第5話 立会人の仕事
煌々と照らされる体育館。そこの中央にはマットの上に正座する、袴姿の康太さん。その傍らには刀が置かれていた。
「お待たせしましたね、佐々木さん?」
なぜ……
康太さんはマットの上に正座して、目を閉じ、ぴくりともしない。
なんで…康太さん?いや、どう考えたって勝てないだろ。
「なぜ受けた!?」
声が空しく響く。
「…そうか…貴方が立会人だったんですか、許さん」
今からこの勝負は取りやめにできないか!いや、取りやめにしなきゃいけない!なんとかしてこの勝負はやめさせなければ!
「待て待て待て待て!!どう考えても無理、無理でしょ!!!中止、中止だよ!!!中止中止中止!!!」
…
「…ふ~ん、知り合いだったの…」
これを認めるわけにはいかない。こんなバカみたいな勝負あってたまるか。こんなん死にに行ってるようなものだ。
無駄死に
無駄死にだ!こんなん勝負になるか!?
「駄目だ!実力に差がありすぎる…!これじゃ勝負じゃない!今日は辞めよう!」
…
「あらあら…まだやってもないのにどうしてそんな事を仰るのかしら…佐々木さんに失礼では?」
「あんた何やってんだ!?何を考えて佐々木さんを対戦相手に選んだ!?佐々木さんがまだ入って来たばっかりでついこの間初めて真剣で勝負した事を知らないのか?」
「…まぁ、私は聞かされたわ」
「だったら知っててやるのか!?」
…
「なんだ…?なぜ佐々木さんなんだ!?なぜ佐々木さんを選んだんだ!?」
「いえ、あくまで勝負を申し込んだのは私からです」
それまで押し黙っていた康太さんが立ち上がりながら言った。
え?
「どういう…?」
「あなたとの勝負の後、私は考え直しました…何のためにこの世界に来たのか」
剣を極めるためって…
「あなたに負けて気づきました…剣の道はあまりにも険しい、私はこの世界ではまだまだだ、今のままでは極めるなど到底無理な話です」
…
「これ以上成長するためには覚悟が必要です、あなたとの勝負においては…それが足りませんでした」
「何を言ってるんですか!?あなたは殺す気で打ち込んできた!それを覚悟と言わないで何というんですか!?」
「いえ…それは「殺す」覚悟です、命を懸ける覚悟じゃない…」
何を言ってるんだ
「私、気づきました…あなたが勝負する前に降参すれば終わりと…言った時…どこか…ホッとしてしまったんです…」
康太さんは両手をギュッと握り、俯く。体は小刻みに震えている。
「わたしには…覚悟が足りなかった!!命を懸けるという覚悟が!!!恥ずかしい限りではありますがっ…!!」
なんでそうなるんだよ
「だから…命がけの勝負をしなければいけない…今までの自分を払拭しなければ、私に未来はないのですよ…許さん」
こちらを見る。確かに意を決したもう後戻りができない目。
もう…この人を止めることは絶対にできない。
この間一緒に飯を食べ、一緒にゲーセンに行ったりして遊んだ人間が、たったいま目の前で死ぬ覚悟をしている。
きっかけは…俺との勝負。
って、あれ…?もしかして、俺は気づかない内にこの人を相当追い込んでいたってことか?
「じゃあ…この間話してた小学校教師は…?あなたが死んだら、あなたが話してた子供たちは…手間がかかるし帰りも遅いし最悪だけど…唯一のやりがいって…」
「そろそろ、理解するべきね、佐々木さんの目を見て、この目は覚悟を決めた目よ、もう未練は無いっていうね…」
まさか、全部辞めたのか…?捨てたのか、現世を。
…
康太さんは黙して語らない。自分の事情を全然話さない。それでも全て捨てたことだけはなんとなく分かる。
俺が生かしたからか…?いや、俺が舐めた勝負をしたからか?もっと殺す気でやってれば、ここまで思いつめる事は無かったのか…?対等に勝負してれば?腕の…いや指の1本でも取ってればここまで思いつめなかったのか?
