幕間

15 砂の涙




 龍族とて、暑さ寒さを感じぬワケではない。

 龍麟が、外気温のほとんどをシャットアウトしてくれるとしても、単純に耐えられる幅が大きいだけだ。


 日差しは空の頂点から、時刻はそろそろ人間種の言葉で正午に差しかかる頃合い。雲一つない真上からの照り付けは砂漠地方独特で、実に強烈である。

 砂漠の砂は一切の容赦なく、陽光の熱を反射している。

 昼を過ぎてもまだまだこれからもっと暑くなるに違いない。確かな予感が、まどろみの中のロンドニアに在りし日の記憶を呼び起こさせた。


(また、あのコの夢を見れると良いな)


 ロンドニアはいつものように、期待に任せて瞳を閉じる。




 数百年の昔、彼は飛行が大の苦手であった。

 その原因は彼の体重にある。食べると、その全てが自身の体積に置き換わってしまうくらいに、成長してしまうのだ。


 後年、ダコタに調べてもらったところ、彼の身体には通常すべての生き物に備わっている巨大化抑制因子、所謂文字通りに肉体が巨大になり過ぎるのを防ぐ因子の数が圧倒的に少なく、しかもまともに働いていないらしい。

 このままだと、数千年、或いは万年が過ぎる頃には、大陸と同サイズにまで成長していても何らおかしくはないとのことだ。


 それはさすがにないだろうと、聞かされた時は思ったものである。

 が、当時から龍族の中でも他を圧倒する巨体であり、今では人間の街一つを悠々と覆うひさし代わりにもなれるのだから、あながち与太話とも簡単に断ずることはできない。


 そこまで大きくなりたいとも思わないので、今では、この眼下にある龍王国ドラガニアの首都でたまに行われる祭りと、代替わりの際に饗される人間種用の食事しか摂っていない。魔物は餓死することはなく、飢餓感もないので彼にとっての問題は一切無かった。


 飛べない、ということはない。全力であれば、当時も100メートルくらいは上昇できただろう。

 だだし、それだけ。速度も自身の足で進むのと大差が無いし、魔力を使う分で余計に疲れる。高い場所から周囲の状況を見渡したい場合も、上半身を持ち上げて首を伸ばしてやればいい。やや風任せではあるものの精霊に視線を乗っけることのできる彼特有のスキルがある今であれば、無理な背伸びすらも必要ない。


 だからか、飛行能力の乏しい自身を憐れんだり、ましてや飛行能力の高いガナハなどを羨んだりしたことはなかった。


 この広大な砂地の海の先に何があるのだろうと、不用意にも砂漠へ足を踏み入れたあの時までは。





(ああ、喉が渇いたなぁ……)


 天空の頂点でギラギラと眼に痛い、飽きもせず何十憶という時間をただ燃え続ける光の塊に向かって、彼は敵意をもって睨みを利かせてやった。

 無論、そんな行為によって何が変わるでもない。頭上からもたらされる熱は依然として強烈なままだった。


 砂漠に入って迷い、もうすぐ30回目の昼夜が過ぎようとしている。ほぼほぼ外部からの温度変化を防ぐことのできる龍麟であっても、さすがに限界があった。喉の渇きを、丸一昼夜くらい前から明確に感じるようになってきたのが良い証拠だ。照りつける太陽からの熱と周囲の乾燥が、彼の肉体の中からさえ容赦なく水分を奪っていったのである。


 さすがに拙い状況だった。自分は最強種であるからと、自然を舐めた結果とも言える。

 とにかく、何とかして水を手に入れなければ、龍族といえどそろそろ本格的に危険であった。


 彼は、ぼんやりしてきた頭を振って周囲を見回す。

 しかし、何も無い。あるのは砂ばかりだ。


 と思っていたら、人間種の足跡を見つけた。柔らかい砂地の上に幾つも連なっている。

 最初、彼はあまりにも自分に都合が良いので、自らの願望が生み出した幻かとも思ってしまったくらいだった。

 だが、確かにある。注意深く視線を追わせていくと、地平線の近くに小さな人間の姿を発見した。


 暑さのせいか空気が揺らぎ、その人影をまるで蜃気楼かのように見せている。

 どうやら砂と同じ色の布を身体中に巻いているようだ。恐らく太陽からの熱で、直接肌が焼けないようにとそうしているのだろう。尤も、元々の色は白で、汚れて黄ばみ、あの色となったようである。だからこそ、自然な色で周囲に溶け込んでいて、発見が遅れたのだった。


(人間か)


 正直、彼は人間種を喰うのが好きではない。肉は少なく骨ばかりだし、しかも美味しくないからだった。

 しかし、今は贅沢を言える時ではない。大抵の生物には血液がたっぷりと詰まっている。欲しいのは、その水分であった。


 彼は音もたてずにするすると慎重に、注意深く近づき獲物と見定めた対象との相対距離を詰めていく。

 逃がさぬためではない。視界に入って、獲物と見定めた以上、人間種ごときがいかに努力しようとも彼から逃れられる術などないのだ。

 自分の糧として喉の渇きを癒してくれる対象に、痛みや、ましてや死の恐怖すらも与えたくはないからだった。


 もう一歩近づけば、といったところで彼はあんぐりと口を開いた。

 そのまま一気にいこうとする直前、対象がぐるんとこちらに振り向いた。

 あまりにも完璧なタイミングに、彼も一瞬固まってしまう。

 何故気取られたのかが解らない。物音ひとつ、立てた覚えもなかった。


「だぁれ? ヒトじゃあ……、ないのかな?」


 どう見てもただの、何の変哲も無いヒト族の少女のようだが、こちらを向いてはいても眼は開いてはいなかった。砂漠の光に長時間曝されて灼けてしまったか、生まれつき視力が悪いのだろうか。


「もしかして、モンスターさんかな? 言葉、解る?」


 何故この娘は何の力も無さそうなのに、ここまで落ち着いていられるのか。それが解らなかった。


「あたしなんか食べたって、おいしくないよ。肉なんてほとんどついてないから」


 それは解る。そう返してやりたかった。


「あ、もしかして、喉が渇いているだけなのかな? だったらこの先に水があるよ」


(何だって?)


