第25話 卑怯と桐原1
幼少の頃から、ずっと成り上がりを考えていた。
私を産んで育ててくれた母の事は尊敬もしていたし、感謝もしたが、母の教えに対しては不満の嵐だった。
人様に迷惑をかけないようにしなさい。
困っている人がいたら助けてあげるようにしなさい。
社会は貴女一人の為にあるのではなく、貴女も参加者の一人として社会は構成されているのだからと。
私たちも社会に助けられて生きているのだからと。
そのように世にも美しい母は『ほざく』のだ。
何を理由に『御綺麗ごと』をほざいてるんだボケが!
そんな寝言をほざいていて、私の夢や希望が叶うなど有り得んだろうが!
この桐原銭子は五百円玉硬貨でできた湯舟の中に浸かりたいと思っている。
福沢諭吉の一万円札でベッドを作って、焼き肉で満腹になった体を横たえるなどは母の希望通りに生きた場合は出来ないだろう。
母は怠惰に生きることは望まず、社会に甘えることも自分に甘えることも許さずに。
ただ凛々しく正しい社会人であれと私に望んでいた。
「人生は勝たなきゃ嘘だろうが!」
ずっと母にそう言いたくて仕方なかった。
私はお腹をくうくうと鳴らしていた。
物理的な空腹でもあり、精神的な飢えでもあった。
コンビニで売っている飴も欲しければ、ブクブク育ててぶち殺した家畜の肉も十二分に口にしたかった。
好きな時に好きな物を食べ、飽いた時間には娯楽などが欲しかった。
ゴロゴロと怠惰に布団の上で寝転がり、食い過ぎた故のゲップなども吐きたかった。
そのような欲望を羅列する。
美しい母はそれを許さなかったのだ。
その美貌を利用すればいくらでも金を稼げるだろう(それを口にしたところ思いきり頬を張られた。若くして死んだ私の父親に対して以外に、その美貌を少しでも活用するのは想像するだけでも吐き気を催す行為であったらしい)母親は、私の怠惰も欲望も許そうとしない。
幼いころから、母親は塾通いや優れた家庭教師などを私に与えられない代わりに、酷く熱心な教育を強いた。
母自らが仕事で疲れた体を引きずって、在り難くも小学生だの中学生だのの教科書を紐解いて。
丹念に質問や疑問はない? 今の時代はなんでも回答を調べられるから気にしなくていいの。なんでも知識を与えてあげられるわ、などとほざく。
ご丁寧に図書館やインターネットなどを駆使して、努力を尽くして答えてくれるのだ。
性質が悪いと思わんかね。
そうまでされては、私もあれこれ言えなかった。
嫌と言うほどに、私の母は人生の余裕たりえる時間を私に投じていたからだ。
私は賢いゆえに、自分の癇癪を母にあてつけるなど出来はしなかったのだ。
ゆえに自分の不満や、どうにもならない思春期じみた衝動をどこにもぶつけられないでいた。
だから。
だからこそ、成り上がりが望みだった。
自分の幼い情熱を、立身出世に求めた。
「金持ちになってやる! 焼き肉を食いてぇ! 芦屋の一戸建てが欲しい!」
当時まだ小学生の桐原銭子という名の少女がそう決意したのは必然でもあった。
ロリコンが好みそうな幼い体、平坦な胸を抱えて、小さな手を握りしめながら子供心に誓った。
もう、嫌というほどの富と名声を得て、成り上がりたかった。
判りやすく言えば、成金になりたかったのである。
これは私だけではない。
小学一年生の頃には、ちょうど隣の席になった雲丹亀という名の阿呆がいた。
私ね! お金持ちの男に嫁ぐんだ!
あのね、白亜の城(ノイシュヴァンシュタイン)みたいなお城――は無理だからタワマンの最上階に住んでるレベルの大金持ちの男の人でね。
犬はゴールデンレトリバーにラブラドール・レトリバーの二匹を飼っているの。
子供は三人ぐらい作りたいの!
私は専業主婦で、家事の全てはメイドさんがやってくれて私は優雅にお茶を飲んでいるの。
好きになった男の人がなんでもそろえてくれるの。
私のお母さんがそういう風に生きていきなさいって言っていたの。
そのように社会を舐め腐った、首を絞めて殺された上に犯された挙げ句、そこらへんのドブ川に捨てられていても何も文句は言えない台詞をほざくのが雲丹亀だった。
おめえ、男女平等が叫ばれる世の中で、世界でたった一人だけ舐めたこと言ってんじゃねえよアホと。
何度も、何十回も、私はハッキリとそう彼女に告げたことを覚えている。
男が女を食わせてくれる社会何ぞ、日本では平成初期にとっくに終わったのであると教えてやった。
雲丹亀は認めようとしなかった。
彼女は愚かだった。
だが、しかし、だ。
私は雲丹亀のその欲望が好ましかった。
その率直な欲望は実に素晴らしい!
