自慢の息子(Aパート)


 金網が張り巡らされたリングの上で、ふたりの男が拳を交える。

 そこにグローブなどという生易しい道具は存在しない。

 ひたすらに磨き上げた生の拳が飛び交い、リングに血飛沫を散らしていた。



「いけ! そこだ! 決めろ!! ……よおおおっし!! 勝った! 勝ったぞ!」


 金網の外からオヤジさんの喜ぶ声が聞こえる。

 俺は鼻から流れる血を右拳で拭って、そのまま天井に向かって高々と掲げた。


 観客席に響く歓声が一際大きくなり、俺も勝利の雄叫びを上げて歓声に応える。


「ジャック! ジャック! ジャック! ジャック!」


 勝者を讃えるコールが全身を包み込む。

 対して敗者はただリングマットへと沈み、誰も健闘を称えたりなどしてくれない。


 金網につけられた扉がガチャリと音を立てて開かれ、黒いスーツに身を包んだ男たちが入ってきた。彼らは回収人だ。


 黒スーツのひとりが俺の足元に転がっている敗者の髪を無造作に掴む。

 そのままズルズルと引きずってリングから出て行った。


 もし負けていたら、俺がヤツの立場になっていた。そこには紙一重の差しかない。


 ここはルール無用の地下闘技場だ。

 地の底で、人生の底まで堕ちた人間を待ち受けている。


 元ボクサー、元レスラー、元格闘家、元傭兵、元……。

 俺はこれまでに様々な相手と戦ってきた。


 全員に共通していることは、地下闘技場ここまで堕ちてきたということだ。


 理由は借金だったり、弱みを握られていたり、罪を犯して潜っていたりと人それぞれだが真っ当な人間はひとりもいない。


 ――ここより下は存在しない。

 ――ここから上へは戻れない。


 俺は今日も生き抜いた。

 生きている充実感に満たされたまま、俺は悠々とリングをあとにする。


「今日はコチラで」


 リングを出たところでピシッとしたスーツを着た女性に紙を渡された。


 もちろん、デートのお誘いなどではない。

 俺にとって最も大事な相手との食事の案内だ。



 紙に書かれた時間、場所に行くと、黒いスーツを着た男たちが待っていた。

 例の回収人と見た目は同じだが、彼らは案内人と呼ばれている。


 俺のような地下闘技場のファイターたちは、自由に外へ出ることを許されていない。

 今回のように雇い主の指示がある場合、彼ら案内人が俺を行くべき場所まで案内してくれるシステムだ。


 案内人のひとりが俺に目隠しをする。

 腕を引かれるように誘導され、車の後部座席らしき場所へ詰められた。


 あとは彼らに運ばれるまま、身を任せておけばいい。


 しばらくして。

 建物の中へと案内された俺の鼻孔を、八角ハッカク五香粉ウーシャンフェンの香りがくすぐった。


「今日は中華か」


 案内人は答えず、すぐに目隠しが外された。


 俺の視界に入ってきたのは、豪勢な中華料理が並ぶ円卓だった。

 試合に勝った日だけのスペシャルコースだが、そんなことよりも大切なのは一緒に食べる相手だ。


 俺はリングに立っていたときの何倍も緊張していた。

 黙って座っていると奥から立派なスーツに身を包んだ恰幅の良い男が現れた。


「オヤジさん!」


 立ち上がって頭を下げる俺に、オヤジさんは笑いながら頭を上げて座るように促してくれた。こんな頭、どれだけ下げたって足りないというのに。


「ジャック。今日も良くやってくれた。おまえは俺の自慢の息子だよ」


 その言葉だけで、俺の涙腺は崩壊した。

 涙がボロボロとこぼれだし、口からは嗚咽が漏れる。


「あのっ……、俺……、すみませ――」

「ああ、いい。気にするな。勝負の後だからな、気が昂ってるんだろ」


 涙が止まらない俺は、ただただ首を横に振る。


 リンクでの戦いのことなんて関係ない。

 涙が止まらないのは、ただただ嬉しいからだ。

 

 命の恩人であるオヤジさんに『自慢の息子』と呼んで貰えた。

 これ以上の喜びが、この世界にあるとは思えない。



 俺は戦争孤児だ。

 五つの頃、親も兄弟も全て戦争で亡くした。

 頼れる親類もおらず、掃き溜めどころか肥溜めのような孤児院に放り込まれた俺を引き取ってくれたのがオヤジさんだ。


 あのまま孤児院にいたら、餓えか病気で死んでいたかもしれない。それほどヒドい場所だった。


 オヤジさんは俺に人並みの暮らしだけでなくキックボクシングの師匠をつけてくれた。丈夫でデカい身体だけが取り柄だった俺にとっては、学校とやらで勉強なんかさせられるよりもよっぽど幸せだった。


 おかげでこうして地下闘技場でファイターとして生きていくことが出来ている。


 いくら感謝しても、感謝しきれない。


 オヤジさんが喜んでくれるなら、俺はいくらでも命を賭けられる。

 これから先、何人だってリングに沈めてやる。



「いまの俺があるのは、オヤジさんのおかげですから」


 涙が止まり、ようやく感謝の言葉を絞り出すことができた。

 オヤジさんは満足そうに頷いてくれた。




          【Aパート 了】

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