波の狭間に見据える未来 第10話

 水平線の向こうに沈むゆく夕陽は海から灯る炎のようにみえた。濃度の違う青い絵の具を何色にも織り交ぜたような海の真ん中を、燃えたぎるような陽の光が一直線に伸びている。それは、さながら光の道のようにすらみえた。


 拓馬の仕事が終わったのは夕方17時を回った頃だった。僕たちは約4時間程、砂浜の上で潮風を受けながら話しをしたり、海をみてぼぅっとしたりと、途中からは各々好きなように過ごしていた。海月は、その間携帯に何か文章を打ち込んでいたので、僕は気になって「何を書いてるの?」と問い掛けてみた。すると、海月は「秘密。」と言って悪戯っぽく笑い、あとから絶対に見ないでよと付け足してきた。その仕草や言動に胸が高鳴った僕は余計に気になってしまい覗きみようとした。結果、僕は軽めに頬を叩かれて、静香と一緒になって「人の携帯を見ようとするなんて最低だよね。」と陰口を叩かれる羽目になった。反省しつつも、その姿を微笑ましくみていると、仕事を終えた拓馬がやってきた。学校にいる時はそれだけの時間であれば途方も無いように感じていただろうが、三人で過ごす時間は、あっという間に溶けていった。


「お待たせ、いやー疲れた疲れた。」


 目の前には白波の立つ海が広がり、パラソルの下で並ぶ僕たちの隣に腰を下ろした拓馬は空に向けて両手をぐっと伸ばした。


「お疲れ様。はい、これ。」

「おっさんきゅー!」


 静香が数分前に買ったばかりの炭酸ジュースを拓馬に手渡した。受け取った手は真っ黒に日焼けしており、今日一日の労をねぎらう意味で静香は渡したのかなと、僕は思った。


「で、初出勤はどうだった?」

「いや、それがさ先輩達もみんないい人達で…」


 僕が尋ねると、拓馬は白い歯をみせてにっと笑い、待っていましたと言わんばかりに今日一日あった出来事を止まることなく話し続けた。


 あまりにも嬉しそうに話す拓馬に、僕たちも自然と笑みが溢れていく。先輩達の話しから始まり、仕事でミスをしてしまった話、働く楽しさ、そして今後の夏休みの予定までと話は二転三転しながらも、時間の許す限り波の音に身体を預け、潮風に抱かれ、僕たちは話し続けた。


「なんかいいな。これが青春って感じなのかな。」


 目の前の白波をどこか遠くの方をみるかのようにみつめ、拓馬がぽつりと呟いた。


「ちょっと…。何いきなり浸ってんのよ、キモいんだけど。」

「うるせぇよ。今日くらい浸ってもいいじゃねぇかよ!」

「だからそれがキモいって言ってんのよ。一緒にいる私まで変なヤツだと思われるじゃない!」


 傍から見ると喧嘩しているかのようにみえる拓馬と静香のじゃれ合いも、僕たちからすれば見慣れたものだ。僕はその姿を寄せては引く波を見るついでに視線を送り、海月は先程からくすくすと笑っている。


 でも、確かに拓馬の言うことにも一理ある。今、この瞬間を生きる僕たちにとってこれは青春なのかもしれない。僕たちはまだ若く、社会の荒波すらも知らない。それでも、大人になる為に、社会へと羽ばたく為に、必死に藻掻いてる、飛び立つ練習をしている。仲間達と一緒に。


 そう考えると、僕は途端に口にしたくなった。


「なぁ、一人一人将来の夢を話さない?」


 三人が目を丸くして一斉に僕をみる。当然のことだろうと思った。言い出した僕でさえ、何でこんなことを口にしたんだろうと思ったくらいだ。


「……響までどうしたの?男の子って海にきたらおかしくなるの?」


 半ば半笑いのような笑みを浮かべ、その答えを尋ねるかのように静香は海月に視線を送る。海月も両手を広げさっぱり分からないと言いたげだ。


「おばあちゃんも言ってたろ?一瞬一瞬を大切にして生きなさいって。今、語った夢が叶うか叶わないかは分からないけど、僕たちが大人になった時、あんなことも言ってたなって話せるじゃん!だから、やろうよ!一言でいいから!」 


 話し始めると自然と熱が入った。あまりにも僕が真剣に言うものだから納得したのか渋々なのかは分からないが、三人は小さく頷いた。


「じゃあ、まずは僕からなんだけど、僕には夢がない…」

「はぁ?」

「何だそれ?」


 話し始めた瞬間に全員からブーイングのような嵐が飛んでくる。まあ、それも当然だろう。あんなことを言っておいて、僕には将来の夢がない。それどころかつい先日までは、人生すら停滞していると思っていたのだから。


