第26話 卑怯と桐原2


 私が彼と出会ったのは高校一年、クラスメイトの自己紹介の時だった。

 大きな男だった。

 身長は2mを超えており、肥満の様子は欠片もなく、格闘家のような薄い脂肪をまとった体をしている。

 太い声をしていて、髪型は短髪ツーブロックで、粗にして野だが卑ではない顔をしている。

 雲丹亀などに言わせれば、間違いなく美形の範疇であるのだろう。

 私はずっと彼を見ていて、彼の方も視線には気付いていたようだが、まあどうでもよいという顔をしていた。

 大きな体を、ジロジロと見つめられるのには慣れているらしい。

 やがて、彼の自己紹介の出番が訪れて。

 このようにスピーチしたことを記憶している。


「藤堂破蜂です。本高の付属中学校出身です。中学時代はずっと学年一位を守っておりました。生まれは神戸で、今までもずっと神戸住まいでした。体格は見てのとおりです。100mを十秒台で駆け抜け、ベンチプレスでは300 kgを上げられます。ジャガイモを片手で握りつぶすことも出来ます。別に鍛えたわけではなく、生まれつきでこのような体なのです。スポーツに全く興味はないので、部活動に俺を誘わないでください。文化部の誘いもお断りしております。毎日8000㌔カロリーを摂取しないと衰弱する不自由な体をしておりますので、食事の時間を邪魔しないでください。高校生活での抱負は、卒業時まで学年一位を守り続けることです。よろしくお願いします」


 噛み砕くと、中学からエスカレーター式で進学してきたが、ずっと学年一位であり。

 やろうと思えば、県大会クラスの生半可な部活動内では圧倒的に蹂躙できる肉体スペックの持ち主であった。

 多少のウィットを効かせたつもりか、ご飯の時間は邪魔しないでねなどとほざいていたが、通しで解釈すると部活には参加せず食事の時間などにも、クラスメイトと慣れあう気はないから話しかけるなと聞こえた。

