出会いの日。赤く、流れて。第7話
「おばちゃんは、居ないみたいだ。」
玄関のチャイムを鳴らしても応答がなかったので、拓馬は民家の裏口まで様子を見に行っていた。僕達の座るベンチにゆっくりと腰を下ろすと、木のきしむ音が生まれた。
拓馬の言うおばあちゃんとは、この民家の家主だ。僕達のいるこの場所は以前は神社だったらしい。住職として務めていた旦那さんと共にこの土地に住み、旦那さんが亡くなり神社が移転されてからは、民家を立ててこの土地に住み続けているんだと、以前おばあちゃんが目を細めながら話していた。真横にそびえ立つ巨大樹は御神木として150年もの間、この土地を見守ってきていると聞いた。神社の跡地らしく所々に名残りが残っている。この場所にくると、不思議と癒やされるのは、そのお蔭でもあるのかもしれない。
「はーい、みんな注目して!海月ちゃんが改めて自己紹介したいって!」
ベンチから立ち上がった静香が、促すようにして僕と拓馬の前に海月を立たせる。
その姿に、僕は思わず息を呑んだ。改めて面と向かってみる海月は綺麗という言葉では形容出来ない程の出で立ちだった。斜めに差し込んだ木漏れ日が白い肌を浮き彫りにさせる。枝や葉で覆われ陰の多いこの場所で、海月はひかり輝いているようにすらみえた。
「改めてはじめまして!冬村海月です。クラスは1-cだから皆のクラスの隣かな?好きなことは詩を読んだり、書いたりすること。基本的に文章に触れることが好きなので、趣味で毎日日記も書いてます。仲良くして貰えたら嬉しいです。あと、私も今からちゃん付けも君付けもしないから、私のことも海月って呼んで下さい。」
毅然とした態度から放たれた甘く高い声が、僕の心に染み込んでいく。ぽぅっと温かくなっていくかのような心地だった。
「ちょっと、何二人共見惚れてんのよ!拍手しないと。」
僕と拓馬は一度顔を見合わせたあと、両の手のひらで乾いた音を散らした。
その後、静香が自己紹介をして、拓馬へと続いた。
僕の番が来たわけだけど、何を話せばいいのだろう。思えば自己紹介なんて、名前を言うくらいしかしたことがない。短めの黒髪を散らすようにして掻いたあと、皆の前に立った。
「え…えっと、名前は大橋響です。好きなことは特にありません。特技は…」
「はい、もういいよ。好きなことは特にありませんって響ってつまんない男だね。」
しどろもどろに話し始めた僕を見かねた静香が僕の手を引いて再びベンチに座らせる。途端に、拓馬が「響らしいや」と言って声をだして笑い、静香と海月がそれに続いた。
鏡を見なくても自分の顔が赤くなっているのが分かる。この場所にきて身体は冷やされたはずなのに、顔だけが再び熱を持ち始めたからだ。
もう自己紹介なんて二度としない、僕は顔を伏せたあと、心の中でそう呟いた。
「あっそうだ!」
唐突に思い出したかのように明るい声を放った海月に全員が目を向ける。
海月はカバンの中から何かを取り出すと、ベンチに腰を掛けている拓馬と静香の前を通り過ぎ、僕の前で立ち止まる。
「左手出して?」
僕は首を傾げながらも、言われるがままに左手を宙に浮かせた。海月は腰を屈めながら僕の左手に何かを取り付けている。冷たい感触が手首に触れる。海月の手は冷たかった。
僕の顔の前で海月の髪の毛が揺れ動く度に、今朝と同じクチナシのような甘美な香りが鼻腔をくすぐった。
あの時の香りは海月から放たれていたものだったんだと頭の中で理解すると、途端に目の前にその海月がいることを意識してしまい、鼓動が少しばかり早くなった。
「はい、出来た!今日、学校の休み時間を使って作ったの。」
海月はそう言うと、眩い程の笑顔を放った。手首には水色と黒色の紐が絡み合うようにして交互に編み込まれた輪っか状の紐が巻かれていた。
「これってミサンガ?」
「そう、今朝助けてもらったお礼ね。」
きっと海月は、何気なくその言葉を放ったのだと思う。だが、それは今朝起きた出来事を僕の頭の中で鮮明に思い出させた。
僕は忘れかけていた。今朝、海月は死のうとしていたことを。
いや、きっとそれは僕だけじゃないはずだ。海月があまりにも自然に魅力的に感じる程に明るく取り繕っていたので、まるで今朝起きた出来事が嘘のようにすら思える。
だが、僕は実際にこの目でみたのだ。
今でもあの時の手の感触が残っている。
海月が電車に飛び込もうとしたことには、きっとそれなりの理由があるはずだ。
「……ありがとう。凄く嬉しいよ。」
僕はそう口にしながら、海月が何を悩み抱えているにしろ二度とあんなことをしないように僕たちが傍にいてあげようと、心の中で固く誓った。
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