第12話 猫と桐原4



「ウォオオオオオオ!!」


 桐原が全く女の子らしくない、汚いダミ声で叫んでいる。

 ゲッツ卿に背後から押し倒され、背中を押さえつけられているのだ。

 これはもう駄目である。

 駄目な感じである。

 何が駄目かを具体的に言うと、桐原の方がこのゲッツ卿より体が小さいのだ。

 彼女は背も胸も貧弱な美少女である。

 成人男性ならばともかく、女の子がマウントポジションを奪われては――もはや勝ち目もあるまい。


「イエネコ如きが、人間様に勝とうと思うてか!!」


 押しつぶされながらも、桐原が強気で叫ぶが。

 桐原おめえ、多分これイエネコじゃねえよ。

 よく考えたら体長1メートル50センチ超えのイエネコなんかいねえよ。

 足なんかサファリパークのチーターなんかよりもぶっといし、もうピューマか何かにしか見えなくなってきているのだ。

 ヘヴィー級ボクサー並みに体がデカい俺でさえも、勝てない気がしている。


「アララララーイ!」


 桐原は叫び始めた。

 もちろん汚いダミ声である。


「アララララーイ!」


 アラララライという叫びは、古代ギリシャ・ローマで「軍神アレスのご加護在らん事を」という意味である。

 全く以てそうは見えないが、知能指数の高い桐原はもちろん意味を理解して叫んでいる。

 軍神アレスからの加護を身に纏いて、ゲッツ卿に反撃しようというのだ。

 ぐっ、と一瞬の溜めが発生したかのようにして、桐原が飛び起きようとするが。


「藤堂君、駄目っぽいです!」


 駄目だった。

 桐原が薄汚く地面をじたばたするだけで、背中のゲッツ卿はびくともしなかった。

 あれ、ひょっとしていけるのかなと期待した俺の思いを返してほしい。

 薄汚い行為に加護をせがまれた軍神アレスにも謝罪してほしいのだ。

 さて。


「うん……」


 俺は少しだけ躊躇い、頷いて。

 何かしようとして、やめた。

 どうせえというのだ。


「いや、桐原。俺にどうして欲しいんだよ」

「見ればわかるでしょう? 助けてくださいよ!?」


 そんなこと言われても、その、なんだ。

 俺はそれほど有能ではないが、愚かではないから判っている事実がある。


「悪いのはお前じゃないか」


 金の為に顔見知りのゲッツ卿を売り飛ばそうとしたのはお前であるのだし。

 まあ殺されても仕方ないとまでは言わんが、ちょっと怪我するくらいは自業自得ではないか。

 口にはせずとも、わかるだろうにという視線をやる。


「誰にも飼われていない野良猫を、可愛がってくれるペット愛好家に譲り渡すことの何処が悪いんですか? 謝礼金ぐらいもらってもいいでしょうに」


 桐原は頭が回るので、容易く方便を使うことができた。

 最初からそのように取り繕えば良いものを。

 桐原には何故か変な偽悪的に振る舞う嗜好があった。

 さて、とはいえ、ペット愛好家が可愛がってくれるなどと保証してくれたものかね。


「うなおーん」


 ゲッツ卿が鳴いておる。

 俺は大型肉食獣の外見をしたゲッツ卿を警戒しながら、仕方なく傍のシャッターに放置されている桐原の学生鞄を開く。

 中にはゲッツ卿の体格、風貌などの情報と、その写真が貼られたチラシが入っている。


「藤堂君、私のスカートの中身は覗かないくせに、私の鞄の中身は気になるんですか? この特殊変態め! 私と付き合ってくれるなら、覗いても許してあげるんですよ?」


 桐原の鬱陶しい戯言を無視しながら。

 俺はポケットからスマホを取り出し、電話をかける。

 通話先はチラシの電話番号である。


「はい、はい。チラシを見て電話をかけたんですが、はい、その。もしこの猫さんを捕獲した場合、どうされるかお聞きしたく……はい、はい」


 通話を始めて、桐原にも聞こえるように通話をスピーカーにする。

 まあ、なんだ。

 確かに桐原の言う通り、大切に飼うだのなんだのと表向きには発言しているのだが。

 どうにも胡散臭い人物というのがわかるのだ。

 これだけの立派な猫を飼うとなれば、色々な懸念がある。


「なんですか、藤堂君。渋い顔しちゃって」

「桐原、おそらくゲッツ卿にとって話はええ方向に動かんと思うぞ」

「はて?」


 飼育環境は?