 いや、事実そうなのだろう。

 何の興味もないように、無関心でクラスメイトの全員を眺めていた。

 生まれつき恵まれた環境に生まれ、恵まれた環境で育ち、エリートとして立身出世を経て終わる人間のように見えた。

 私はなんだかそれが気に食わなくて。


「痛い自己紹介だなあ。気色悪いですよ、貴方」


 そうはっきりと、その場で煽ってやったのを覚えている。

 ああ、確かに覚えているのだ。

 彼は無関心を装うのではなく、激怒するのでもなくて。

 ただひたすらに、私に罵られたことに反論せずに傷ついたとでも言いたげな顔をしていた。

 なんだコイツ。

 そのような事が、桐原銭子と藤堂破蜂の出会いだった。

 その時は大した関心もなく、クラスメイトの紹介では離島たる沼島出身のべーちゃんの自己紹介などの方が、余程に皆からの注目を浴びていた。

 誰も陰気のゴリラみたいな筋肉ムキムキマッチョマンにはそれほどの興味など持たなかった。

 誰だってドスケベチートおっぱいを持つべーちゃんの方に興味があったのだ。

 私もべーちゃんをからかってはすぐ仲良くなり、親友となった。

 雲丹亀以外では、初めて心の底から認められる友人の誕生だった。

 その時は、それを素直に喜ぶぐらいの話で終わったんだ。


「私の話が聞こえてる、うにちゃん。本当に最初はその程度だったんだよ。最初から狙ってなんていなかったんだよ」


 屋上ドアに頭をこすりつけて、そのドアの向こう側で背もたれをしている。

 ドアが開くのを必死に防いでいるだろう、うにちゃんに呼びかける。

 聞こえているだろうと願いたい。

 私は本心を吐露している。

 高校一年生で何があり、どんな経緯で藤堂君を好きになって、どうしてうにちゃんを裏切ったかを告白しようとしているのだ。


「始まりは、1学期の中間テストだったんだよ。別に、私にとっては大したことではないんだよ。だって、私は賢くて。学年一位なんて取って当たり前でしょう?」


 神戸どころか、周辺他県から、それこそべーちゃんみたく離島の沼島からさえ秀才英才天才がやってくる進学校とはいえ。

 この桐原と他の人間とは素養が違うのだ。

 ようやく、公立の小中とは違って私の会話についてくる知能指数の人間ばかりとなった。

 その程度の感覚でしかない。

 それでも私は高校で一番だと疑わなかった。

 たった一つ違うのは、私と同じように自分が一番だと思い込んでいる陰気なゴリラがいたことだ。

 通常の高校などで、まるで漫画やアニメのようにテストの順位が公開されるなど令和では少ないのだろうが。

 私たちの通う進学校では、競争心を煽るために掲示板に張り出されて公表されていた。

 桐原銭子が学年一位で。

 藤堂破蜂が学年二位だった。

 ざまあみろ、という思いがなかったとはいえない。

 あのように恵まれた環境にいそうなエリートの鼻を明かすのは、私にとって少し楽しい行為に思えた。

 だが、藤堂君の反応は少し違ったんだよ。


「……」


 うにちゃんが見たことあるかどうかは知らないけれど、藤堂君は本当に困ったような顔をしていたんだよ。

 負けたことに対する憤慨でもないし、高校でも一番を取るという宣言を覆されたことへの羞恥を感じていたわけでもない。

 本当に、どこか、迷い子のように困ったような顔をしていたんだ。

 どうしよう、どうしようって泣きだしそうな顔をして、掲示板の前で突っ立ってたんだ。

 私はそれに最初戸惑ったけれど、次にこう思ったよ。

 気持ち悪いって。

 ああ、ああいうエリートなんてやっぱり挫折しやすくて、応用力にかけるんだなって。

 鼻で笑ったよ。

 そうだ、そうだよ。

 あの時の私は、まだ藤堂君の事を好きどころか嫌悪の対象だったんだよ。

 あれから――そうだな。

 次は、一学期の期末テストだったよ。

 結果は知っているでしょう?

 また私が一番で、藤堂君が二位だった。

 掲示板の目の前で、藤堂君はまた呆然と立っていたよ。

 今思えば、努力したんだとは思う。

 決して挫折して投げ出さずに、また立ち直って努力したからこそ、この進学校で二位なんだよ。

 

「桐原さん、少し尋ねたいことがあるんだ」

 

 そんな藤堂君に、クラスメイトという以外は何の接点もない彼に声を掛けられたのは次の日の事だった。

 藤堂君は聞いたよ。

 どんな勉強の仕方をしているのか。

 ノートはどういう風に取っているんだ。

 親から何か特別な教育を受けたのか、塾とか、家庭教師とか。

 男女の匂いなど欠片もない、ただひたすらに勉学に関することの質問だったよ。

 私は素直に答えたよ。

 勉強していない。

 ノートなんか取ってもいない。

 親は私の勉強に良く付き合ってくれたが、塾だの家庭教師だのに頼ったことはないと。

 

「そうか」


 藤堂君は全く納得した様子は見せずに、酷く消沈した様子で去っていこうとした。

 多分、あれは何か理由を探していたんだと思う。

 ああ、こういう理由なら俺は負けても仕方がない、そういった言い訳を探していたんだと思う。

 何か特別な努力や代償を桐原が支払ったというならば、藤堂君が負けても仕方ないじゃないかと。

 そんな特別な答えが聞きたかったのだと思う。

 答えもなければ、秘密もない。

 ただ、生まれつき桐原銭子の才能が藤堂破蜂を超えているだけの話である。

 そうだ、あの時私は酷く失礼な事を最後に吐いてしまった。


「藤堂君は私より下なんだよ。いいかげん認めなよ」

 