だが、そんなことすればもう剣は握れないじゃないか。たとえ何を学ぼうと生きてそれを持ち帰れなきゃ意味ないだろ。
じゃあ、どうしたらよかったんだよ。
…どうしようもないじゃねぇか。
「よろしいかしら?」
…
「自己紹介遅れてしまい申し訳ございません、茨木です、ご指名ありがとうございます」
茨木がフードを取り去る。
1本に束ねられた長い後ろ髪と、欠けた右耳が見え隠れする。その肌は白くてきれいで、整った顔で…不気味で…やはり、漠然と死を感じさせる。
「いえ、こちらこそ遠路はるばるお越し下さりありがとうござます、佐々木と申します」
「なるほどね、教師でらしたんですか…道理で体育館な訳です、今日は勝負迄何を?」
「えぇ、私ここら辺の剣道クラブの師範をやらせていただいているのですが、今日で道場を閉めるので最後の稽古をこちらでやっておりました」
「あら、お疲れ様です、剣道…なるほどその道からこちらへ来られたんですね、剣道はどれほどやられて?」
「物心ついた時から今までずっとです…だから大体34年近くなります」
「なるほど、1つの事を極めようと継続し続けるその心意気、尊敬します」
「ありがとうございます…」
…
茨木が視線を斜め上に移す。そこには大きな時計がかけられていた。時刻は、22時。開始時間か。
「さて…許君?ここまで来たのなら、やってくれるよね?」
…
俺が今できることはなんだろうか。佐々木さんはもう後に戻ることはできない。原因を作り出したのは俺。ここまで追い込んですべてを捨てさせたのは俺か。ここで何を言おうと無駄。
なら、いっそ今刀を抜いて、茨木と俺が戦おうか…いや、そんなことをしても佐々木さんは結局命を懸ける事をやめない。また別の場所で俺を抜きにして勝負するだけだ。じゃあ、腕を切り取っちまうか、いや…だめだ、ここまで追い込まれて腕の1つ2つ取られれば、それこそ何をするか分からない。
…俺に選択肢は無い。
「…佐々木さん、それがあなたの選んだ道なんですね…分かりました」
ここまで追い詰めたおれができるのは…せめて意思を尊重して、その覚悟を果たす手伝いをすることだけだ。追い詰めたことのけりをつけるにも…それしか無い。
「…立会人を務めさせて頂く…両者異論は無いですね?」
「えぇ、勿論」
「許さん…ありがとうございます、すいませんこのような役割をさせてしまって…」
「いえ…」
体育館の床にはマットが敷いてある、丁度剣道の試合範囲ぐらいだろうか。
「…なるほど、始める前に一つ、その広さでやられる気ならやめたほうがよろしいですわ、もう少し動き回れるほうがよろしい…それとも、その間合いの中でやりたいですか?私はそれでもよろしいですけども…」
「いえ、そういうわけでは無いのですが、あぁ…本当ですか?血で床が直接汚れてしまったら大変かと…」
「いえ、そこに関しては大丈夫です…外に清掃のための者が待機しておりますので…」
「そうですか…わかりました」
そう言って、双方とも横にずれる。それに続いて、移動する。
「さて、佐々木さん…ご準備はよろしいですか?」
茨木は刀袋から刀を抜き出し袋を傍らに放る。
あれは太刀じゃない。少し短いな。…小太刀ってやつか…。墨汁を垂らしたかのように黒い斑点が付いた紅色の柄巻にひたすらにドス黒い下地。良く見えないが、何か透かし彫りの入った鍔、黒い斑点のついた紅色の鞘。あの斑点はもしかして…血をかたどっているのか?
「勿論です」
佐々木さんの太刀は全てが黒い。真面目な刀だ。性格が出ているのかもしれない…。
左手の刀袋を強く握る。初めて、人の代わりに戦いたいと思う。
「佐々木さん…繰り返しにはなりますが、私を選んで下さったこと…誠に光栄に思います、さて…お互い悔いの無い良い勝負に致しましょう」
「はい…もちろんです」
「どちらが先に相手を殺るか…勝利条件はそれでよろしいですね?」
「はい」
「許君も…いいね?」
「…あぁ」
もう、それ以外の道は無い。
「佐々木さん…その覚悟…感服致しました」
茨木が鞘から刀を抜き、右手だけで斜め下に構える。康太さんも鞘から刀を抜き、両手で持って下に向ける。
お互いがまだ遠く、間合いには及ばない。互いにその状態のまま近づいていく。
…………まだ、もう少しかかりそうだ。
なぜこうなったんだ。結局なぜ、俺が立会人になったのかは分からない。だが、少なくとも、この勝負が始まった原因は俺にも関わりのあることだ。…もしかして、そこまで考えて俺を…この茨木が指名したのか?で、なぜ俺につきまとう…?なぜ、そこで俺なんだ?
…そういえば、会長から聞いたと言っていたな。会長…?会長が何かしらの意図をもって…?いや、どうかは分からないが…。
互いが間合いまであと5歩程というところまで近づいた。いや、正確に言えば康太さんの間合いまでだ。
茨木が構える。上体を捻り右手を少し後ろに引き、刀の正面を前にむけたまま腰を落とし中腰になる。無防備な左半身を前方にさらす自殺的な構え。更には、刀を振るには手を返さなきゃいけないからとっさに振りぬくことはできない。下方からの突き。それが狙いか…。
康太さんも即座に構える…。…それは、この間の俺の構えだ…。刀を頭上で斜めにした、攻守どちらにも応用できる、防御寄りの構え。同時に、左半身を晒すことになる。
なぜその構えを…。
「ふ~ん…佐々木さん、その構え…そこの許君のですね?剣道の構えじゃない」
「…」
その構えから繰り出せるのは左上方からの逆袈裟切りか右上方からの袈裟切り。…上方と少し下、中段ぐらいの攻撃には比較的対応できるが…茨木は中腰状態。そして、小太刀。狙いは明らかに低い。カウンター狙いにしては相手の狙う場所に突っ込みすぎだ…その構えは恰好の的!
