第53話 sideレトゥーア 下
それから数年が過ぎた頃、アンブル王国を揺るがす大事件が起きた。
国王が毒殺されたのだ。
犯人は国王に過ぎた想いを抱く侍女だとされ、侍女は処刑された。
代わりに女王となった国王の唯一の娘である王女は、彼女の祖父に輪をかけて残虐だった。
公爵は変わらず女王にも苦言を呈し、領地に追いやられてしまったという。
レトゥーアは心からニグラ公爵を心配していた。
それからしばらくして。
ティンバー王国の騒動が起こり始めた。
レトゥーアの耳にその情報が入ってきた時には、既にティンバー王国により情報制限が始まっており、知れることが限られていた。
分かっていることは、ティンバー国内で若者の婚約破棄が相次いでいること。
その中心に、シャーロット・メイプル男爵令嬢がいること。
子息同士の喧嘩が相次いでいることだ。
マルセルももしや巻き込まれているのではないかと、レトゥーアは不安で仕方がなかった。
その不安は、思いも寄らぬ所から齎された情報により、的中することとなる。
レトゥーアの愛人兼情報源の、ガウス・ウォルナットだ。まさか、彼がマルセルの婚約者であったジュリアと結婚しているとは、青天の霹靂だった。
マルセルとジュリアは仲の良い婚約者だと聞いていた。なのに、まさかマルセルまで婚約破棄をしていたとは……。
その後、諜報活動を担うビルマチーク伯爵家が掴んだ情報では、特殊な薬物の使用方法により、若い男性たちは中毒状態になっているという。
レトゥーアは居ても立っても居られなかった。
しかし、更に残酷な情報がレトゥーアに齎される。
マルセルが、養父母を殺害したのだと。
レトゥーアは後悔していた。
自分が最善と信じて用意した道は、マルセルにとって幸せなものではなかったのだ。まさか養父母から虐げられているとは、全く知らなかった。
いや、知らなかったでは済まされない。
責任の全ては自分にあるのだと、レトゥーアは自分を責めた。
どうにかマルセルを自分の元に呼び戻したい。
これ以上遠くから何もせずに見ては居られない。
そう考えていた、矢先。
ニグラ公爵から手紙が届いた。
『マルセルが危ない』
手紙にはそう書いてあった。
レトゥーアは驚いた。
ニグラ公爵はマルセルの存在を知らないはずだ。彼にも決して知られることがないようにと、秘密裏に産んだのだから。
手紙は公爵個人所有の影が運んできた。
王位継承権を放棄したとはいえ、王族には違いない。かなり優秀な影である。ビルマチーク伯爵家に目を付けられている状況で、気付かれないようやり取りするのは至難の技なのだから。
影を通じて二人は少ない手紙のやり取りをした。
ニグラ公爵から聞いた話はこうだ。
何故か女王はニグラ公爵とレトゥーアの関係を知っており、公爵さえ知らなかったマルセルの存在を知っていた。
女王は言ったのだという。
『叔父様が私の言うことを聞いてくれないと、マルセルもパパみたいになっちゃうかも』と。
先代のアンブル国王を毒殺したのは、なんと実の娘である女王だったのだ。
女王は早く自分で国の主導権を握り、一刻も早くアークを手に入れたいと、ただそれだけのために父を殺していた。
自らの権力のために自身の父さえ手にかける悪女。それが女王だった。
そんな女王に目をつけられたマルセルは、非常に危険な状態だと公爵は考えた。
ニグラ公爵はマルセルの存在を調べ、その髪色と赤い瞳や生まれた時期、出生児の状況から、確かに自分自身の子どもであるのだろうと判断した。
女王はマルセルの存在を盾に公爵を脅していた。女王は明言しなかったが、レトゥーアも危ないと公爵は考えていた。
実際には『ニグラ公爵の元クラスメイトであるホルツ王国の貴族令嬢』ということしか女王はレトゥーアの存在を知らなかったのだが、そんなことは公爵には知る由もない。
公爵はマルセルとレトゥーアを守るため、女王に従うしかなかった。
影を使ってティンバー王国でシャーロットを探し出し、ユアンに手紙を送り、国境境の東洋人が営む商店からキクを入手し、シガレットと共にシャーロットに渡した。
実際、ニグラ公爵には分からかなかったのだ。
シャーロットという少女が何者なのか、渡したものにどんな意味があるのか。
キクには解毒作用があるが、シガレットは多少強いものだということ以外に特徴はなく、それをシャーロットに渡したところでどうなるのか公爵には予想がつかなかった。
成分を混合したりと色々と探ってみたが、シャーロットが使用したようにキクを香水に精製する方法は考え付かなかった。
故に、この結果を聞き、公爵は激しい自責の念に駆られたのだ。
ニグラ公爵はレトゥーアに謝罪した。
たった一人で悩ませてしまったこと、側に居て支えられなかったこと。
そして今のティンバー王国の混乱を招いたのは自分が行ったことが原因で、それによりマルセルが窮地に立たされていること。
守っているつもりで、それどころか2人を苦しめていた自分を恥じた。
公爵はレトゥーアに接触することは危険だと考え、これまで一人で行動していたが、最早限界だと感じていた。
アンブルの女王は、ティンバーを侵略しようとしていたからだ。
ティンバー王国の混乱に乗じて、アンブル王国軍の多くを投入するつもりであることを知り、公爵は必死に反対をした。