「ちょっと…まだ途中だから最後まで聞けって!僕には夢がない。ずっと時が止まっているかのような感覚で生きてきたんだ。でも、最近は違う。僕は今が楽しくて仕方ない、やっと人生が動き始めた気がするんだ!だから、将来の夢は夢をみつけること!」


 僕が言い切ると、まばらな拍手が波の音と重なった。三人はまだ腑に落ちていない感じだが、僕は自分の胸の内を語ることが出来て何だかすっきりした。


 砂浜に腰を下ろしていた静香がすっと立ち上がり、僕たちを前にする。


「響のはちょっとずるい気がするけど…次は私ね。私の夢は、おしゃれするのも好きだし人が綺麗になる姿をみるのが好きだから美容師になること。」

「えっ私の思ってた通りだ。静香ならきっといい美容師さんになれるよ!」


 海月は目を輝かせて、隣に腰を下ろした静香に興奮気味に話してる。


 入れ替わるようにして今度は拓馬が僕たちの前に立ち、後頭部をがしがしと掻く。


「俺は、俺の夢は…誰かを助ける仕事がしたいから消防士になること。まあ難しいって聞くからなれるかは分かんねぇけどな。」


 拓馬は最後の方を照れ隠しなのか冗談めかして話していたが、僕は拓馬に適した仕事だと思った。面倒見がよく、いつも何かがあると誰かの手助けをしている拓馬ならきっとなれるだろう。何故かそう強い確信めいた予感がした。


「じゃあ…次は、私ね。」


 水平線の向こうに沈もうとしている陽から放たれた光が、僕たちの前に立つ海月の透き通るような白い肌の輪郭を、形どるかのように照らしている。


「私の…夢は。私の夢は、長生きをすること。」


 ぽつりと、放たれたその声は、波が砂をさらう音と一緒に海の中へと消えていきそうな程に、か細い声だった。


「海月も響と同じ感じかよ。それは夢じゃなくて願望だろ?なんか将来したい仕事とかないの?」

「そうそう、海月なら絶対どんな仕事でも出来るって!」


 拓馬と静香は間を埋めるように言葉を畳み掛けていく。だが、海月はすぅっと息を吸い込むと瞼を閉じた。時間にして一秒程経ち、再びゆっくり瞼を開けると綺麗な瞳が山あいから登る朝日のように光を放つ。


 そして、嘘みたいに綺麗な笑みを浮かべると。


「でも、これが私の夢だから。」


 儚げに声を落とした。


 僕は何故かその瞬間、とてつもない不安に駆られた。海月がどこかに、僕の手が届かない場所に行ってしまうんじゃないかと、理由無く思ってしまったのだ。


 隣に腰を下ろした海月が潮風にそよがれただけで塵のように消え去ってしまいそうな気すらした。


 その時の僕はどんな表情を浮かべていたのかは分からない。僕は、ただ海月をみつめていた。その送り続けられた視線に気付いた海月は、先程と同じ顔をする。


 そう、嘘みたいに綺麗な笑みを浮かべたのだ。 



 目が覚めたら、身体が鉛みたいに重たくなってた。いつもなら、すっと動かせた手足が、今日は動かない。身体の中に私じゃない何かがいて、何かがあって、みえない糸でその異物に沿って縛られているような、そんな感じ。ベッドから何度も起き上がろうとしたけど無理だった。


 せっかく今朝は、響と二人で過ごせる大切な時間だったのに、行けなかった。遅れていった理由を、寝坊したなんて安直な嘘をついちゃったけど、バレてないかな…。響となら、どんな時間も好きだけど、二人で電車に乗る時間は、私の中で結構お気に入り。私はただ詩集を読んでるだけだけど、響はそんな私のことを横からみてくれてる。何だかそれが凄く安心する。穏やかに過ごせる時間を、響が包んでくれてるみたい。守ってくれてるみたい。


 あと何回そんな時間を過ごせるんだろう。

 最近は立ち眩みが頻繁に起きるようになったし、身体の疲れが一向に取れなくなってきた。もう、時間がない。少ない。砂時計の砂が落ちきる前に、全てを終わらせないと。


 だから、これからは無理してでも四人で過ごせる時間を、響と二人で過ごせる時間を、大切にしよう。


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