The Last love letter 

鴨居 伸

プロローグ  



はるか昔の記憶。


色んなことが激しく変化している時代だった。


天安門事件。ベルリンの壁崩壊。


 共産主義国家の恐ろしさ、共産主義国家の貧弱さを同時期に見たようなそんな気がした。


 日本では昭和天皇がお亡くなりになったが、経済は活況で株価はグングン上昇していった。


バブル経済だ。


しかしそれももうあとわずかの頃だった。


僕はまだ十代の終わりで青春を謳歌していた。


不動産屋さんに勤めた知り合いは短期間でお金を貯めてアメリカに留学するという。


 1000万円を貯めてフェラーリを買いに行った人は全然足りませんと追い返されたと聞いた。


高卒のサラリーマンには世の中の景気のいい話には縁が無かった。


でもお金よりも大切なものを見つけたいと願っていた。


出会い。


人は人であるかぎり誰かとかかわって生きてゆく。


若者の特権ではないが色んなことが輝いていた。


今思えば浮かれていたのだろうと思う。


二十歳になる手前で出会った女性と恋に落ちた。


初めて結ばれた女性だった。


きれいで可愛くてでも心は幼かった。


愛し愛されて一生一緒に居ると思っていた。


でももう愛し合うことは無い。


僕らは二度と会うこともない。


少しずつ色あせてゆくはずだった。


あれから忘れるくらいの年月が経った。


彼女の事は時々思い出していた。


特に何かを想っているつもりはないけれど不意に無意識に思い出す。


 別れてからいつも忘れようとしているけれど時々思い出すこと、彼女とのこれからを想像することが当たり前になっていた。


もう長い間彼女は僕のそばにはいないのに。


 いないことが当たり前で、二度と帰ってくることはないのにいつかまた一緒にいられる日が来ると心のどこかで思っていた。


別れてから二度連絡をした。 


打ちのめされた。 


穏やかに話はしたが彼女はもう僕のことを忘れていた。


一度目は「どうしているかなと時々思い出していた」と言った。


二度目は僕のことを「覚えている」と言った。 


もう遠い人になっていた。


ひどい言い方だ。


今でも苦しい言葉。 


電話なんかしなければよかった。


今度は三十五歳の人と付き合おうか悩んでいると言った。


彼女はもう幾人もの男に抱かれただろう。


以前の男を忘れるというのはそういう事だ。


人生は楽しむためにある。


そして前向きに。


それが本質であると思う。


過ぎた過去など、特に昔の男になど何の関心もない。


別れを決めたときからそうなる運命だった。


彼女は自由だ。


僕は忘れることができなかった。


別れたら終わり。


それが現実だった。 


勝手に終わらせて。


そして忘れた。


一度失った気持ちはもう戻らない。


失われたのか。


それとも消したのか。

 

後悔したとしても後戻りはしない。


電話口の彼女の声は間違いなく彼女の声だった。


しかしそこには付き合っていた頃のような親しみなど一切ない。


他人以上の他人。


付き合った事さえ後悔するようなそんな気持ちになった。


まるで僕が彼女に対して悪い事でもしたような。


したのかもしれない。


今まで待っていたのは僕の勝手。


思い続けたのも僕の勝手。


もう関係ないのだから連絡して来ないで。


そういうことなのだろう。


やがて僕も三十歳を超えた。


誰とも付き合わなかった。


良いなと思った女性がいても彼女を思い出してダメになる。


帰ってくるかもしれないと思っていた。


最後に連絡をしてから二年、別れてから五年が過ぎている。


彼女の今を何も知らない。


知ろうとも思っていない。


僕は誰かを好きになることができるのだろうか。


もう自分ではわからなかった。


 お互いに好きになり傍にいるだけで良かった段階から結ばれたことで本当に特別な関係になれたと思っていた。


ずっと一緒に居られると思っていた。


夢を見ていた。


高校生の頃、浜田省吾さんの歌に出会い思い描いていた愛の輪郭があった。


僕はもうそんな人とは出会うことは無いと思う。


でも世の中ではありふれた話だ。


恋に落ちること。


手をつなぎやがてキスをする。


抱き合うこと。


お互いを確かめ合う事。


それは愛情表現ではあるけれど、愛ではない。


それをしたからと言ってそれが絆にはならない。


それは愛がなくてもできる。


愛情があってすると愛になる。


でもその形は見えない。


相手の反応を見て愛されていると思い込んでいるだけだ。


それはお互いに誤解しているだけかもしれない。


僕は特別なものだと思っていたけれど違っていた。


相手が変わるたびに、その行為が特別なものではなくなっていく。


舌を絡め体を絡める。


彼女と抱き合うことは特別だった。


そう誤解していた。 


彼女にとって僕は特別ではなかった。


僕にとっては?


彼女と別れて十年近く経ってから何人かの女性と関係を持った。


愛などなかった。


誰でもよかった。


愛されていた頃の彼女の目と何が違うのだろうか?


