出会いの日。赤く、流れて。第5話

 外に出ると、少しずつ傾き始めた陽が空を茜色へと染め上げようとしていた。残された青空と夕暮れの空との境目が頭上に広がっている。


「響、待てって。からかって悪かったよ」

「ごめんね!」


 夏の風はいつだって淡く、甘く、柔らかかった。


 その風を切るように歩いていた僕は足を止めた。


 拓馬と静香に呼び止められたからじゃない。


 校門の前に、彼女がいたからだ。


 何十人もの生徒達が校門へと向かい、川の流れのように一直線に伸びる群衆の中で、僕は彼女をみつけた。時折、人影に隠れたとしても彼女の位置を見失うことはなかった。


 甘ったるい匂いを孕んだ風がふわりと吹いて、音もなく彼女の髪が小さく揺れる。艶のある黒髪が、透き通るような白い肌が、彼女だけが、この世界で色付いているかのように僕にはみえた。


「おい、どうした?」


 触れ合える程の距離にいるはずの拓馬の声が、どこか遠くの方から聞こえた気がする。


「あの子だ……」


 僕は無意識に、ぽつりと呟いていた。


 二人は僕が送り続ける視線の先に結びつけた後、続けざまに口を開く。


「えっ待って、めちゃくちゃ可愛いんだけど」

「確かに可愛いな。響が惚れるのも分かる気がする」


 見惚れるように足を止める僕達と彼女との距離が少しずつ近くなっていくように感じた。とくん、と、跳ねた心臓の鼓動が、彼女が一歩足を進める度に早くなる。


 川の流れに逆らうように、帰路へと向かう生徒達の中を真っ直ぐに歩みを進めた彼女は僕達の前で立ち止まると、ただ一声こう言った。


 「はじめまして、私は一年の冬村海月ふゆむらみつき。私と友達になって」


 この場所にある何よりも輝くような笑顔を放った彼女を、僕達はただ呆然とみつめることしか出来なかった。今朝と一つ違ったのは、左手首には包帯が巻かれていたことだった。きっとあの駅員さん達に手当てしてもらったのだろう。


「み……つき」


 心の中で留めるつもりだったはずの彼女の名前を、僕は声にのせて口にしてしまう。


「そう。海に月って書いてみつきね。音読みにすると、くらげになるからくらげでもいいけど」


 冗談のつもりで言ったのだろうか。彼女だけが笑みを溢して僕達は反応することが出来ない。傍を通り過ぎていく生徒達の笑い声や話し声が途端に大きくなった気がした。


 このままだと気まずい空気が流れてしまうと思った僕は、間を埋めるように発する。


「よっ……よろしく。みつ、き」

「宜しくね、響くん。後ろの二人は、静香ちゃんと拓馬くんね。二人もよろしく!」


 拓馬と静香はぎょっとした表情で互いの顔を見合わせた。恐らく今朝の僕と同じ疑問を持ったのだろう。


「どうして俺達の名前を知ってるんだ?」

「うーん、分かんない。なんとなく?」


 彼女は──海月は、拓馬の放った質問を受け流すかのように誰一人として釈然としない答えを間髪いれずに言い放った。振り返らなくても二人の反応は頭に浮かんだ。恐らく口は半開きにして、目は大きく見開いているんだろう。現に僕がそうだった。


 海月は風でなびく髪を左手で抑えながら、僕達の反応を無視するかのように続けざまに口を開く。


「そんなことより場所を変えない?ここだといろんな人に見られるから」


 確かにそうだ。さっきまで気にも留めていなかったが意識してみると何人かの視線を感じる。気のせいかもしれないが、その数人は嘲笑を浮かべてる気すらもする。


「きっと海月ちゃんが可愛いからよ」と静香が言うと、海月はその逆よと小さく呟き、顔を伏せた。だが、僕らが次の言葉を待つより先に再び顔を上げ、目の前に眩い笑顔が咲いた。


「私、クラスでは嫌われてるから。入学してからずっと皆のことを無視してたら、いつの間にかクラスで一番の嫌われ者になっちゃった」


 僕は、海月の放った言葉を聞きながらにわかには信じられないと思った。一般的に人から嫌われると言われる、人を蔑んだり、傷つけたりするようなタイプには、海月は到底見えなかったからだ。


「なんで無視してたの?だって、私達とはふつうに話してくれてるじゃない?」


 僕の抱いた疑問を静香が恐る恐るというような口調で代わりに口にしてくれた。


 海月は顔をあげると、空に向けて視線を送り、静かに口を開いた。それも、夏の暑さを忘れさせるような冷徹な言葉を言い放った。


「だって、どうせ皆いつかは死ぬ。友達がいようと家族がいようと死ぬ時はどうせ一人でしょ?だから友達なんか作る意味ないって思ったの」


 僕達は彼女の思考を、言い放たれた言葉の意味をなんとか理解しようと努めたが、それは叶わずただ固まるようにして彼女をみつめていた。


「あっでも、あなた達は別よ。ほんとに心から友達になって欲しいって思ってる」


 何なんだこの子は。知れば知るほど理解が出来なかった。僕も人のことを言える人間ではないのは百も承知だが、かなり偏った考えを持った子だなと思わずにはいられなかった。


 それに、僕たちだけを特別視する理由も分からない。


「……じゃあ、とりあえず俺らのいつもの溜まり場があるから。そこにいくか」


 固まりかけていた空気を解きほぐすかのように拓馬が口を開くと、海月はぱっと表情を明るく染めた。




 人の一生は、よく花に例えられるって誰かが言ってた。


 芽吹き、美しい花を咲かせて、最期は枯れて散る。それら一連の流れが、どうやら人の一生に似ているからだそうだ。


 でも、そんな綺麗に人生を終えることが出来るのは、私に言わせればただの幸せ者で、人生は花のように綺麗に終えることがあたかも当たり前のように言わないで欲しいと思った。花を咲かせることなく、地面に伏す蕾だってある。そう、まるで私みたいに。


 一通りの死に方を調べた結果、一番楽に死ねそうなのは、電車に飛び込むことだった。痛みを感じる前に、肉体は粉々に砕け散るらしい。それこそ風に吹かれ、花びらを散らす花みたいだと思う。


 そんな死に方が私には相応しいんじゃないだろうか。一度も咲かせることのなかった花を、最期くらい咲かせてみたい。


 この世に生きた証ってやつなのかも。


 つらつらと、思いのままに書いてはみたけど、結局最後の日記ですらこんな文章しか書けない。なんだか私らしいなって思う。


 この日記を最初に読むのは誰なんだろ?

 駅の人?それとも警察の人?


 出来れば一番はお父さんかお母さんに読んで欲しいな。二人のことは大好きだから。


 こんな選択を選んでごめんなさい。私は、あなた達の望む娘にはなれなかったけど、私にとってのあなた達二人は私の理想の親でした。かけがえのない、大切なお母さんとお父さんでした。最後まで迷惑をかけてしまってごめんなさい。どうか、私を許して下さい。今まで本当にありがとう。



 海月



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る