もうひとつの夢 第2話
ポットのスイッチが切れた音が部屋の中に響いた。どうやらお湯が湧くと自動でスイッチがオフになるシステムらしい。その後、ことことと湯煎を通してお湯が注がれる音が鼓膜に触れた。それと同時に、甘いお茶の香りで部屋の中は満たされていく。
「さぁ、おばあちゃん出来たよ!」
「ありがとうね。」
トレイの上に湯気の沸き立つ急須を載せて海月が零さないようにと慎重に運んでいた。いくら急須だけだといってもなみなみにお茶が注がれている分、女の子にとっては重いだろうと思った僕は席を立とうとした。その時だった。
突然海月は大きく目を見開き、両手で支えていたトレイがぐらりと、揺れた。
「危ない!!」
僕は咄嗟に叫んでいた。だが、その声をあげた頃には重力に導かれるようにトレイと共に急須は地に落ちた。海月の足元で割れたそれは粉々に砕け散り、ガラスが割れるよりも少しばかり低い音が部屋の中に響き渡った。
「海月!大丈夫か?」
「大丈夫かい?」
僕は急いで海月の元へと駆け寄った。おばあちゃんも椅子から立ち上がり、心配そうな顔色で海月をみつめていた。海月は床の上にしゃがみ込み、まるで心を失ってしまったかのように表情を無くし、入口のドアに視線を置き続けている。放心状態に陥っている海月に、僕の声は一向に届いていないようにみえた。それでも、声をかけ続けた。
一体どうしたんだ?
何があったっていうんだ?
頭の中に湧き上がる疑問を抑え、咄嗟に海月の怪我の有無を確かめる。見たところ、幸い急須の破片で切ったりはしていないようだ。足の甲が少しだけ赤くなっていたが、火傷も大したことなそうだった。
「おばあちゃん、氷ある?」
「冷凍庫にまだ残りがあるはずだよ。急いで冷やしておやり。」
僕は急いで冷凍庫を開ける。壁と冷蔵庫の隙間にかけられたエプロンがけには幾つか袋がかけられており、その中に入れれる限りの氷を詰め込んだ。
その氷を海月の右足の甲にあてた。
「冷たいと思うけど少しだけ我慢して。他に熱いところとかある?」
下から見上げるようにして僕はそう問かけた。
だが、変わらず応答がない。それどころが目は虚ろで虚無に堕ちたかのようにすらみえる。
「海月、一体どう…」
僕は口にしようとした言葉を呑み込んでしまった。淵から、海月の両目の淵から涙が溢れていたからだ。頬を伝ったそれは、氷の入った袋にはらりと落ちた。外側に付着していた結露と共に海月の涙は木製の床に染み込んでいく。
僕はその間、海月に一体何が起こったのかを理解しようと必死に努めていた。
急須を割ってしまったという罪悪感で泣いているのか?
いや、違う。急須ごとトレイを落とす少し前に何かがあった。何か辛いことでも思い出したのか、それとも身体のどこかに痛みを感じたのか。それが何かは分からない。でも、あれだけ目を大きく見開き悲痛な表情を浮かべていたんだ。きっと海月に何か変化があったのは間違いないはずだと思った。
ゆっくりと腰を上げようとすると、海月は咄嗟に立ち上がり、頬が僕の首筋に触れた。背中に回された手が僕の身体を包みこむ。
「海月…。一体どうしたんだよ。話してくれ。」
僕がそう言ったあと、首越しに海月が頷いていることは分かったが、次第に嗚咽をもらし始め、今はとてもじゃないけど話せる状況じゃないと理解した。僕は海月の背中にそっと手を回し優しく擦った。テーブルに座るおばあちゃんと目があったが、おばあちゃんですら困惑した表情を浮かべていた。
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