 そう――単なる事実を。

 悪いとは思っているんだよ。

 今となっては本当に悪いことを言ったとは思っているよ。

 だって、藤堂君がその時どんな気持ちで、私にあんな事を聞いてきたかなんて知らないじゃないか。

 相手の事情なんて慮る精神性を、その時の私は有していなかったんだよ。

 まあ、これで陰気なゴリラが今後話しかけてくることはあるまいと。

 その時もその程度の話で終わったんだ。


「……二学期の中間テストの成績を覚えてる?」


 私は尋ねた。

 屋上ドアの向こう側にいる、うにちゃんに回答を求めた。

 彼女はやはり屋上ドアの向こうで背をもたれており、やがて返事は為される。


「またきーちゃんが一位で、藤堂さんは二位だった」

「そうだよ」


 相も変わらず、藤堂君は頑張っていた。

 彼がクラスメイトと仲良くせず、団体行動にも積極的ではないとはいえ、それでも二学期になったのだ。

 多少は藤堂君という存在への理解が進んだ。

 団体行動時に時折繰り出される、藤堂君のクズ言動にはビックリしたよ。

 世間から非難を受けそうな、女性への差別偏見を含めたクズ言動を挙げるとするとだけれど。

 『癒やし系の女って他に何のとりえもない女性に対する蔑称だよな』

 『無職で専業主婦希望の女って、令和の世では私は乞食ですって自己紹介と同じだよな』

 『俺は金持ちだから将来働く気など全くない。資産運用で食べていく』

 『マヨネーズを食べることを俺に強制するなら、お前を訴訟する。藤堂家の資産管理会社には顧問弁護士がいるんだ』

 『ミニスカを履いている女は全て貞操観念のない淫売ども』

 『どんなに悪いことをしたらべーちゃんはそんなにおっぱいが大きくなるんだい? それとも前世で逆に死ぬほどの徳を積んだの?』


 酷いものだ。

 思い起こせば、もう本当に一年生の頃の藤堂破蜂と言えばクズの代名詞だったよ。

 なんなんだ、あのモンスター。


「きーちゃん、最後のセリフだけ藤堂さんは別に言ってない。藤堂君、男女問わず全方位への侮辱や蔑みはしてたけどセクハラは多分したことない」

「うん、最後のだけは私のセリフだった」

 

 口にして、べーちゃんに思いきり殴られた記憶がある。

 まあ、当時の藤堂君はそんな奴だよ。

 だから、私は色々と罵ってやったよ。

 貴方、そんな事を普通の人は言わねえんですよ。

 偏見と差別と侮辱に満ちた言動ばかりして、誰もかもを見下して嘲笑っている。

 頭がおかしいんじゃないですか。

 そうツッコミを入れてやって、まあ、その、なんだ。


「そこで好きになったと?」


 うにちゃんの問い。

 私は全く以て否定する。


「そんなわけないでしょうが。一年生の時のクズそのものの藤堂君を好きな奴なんて、此の世にいませんよ。多分藤堂君にとってさえも黒歴史で、十年後ぐらいには自分の事をボロクソに貶してますよ。首を絞め殺してやりたいぐらいには言うんじゃないですか」


 それは容易に想像できる。

 藤堂君は酷く善良であるがゆえに、おそらくそうなるであろう。

 善良。

 そう、藤堂破蜂は間違いなく善良だ。

 藤堂君の言動はクズそのものだが、どう取り繕ってもクズだが、その、なんだ。

 同時に奇妙な善良さも持ち合わせているというのが、当時抱いた私の感触だった。

 指摘して何が問題かを丁寧に説明してやれば即座に理解を示し、公に謝罪して一定の範囲では是正するのだ。

 世の中は謝ったところで、訂正したところで取り返しのつかない発言というのは沢山存在するが、少なくとも藤堂君のそれは該当しない。

 まだまだ若いのだ。

 ちゃんと育てれば、かなりの男振りになるんじゃなかろうか。

 純粋なスペックだけを考えれば、元々が無茶苦茶にハイレベルな男なのだ。

 肉体に優れ、頭は宜しくて、顔も良く、金も持っている。

 あとは人格面だけだった。

 このイビツなアンバランスを、当時の私は理解しつつあった。

 だが、まだ好きではなかったよ。

 転機は。

 そうだな、こんな話は飛ばしてしまうとしよう。

 私が藤堂君に惚れた瞬間を言ってしまうよ。

 二学期の期末テストだった。

 相も変わらず私が一位で、藤堂君は相変わらず二位で。

 ついに、藤堂君はシャフトがへし折れたんだよ。

 彼という人間を回転させるための軸がぐにゃりとへし折れた。

 私への敗北を認めたんだ。

 私が好きになったのは。


「どうして俺はお前に勝てないんだよ」


 本心の全てを私に向けて、憎悪を籠めて吐露した藤堂君を初めて見た時なんだ。

 

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