第10話 鬼退治
「こんばんは、許くん」
後ろから声が聞こえる。
今は、深夜3時。
場所は、日本橋の日本橋。
「今日は一段と冷え込むわね」
茨木が橋の欄干によりかかりながら言う。
オレンジがかった光に照らし出された、人気の一切ない橋。まるで、ここしか時間が動いてないみたいだ。
茨木はデニムに黒いパーカーを着ている。
相変わらず、生を感じない不気味な顔色が目立つ。
「待ってた」
茨木が肩から黒い袋をおろして、もたれ懸けさせ、ひじを欄干につけて川を眺める。
夜中の黒い川。上を高速道路が走り、遠くのほうに何台か船が止まっているのが見える。
人が動く気配がない。
時折、上の高速道路を車が通りすぎる音がする。
俺が負けることはできない。だが、勝てるかどうかは分からない。つまり、ありていに言えば、勝てるかどうか以前に勝たなきゃいけないってことだ。
…腹が痛くなる。俺は果たして、茨木に勝てるのか…。だが、勝たなければ奏さんは…。
…俺は実力をまだ十分だと評価されていない。奏さんにとってはまだ完全に信頼できるほどの実力をもってないってことだ。ってことは、奏さんは今まで俺相手にいつも手加減していたということか?
俺は…改めて気づかないといけない。所詮、誰かに守られていた…ヨチヨチ歩きの実力が伴わない、世間知らずだったと。勝てる戦いしかせずに、それでいてなにか達観したような気になっていた。
それだから、こんなことになった。…だから、俺はこいつになんとしても勝たなきゃいけない。
俺の今までのいい加減な戦いにけじめをつけなきゃいけない。そして…何よりも、俺は実力を証明するためにも、流儀を貫き通さなきゃいけない。
俺のせいで康太さんが死んだかどうかは分からない。だが人の命を左右したことだけは確かだ。そんな彼の命を奪った流儀を俺は捨てるわけにはいかない。それが誰かの命を左右する影響をも与えたなら、俺はそれを気軽に動かせない。つまり、今までの戦いの責任を取るんだ。
ここで、俺は…これまでの戦い、そしてこれからの戦い…全部に対してのけじめをつける。
「許君…本当にどこでもよかったの?」
茨木が刀を袋から取り出しながら言う。立会人はまだ見えない。これは、ただ単に遅れてるだけなのか、それとも元々来ないのか。この勝負のセッティングを行ったのは俺じゃないから本当の所は分からないが…。立会人が見えないということは別に公正な勝負でなくとも構わないということだろうか。
…違うか、こいつは俺に悲惨な死をじっくりくれる気だ。人前では決して見せられないような。人を呼ばなかったのはせめてもの情けか?
「あぁ、俺には奏さんとの思い出以外はそんなに残ってないんでね」
茨木が不愉快そうな顔をする。
「…そう」
「それより、立会人は来ないのか?」
「…あぁ、気づいた?」
高速がトラックの振動で音を奏でる。
「たとえ、どんな死に方だろうと、今日、私は君を死に追いやらないといけない、双方がどれほど無様であってもね…ごめんなさいね」
無様か…。
茨木が大きく白い息を漏らす。
「さて…死んだことはある?許君」
茨木が刀を左わきに挟み込む。抜く気だ。
「勿論ないね」
「そう、なら感謝することね、今日があなたの死ぬ最初で最後の日よ、やり残したことはないかしら?」
まだ双方の距離は離れている。刀の届く範囲では到底ない。ちょうど3tトラックぐらいの距離だ。
「山ほどある」
死んでも死にきれないだろう。
「そう、なら安心して、そんなこと今日で考えなくてよくなる」
茨木が刀を抜いた。
相変わらずの小太刀。しかし、小太刀といってもそれなりの長さを持っている。油断すれば、あれがすぐに突き刺さるだろう。油断しなくても…。
「悪いが…死ぬ気は無い、俺が死んだら困る人間がいるんでね」
刀袋から刀を取り出す。
「今まで、俺はなんとなく強い気になっていた、だが違う…今まで人の世話になってただけだった…俺は、あんたを倒して己を貫き通す、今までの勝負すべてにけじめをつける」
刀を抜きながら、ただただ歩いて近づいていく。鞘をそこら辺のアスファルトに置く。
「へぇ…そう…目つきが変わったわね…やっと人と本当に斬り合う覚悟を決めたのね、それなら敬意をこめてこの時間を君の人生の最高潮にしてあげる」
茨木が左足を引き、中腰になってこちらに切っ先を向ける。
まだ遠いが、もう仕掛ける気か。
「死になさい許君、あなたの人生の最高潮、演出は私に任せなさい」
中段の構えをしてみる。剣をあいてに向かって突き出す。
…康太さん、こんな気持ちだったんだ。正直、リーチの長さを生かすにはもってこいの構えだ。しかも相手は小太刀だから猶更。
だが、茨木はその柔軟さとしなやかな体さばきで、的確にこちらの構えを避けてくる。こいつの攻撃の最大の特徴はその異常なほどの低さ。そして防御がほぼ意味をなさないことだ。こいつの攻撃をはじいてはいけない。絶対にペースに飲み込まれる。全部飛んで避けるぐらいがいいだろう。だが、それだと隙が生まれる。
さて…初手はどうくる。
ん!!
