第9話

 家に帰って勉強する。

 もう結論は出ていた。

 もう学校に居場所はない。

 あきれ果ててもはや涙なんて出ない。

 だがこれはまだ始まりだ。

 これからどんどん悪くなる。

 それだけは確信していた。

 だったらどうする?

 ……思いつくはずがない。

 六時になったころ、母親が帰ってきた。


「はあはあ……あんた! 学校でなにやったの!!! 会社に電話あったんだからね!!!」


 本当に電話しやがった。あのクズ教師。

 僕は心の底から失望した。

 だって「アニメや漫画を見ないように! 犯罪者予備軍ですから!!!」なんてバカな意見、それは差別そのものだ。

 ふだん「差別をしないように!」なんて口を酸っぱくして言ってる教師がいままさに差別に加担してるのだ。


「誘拐殺人のニュースあったじゃん。あれで国語の森がアニメ見るな漫画見るなネクラやめろって意味不明なこと言ってきてさ。僕は犯罪者予備軍なんだってさ。誰にも迷惑かけてないのに」


 すると母親の顔がどんどん青ざめていった。


「それってオタクってやつの話?」


「そうだよ。オタクで何が悪いって……」


 バンッと横っ面をビンタされた。


「あんた! オタクって……オタクって異常者なんでしょ! テレビのニュースで言ってたよ!!!」


「はぁッ?」


「あの須田って子が悪いんだね!!! 異常者のグループにあんたを引き込むなんて……いま須田くんの家に電話するから!!! 須田くんとは二度と関わらないでね!」


「なに言ってんのあんた……。どう考えても異常者は教師やクラスの連中じゃ……」


 パンッ!!!

 今度のビンタは小気味いい音がした。


「なにすんだよ! 僕は絶対悪くない!」


「だめなものはだめ!!! お母さんはあんたを犯罪者になんかさせない!!!」


 まただ。

 あの嫌いな目だ。

 自分に酔った、あの気持ちの悪い、僕を人間として見ていない、あの学園ドラマのような目。

 おそらく演目は「不良になった息子を涙で説得して更正させる母親」。

 そう理解するやいなや途端に悪心がこみ上げてきた。

 ……吐き気がする。


「どうしよう……子どもが異常者になっちゃった! 実家に電話しなきゃ! あんた、夏休みお寺に預けるから!!! いま真人間にしないと……将来が……」


「バカなの? ねえ、なに言ってんの!?」


「うるさい! もう決定だからね! 暴走族やってたいとこ・・・を預けてた寺があるから!」


「寺の坊主なんて宗教オタクだろうが! 言ってることが支離滅裂すぎんだよバカ! 絶対に行かねえからな!」


「あたしはアンタを犯罪者になんかさせない!」


「じゃあなんだよ! 僕にバイク乗って夜遊びでもしろってか!?」


「うるさいうるさいうるさい!!! 全部お父さんに言うからね!!!」


「言えば!? バカじゃないの!? ねえどうしちゃったの!? アニメ見ようが、漫画見ようが、映画見ようが、僕の勝手でしょ?」


「うるさい! 犯罪に走るような異常な趣味はそのうち警察が取り締まるっての! あんただってこのままじゃ刑務所行きだよ!」


 まったく話が噛み合わない。

 目の前のかつて親だったもの。

 その変わりように僕の吐き気は強くなった。


「もう心配しなくていいよ……。漫画もビデオも捨てるから……」


「はぁッ? 冗談でしょ?」


 なぜ他人が子どもを殺したことの責任を取らされるのだろうか?

 暴走族も不良たちも生まれてこのかた自分の人生になんて責任を持ったことがないというのに。

 なぜオタクというだけでここまでの仕打ちを受けねばならないのか?

 なぜみんないきなり狂ったのか?

 理不尽。あまりにも理不尽。

 まるでこの世界からまともな人間が消えたかのようだった。

 漫画を捨てられる。

 物の価値はどうでもいい。

 だけどどうしても絵は自分の中で、唯一好きになれる、人に自慢できる部分だ。

 そこを丸ごと否定されるのは僕という存在を否定されてるかのように思えた。

 しかもそれをしたのは母親だ。

 親にすら存在を否定される自分は、この世界に要らない存在なのでは?

 創造主に見限られた存在に生きる価値はあるのか?

 寺に入れられたらどうなるのだろうか?

 人格を壊されて別の誰かになるのだろうか?

 どうして動く紙芝居をそこまで弾圧するのだろう?

 どうしてそこまで本気になって、何もしてない僕を壊そうとするのだろう?

 彼らはそこまで上等な人間なのだろうか?

 どうしてこうなってしまったのか?

 ああ、僕も暴走族に入って喧嘩して警察に捕まる人生を送ればよかった。

 校舎の裏でガスパン吸ってるような人生がよかった。

 誰にも意地悪で誰にも攻撃的な友利の人生の方がマシだった。

 いまからでも連中のように生きられるだろうか?



【先のコミックマーケットに参加していた東京都(略)の会社員(二六)。「僕もエロ漫画を描くし、気持ちとして『オレも女の子にいたずらしたいな』と思うことはある」】

毎日新聞1989年8月20日

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