第34話


 今回のサフランの偽装事件。

 その発覚が遅れた最たる原因は、巧妙な偽装の方法もさる事ながら、顧客を選んで行われていた事だろう。

 目利きの顧客には渡らず、偽装に気付きづらい顧客にばかり渡っていたこと。これは、その顧客がどういった者であるのか、よく把握している人物の介入がなければ成り立たない。それも王都の本店だけでなく、他の支店でも行われていたということは、各店舗にも影響力のある人物である。

 それ故に本店の店長に疑念が集まっていた訳であるが、ジュリアには違和感があった。

 確かに本店の店長は他店舗の在庫調整を担うこともあったし、その権限もあった。しかし、顧客ごとにその技量を見極め、偽装商品を卸すか否かを決定するには、かなりの判断力と調整力が要する。これはジュリアの直感に近いが、店長はそういった人物像と一致しない。

 それに、これだけ巧妙に黒幕に繋がる証拠が出ない中で、あの店長のサイン入りの指示書だけが出てきたのは逆に不自然だ。

 まるで、誰かがわざと用意したかのような。

 ガウス自ら指揮していないとするならば、自ずと、答えは見えているようなものだ。


 ジュリアは調査の中で、1つ不審な点に気がついていた。

 商会の多くの口座の引き出し人名義に、この1年間でユアンの名が追加されているのだ。

 ホルツ王国やティンバー王国では、商会の金銭はいくつかの銀行に分けて保管するのが一般的だ。それは銀行の不払いによる不利益を防止するためである。その口座から金銭の出し入れができるのは、各口座ごとに事前に登録しておいた名義人だけ。

 これまでクルメル商会の口座引き出し人はガウスだけであったが、この1年でユアンもその名義に加わった。

 それだけ見れば、決して不自然なことではない。支店も増え、ガウスだけが金銭の出し入れをしていては不便であったのは確かで、それ故に誰も疑問を持っていなかった。

 しかし、ジュリアにはどうにも違和感があった。

 それまでの口座からの引き出し頻度よりも、幾分頻度が高い。

 更にもう一つ。商会を営んでいれば、一度引き出したもののそのまま戻したり、引き出した時とは異なる予定外の支出があったりと、簡単に説明がつくものばかりではない。

 しかしユアンが引き出した金銭の処理は、あまりに整然と整いすぎていた。

 そのことに、逆にジュリアは違和感を感じたのだ。


 だが、動機が分からない。


 ユアンはガウスがクルメル商会を継いでから、ガウス自らが見出した自他共に認める右腕だった。

 彼らはまさに一心同体。確かな絆で結ばれた同志であったはずだ。

 何か金銭的なトラブルでもあったのだろうかと、ジュリアは内密にユアンを調べてもいた。

 だがそういった事実は見つからなかった。


 疑惑は持ちながらも、表立ってその疑惑を唱えられるだけのものは、何もなかった。

 少なくとも、今日までは。


「先ほど、ヒッコリー様は『地下室を作る余裕があるならば』とおっしゃっていました。私は『隠し部屋』としか言っていないのに。まるで、地下室があることをご存知のようでしたわ。何故ヒッコリー様がそんなことを知っているのか。ガウス様、貴方様にもお分かりではないでしょうか」

「……お前は、何を言っている」


 ジュリアは信じていた。

 かつて、ジュリアを全く信用していなかった時のガウスに話したとて、きっと聞き入れられない。

 しかし、今ならば。

 きっとジュリアの言葉にも耳を貸してくれるのではないか。そう思っていた。



 だが、目の前のガウスを見て、ジュリアは自分のその判断が間違いだったことに気づいた。



「ユアンが、偽装事件の首謀者だと? そう言いたいのか。たったそれだけのことで」

「ですが……今回の一連の事件。ヒッコリー様が裏で指揮していたと考えれば、全て辻褄が合うのは事実ですわ。何故、何のためにそんなことをなさったのかは分かりませんし、物証もありません……。ですが、私は今、ヒッコリー様を追いかけるべきだと思いますわ。もしもヒッコリー様が関わっているなら、証拠を隠すなら今しかありませ」

「いい加減にしろ!」


 ガウスは激しく激昂し、ジュリアの頬を打った。



 ジュリアはあまりの衝撃に、頭に電流が走ったかのようだった。

 自分の頬が打たれたのだと理解するまでに、しばし時間がかかった。


「ガ、ガウス様……。一体何を……」

「言うに事欠いてユアンを疑うなど! 多少仕事が出来るからと見直してみれば、何と愚かな! お前に何が分かると言うのだ! ユアンと俺は、ずっと2人でこの商会を支えてきたんだ。そのユアンが、まさか、そんなことを……ふざけるな!!」


 ガウスは息を荒げたまま、1人馬車へと乗り込んでしまった。

 そしてジュリアを残し、走り出してしまったのだった。


 置き去りにされたジュリアは、ただ呆然とそれを見送るしかなかった。




 ガウスとの距離が近づいたと思っていた。

 もう、自分の声が届くだろうと思っていた。

 何かが2人の間に芽生えたと思っていたのは、ジュリアの独りよがりだったのか。

 ガウスの圧倒的な拒絶と激しい頬の痛みに、ジュリアは自分の中の何かが、粉々に砕け散る音を聞いた。




 しばしその場に佇み、しかしそれでもユアンを追いかけなければとジュリアは自分を叱咤する。

 早くせねばと身を翻した、その時。


 激しいサイレンと鐘の音が聞こえた。


「火事だー!! 火が出たぞー!!」


 ジュリアが慌てて声の方を見ると、事務所棟から黒煙が上がっていた。


(もしや……ヒッコリー様が……!?)


 ジュリアは駆け出し、事務所棟へ近付こうとする。

 しかし、集まってきた警邏たちに抑えられてしまった。


「お嬢さん危ないよ! 消火始めるから離れてな!」

「ですが! もしかしたらあそこに偽装事件の証拠があるかも知れないのです!」

「何!? いや、しかし今は近づけない! そんなドレスでは危険だ! いいからこっちに!」



 その後、警邏や工場の人々の尽力で、火は30分後に消し止められた。

 しかし工場長の事務室はほぼ全焼し、ほとんどの書類は炭と化した。



 そして、その日から、ユアンは忽然と消息を絶ったのだった。

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