 彼はその言葉に驚き、鼻をひくつかせた。

 だが、砂地と、眼の前の少女以外の匂いを感じ取ることはできない。


「行こうよ。歩いてたぶん、一時間くらいだね。もし無かったら、あたしを食べて良いよ」


 そう言って、彼女は先を歩く。


(なぁんだ。助かりたいだけの命乞いか)


 彼はそう思った。優れた龍族の感覚ですら探知できないのに、人間種、特に、何の突出した能力の無いヒト族に感知できる訳などないからだった。

 隙を見て、どこかで逃げ出す算段なのだろう。他の連中ならともかく、今回は相手が悪いと教えてやらねばならない。


(もし本当に水があったら、キミを一生守ってやるよ)


 そう心に誓って、ロンドニアは少女に続いた。




 約一時間後、本当に水が、泉がロンドニアと少女の眼前にはあった。

 オアシスである。

 先程とは別の意味で口をあんぐりと開けた彼の視線の中で、ヒト族の少女は服のままザブンと泉の中へと飛び込んだ。


 無茶な行動をするものだ、見えてもいないのに。

 そう思いながら、ロンドニアも続いて泉の水を一口飲んだ。まるで生き返るように身体中に染み渡っていく感覚があった。


「うわあっ! ゲホゲホッ!」


 案の定、少女は溺れている。意外にこのオアシスの泉は浅くはないようだ。

 ロンドニアは衣服の一部を咥えて、彼女を水の中から出してやる。


「ゲッホゲホッ! ……ありがとう、助けてくれて」


 どういたしまして、とロンドニアは首を縦に振る。当然に、見えてはいないだろうが。


 唐突に、彼女はロンドニアに向かって両手を広げた。


「さあ、食べて良いよ。最後にお水も飲めたし、もう思い残すことも無いよ」


 何故そんなことを言い出すのか。理解に苦しむロンドニアは、遂に自分の意志を彼女に直接伝える覚悟を決めた。


『食べないよ』


「ええっ!? 何!? びっくりした!」


 念話は初めてだったのだろう。ひどく驚きをみせた彼女を落ち着かせてから、ロンドニアは自身の訊きたいことを伝えた。


『何でここにオアシスがあるって、解ったんだい?』


「あたしね、生まれつき鼻だけは良いの!」


 彼女は少しだけ誇らしげに、自慢の鼻を擦りながら言ったものであった。



 その後、ロンドニアと少女は様々な話をした。

 彼女は、元々この砂漠の近くにあるヒト族の村に住んでいたらしい。

 だが、口減らしに捨てられてしまったのだそうだ。

 仕方が無かったらしい。彼女によると村は相当に貧しく、生まれつき眼の不自由なハンデを抱える彼女の面倒を、ずっと見れるような余裕は無かったそうだ。


 馬鹿な連中だな。

 ロンドニアは心底そう思った。視力など無くても、彼女には他を圧倒する、龍族である自分すらも凌駕する特殊能力を持っているじゃあないか。

 それに、彼女との話は面白かった。

 きっと口から先に産まれてきたんだよ、と話す彼女の話は止めどなく、尽きることがなかった。


 何年も彼女との楽しい時を過ごす内に、やがてそのオアシスには人が集まり、街が形成される。

 場所的に人間種たちが砂漠を横断するのに適していた要所にあるようで、段々と人口が増えては遂に国となった。

 話のうまい彼女は、そんな国の初代国王に選出される。

 そして人間の男と結婚し、子を産み、家族が増えて、やがては別れの時が訪れた。


 寿命である。どう頑張っても、ロンドニアが必死に守ろうとも、人には必ずややって来る死というものがあるのだった。

 今際の際に、彼女はロンドニアに向かって最後のお願いをする。


「どうか私の子たちを、護って欲しいな」


 止めどなく両の眼から涙を流しながら、ロンドニアは肯いた。見えてなどいないと解っているのに。

 満足そうな顔で眠る彼女の亡骸に向かって、ロンドニアは誓う。必ず約束は果たすと。




 ぱちりと眼を醒ましたロンドニアは、天空を見上げる。

 日は僅かに西に向かって傾いていた。

 次いで、ロンドニアはそこから少し視線をずらす。


(あの辺りかなぁ)


 予測では、そこで今、何がしかの決戦が行われている筈であった。

 ガナハは絶対にいることだろう。他のメンツはアレクサンドリアと、後はアズハかヴァージニアのどちらかといったところか。


(頑張ってね。僕はここを離れることはできない。けれど、成功を祈っているよ)


 詳細まではロンドニアにも解ってはいない。

 しかし、今まさに世界の、この星の命運がかかっていることだけは確信できていた。




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