すんでのところで避ける。
何か飛んできた?茨木が何か投げてきたのか!
まずい、一瞬視界をずらされた隙に
すぐここまで詰めてきやがった!!
もう、相手の小太刀が届く…!どういう身体能力してんだ!?
急いで下がり、目のまえを小太刀が上に通り過ぎるのを、更に下がりながら見る。だが、茨木は止まらない。
まだ近づいてくるのか。違う、こいつ背中を向けた!?んじゃない、回転して右側に来やがった!…こいつ、演舞系か?いや、違うな!!
討って来る…!!
…上から討ってこないから防ぐのが間に合わない!!
下がるしか無い!
相手は詰める時、1歩じゃ足りなくなったら回転してくる。そこが今のところわずかな隙だ。攻めるならここを攻めるしかない!!
もう1度攻撃を…左からの斜め方向の切り上げ!
下がって、そして下がる。
まずい、このペースで同じことを続けられればいずれバランスを崩す。そこにこいつを誘い込んでも、おそらく、こいつはひっかからない。今日のこいつはこの間の康太さんの時よりも動きが上だ。手加減してたのか!!
早く攻めなければ、ダメだ…隙が無い。こうなったら、飛ぶしない、次の攻撃に合わせる。
足を狙った、低い低い突きが…来る!!こいつの足の向きがそう言っている!!
今!
下げていた右足で地面を蹴り、前のめりになる。今、体が地面から浮いている。左から袈裟切りをしかける!!斬ったら、死ぬか!?いや、それを気にできる相手じゃない!!肉をとらえた所で止めれば良い!!
は!?
頭にすさまじい電気が流れる。脳みそが一瞬真っ白になるが、直ぐに状況が理解できた。こいつ金的しやがった!!
まずい!!刀を下へ!!!!!
茨木が下がる。
地面に到達する。
くっそ…小さくて良かった…。こいつ、ここまで読んでたな?片足を思いっきり出すことで、勢いをつけた突きと思わせてから、そのままその足で無防備になった股間を蹴りあげた。最後、下がったのは、なんとか刀を斜め方向に振り下ろせたからだ。まっすぐ振り下ろしてれば、ただ体の向きを変えられてよけられていた。
普段からついてる悪癖のおかげだ。偶然といったほうが良い。
それにしても金的か…こいつ…。普通、やるか…?そんな非道なことを!!
股間が電気信号をずっと発している。本当にビリビリする。激痛だ。
だが、なんとなくわかって来た。こいつの足さばきは恐らく、一刀流の八相を意識した物だ。八相は足さばきによって瞬時に多方向に回り斬撃を繰り出す剣術。こいつはそれに回転を入れて前進距離を稼いでいる。更には相手に背中を向けることの弱点を多分良く分かってるから、確実にこちらの刀が付くよりも早く刀が相手に辿りつくほどのスピードを常時出し続けている。
それを可能にするのがあの軽い小太刀か。それを持続するには化け物じみた身体能力が必要なはずなんだが。…それにこいつ…この今足元にあるのはたぶん最初投げてきた…なんだ、肥後守だ。更にはさっきのフェイントと言い。フィジカルの化け物が小細工使ってきてる。
なるほどね…どうりで立会人を呼びたくない訳だ。本当にこちらを殺すことが目的らしい。後ろから車でひき殺したほうが早そうだがそうしないのは剣士としての誇りか。
正直、今茨木のペースにずっと載せられっぱなしだ。このままだといずれガス欠で死ぬだけだ。茨木は正直、いつガス欠になるか予想できない。ここまで動いても息の一つも切らしてない。だから、確実に先に参るのは俺のほうだ。
こいつは連撃が素早すぎて、防いだら次の太刀を繰り出す前に攻撃が飛んでくる…。普通にやればまず間違いなく負ける…死ぬ。
活路は2つ…なんとかしてこいつが連続して斬撃をしてくるのを止める。次の太刀をうたせない。もしくは、この小細工の合間を縫うかだ。
来る!!
下からの顎先を狙った突き上げ、掠る。左からの腹を狙った一文字、掠る。まずい、まずい、こいつどんどん近づいてきてる。避けるのが間に合わなくなってきている。
無理やりにでも下がって背中を見せさせる!!
っ!!左足のふくらはぎを少し持っていかれる。が、そのまま2回後ろに飛ぶ。こちらが飛んでるときにも詰めてくるが、まだ間は空いている!!
茨木が八相で差し込んでくるのに合わせ右側に大きくずれれば、こいつは恐らくそのまま回転せざるを得ないだろう。そこで背中を見せた瞬間に進行方向に大きく踏み出し、足を取る。こいつは足元を狙うことはあっても狙われることは滅多にないだろう。
回転の弱点は背中を見せる以外にもどうしても片足が浮いて不安定になることだ。正直、こいつはこの体ごなしからして、高い斬りは背中越しに見られて何か対応される可能性が高い。だから、足をすくう!
「いま、足をみたわね?」
いま何か聞こえたか?いや、茨木の声だ。
目の前の女が不敵な笑みを浮かべて喋っている。後ろで束ねられた髪が風で横になびいている。恐怖だろう、この感情は。胸が一瞬で冷たくなるような感覚。目の前の女の底が見えない。
始めてだ。戦う相手に恐怖を抱くのは。これが本当の真剣勝負か。
「良い足だと思って…」
腹を括る他ない。
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