった目つきがゆっくりと穏やかな表情に変わった。岩を打ち付ける波の音が鼓膜に触れる。


「みんながここに来ることは知ってたよ。さっき……みたから。その様子だと、何で私が死のうとしているのかは分かったってこと?」


 僕は、三人を代表して海月の問いに答えた。


「あぁ、海月……君は未来がみえるんだろ?そして、自分が病気で死ぬ未来をみたんだ。」 


 海月はうっすらとした笑みを浮かべると小さく頷き、顔を伏せた。その面持ちは、どこか安心したような、何かが吹っ切れたかのようなものだった。


「そう、私には未来がみえる。見たい時にみれる訳じゃないし、断片的にしかみえないけど、私や私の周りの人の未来が数時間先から数年先まで目の前に映像として浮かぶの。」


 本当にそうだった。

 やっと海月の口から答えを聞くことが出来た。僕たちの出した結論は間違っていなかったのだ。だが、それは同時に海月が両親へとあてた手紙も事実だったことを意味していた。僕はずっと、心のどこかで、僕たちが出した結論は全くの的外れであって欲しいと願っていたのに。


「この能力を持って生まれて幸せだと思ったことは一度もない……」


 僕がそんなことを考えていると、海月は右手を空に向かって伸ばし、ぽつりと呟いた。


「でも良かったことが無かったって言ったら嘘になる。私がこの力を使うことによって大切な人達を守れるから。静香は一年後にいじめられることは無くなったし、拓真のお母さんも自転車で怪我をせずに済んだ。それに、小太郎を響に託すように私がおばあちゃんに言ったのも、未来の拓真はご両親の反対にあって、結局悲しみに暮れながら響に託すことになっていたから、そんな思いも、もうしなくていいしね。」


 僕たち三人は一言も発することなく、海月の放った言葉を聞き入っていた。でも、言葉を交わさなくても同じ想いを海月に抱いているような気がした。僕たちが悲しまないようにと守ってくれたことに対する感謝、そして同じくらい僕たち自身も海月に幸せになって欲しいという気持ちだ。


「海月、一つ教えて欲しいんだ!未来は変えることが出来るんだろ?じゃあ今から病院に行けば病気も治せるかもしれないじゃないか!」

「そうよ、海月こんなこともうやめて!一緒に病院にいこ?」


 訴えかけるようにそう言い放つと、静香もそれに続いた。

 だが、海月は小さく首を横に振る。


「怪我をする程度の小さな未来ならまだしも、死の未来は何があっても変えられない。たとえ、私がみた未来を変えようとしても、別の原因で死ぬことになるの。私は、物心ついた頃からこの力と付き合ってる。今まで何度も誰かが死ぬ未来を見る度に救おうとしてきたけど、結局その人は亡くなってしまうのよ。絶対に。」


 淡々と吐かれた言葉は、この世界の何よりも冷たく感じた。

 未来を変えられないってことは死んてしまうことはもう決まってるのか?

 どうやって自分の死ぬ未来を受け入れたら、まるで他人事のように話せるんだ。


「もし、それが出来るなら、私だっておばあちゃんを助けたかった。あれは……この夏で一番辛い出来事だったから。」


 突如夕立が降るかのように、海月は悲しげな表情を浮かべた。


 やっぱりそうだったのか。海月はあの日、おばあちゃんに未来を伝えていたんだ。一体どんな気持ちでそれを口にしたんだろう。大好きな人に、翌日に亡くなるという未来を告げるなんて僕には想像もつかない。

 

 海月、君はどれほどの悲しみや苦しみを背負ってきたんだ?


「それにね……。もう、私の身体には症状が出始めてるのよ。突然、立ち眩みが起きたり、あの未来をみて以来、食べ物は喉を通らないし疲れが日に日に取れづらくなってるの。自分の命の灯火が、もう燃え尽きかけていることが、私には分かる。」


 ゆっくりと持ち上げられた左手が海月の胸元に添えられた。それはまるで、今、この瞬間も鼓動を打ち続ける心臓を励ますかのようだった。

 

 

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