第52話 人の世の在り方を選び取るために

「貴女はいいのか?」


 アネリナの指が手の平に触れる直前、今度はヴィトラウシスに問われて手を止める。


「星の血族を残すなら……。いや、星はすでに貴女を導いた。それで充分なのか」

「いいえ。わたくしは以前の貴方の提案を受けるつもりでいます。わたくしがこの道を進むのならば、必須でしょう。わたくしの代で星の加護を失ったなどと、後悔をしたくもありません」


 一旦止めた手を、問いかけの内容が分かった後はためらわず重ねる。


「きっと、大丈夫です。貴方の側は穏やかで心地よく、心に温かい鼓動を刻ませてくれますから」


 恋や愛と呼べるまで育つかは、まだ分からない。しかしアネリナはヴィトラウシスに触れるのが嫌だとは思わなかった。

 星がアネリナとヴィトラウシスをこうして選んだのならば、きっとそれで充分だろう。


「――聞いての通りです、アッシュ」


 アッシュの左手を取る前に、次に問うべき内容を口にする。


「わたくしは、貴方を失いたくない。今ここに貴方がいること、とても嬉しく思っています。いなくなってしまった後のことなど、想像もできません。だけどわたくしは選んだから、貴方にも選ぶ権利があってしかるべきだと思います」

「帝国は、側室とか愛妾認めてたよな?」

「ああ。正室、第一、第二と名前は変わるが、妃として娶ることも許されている」


 他国の王族から妻を娶ることも少なくなかった歴史を持つ帝国だ。その制度が生まれるのは自然の流れと言える。


「だったら俺は構わないぜ。力のある個体が複数の伴侶を持つのなんか、俺の一族ならフツーだし」

「獣人族はそうでしたね」

「大体、男が王なら複数の妻がいても普通で、女が王になったときは駄目――なんて、人間の理屈の方がよく分からねー。大切なのは結ばれた伴侶を幸せにできるかどうか、それだけだろ」


 けろりとして言い切ると、アッシュは自らアネリアの手を取って自分の手の平に乗せる。


「姫さんなら、ちゃんと俺たちを満足させてくれる器量があるって信じてるぜ」

「心掛けます」

「中々、愉快な答えだ」


 言った通りに微かに微笑みつつ、ヴィトラウシスは改めて祭壇に向き直る。アネリナとアッシュもそれに続いた。


「では、行こうか」

「はい」


 二人のエスコートで、アネリナは祭壇まで歩み寄る。


「他に見る人もいないことですし、ユディアスに任せてもよい気がしますが……」


 もうパフォーマンスの必要のない状態だ。


「いや、姫さん。ここは三人で臨むとしようぜ」

「アッシュに賛成だ。貴女もまた、星に望まれている。ここで背を向けるのは良い選択ではないだろう」

「二人が言うのならば、そうしましょうか」


 必要があったのなら取り返しがつかなくなるし、必要がないのならヴィトラウシスが参加している時点で問題ない。


「……では」


 予定通りであればクトゥラがこの場でアネリナに渡すはずだった聖杖は、襲撃からずっとアネリナの手元にある。刃の部分を思い切り叩いたのだが、傷一つなく美しいままだ。

 かつて初代皇帝が天から得たという星の欠片、聖石が飾られた先端を空へと向け、三人で柄に触れて目を閉じる。


(我がステアを見守りし星々よ)


 意識のすべてを空へと向け、祈り、語りかける。

 周囲の人々に伝え、見せるための詩文は必要ない。星は常に人々を見ているのだから。

 だからただ、己の想いを託して願い、伝えればよい。


(この大地に、世界に、どうか安寧を)


 注がれた思いが天と繋がり、祭壇に一つの杯が出現する。光そのもので作られたような、透明度の高い白色の杯だ。

 その中に、黄金の光が溜まっていく。光は徐々にかさを増してゆき、数分をかけて杯を満たす。


 共鳴するように輝きを宿した聖杖の星の欠片が、きっちり端から端まで光に満ちたその瞬間、三人は揃って目を開く。

 目で見ていたわけではないが、正確に感じ取れていた。その感覚は全員共通であったらしい。


「……無事、光が宿った」


 目を開き、聖杯を現実の視界で確認したヴィトラウシスがうなずくのとほぼ同時。祭壇に鎮座していたはずの聖杯が、皆の目の前で掻き消える。


「あっ」

「問題ない。聖杯が再び現れるのは、また十年後だ。これからの十年は、杯に満ちた光がこの大地を護ってくれる」

「まさに神秘、ですね」


 星神殿で聖女を始めてから、神聖性を演出するのに懸命だったアネリナだ。本物を見てしまえば、溜め息しか出ない。


「じゃ、戻るか。――ん」

「おや」

「……これは、どうするべきか」


 目的を果たし、さて戻ろうかと聖域の入り口を振り返った所で、三人共が動きを止めてしまった。

 その地がみだりに足を踏み入れてはならない場所だということを、帝都の民は全員知っている。そのため門を潜るような暴挙を犯す者こそいなかったが――いつの間にか、聖域の外に多くの人の気配がする。

 襲撃に遭い、逃げた人々が戻って来たらしい。


「まあ、行くしかないわな。いいか、姫さん」

「頑張ってみましょう」

「何か問題が起こっても、必ずどうにかする。だから安心して、貴女の言葉を待っている皆に伝えてくれ」

「頼りにしますよ?」


 大神官として、大勢の前で演説する機会も少なくなかっただろうヴィトラウシスだ。心からの本気で言って、アネリナは門の前まで足を進める。

 アッシュとヴィトラウシスの位置は、その後ろ。立ち位置だけで見る者に関係性を印象付ける。


「――この帝国には、不幸なことが重なりました」


 聖域と俗世を隔てる意識を人々に与える、ほんの数段、しかし確かにある階段の上から、アネリナは声を降らせる。


「星がいかにすべてを見通そうとも、受け取る人間は万能ではない。悪意はこうして、不幸の連鎖を呼びます」


 人の世を不幸にするのは、同じ人の悪意だ。それをアネリナ自身が痛感している。

 星告の塔が作られたのは、歪んだ権力欲と虚栄心から。人の命を代価にしてまで帝冠を奪ったのは、劣等感と嫉妬心から。

 いずれも他者を不幸にすることしか望んでいない、黒い気持ちだ。


「だからこそ我が帝国は、高潔で在らねばならない」


 ステア帝国は間違いなく、多くの犠牲のもと強大になった。望んでいた者がどれだけ多かろうとも、望まなかった者の存在も忘れてはならない。


「星はそのために、導きを示しています。勝つためではない。驕るためではない。皆で幸福になるためです」

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