 サーバルキャット以上の大きさと身体能力と思われるネコ科の生物を飼うことになるんです。

 それ相応の環境は用意されてるんでしょうね。

 ちなみに、サーバルキャットを愛玩目的でペットにすることは日本で現在禁止されていますよ。

 人に危害を加える可能性が高いという理由で。

 ああ、歯を全部抜くから大丈夫だろうと。

 はあ、そうですか。

 ちゃんと管理小屋に閉じ込めておくから、大丈夫だと。

 はあ、そうなんですね。

 それが貴方の動物の飼い方でありますか。

 いやあ、この学生の身分では非常にためになりますと。

 猫は飼いたいが、その責任などは取りたくないと。

 俺はだんだん刺々しくなる自分の口調を意識しながらに、眉を顰めた。

 会話を続けるにあたって、だんだんと桐原の顔が物凄い渋いことになっている。

 桐原は苦渋を味わった顔をしても美少女だった。

 どうしても人の目を離さぬ艶めいた瞳と、唇をしているのだ。

 だが、それすらも一挙に取り払われた。


「通話を消せ! 非常に不愉快だ!!」


 桐原は激怒した。

 誰が見ても可愛らしい顔つきに、本気の怒りを見せている。

 ゲッツ卿を売り飛ばそうとした桐原が、そんな物凄い嫌悪を示す権利はないと思うのだが。


「……金持ちって、もっと藤堂君やそのパパンみたいに鷹揚なものだと思っていたのに。ペットにとって満足のいく飼育環境も整えられないんですか。私のように貧乏人はペットを飼っちゃいけない時代なんですよ。品性が貧乏な人間は財布に金がないのと何一つ変わりません」


 確かに、世間では飼育環境も整えられないならペットを飼うべきではないというのが主論であるが。

 それはそれとして、俺の父親はハッキリ言って下品だぞ。

 俗物以外の何物でもない。

 今通話を切った、飼育することになるペットの歯を抜くだと小屋に閉じ込めるだのほざく、電話先のオッサンより遥かにマシな人物だろうが。

 それだけは父を心置きなく弁護してやれた。


「うなおん」


 ゲッツ卿が、また鳴いた。

 桐原を暴力で押し潰している。

 なんだか彼女なりの罪悪感を抱いているようで、桐原はあまり抵抗しなかった。


「ゲッツ卿、ギブです。どいてください。私はもう貴方を捕まえようとしませんし、私を押し倒して無茶苦茶にする権利は世界で藤堂君だけにあります」


 その権利を受け取った覚えはないし、行使されることも一生ないだろうが。

 ともかくも、ゲッツ卿の捕獲は諦めたようである。

 桐原は金のためならなんでもする貧乏人であるなどと自分を看做しているが、まあ法令上で禁止されている内容において動物に迫害しない程度の品性は持ち合わせている。

 ゲッツ卿の生に塗炭の苦しみを味わわせたいとは思っていないのだ。


「うなおん」


 ゲッツ卿がまた鳴いて、まあ桐原の言葉が通じたのかどうかはわからぬが。

 もはや敵意はないと汲んでくれたようである。

 背中から飛び降りて、背を向けて尻をこちらに向けた。

 ぶおんぶおんと尻尾の音が鳴っている。

 そうして、ゆっくりと去っていった。


「この痛みは、自分の軽率な行為に与えられた罰と思うことにしましょう」


 桐原はぽんぽんとスカートをはたいた。

 膝小僧を完全に隠しきるロングスカートであった。

 神戸の女子高生が穿いているスカート丈は日本で一番長いのだ。

 父に連れられて東京に行った際には、スカート丈が膝より短いことに驚愕して「東京の女子高生は淫売なのですか?」と幼いころに父に聞いたことがあるが。

 「社会人になる前に、そんなに心赴くままに自由な発言をしないようにしなさい。どうしてお前は何度言い聞かせても理解しないんだ」と父に肩を強く握りしめられながら、真剣に言い聞かせられたことがある。

 あれだけは父が正しかった。

 だが、俺は本当に正直な気持ちで、東京の女子高生は淫売が多いのだろうなだと――間違っているのは知っているが、その時だけは真剣に思ったのだ。

 そんな回想をしてしまう。


「藤堂君、私のスカートとソックスの間の露出した部分、いわゆる絶対領域をじっと眺めるのはやめてください。スカートの中なら見せてあげますけど。責任はとってください」

「してねえよ」


 俺はなんであんなにも、神戸の女子高生はロングスカート派なのだろうなと思っただけである。

 ウチの進学校は校則がほぼ自由なので、確かにミニスカートのビッチもクラスメートにいるが。

 彼女は間違いなく淫売であると俺は見込んでいる。


「藤堂君、帰りますよ。ソフトクリームを奢ってください。コーヒーも奢ってください。晩飯に焼き肉も奢ってください。ああ、今の奴の食べる順序は全部逆がいいです」

「要求が多いな」

「腹立たしいのでやけ食いですよ。藤堂君の金で」


 ……わかったこと。

 桐原は金が欲しいこと。

 今回に限っては金など二の次で、割と善意にてゲッツ卿を動物愛好家だろうと勘違いした人物に譲り渡そうとしたこと。

 俺の金をたかっても、罪だとは欠片も思ってはいないこと。

 その三点が理解できた。


「焼き肉は、食べ放題でいいですよ。ヒャア!!」


 桐原は力強く叫んだ。

 俺の金で飯を食うのに、本当に恩着せがましく叫んだ。

 それも別に俺の財布の中身を気にしているのではなく、ただ単に桐原は食べ放題が好きなだけなのだ。

 俺が全額払うことになってはいるが、どうにもならぬ貧乏性で追加注文を躊躇ってしまうことがある。

 そのような懸念をせずに、ただひたすらに腹いっぱいに食べたいだけなのだ。

 まあ、いいか。

 別に二人で1万もかからない、はした金だろうし。

 桐原に聞かれたならば、グルグル目で「ウォォォォ! 死ね! 死ね!」と言いながら殴りかかってきそうなことを口にはせずに。

 俺はため息をついて、近くの焼き肉チェーン店をスマホで検索した。

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