第41話 sideロイド

 

 黒い鴉が空を舞う。

 鴉はくるくると旋回した後、男の肩に止まった。

 ビル、もといロイドは、鴉の足に括り付けられた紙を取り、広げた。


「……ここまで回復すると思わなかったなぁ。俺も、ジュリアを見くびっていた、ってことか」


 鴉を空へと放つ。

 そして目を閉じた。





 ロイドがアンブル王国を調査した結果、すぐにでもティンバー王国に侵攻することは分かっていた。

 ティンバー王国内を混乱させ、その隙に攻め込む戦法だったのだろう。そもそも件の男爵令嬢にキクとシガレットを提供していたのは、アンブル王国だったことが判明した。

 正確には、アンブル王国のニグラ公爵だ。

 だが彼が自発的に行っていた訳ではない。公爵家にはほとんど何も証拠は残っていなかったが、女王の方は違った。自分のことは誰にも追求できないとでも思ったのか、女王の私室や執務室には、数多くの証拠が残されていた。

 その中に、ニグラ公爵からの手紙があった。

 手紙の内容から察するに、公爵は何やら女王に弱みを握られていたようである。


『全てあなたの言う通りにする。だからあの子に、これ以上辛い思いをさせないでくれ。早く解放してやりたいんだ』


 手紙にはそう綴られていた。

『あの子』が意味するところは、現段階では分かっていない。

 ただ、アンブルがティンバーへ侵攻する直前、公爵が単身ティンバー行きの船に身分を偽って乗ったことまでは分かっている。その時点では、今後戦火の中心となるはずだった場所へ、わざわざ向かったということだ。

 ティンバーには、ニグラ公爵にとって重要な何かがある。

 しかしそれ以上のことは不明だ。船がどの港に着いたのかさえ、分かっていない。

 公爵は、船ごと姿を消してしまったのだ。


 またニグラ公爵が失踪してからしばらくして、一人の使用人が姿を消していることも分かっている。

 その使用人の私室から、およそ使用人の給与では賄えないほどの大金が見つかった。彼はニグラ公爵が姿を消す数か月前に雇われたばかりの新人だったという。女王の部屋から見つかった書類により、彼は女王の紹介で雇われたということが発覚した。

 一体彼が何者で、どこへ消えたのか、未だ分かっていない。



 現在ビルマチーク伯爵家に命じられているのは、ニグラ公爵の消息を掴むことだ。

 旧王家の血は反乱の火種になる。すぐに刈り取らなければならない。

 ロイドはホルツ軍の中に混じり、公爵の捜索のためティンバーの元王宮内にある離宮に詰めている。

 混乱するティンバーの治安維持のため、ホルツ軍が配置されているのだ。


 ティンバーはジュリアが生まれ育った地だ。

 ロイドはジュリアを思った。







 あの日。

 ロイドは兄のアンドレイの指示を無視し、ジュリアに会いに行った。

 本来ならば、全ての片が付くまでジュリアに接触することは禁じられていた。

 ジュリアはもう用が済んだ情報源だ。不用意な接触は、ビルマチーク伯爵家にとってリスクになる。

 けれど、ロイドはどうしても我慢ができなかった。

 あの時、ジュリアの未来に希望はなかった。

 『婚家から逃げた人妻を偶然ロイドが見初めた』という行き当たりばったりな言い訳を組み立てて、とにかくジュリアを連れ去ろうとした。

 しかし、ジュリアは頷かなかった。

 ジュリアが自分自身を憎からず思っていることを、ロイドははっきり認識していた。諜報活動に人の心を読む技術は重要だ。

 だからきっと手を取ってもらえるだろうと、そう思ったのだが……。



 結局、ジュリアは自らその希望を掴み取った。

 ロイドの助けなどなくとも、自分自身で運命を切り開いて見せた。

 ロイドは思わず声を出して笑ってしまった。

 降参だ、と。そう思った。




 当主の指示を無視したロイドの行動は、当然許されるものではない。いかに兄弟仲が良かろうと、罰は受けなければならない。

 ロイドはアンドレイ自らの手で折檻を受け、あらゆる訓練を積んでいるロイドですら、1週間寝込むほどの傷を負った。


 目が覚めてからロイドは、頭を冷やした。

 今回の自分の行動は、あまりにビルマチーク伯爵家として相応しくない。


『次はない』


 アンドレイはそう言った。

 ロイドは自分の役割を、改めて認識した。

 ロイドは襟を正し、任務へと戻った。




 だが時々、『宝花亭』からこうして報告を受けている。

『宝花亭』は“表向きの”ロイド・ビルマチークが経営者となっている宝飾店だ。決して繁盛して賑わっている訳ではない、とはいえ閑古鳥が鳴くほどではない、そこそこの店である。

 しかし裏では、ホルツ王国の王都内のあらゆる情報を収集、集約している機関だ。

 その『宝花亭』から、ジュリアの近況を聞いている。


(未練がましい……よな。何かあったって、駆けつけられる訳でもないのに……)


 ロイドは自嘲しながら、その報告書に火をつけた。

 今は、目の前の任務に集中しなければならない。





 ロイドは1つの仮説を立てていた。

 ニグラ公爵がティンバーへと渡った理由。それはシャーロット・メイプルではないかと。

 そもそも何故、元は孤児であった男爵令嬢と、アンブル王国に繋がりがあったのか。

 その答えがニグラ公爵の言う『あの子』ではないかと考えたのだ。


 ニグラ公爵が何故独り身を貫くのか、それはただ1人の女性を愛しているからだ、とかつて噂になったことがある。

 ニグラ公爵は濃茶の髪に美しい深い青の瞳を持つ美丈夫だ。第二王子という肩書きも相まって、彼には若い頃から山のように縁談の話が舞い込んでいた。けれど、そのどれにも頷いたことがない。

