第9話 聖女に必要なこと?

「あら? 寝台がありませんね」


 部屋に置いてあるのはソファにテーブル、本棚ぐらいだ。あとは絵画などのインテリアで、あまりに生活感に乏しい。


「聖女の私室ということは、貴方が使用していたのでしょう? ソファで寝ていたのですか?」

「あー、姫さん、違う違う。ここは控えの間だから、姫さんが生活するのはその扉の先」

「あと、一つ訂正しておく。私は基本的に大神官ユディアスとして生活しているので、この部屋を使ったのは必要に迫られたときの数回だけだ」

「そうなのですか」


 他人が一度でも使った部屋には抵抗がある――という繊細な感覚は、その機会が訪れなかったアネリナには存在していない。

 あっさりとうなずいたアネリナに、ユディアスの方が安堵した顔をする。

 それに対して、アネリナの方が不思議そうな顔をするほどだ。


「そう、部屋の話だったな。説明が足りずすまなかった。高貴な身分に在る者は、訪ねられてもすぐに会えない場合もあるだろう。ここは訪れた者が待機している間、もてなすための部屋なのだ」


 とはいえそこの主も部屋の住人に違いはない。ゆえにユディアスは常識として、すべてを含めて『聖女の私室』と称したのだ。


「そうなのですね。不勉強でお恥ずかしい」

「いや、こちらこそ。貴女の身の上を聞いておきながら思い至らなかった。申し訳ない」


 ユディアスの声に嘲った響きはない。本当に心からの言葉だというのが伝わってくる。

 だが、それとアネリナが感じた羞恥とは無関係だ。縮込めてしまいそうな肩を、意識して正位置に保つ。


(もの知らずであることは、充分理解したではないですか。今更です。小さくなったところで変わりはしない)


 アネリナがするべきなのは恥ずかしがることでも虚勢を張る事でもなく、教えを請うことだ。本番のために。


「わたくし、これからもきっと常識外れの行いを数多くしてしまうと思います。信頼のできるどなたかを教師として付けていただけませんか」


 このままでは、聖女の身代わりなどできようもない。


「分かった。そちらも含めた教師を選ぼう」

「お願いします」


 ユディアスの快諾に、アネリナはほっとして礼を言う。


「今日は疲れたと思う。奥でゆっくり休んでくれ。……アッシュ、貴方は……」

「とりあえず、今日は姫さんと一緒にいさせてもらう。悪いが信用していないんでな」

「……決して見つからないようにお願いします。聖女に醜聞を起こすわけにはいかないので」

「おー」


 信用されていない点に関しては、ユディアスは言及もしなかった。お互い様、ということだろう。


「明日、陽が昇ったらすぐに来る。すまないがそれまで、何があっても部屋から動かないでもらいたい」

「いいぜ。命の危機以外は」

「ええ、そのときは勿論、逃げてください。……いえ、そのような事態はまず起こらないと思いますが」


 まるで何かが起きそうな物言いになっていることに途中で気が付き、ユディアスは否定を付け加える。


「――では、また明日」

「はい。お休みなさい」


 挨拶を交わし、ユディアスを送り出す。

 彼が出て言った扉にきっちりと鍵をかけたアッシュがアネリナを振り向き、息をつく。


「ま、慣れない所はやっぱ気疲れするよな。もう夜も遅い。さっさと寝ちまおうぜ」

「そうですね。ええと……」

(ユディアス殿の話では、この扉の先が生活の場、という様子でしたね)


 アネリナが塔で使っていたベッドは、素材がどんどん限定されていったこともあり、お世辞にも快適とは言えなかった。

 しかしそれも、家族の助けがなければもっと劣悪になっていたことは想像に難くない。皆が知恵を合わせ、アネリナのために労を割いてくれたことには感謝しかない。

 逆に、星占師には文句しか存在しないが。


 そのような状態である。目の前にあるソファは塔のベッドよりも余程柔らかそうだ。はっきり言って、寝られる自信がアネリナにはある。

 だがどう見ても、ソファはソファだ。

 ベッドがあるという部屋にいて、頑なにソファを使って休む理由はない。

 本来自分の物ではないものに触れる後ろめたさを若干感じながら、アネリナは扉を開いた。


「……っ」


 そして、目眩を覚える。


「ど、どうした、姫さん」

「広い、です……」


 使いきれないと感じた控えの間の、三倍はあるのではないだろうか。


「まあ、聖女様の部屋だしな。ある程度の贅は凝らすだろ」

「世の中には清貧という言葉もありますよ。ひと一人が過ごすのに、こんなに広い部屋が必要ですか?」

「やり過ぎはアレだが、これぐらいは必要かもな。目に見える威容ってのは、やっぱ強えーから」

「それは分かりますが……」


 納得できない気持ちで、アネリナは縋るように幼少期の記憶を辿る。子どもの頃、城での暮らしがどうであったか。


(ここまでではありませんでしたが……。やはり、人数に対して広くはあった気がします)


 権力者にとって、敷地を贅沢に使うのはどうしても必要なことらしい。

 そして気付いたことがある。

 一国の姫よりも、神殿の聖女が使う部屋が圧倒的に広い。国力の差も痛感しようというものだ。


「見た目が重要じゃないなんて大嘘もいいところだぞ。人の第一印象なんてほとんど見た目で決まるんだ。そんで姫さんのこれからは、第一印象が全てになるような、薄い接点しか持てない奴が大量に出る」


 人の価値は見た目ではないが、人が初めに価値を感じるのが見た目なのは間違いない。ゆえに、どうしても見た目の価値が重要視されがちだ。


「……そうですね」

「掘っ立て小屋に住んでる不潔そうな奴が何言おうが、聞く耳を持つ奴なんかいないだろ? 立派な神殿で大切に護られて、多くの存在から敬われているという一つ一つの積み重ねが、聖女の神聖性を作り上げるんだ」


 人の噂、評判は、直接知らないものの価値を定義してしまうことが多い。善いものも、悪いものも。


「まして言っちゃなんだが、姫さんは聖女としちゃ偽物だ。らしく見えるような小細工は、いくらあってもいい」

「言う通りですね」


 何も持たずとも特別で在れるのは、それこそ、本物の選ばれた存在だけなのだろう。

 しかし生憎と、アネリナは何者でもない。

 たまたま容色の都合と条件が良かったから、ここにいるだけ。

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