第33話
馬車は特段問題なく、目的地である加工工場まで着いた。
途中街々の宿に宿泊しながら向かったので、かなり快適な旅だったと言える。
なによりも、ガウスと普通に会話を交わせたことが、この旅路を最も快適なものにした。
宿では当然のように別部屋に宿泊したが、それでも食事は常に一緒であったし、晩酌まで共にしたのだ。ガウスは明らかに顔から険がなくなり、互いに笑顔を交えながら酒を嗜んだ。
ジュリアは静かに感動を覚えた。
目的地へと到着し、ガウスとジュリアが加工工場に足を踏み入れると、工場長が恭しく挨拶をした。
「これはこれはウォルナット様。お久しぶりでございます」
「ああ。結婚してから妻を紹介していなかったからな。顔見せだ」
「初めまして。ジュリア・ウォルナットですわ」
「こちらがウォルナット様の奥様ですか。この辺りでは見かけないほど、美しい方ですね。よろしくお願いいたします」
今回はあくまでも、挨拶のための訪問であるという体を取っている。
状況が状況のため何か隠し事をしているのであれば勘付くかもしれが、今後も関係を続けるのであれば、あからさまな疑惑の目は向けたくない。そのための配慮であった。
工場長は笑顔を絶やさず、ガウスとジュリアを歓待する。
その姿に不審な点は何も見当たらなかった。
(ここの加工工場では何もしていないということかしら。特におかしな点はなさそうな気がするわ)
工場内を案内してもらいながら、ジュリアはじっくり観察する。しかし至って普通の工場のようだ。
ここではなかったかと息を吐いた、その時。
ふと、窓の外に小さな古い小屋が見えた。
その小屋に、ジュリアはどこか違和感を感じた。
「もし。あちらの小屋は何をする為のものかしら?」
ジュリアが声を掛けると、一瞬工場長の顔が強張った。
普通ならその変化に気付かないかもしれないが、悪意を読むのに長けたジュリアにとっては、こう見えた。
『要らないことを言う、面倒な女だ』と。
「ああ。あれは廃棄物の一時保管場所です。あまり綺麗なものではないですよ。どうぞ、こちらで選定の業務をしていますので、見てやってください」
確かに廃棄物置き場なら、工場長の言葉は尤もだろう。しかし工場長はごく自然なようでいて、有無を言わさぬ強引さでジュリアたちを誘う。ますますジュリアは違和感を覚えた。
「私、あそこも見てみたいですわ。廃棄物はきちんと処理しないと従業員の健康を害すると言いますもの。ガウス様、如何かしら」
そう言ってジュリアはガウスに視線をやる。
きっとあそこに何かある。そうした意図を込めて。
ガウスは小さく頷くと、口を開いた。
「そうだな。見たところかなり古いようだ。必要であれば適切な処理ができるよう資金を回す必要がある。あそこも見せてくれ」
「いや、しかし……あそこは本当に会頭にお見せするような所では……」
工場長は引き攣る口元を必死に抑えているようだ。かなり完璧に作っていた表情が、剥がれかけている。
「構わないと言っている。案内してくれ」
ガウスは有無を言わさぬ圧力で、工場長に言い募る。
工場長は致し方なく、不承不承小屋の方へと2人を案内した。
外に出て、小屋の扉を工場長が開けると、確かに中には割れた瓶や紙屑が入った袋がいくつも置かれていた。
「ほら、この様になっています。確かに古いですが、特に問題も起きていませんので、お気遣い頂かなくて大丈夫ですよ」
工場長はそう言って早々に扉を閉めようとする。
しかしジュリアは、工場長の手を止めて質問を投げかけた。
「あの、こちらにはいつからこうしたゴミが入れられているのかしら?」
「いやぁ、もうずっとこのような状況ですよ。腐るものもないですからずっとこのままで。早いところ処分しなければいけないですね。ははははは。さあ、お目汚し失礼いたしました。あちらに行きましょう」
工場長は何がおかしいのか声高々に笑い、更に扉を閉めようとした。
その扉の隙間からジュリアはするりと中に入り、きょろきょろと周りを見回す。
「あっ奥様! お召し物が汚れてしまわれますよ! 早く出てきて下さい!」
工場長は慌てるが、ジュリアは置かれている空瓶に手を伸ばした。
「ずっとこのままという割に、あまり埃をかぶっていませんわね? 不思議ですわ」
どうやらジュリアが感じた違和感の原因はそこにあるようだ。
中に入っている物もそうだが、この小屋自体、古く小さい割に傷んでいない。大事な物が入っている様には見えないのに、きちんと、いわば不相応に手入れがされているのだ。
ジュリアの言葉にガウスは頷くと、ガウスも瓶を手に取った。
「確かに、そんなに長らく置いてあるようには思えないな。つい最近運び込まれたようだ」
工場長は頭を掻き、動揺を隠すように笑いながら言った。
「ああ! そういえば職員が最近整理を行ったと言っていましたね! 私としたことがすっかり記憶から抜け落ちていましたよ!」
「あらそうなの? その割に随分乱雑に置かれているのね? どう整理をしたのかしら……」
ジュリアは相変わらずキョロキョロと中を見回し、ふとゴミの下敷きになっている縄の端を見つけた。