 本人は1人が気楽なのだと周囲に告げていたが、それだけの理由で独り身を貫くには、この時代は息苦しい。

 だが彼は女王が成人して早々に王位継承権を放棄し、生涯独身の誓いを立ててしまった。



 もし、あの公爵の噂が本当であれば。

 そして、もしその相手との間に子どもが居たとすれば。


 シャーロットの瞳は深い青色だ。

 そう珍しい色ではないが、共通点があることに違いはない。

 シャーロットの父がメイプル男爵の弟であるというのも、男爵家の言い分に過ぎない。実際、男爵の弟とシャーロットの親子関係を客観的に証明できるものはなく、便宜上シャーロットは男爵の養子となっているのだ。

 真偽の程は、彼らにしか分からない。


 シャーロットは、ニグラ公爵の娘ではないか。


 ただの憶測の域を出ない話だが、確認してみる価値はある。





 現在シャーロットはティンバーの元王宮の地下に幽閉されている。

 気でも触れたのか、“こいわる”がどうの、“ぎゃくはー”がどうのと騒いでいるらしい。

 シャーロットがティンバー王国滅亡の引き金になったのは間違いなく、命令されていたとしても、彼女の振る舞いを見るに薬物の効能を知らなかったとは考えられない。むしろ本人は楽しんでいた嫌いもある。

 ゆくゆくは、極刑もあり得るだろう。


 メイプル男爵は取調べに対し、一貫して何も知らなかったと主張している。シャーロットは間違いなく、男爵の弟の子どもであるとも。

 ロイドも尋問の様子を見ていたが、確かに男爵は嘘を言っているようには見えない。そうなると、シャーロットが1人で一連の事件に関与したということになる。

 当時シャーロットは16歳の成人したばかりの少女であった。

 訓練された諜報員か、話は別だが、彼女がメイプル男爵領にある教会で育ってきたことは住民の証言から間違いないようだ。

 謎は深まるばかりである。





「ロイド様。ご報告いたします。シャーロット・メイプルの私室から、こちらが発見されました」


 シャーロットの屋敷を捜査していたロイドの部下が跪く。ロイドは軍の中に自身の部下も紛れ込ませており、秘密裏に探らせていた。


 部下が差し出したその手の中には、全く見たこともない未知の文字で書かれた文書があった。


 いや、正しくはロイドがこの文字を見るのは二度目である。


 ニグラ公爵の私室からも、同じ文字を使用した文書が見つかっている。



 ニグラ公爵家には何も証拠は残っていなかった。

 しかし唯一、この未知の文字で書かれた文書だけが残されていた。公爵の私室の書き物机の引き出しが二重構造になっており、その中に収められていたのだ。

 現在解読を試みているが、あまりに難解なそれは解読が不可能ではないかと言われている。ただ、文字の配列からして、文書というよりどうやら手紙ではないかと推測されている。

 このような難解な暗号で書かれた手紙だ。中にはかなりの機密事項が書かれているのだろう。


 その手紙が、シャーロットの部屋にもあった。

 導き出されるのは、シャーロットとニグラ公爵が、暗号で手紙のやり取りをしていたということだ。




 部下はロイドに手紙を渡すと、続けて言った。


「シャーロット・メイプルに付けている者から、彼女が『私は王族になる人間だ。丁重に扱え』と喚いていると報告が上がっています」

「ふぅん……。王族ねぇ……」

「気が触れた者の言葉です。ただの妄言とも考えられますが」



 ロイドは顎に指を当てた。

 いよいよ自分の憶測に、事実が近づいていくようだ。



 ロイドは部下を帰し、思案する。



 ニグラ公爵の行方が未だ分からないこと以外にも、頭を抱えることは多い。


 シャーロットの毒に侵された者たちが続々と正気を取り戻したことで、新たな混乱が生まれているのだ。

 ティンバー王国という国が無くなったこと、それが自分たちが引き起こしたことであるという事実に、耐えられず病む者も多い。


 アーク元王太子は、婚約者であるエミリア・ダグラスファーの制止を振り切り、自分の首を斬り落としてくれと元国王に泣いて懇願しているという。

 宰相の孫であるカイン・サイプラスは、自ら廃嫡を求め、現在は平民となり官吏として奉仕している。

 ルーカス・カンファーの父である国防軍総帥は、責任を取り辞職、そして自裁した。ルーカスは自責の念から精神を病み、領地で療養している。

 デューク・チェリー公爵子息は『恥に耐えられない』と、領地の屋敷のテラスから身を投げた。


 今はマルセル・ローズウッドも、正気を取り戻してから懺悔を繰り返しているという。



 ホルツ側とて、無傷ではない。


 アンブルの反乱の発端を作ったのは、他でもないロイドである。

 民衆の燻っていた不満に発破をかけ、焚きつけた。

 それがまさか、王宮の陥落後、交渉のためアンブル入りしていた使節団に襲いかかり、使節団の筆頭であったダルベルギア侯爵に重傷を負わせることになろうとは、思わなかった。

 侯爵はなんとか回復するも、歩くことはままならず、自身の弟に当主の座を譲り、隠居することとなった。

 女侯爵は外交戦略の場面において、なくてはならない存在だった。ホルツ王国は彼女が抜けた穴を、どうにか埋めなくてはならない。




 ロイドは空を見上げる。

 その先にある、ホルツ王国へと繋がる空を。



(もうすぐ3年……。早く帰ろう、ホルツに……)


 ロイドは大きく息を吐き出し、シャーロットの居る地下牢へと歩き出したのだった。

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