第12話 僕の贖罪

聖華暦833年 7月1日 21:06


御屋敷に帰るまで、僕とエミリさんは終始無言だった。


帰ってすぐに夕食となり、その時にはエミリさんはいつもの調子で仕事をこなしていた。


かえって僕はというと……

相変わらず、気分は沈んだままで。

それでも夕食を食べた後、無性に身体を動かしたくなり、木剣を持って帝国式正統剣術の素振りを各種200本ずつ行った。


素振りをしている間、無心に……はなれず、結局、同じ事をぐるぐるぐるぐる考えていた。


私も貴女の力になりたいんです。……話して、もらえませんか?

エミリさんはそう言った。


彼女には聞いて欲しい、話してしまいたい。

だけど、他人に話す事なんて出来そうに無い。


考えれば考えるほど、振るう木剣の切先は鈍くなり、あぁ、なるほど。

師匠が言うように、こんなではするだけ無駄だと、妙に納得した。


それでも回数だけはこなして、乱れた息を整える。

流れ出る汗は衣服を貼り付かせて気持ちが悪い。


湯浴みをしよう。

そう思い、着替えを持って浴場へと向かった。

脱衣所で服を脱ぎ、浴場へと入る。


御屋敷だけあって浴場もそれなりに広く、立派な浴槽にはお湯が並々と張ってある。


頭からお湯をかぶり、浴槽に足を入れる。

ゆっくりと身体を沈めて肩まで浸かった後、息を止めて潜る。


浴槽の底で水面を眺めて20秒を数える。

不思議とゆっくりと時間が流れているように感じる。

でも実際は20秒でしか無いのだけど。


浴槽から顔を出し、大きく深呼吸をした。

身体を洗おうと、浴槽から出た時だった。


「失礼いたします。」


唐突に浴場の扉が開き、エミリさんが入って来た。


「えっ? エミリさんっ⁈」


急に入って来たものだから驚いて、思わず前を隠してしまった。

もっとも、隠せるものは何も持っていなかったので、手で胸と下を遮っただけなのだけど。

女同士とはいえ、何故か気恥ずかしい。


「リコス様、お背中をお流しします。こちらにどうぞ。」


「あ、ぁいや、その……わかりました……」


エミリさんの屈託の無い笑顔を見たら断るに断れず、言われた通りに彼女に背を向けた。


彼女は手ぬぐいで石鹸を泡だてると、僕の背中にそっと手ぬぐいを当てて優しく摩った。

彼女の指が僕の素肌に直に触れると、その部分が熱を帯びる。


ドキドキと鼓動が速くなり、その事を彼女に気取られないか心配になる。


「リコス様、先程は失礼しました。貴女を困らせたかったのではないのです。ただ……」


そこで言葉を切った彼女は、どんな表情をしているのだろう。

振り返る事も出来ず、声をかける事も出来ず……


「ただ、心配だったんです。」


その言葉に僕の心臓が、ドクンッ、と強く脈打つ。


「エミリさん……判りました。僕の……僕が隠している事を…聞いてください。」


僕の言葉に彼女の手が止まり、僕は彼女に向き直った。

エミリさんは真っ直ぐに僕の目を視ている。

僕は思わず気圧されそうになった、けれど目を逸らさず、精一杯見つめ返す。


「エミリさん、僕は……」


だけど俯く。

真っ直ぐ顔を向けられない。


「僕は、12歳の時に……人を……人を殺しました。」


顔を、上げられない。

今、彼女の顔を見るのが、怖い。


「僕は、その時、殺されそうになって……」


どっと後悔が押し寄せる。


「……理由は、どうであれ、僕は……人を、殺したんです……」


彼女から浴びせられる視線が、恐い。

今すぐ、ここから逃げ出してしまいたい。


何か……なにか言って欲しい……

嫌だ……何も聞きたくない……


ぎゅっ、と抱き締められた。

暖かく、柔らかく、良い香りがする。

なんだかわからない。


「???エミリさん?」


「リコス様は、その事を悔やんでいるんですね。」


「……はい。人殺しは罪です。でも…どうやって贖えば良いか、判らないんです。」


僕を抱き締めるエミリさんは、ぼくの頭に手を置いて、優しく撫でてくれた。


「苦しんでいらしたのですね。でも、そんな事を、いつまでも気にしていてはいけませんよ。何故なら、貴女は『暗黒騎士』を目指しているのですから。」


彼女は『暗黒騎士』という言葉に力を込めた。

僕は彼女の言葉にハッとした。


「『暗黒騎士』になれば、どうしても、人殺しとは無関係にはなれません。なんならご主人様だって、どれだけ人を殺しているか、判ったものじゃありませんよ。」


彼女の言葉はひどく物騒なのに、どこかコミカルでさえあった。


「ですからリコス様……貴女が一人殺したのなら、この先10人の人を助けて護ってください。10人殺したのなら、200人を護ってください。

100人殺したのなら、5000人護ってください。

1000人殺したのなら、帝国全部を護ってください。」


「エミリさん、そんな無茶な……」


明らかに桁がおかしい。


「それが、貴女に与えられた贖罪です。」


その言葉に、僕は顔を上げて、エミリさんの顔を真っ直ぐに視た。

彼女の顔は、優しく微笑んで、僕の視界はぐちゃぐちゃになって、声を押し殺して、泣いた。


ボロボロと涙をこぼし、彼女の胸に顔を埋めて、恥ずかしいくらいにぐちゃぐちゃになって、泣いた。


僕が泣いている数分の間、エミリさんは僕の頭を優しく撫でてくれた。


一通り落ち着いて、エミリさんにしがみ付くようにしていたのに気がついて、慌てて離れて、さらにまだ裸のままだった事に気がついた。


「このままだと冷えてしまいますよ。浴槽へ浸かってください。」


この上に気を遣われて、もうなんとも言えないくらい恥ずかしさでいっぱいだった。

言われるままに浴槽に浸かって、脱力した。


「では、私はこれで失礼しますね。」


「エミリさん。」


浴場を出ようとしたエミリさんに声をかけた。


「ありがとうございます。」


エミリさんはニッコリと微笑んで、浴場を後にした。

僕は、彼女の言葉を守ろうと思う。


人を殺したのなら、その分、人を護ろう。

それが僕に与えられた贖罪であるならば。


もう一度、僕は浴槽に潜った。

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