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 メアリーの言葉を聞き逃すまいと、彼女の口元を凝視する。だが彼女はそれ以上言葉にする事は無く、代わりに肯定を示す様に私の瞳を真っ直ぐに見据え小さく頷いた。

 

「この様な話は、あまり得意では無いんです。経験が浅いので……」


 火照った顔を冷ます様に、彼女が手で顔を扇ぐ。

 何処となく雰囲気や思考が大人びているからか、彼女は自分よりも経験が豊富なのだとばかり思っていた。だがその仕草を見ていると、彼女は自分と然程変わらない、19歳の女の子なのだと実感する。


「ふふ、可愛いわねメアリー」


「……揶揄うのはやめてください」


 顔を赤く染めたまま、彼女が不服そうな表情を浮かべた。そんなメアリーから視線を外し、窓ガラスに向き直る。

 ふと屋敷の外に目を遣ると、庭園の手入れをしていた庭師ガーデナーと目が合った。挨拶代わりとして、彼に微笑みを送る。


「……?」


 普段なら、庭師ガーデナーの彼は目が合うと私よりも先に反応を示してくれる。だが今日の彼は、少しおかしい。その顔は酷く強張っていて、此方に視線を固定させたまま動かない。

 だがそれを疑問に思う前に、窓ガラスに反射して見えた“顔”に全ての思考が停止した。


 窓ガラスに叩きつけられたのはメアリーの額。手元の窓ガラスが、その衝撃で僅かに波打つ。

 会話に夢中だったからか、それとも気配その物が無かったのか。私達のすぐ背後に、“父”の存在が迫っている事に気付くことが出来なかった。


「――何故、エルが掃除なんてしているんだ」


 その場に響いた低い声に、背筋に寒気が走る。怒りを含んだ父の声は、普段使用人を叱責する声とは比にならない。


「……や、やめて……お父様」


 震えを抑え込み、なんとか喉奥から声を絞り出す。

 私が使用人の仕事を手伝ったことは、これが初めてでは無い。父に見つかればその都度使用人が叱責されていたが、今の様に暴力を振るう事は1度も無かった。これ程までに怒りを露わにした父は、今迄に見た事が無い。

 父は何時、私達の存在に気付いたのだろう。メアリーと恋愛話をしていた時には、周囲に人の気配は無かった。父も此処には居なかった筈だ。

 一体何が、父を此処まで怒らせてしまったのだろうか。


「……私が、勝手にやっているだけなの。彼女は、メアリーは悪くないわ」


 メアリーの額を窓ガラスに押し付けるその腕を掴むと、父が此方に視線を向けた。


「――お前が掃除をする必要など何処にも無いだろう。何の為に使用人を雇っていると思ってるんだ」


「……ご、ごめんなさい……。これだけの窓を1人で掃除するのは……大変だと思って。それに、彼女と話がしたかったの」


 父の鋭い視線に圧倒され、思わず顔を背ける。


「お前は優しいね、エル。だが、それは労働者階級である彼らの仕事だ。本来価値など無い彼等に、私は大金を支払って“生かしてやってる”んだよ。この程度の事で大変と言われるだなんて、心外だな」


「そんな……」


「それに、話がしたいなら部屋に呼びつければいいだろう?貴族であるお前が、身分の低い彼らと“立ち話”をする必要は何処にもない」


 父が掴むメアリーの項から、軋む様な痛々しい音が鳴る。それと同時に漏れる、彼女の苦し気な声。


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