「あら? これって……。ガウス様、少しお力を貸して頂けます?」
「奥様!!!」
止めようとする工場長を制し、ガウスはジュリアの元へと向かった。
そしてジュリアと共に床に置かれている空き瓶などを移動させると、そこには床に嵌められた扉が隠されていた。
「おい。これは何の入り口だ?」
「いや……これは……その……」
「いい。行ってみれば分かることだ」
そう言ってガウスは地下への扉に括り付けられている縄を持ち、上に持ち上げる。
ジュリアが見つけたのはこの縄だったようだ。
扉は案外簡単に開いた。
まるでつい最近まで開閉されていたかのように。
中には地下へと続く板張の階段があった。
倉庫の中に置かれていたオイルランプを使い、ガウスとジュリアは降りていく。
工場長も一緒だ。もしも地上に工場長を残し、閉じ込められては堪らない。
20段ほど降ると、中には広い空間が広がっていた。
作業用の台が4台、各作業台に椅子が6脚ずつ置かれている。作業台の上には、何も乗っていなかった。
「ここは一体、どういった場所なんだ」
ガウスが工場長に尋ねると、工場長はダラダラと汗を流しながら視線を彷徨わせる。
「こ、ここは……そう! あまり日に当てるのが良くないハーブを扱う作業場です! 今はそういったものは扱っていないので、すっかり忘れていましたよ!」
「ほう。その割に空気が澱んでいない。埃も積もっていないようだ。つい最近使っていたのではないか?」
「いいえ! そんなことは……」
工場長が否定しようとしたその時、ジュリアは徐に部屋の隅に置かれた戸棚の扉を開けた。
「奥様! おやめください!!」
工場長の制止を受け流し、ジュリアは戸棚の中に置かれたボロ布を捲った。
そこには、思い通りのものが置かれていた。
「これは下級サフランと……この粉はサフラワーですわね? あと、蜂蜜。これはどういうことですの?」
ジュリアは工場長に厳しい目を向けた。
ガウスも同時に工場長を睨みつける。
工場長はもう何も弁解できないと悟ったのか、膝を突き、宙を仰いだ。
「話は上でしっかり聞こう。ジュリア、良くやった」
ガウスはジュリアの目を見つめ、ふわりと笑った。
ジュリアは膝を折り、美しいカーテシーを披露した。
「お役に立てたようで、何よりですわ」
工場長を個室に押し込み、ガウス自ら尋問を行った。
あれほど饒舌に話していた工場長は、ほとんど口を開かず黙秘を続けている。
いつから、誰の指示で、又は自らの意志で行なっていたのか。工場長の口から聞き出すことは出来なかった。
ジュリアは警邏に連絡し、工場長の身柄を引き渡した。これから警邏により、この加工工場は徹底的に洗われることだろう。
何せサフランの偽装は重罪だ。詐欺事件の中でも特に悪質なものの一つとされている。
工場長の咎はどれほどなのかまだ分からないが、何某かの刑罰は避けられないことだろう。
工場長の身柄を引き渡し、しばらくした所でユアンがやってきた。
本来なら宿で合流する予定であったが、ガウスからの連絡を受け、農家回りを切り上げて合流したのだった。
「ガウス様! 偽装の物証が出たと言うのは本当ですか!」
「ああ。王都での噂はまだ届いていなかったようだな。 今年も偽装作業をしていたようだ」
「なんと浅ましい……」
ユアンは酷く顔を歪め、心底愚かだと言うように吐き捨てた。
ジュリアはしっかりとユアンを見つめ、一言一言噛み締めるように言った。
「立派な隠し部屋まで作ってありましたわ。きっと偽装は一度や二度ではないでしょう」
「嘆かわしいことです。地下室を作る余裕があるならば、他にも出来ることがあるでしょうに……。さて、私は他の従業員と話をしてきます。今日はもう暗くなりますから、明日、本格的に話をする時間を設けさせましょう。よろしければ、ガウス様とジュリアさんは先に宿へお向かい下さい」
ユアンの言葉通り、辺りは夜の帳が降り始めている。
ここは田舎であるために、宿までは馬車でしばらく走らなければならない。暗くなっては、身動きが取りづらいのは確かであった。
「ああ。そうだな。そうさせてもらおう」
「そうですか。それでは、後ほどまた宿で!」
そう言ってユアンは走り去っていった。
ガウスはそのまま、言葉通り馬車へと向かおうとする。
しかしジュリアは、ガウスの腕を取り、引き留めた。
「ガウス様。お話がございます」
「なんだ? 馬車の中で話せば良いではないか」
「いえ、今しなければなりません」
ジュリアはガウスの瞳を見つめて言った。
ガウスは、その瞳に真剣な決意を確かに見て取り、ジュリアを促した。
「ガウス様。どうか私の話を最後までお聞きください。たとえどんなに、私が不快な話をしたとしても」
「……ああ。分かった」
「ありがとうございます。私は今回の一連の事件、どうしても1人の人物が関わっているとしか思えないのです。
それは……他ならぬ、ヒッコリー様ですわ」
ジュリアのその言葉に、ガウスは大きく目を見開いた。
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