第40話 皇帝の来訪
声が奇妙に裏返った。無理もない、と思ってほしい。
アネリナが受けた衝撃は、帝冠の話をされたとき以上かもしれない。
「真に愛する相手を愛人に迎えるのは構わない。だが、皇婿として迎えるのは私にしてもらいたい。その方が後々、面倒が起こらないだろうから」
「あ、あ、貴方はそれでいいのですか!? 大体、世俗の事情を汲んだ婚姻では、星の血筋は受け継がれないと言っていたでしょう!」
ひとまずの混乱は避けられるかもしれないが、ステア帝国から星の血筋を絶えさせることに繋がりかねない。
(星の導きから離れてでも、ということですか? いえ、しかしあまりに危うい――)
「もし、星の導きが正しいのなら。私の判断はきっと祝福を得られるはずだ」
切り出した側であるヴィトラウシスの方には、アネリナと違って余裕がある。彼女が訴えたことなど、返ってくる反応の一つとして考えた後だ。
「私は、貴女と生涯を歩めればよいと思っている。……勿論、無理にとは言わない。貴女の心が私を受け入れられないなら、それは避けるべきだ」
言い換えれば、ヴィトラウシスの方にはすでに『アネリナなら良い』という心がある、ということだ。
「帝冠の話と合わせて、考えてみてはもらえないか」
頬に朱を上らせ、声の抑揚を不自然に押さえつけ、やや早口でそう告げる。
「それで星の血筋が絶えるなら、もう定めだ。おそらく私には元々、星の血筋を残す力はないということだろう」
「……っ」
おそらく今、告白をされている――のだということは、非常に動きの鈍ったアネリナの頭でも理解できた。
しかしそこから先に進めない。正に『真っ白』な状態だ。
「……気の早すぎる話だ。混乱させてすまなかった」
「……」
「あまり気にしなくていい。だが、考えてはみてもらいたい」
(それは結構な矛盾なのでは!?)
気にせずに考えることなど、できるはずもない。
どうすればいいのかがさっぱり分からず硬直するアネリナに、救いがもたらされる。廊下側の扉の方で、何やら動きがあるのが感じ取れた。
「リチェルが戻ってきたようだ。私はこれで失礼する」
部屋の中に入れる数少ない人物であるヴィトラウシスは、本来この部屋に待機するべき者が帰ってくると同時に立ち上がる。
「ユリア様、ユディアス様、失礼いたします。――?」
ヴィトラウシスはすでに平静を取り戻していたが、寝耳に水だったアネリナはそうはいかない。
必死に何食わぬ顔を作り、リチェルに労いの言葉をかける。
「お帰りなさい。ご苦労様でした」
「相手方の反応はどうだ?」
「え、ええ。快く協力していただけることになりました」
犯罪者を捕らえるための協力要請だ。取り組む姿勢には差が出るかもしれないが、断られるような話ではない。
つまりリチェルは見事に、嘘を信じ込ませてきたということである。
「お二人は、何かありましたか?」
「大したことではない。では、私は仕事に戻る。――ユリアを頼むぞ」
「はい」
仕事があるのは嘘ではないだろうが、一人だけ逃げられたようで、少し悔しい。
やや恨みがましい気持ちで立ち去るヴィトラウシスの背中を視線で追っていると、自然にリチェルと目が合ってしまった。
「ユリア様?」
「ユ、ユディアスの言った通りです。大したことではありません」
先延ばしにできる、今のところは。
「ただ、もの凄く大変な課題を課された気分です」
ヴィトラウシスの中にその考えがある以上、アネリナも答えを出さねばなるまい。
(わたくしは塔から出たい一心で、聖女の身代わりを引き受けました。ヴィトラウシス様が望んだのも、建国祭で姿を見せて健在を印象付ける、というだけだったでしょう)
なのにどうして、こうなったのか。
答えはすぐに出た。アネリナ自身の行動の結果である。
(反省はともかく、過ぎたことを思い悩むのは無駄ですね。……わたくしは、どうするべきなのか。それ以前に、どうしたいのか)
まずは根本的な部分に答えを見出さなくてはならないが、混乱した状態では難しい。
(冷静になってから考えるとしましょう)
救いなのは、今すぐ、という話ではないという所だろうか。
成果は、思いのほか早くに挙がった。
宿を取りながらも帰ってきていない旅人が、すでにぽつぽつといたらしいのだ。
宿の主人たちも奇妙には感じていたらしいが、然程気にしてはいなかったらしい。前金で宿泊料を貰っていれば、商売としては問題ない。
今はクトゥラに彼らの足取りを追ってもらっている。
(こうもあっさり話が流れてくるとは。大胆ですね。そしてきっと、大掛かりです)
実際の所は、かなりの人数が攫われているのではないか。
星の導きを断つためにそれだけの命が必要だというのなら、相当だ。星の偉大な力に畏れを再認識しつつ、同時に犠牲を厭わない連中に腹が立った。
(わたくしにできるのが待つことだけ……というのは分かっているのですが。何とも歯がゆいものですね)
建国祭の準備の方は順調だ。暗唱する祈りの言葉も完璧に覚えた。
星の知識はさすがにまだ付け焼刃だが、当初に比べればずっと理解が進んでいる。
(この間に考えなくてはならない問題も山積みなのですけれど。あぁ、もう――)
簡単に片付かないからこそ、厄介事は厄介事と称されるのだ。降りかかったそれが骨身に沁みたところで、解決の糸口にはなってくれない。
アネリナを悩ませる厄介事の一つ、ヴィトラウシスの顔を脳裏に思い浮かべた丁度そのとき。
やたらと豪華な馬車が向かってきて、星神殿の前で止まる。
「!!」
その馬車に誰が乗っているかは、常識に疎いアネリナにもすぐに分かった。
天に輝く星が栄光の道を導き、中央に揺らがぬ大樹を描いたその紋章は、皇帝のみが掲げることを許される、
(皇帝が星神殿に? なぜ?)
少なくともアネリナが星神殿に来てからは初めてだ。
これが異常なのか通常なのかを確かめるべく、隣のリチェルに顔を戻す。
「用向きの想像がつきますか?」
「ユリア様が目的だということは間違いないかと。他の理由があるとは思えませんから」
「……やはり、聖女ですか。しかし一体どのような……」
「分かりません。しかし、我らにとって快いものではあり得ないかと」
関係性上、確実と言える。
「よし。臥せっておきましょう」
「それがよろしいですね」
聖女ユリアが公に出ない理由として維持されてきたそれを、アネリナも使うことにする。
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