 僕を愛していたであろう時の目と行きずりのように行為をしている時の女の目と

何が違うのかわからない。


愛し合ってした時とそうでないときの違いがよくわからない。


同じ相手と何度もということもあるし一度きりというのもある。


いろんな女性と行為をすることで気が付いたことがある。


始まってしまえばお互いに相手を喜ばせるために一生懸命になる。


気が乗らなくても始まってしまえば相手のために一生懸命になる。


彼女は。


僕と付き合っているときに他の男とそうなった。


一度目はどうであったにせよ二度目三度目は没頭したのだろう。


行為に限って言えばお手軽なものだと認識した。 


僕にも彼女にとっても軽いものだったのだろう。


経験不足だった。 幼い行為だったと思う。


愛し愛されてこの人と一緒に居たいと願ってするのものではないことを知った。


一緒に居るからするのだ。


そしてそれはただの作業である。


より高みに行くために愛という言葉を使うのだ。


好きと言う言葉を使うのだ。


彼女はそれを分かっていた。


知らないのは僕だけだった。


大きな思い違いをしていた。


好きという気持ちがなくても出来る。


その行為はお金で買うことができる。


愛は買えないと思う。


でも愛しているふりは出来る。


恋人のようにふるまうことが出来る。


彼女と別れて十年以上が経ち僕は普通に結婚したつもりだ。


それでも心の中にいる彼女を消せていなかった。


僕の心の中は誰にも見えない。


口にしなければ大丈夫だ。


これは妻への裏切りになるのだろうか。


そうは思っていなかった。


幸せな日々を過ごしていたつもりだった。


自分で忘れたふりをしていた。


彼女との光景が何度も思い浮かぶ。


初めて会った時のこと。


初めてキスした時のこと。


初めて舌を絡め合った時のこと。


初めて結ばれたときのこと。


結ばれつつ何度も好きと言ってくれたこと。


僕に甘える彼女が愛しい。


彼女の手の大きさやぬくもりを覚えている。


輝いていたその髪を覚えている。


温かなその瞳を覚えている。


彼女と一緒に居ると楽しかった。


今は彼女と一緒だと楽しいだろうなと思っていた。


出会ってから、別れてからも彼女のことを想い続けてきた。


僕は病んでしまったことで自分を見つめ直した。


何をしているのだろう。


そう思ったその瞬間から僕の周りはすべて灰色の世界に変わってしまった。


別れてから三十年も経った今になって。


何故なのだろう。


もしかして彼女が死んでしまったのか。


勝手に彼女とのつながりを意識するべきではない。


何の関係もないのだから。


眠れない日々が続いた。


感情の大波が押し寄せた。


独り涙を流していた。


寂しくて。


恋しくて。


でももうはるか昔に終わったこと。


今頃どうして。


彼女が。いないことが当たり前だったのに。


いないことが辛いなんて。


いくら考えても答えは出なかった。


答えは出なかったけれど忘れなければならないという結論に達した。


だから。


思い出した事を書こうと思う。


あの時封印した自分の気持ちを吐き出さなければならない。


今まで僕の心で彼女を包んでいた。


それはいつ消えても不思議ではないろうそくの明かりと同じだった。


風が吹けば消えてしまうそれを僕は何十年も心の中で灯し続けた。


もう彼女を守ることは無かったけれど彼女だと思って守り続けてきた。


その灯を消す。


彼女を包んでいた僕の気持ちが消える。


今まで僕は知らず知らずのうちにロウを足してしまっていたのだろう。


僕自身が寂しかったから。 


彼女の事を忘れたくなかったのだろう。


彼女の幸せを願った気持ち、彼女を守る気持ちが消える。


彼女自身の力で自分を守ることになる。


どうか僕の力がありませんように。


今までも彼女に対して何の力もなかったことを願う。


あの川下りの時に彼女が言った「私が引き寄せているのかも」という言葉。


本気でそう思っていたのかそうでないのかはわからない。


僕はあの時に彼女のことを僕の気持ちで包んだ。


彼女を守っているつもりだった。


彼女が現実に判断して現実に起こる出来事はどうしようもなかった。


僕をないがしろにしたことも僕にはどうすることもできなかった。


因果律という。 


原因があって結果がある。


彼女が招いたことだった。


そして彼女が選んだことだ。


だから僕の気持ちがお守りにもなっていなかったと思う。


これからは僕が抱えたまま生きる必要もないのだと今更気が付いた。


吐き出して自分が立ち直らなければならない。


彼女を待ち続けて実ることのなかった想い。


だから書くことにした。


忘れるために。


僕は書くことによって僕の心の中の彼女を殺そうとしている。


あまりにも長かった苦しみ。


報われることのない気持ち。


そしてよみがえった苦しみ。


僕は彼女を殺してしまう。



愛しいあなたへ。


出会ってから別れるまでの僕の気持ち。


そして別れてから僕の歩いた道を書きたいと思う。


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