康太さん…。
「では…」
茨木はそう言い終わると同時に、その姿勢のまま頭を下げ、更に前傾姿勢になりながら、一瞬で飛びこむように間合いを詰め、そのまま更に体をねじり右手の小太刀を前方へ向けて手を返し振りきろうとする。
まずい!
!!
康太さんがその構えから左足を即座に引き、右上方から上体をねじらせて下にいる茨木に向け袈裟切りを仕掛ける!茨木が即座に振り切りを諦め、再び手首を戻して刀身を斜めにした状態で、左手を添え、なんとか受け流す。
受け流されそうになっていることを見ると、そのまま茨木の刀の上を滑らせながら体の捻りを利用し右足で回し蹴りを食らわせ、少しひるんだすきにその蹴った足で地面をさらに蹴り後ろに跳ねる。
これで、互いは間合いの外に離れた!
…すごい。
予想外だった。
康太さん、この間とは動きが違う。最初から意図して上方からのカウンター狙いと見せかけて、敵が下に来ることを誘った。違う、構えからして下から来ることは分かっていた。それに敢えて上方からのカウンターを狙う構えをかぶせる事で敵が下に入ってきやすくした。
康太さん…格段に強くなっている。いや、人を殺す刀になっている…。前とは違う…。この数日間で一体何があった?
2人とも既に体勢を立て直し、茨木は今度は刀を体の左に回して左手を刀身に添えた。右半身を敵に晒して狙うのは右切り上げか。対して、康太さんは今度は中段の構えを見せる。剣道を長年やってきたことがすぐに分かるきれいな構えだ。
さっきみたいな誘い込みはもう通じないってことを察したか。しかし、中段に構えたことで太刀の間合いの長さが生きる。間合いに劣る茨木は相当やりにくくなるはずだ。
「ごほっ…なるほど、蹴られたのは久しぶりですわ…佐々木さん、剣道の動きではないですね…」
「剣道ではないので」
茨木が再び仕掛ける。
いや違う、右足で地面を蹴ってななめ左に大きく飛び、体を大きく傾けたまま、左足で再び地面を蹴ってちょうど康太さんを右下から間合いに捕らえる、康太さんは横に大きく回り、腹に向けての横なぎをなんとか刀身で防ぎ、更にそのまま後ろに下がり建て直そうとするがすぐさまそこに下からの斬撃が向かってくる…。
康太さんはなんとかそれを防ぎ、避けながらすり足で少しずつ移動するが、またすぐそこに刀身が飛んでくる。
…これが茨木の戦い方か。少し短い刀身を生かし即座に間合い内に入り込み、太刀では間合いを取るために下がりたいが、少しでも下がれば即座に詰められ下からの斬撃が飛ぶ。
あいつ刀身で防がれることを前提に切りつけてるな。刀身を滑らせ、体勢を崩さずに、再び切り上げるようにしている。良く見れば…あれは、刃で切ってない!?刀の腹で相手の刀を叩きつけている…
これに対抗するにはさっきみたいに刀以外のフィジカルで押し込むしかない。
この勝負、やる前は康太さんが負ける、殺されてしまうとばかり考えていた。だけど、こうなったら分らない。フィジカルでは体格の優れてる康太さんのほうに分があるが、手数と経験は茨木に劣る。
康太さんが勝てるかもしれない…
いや…少し待てよ。
俺はなんで康太さんと茨木の勝負を止めようとした?
俺は、康太さんに死んでほしく無かった。ただ、仲良くして、友達になりたかった人が…いや友達になろうとした人が、理解しようとした人が目のまえで死ぬのが嫌だった。
…仮に康太さんが勝ったら、俺はそれを喜べるだろうか。この勝負のために全てを捨てた康太さんは、相手を殺すまでやるんじゃないか。ていうか、勝っても、もう元には戻れない。
待てよ…全てを捨てたってことは…あの時の康太さんはもう…。
そうなったら遅かれ早かれ死ぬまで殺し合うしかない。
…なんだ?俺はなぜ人殺しがいやなんだ?もしかして、目の前で少しでも知ってる人が死ぬことも嫌なだけか?いや、それはそうだ。折角、生きながらえたんだ。だから、それが…ちょっとでも縁がある人間が目のまえで切り殺されるのは気持ちいい筈が無い。
康太さんが茨木を殺したら、俺は茨木が死んだことで喪失感を抱くのか?逆に康太さんが殺されても悲しむのか?あれ…?この勝負…なんだ?
康太さんに死んでほしくないってことだけを考えてたが、康太さんが茨木を殺して、それで結局…?
あれ、この勝負…俺にとって…どうなろうと……
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