それだけの数を投じては国防が疎かになるし、女王が1年前までハリケーンに合わせて仕掛けていた攻撃のせいで、軍部には体力も物資も何も残っていなかった。
今のティンバー王国であれば、確かに侵略することは可能かもしれない。しかし、それが終わった後に何かあれば、アンブル王国は耐えられない。
それにティンバーにはマルセルが居る。
マルセルは現在牢に収監されているが、戦いに巻き込まれてしまう可能性はある。
だがそんな公爵を、『シナリオ通りなんだから、問題ないの。知ったような口を利かないで?』と女王は鼻で笑い飛ばした。
もう限界だと、公爵は思った。
これ以上は自分の力ではどうにもならなかった。
女王の周りには女王に従う者しか残っていない。女王はシャーロットのハッピーエンドのためニグラ公爵の命には手を出さなかったが、女王に反発した他の者は皆処刑され、最早アンブル王国は女王だけのための箱庭と化していた。
ニグラ公爵は、アンブル王国を捨てる決心をした。
程なくしてビルマチーク伯爵家により、アンブル王国のティンバー王国への侵攻準備の報告がホルツ王家になされた。
会議の場で、レトゥーアは国王に提案をした。
ティンバー王国に接触し、アンブル王国に対抗する兵力を出す代わりにホルツ王国の属領としようと。
アンブル王国内には女王への不満が溜まっている。内乱を誘発し、アンブル王国まで手中に収めようと。
壮大ではあるが、不可能ではない。
野心家であるホルツ国王に、この案は好意的に受け入れられた。
この計画は、レトゥーアがニグラ公爵と共に計画したものだ。
混乱に乗じて、お互いに今の立場を捨てるために。
ティンバーを守るためには、属領化は避けられない道だった。
ホルツ国王は、それだけの対価が無ければわざわざ島国に軍を派遣したりはしない。
アンブル王国で内乱が起きれば、女王の首は確実に飛ぶ。ついでにニグラ公爵という人物は殺してしまおう。
ホルツ王国がアンブルを治めれば、ニグラ公爵領の民も安泰だ。
レトゥーアはわざと怪我を負い、爵位を返上し領地に籠ろう。
そしてマルセルが刑期を終え牢から出てきたら、平民となったマルセルをホルツ王国に迎え入れ、3人で暮らそう。
3人の秘密を知るであろう人物、女王とシャーロットが居なくなれば、誰にも分からない。
長年、自らの立場と責務を背負い続けた2人には、夢のような計画だった。
しかしこの計画には、問題があった。
マルセルがアンブル王国の王位継承権を持っているということだ。
ニグラ公爵が王位継承権を放棄したのは、女王が成人してからのこと。
放棄した後に生まれた子どもには継承権は生まれないが、そうでなければ子どもも継承権を持っている。生まれた時に放棄の宣誓をしていれば別だが、父親を明かせないレトゥーアには不可能だった。
アンブル王国を解体する以上、王家の血を引くものを生かしておくことは出来ない。
王位継承権を持つなら尚更だ。
万に一でも、マルセルの出生の秘密を悟られる訳には行かなかった。
自分たちの周りには、それを悟られている危険性は低い。だが、リスクは少なくするに越したことはない。
女王は迂闊な人物であり、公爵が送った文書を処分していないことは分かっていた。
そして、シャーロットと謎の暗号でやり取りしていることも知っていた。
それを利用することにしたのだ。
元々公爵は注意深くマルセルを『あの子』としか表現しなかった。
それに加え、レトゥーアとの計画を始めてからは、さも『あの子』がシャーロットであると捉えられるような表現を使い手紙を書いた。
そしてシャーロットと女王がやり取りしていたあの暗号文。誰にも読めないと思ったのか、女王は執務室のデスクに鍵もかけず入れていた。
それを盗み出し、自分の私室にわざと隠した。
さも、シャーロットとやり取りしていたのは自分であると見えるように。
元々シャーロットには不審な点が多い。
本当にメイプル男爵家の娘なのかという噂は絶えなかった。
しかも、これは完全に偶然だが、ニグラ公爵とシャーロットは同じ瞳の色をしていた。
ニグラ公爵がアンブル侵攻前にティンバーに渡ろうと船に乗る理屈も立つ。
マルセルの『身代わり』とするには、シャーロットほど好条件な人物はいなかった。
もしもシャーロットが公爵との関係を否定したとしても、彼女の死刑は確定だろう。
それが遅いか早いかだ。
こうしてレトゥーアとニグラ公爵は計画を実行した。
全てを捨てても、愛する人たちと共に生きるために。
愛する息子を、その手に抱き締めるために。
『あなたは……誰ですか?』
『私はレトゥーア・ダルベルギア。あなたの…………本当の母よ』
これまで親として、マルセルにしたことは何もない。
今更だと詰られるかもしれない。
手遅れだと恨まれるかもしれない。
けれど、彼らはそんな未来を夢見て、国を巻き込んだ大掛かりな仕掛けを行なったのだ。
レトゥーアは残りの人生全てを賭けて、マルセルのために生きようと誓った。
それは侯爵でも、外交官でもなく、ただ一人の母としての思いだった。
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