第3話 わたしの特権

 和樹は迷うことなく、河原に降りた観月の後を追った。

 初めて出会った五年前から、和樹と観月の関係はこんな感じだった。


 観月は人見知りで内気な性格だったけれど、和樹のことは、甘えるように振り回した。そして、和樹はそんな観月を守らないとと思ってそばにいた。


 もともと観月は遠縁の親戚で、とある理由があって祝園寺家に引き取られている。


 最初に会った10歳のときの観月はとても儚げで、不安そうだった。

 生家の家族とは仲が悪く冷たく扱われていたらしいし、祝園寺家に厄介払いされたという経緯もあったと聞く。

 知らない家に住むことになって、心細かったと思う。


 そんな観月の力に、和樹はなりたかった。たとえ血がつながっていなくても、観月は和樹の妹だったから。


 観月も、和樹のことを慕ってくれていた。本当の兄と思ってくれているのかはわからないけれど、「兄さん」とは呼んでくれている。


 河原の川べりに二人で並ぶと、観月はそこに腰を下ろした。そして、ぽんぽんと自分の横を叩いて示す。


「兄さん、座ってください」


「いいけど……」


 和樹は腰を下ろし、そして周りを見回す。夕方の鴨川は、やはりカップルばかりだ。

 観月は微笑んだ。


「放課後デートって、憧れていたんです。あ、あくまでデートのフリですけどね……?」


「デートっていっても、相手は俺だよ。もっとカッコイイ同級生の男子だったら良かったんだろうけどね」


「他の男子になんて興味はありませんよ」


 小さな声で、観月は言う。


 観月は平たい石を川に向かって投げた。水切りは大成功で、綺麗に川の水の上を飛んでいく。

 気づくと、観月はじっと上目遣いに和樹を見ていた。


「透子さんのこと、ショックでしたか?」


「まあね。ショックじゃないといえば、嘘になる」


「そう、ですか……」


 観月は小さく言うと、うつむいた。

 気遣ってくれているのだろうと和樹は思う。


 透子にとって、和樹は特別な存在にはなれなかった。どうすれば、何らかの意味で特別な存在に、自分に価値があると言える存在になれるだろう?


 和樹は透子に必要とされたかったけれど、それは叶えられなかった。

 それでは、和樹はどうすればいいだろう?

 

 観月が顔を上げる。期待と不安の混じったような表情で、瞳がきらきらと輝いている。


「兄さん……わたしでは透子さんの代わりになりませんか?」


 観月の言葉の意味を、和樹は考えてみた。代わり、というのは何の代わりになるのだろう?

 透子は和樹の幼なじみで、友人で、婚約者だった。同じ七華族の後継者という意識を共有できる仲でもあった。


 観月は、和樹の何になるつもりで、「代わりになりませんか?」と聞いたのだろう?

 ただ、いずれにせよ、結論は変わらないことに気づいた。


「観月は透子の代わりにはならないよ」


 そう言うと、観月は傷ついたような表情を浮かべた。そして、とても不安そうに揺れる瞳で、和樹を見つめる。

 そんな表情をさせるつもりはなかったので、和樹は慌てる。 


「兄さんにとって、わたしはいらない存在ですか?」


「違う違う。逆だよ。観月は透子の代わりなんかじゃない。代わりになる必要もないよ。だって、観月は……代わりのいない、俺の大事な妹なんだから」


「だ、大事な妹、ですか……」


 観月がぱっと顔を輝かせて、「えへへ」と嬉しそうな笑みを浮かべた。和樹の前では、観月は表情豊かで、今みたいにころころと表情が変わる。


 観月はくすっと笑った。


「わたし、決めました」


「な、何を?」


「兄さんの妹であるのは、わたしだけの特権です。でも、透子さんがこれまで持っていた特権も、わたしのものにしたいんです」


「えーと、つまり?」


 おそるおそる和樹は尋ねる。観月は満面の笑みを浮かべた。


「恋人のフリじゃなくて、婚約者のフリをすることにしましょう。兄さん」

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