個人の能力を左右するエンジンは人それぞれだが、欲望は誰にとってもガソリンに成り得た。
そうだ、欲深い私と雲丹亀はとても気が合ったのだ。
お互いに馬鹿だった。
いや、二人とも知能レベルだけでいえば高かったのだ。
だが、まあ小学生時代はお互いに馬鹿なところもあるか。
聞くが、アメリカザリガニを食べようとしたことはあるか。
聞くが、駅前の鳩を捕らえて解体して食べようとしたことはあるか。
そう尋ねられれば、多くの人々が「そんなもの変人のやることだろ」と答えるだろう。
私と雲丹亀はやろうとした過去がある。
二人は少しばかり変人なところがあり、そこもまた気が合った。
竹馬の友であり親友だった。
嗚呼、間違いなく親友であったのだろう。
あの日までは、運命の日まではという期限付きだったが。
「ずっと一緒だったんだ」
そうだ、ずっと一緒だったんだ。
この桐原と、雲丹亀はどこでも一緒に生きてきた。
少し賢いことをやる際にも、全く以て馬鹿な事をやる際でも、ずっと一緒だった。
小学生でも中学生でも一緒で、高校になっても一緒だった。
私は母の期待通りに返済不要の奨学金を得て、神戸どころか全国でも有数の進学校に進むことが決まっていた。
雲丹亀も、私に頑張って縋ってきた。
きーちゃんと同じ学校に行きたいと。
『金持ちの男と結婚したい! 金持ちの男探すためにきーちゃんと同じ学校に勉強していく!』
彼女の言い分は以上である。
高校になっても男に食わせてもらうという夢を捨てない、目が醒めないどうしようもないアホと言うことが出来たが、まあ良い男を掴むために良い学歴を積むという考えは悪くなかった。
学歴は明確に上流階級の男を手に入れる武器として役に立つと思える。
雲丹亀は美人だから、その辺りも世間では武器として通用するだろう。
以前はそう口にしたこともある。
この桐原銭子は自分の美貌を利用して、男を捕まえようと思わないけれど。
嗚呼、どうしようもないくらいに母からそう仕込まれてしまったのだ。
悲しいけれど、私の美貌はあの美しい母の、美人であることで得したことなどはないけれどと。
死んだ夫に、惚れた男に褒められた思い出を除いては何もないと。
鬱陶しげに、そう言い募る母に私は似ついてしまった。
「貴女もいつか好きな人が出来ればわかるわ」
そう母は言うが、その時が来るなどと全く私には思えなかった。
理由はただ一つだ。
男などは吐き気がするほどの阿呆しかいないというのが、私が小中の学校生活を通しての感想なのだ。
女だから、美少女だから、そう侮って自分がそれに相応しくないとも理解できずに。
私の美貌に惹きつけられ、あっさりと魅了されて、恋の言葉などを文や言葉にて囀ろうとする。
気持ち悪かった。
本当にウンザリだった。
お前らの存在が、その程度の知能にすぎない愚物が私に相応しい男だと思っているのか?
私の傍にいて、ずっと一緒だった雲丹亀などは余程にマシな生き物である。
一つのフィルターがあるのだ。
粗雑な公立である小中までは知能指数と言う選別が、私や雲丹亀と、それ以外の生物には存在したと感じている。
物事の認知がどうしても人と違うのである。
「おのれらは、どうしてこの程度の事も容易く理解できないのか」
どうしても、そう吐き捨てたくなる時がある。
一つの文学を理解するにあたって、一つの事象を学習するにあたって、一つの物事を解決するにあたって。
私は人より容易く全てを達成することが出来た。
幼少時より成績では一番以外を取ったことなどないし、学校のテストなどでは判定できぬほどに他の愚物などでは格差が付いていた。
なのに、やれクラスメイトで一番サッカーが上手いだの、部活のエース程度の男が私に惚れ込んで口説こうとして、周囲もそれがいいよなど嘯くのだ。
本気でぞっとする。
私のような人間様がおのれらのようなチンパンジーに付きあうわけないだろうが。
身分の釣り合いを考えろクズども。
本音ではそう吐き捨ててやりたかったが、私とて世間体というものがある。
頬肉を引きつらせないように努力しながら、愛の告白を拒んできた。
拒んできたんだ。
ずっと拒んで。
もし男と縁を繋ぐ機会があったとしても、私は選ぶ側だと思って生きてきた。
「嗚呼」
両手で顔を覆う。
かつて告白を断ってきたチンパンジーに対する羞恥ではない。
彼らも本気であったのかもしれないと思えば、少しくらいは悪いことをしたと思う感情もあるが。
それでも本気で悪いことをしたとは思っていない。
私が悪いことをしたと思うのは、二人だけだ。
「謝るよ、うにちゃん。私は悪いことをしたと」
一人目はまず、うにちゃんだった。
雲丹亀には本当に顔向けできないことをしていると思うのだ。
うにちゃんには悪いことをしたと理解しているのだ。
学校の屋上ドアの前で、私は顔を覆っている。
彼女が逃げ込んだ屋上ドアの前で、ずっと蹲りたいと思っている。
本当に浅ましくて、恥ずかしいことをしているのだ。
私は確かに選ぶ側だったかもしれないし、実際に選んだ。
だが、それとてやり方というものがあるだろうに。
「うにちゃんが好きになった男を、横合いから掻っ攫った。それも酷く卑劣な真似をして」
それが事実である。
この桐原銭子は本当に恥ずかしいことをしているのだ。
口ではやれ女子高生の卑怯は可愛いだの無茶苦茶を言えても、じゃあその口で自分自身を騙せるかと言えば不可能である。
酷いことをしているのだ。
本当に酷いことをしているのだ。
「自分が惚れた男すらも騙しているんだから」
うにちゃんにも、藤堂君にも、本当に二人には申し訳ないことをしている。
だが、どうにもならなかった。
本当に卑劣にも――藤堂君が悪いとさえ思っていた。
桐原銭子を惚れさせた、藤堂破蜂という人間が悪いと。
どうしても考えてしまうのだ。
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