第9話 暗黒闘気
聖華暦833年 3月10日
僕は走った。
帝都ニブルヘイムの街を、全速力で駆け抜ける。
午前6:17分。
5:22分にお屋敷を出発して、決められた区間を疾走し、ゴールのお屋敷はもう目の前だ。
「ゴール。はい、お疲れ様です。」
門の内側で待っていたエミリさんからタオルを受け取って汗を拭った。
切らした息を整えて、師匠であるオルテア様を見る。
「ふむ、思ったより仕上がっているな。続けろ。」
「はい。」
昨日、オルテア様は任務を終えて帰って来た。
今朝からは僕のトレーニングの出来を見る、という事だった。
いつものトレーニングメニューを黙々とこなす。
その間、オルテア様はずっと僕の所作を見続けていた。
11:16
全てのトレーニングメニューを終え、一息つく。
ここ一週間は早めにトレーニングを終える事が出来、お昼まで時間があるため魔眼を使う練習に当てていた。
僕の『遠視の魔眼』は、ただひたすらに、遠くを視るという事だけの魔眼だ。
本当に視るだけで、それ以外に何か出来るかと言うと、何も出来ない。
魔眼としてはハズレなんじゃないかと、そう思ったりもしたのだけど、以前にオルテア様は、どんな力を持っていても、『使いこなせ無ければ意味など無い』と言っていた。
ならばせめて、遠くを視るだけのこの魔眼も使いこなせるようにならないと、そう思うようになった。
だから、この魔眼でどこまで視えるのか、どう視えるのかを把握する為に、空いた時間で練習している。
そして使い続けて判ったのは、この魔眼は意外と優秀かもしれない、という事。
ニブルヘイムの街を一通り見渡して、エミリさんに見えたものが何か、どれくらいの距離で離れているのかを聞いて確認した。
すると、どうやら最長で20kmは見通す事が出来る事が判った。
その上、途中の障害物を素通しでその向こうも視える。
結構便利だ、と思った。
動く事なく遠くの事を詳細に視る事が出来る。
これだけでも安全に、多くの情報を得る事が出来るのだ。
確かに、使ってみないと判らないものだな。
そして、能力が把握出来たら、後はどう使うか。
そんな事を思案しながら、今も集中して遠視の魔眼のピント調整を行なっている。
「………」
その間も、オルテア様は何か言うでも無く、ただただ僕の所作を見続けていた。
*
「リコス、午後の作法の後、暗黒闘気について教える。」
昼食後、師匠は唐突にそう言った。
「え……? あ、はい、わかりました。」
いきなりだったので、何を言ったのか一瞬判らなかった。
ここに来て二ヶ月近く、基礎体力と宮廷作法と勉強だけの日々だったけれど、ようやく暗黒騎士としての本格的な修業が始まる、そう思った。
少なからず、期待に胸が膨らむ。
「だが、トレーニングは今まで通り続ける事。」
「……はい。」
どうやらやる事が増えただけのようだった。
*
「さて、と……リコス、まずは『同化』とは、どういう事か解るか?」
「以前にオルテア様やアーダルベルト様に概念的な事を教えて頂きました。ですが、手がかりが無い状態で考えた結果、本質的な事は『解らない』という結論に達しました。」
僕はそう答えた。
「今はそれで良い。言葉で聞いただけの事をアレコレと考え、それで解った気になる方が質が悪い。」
僕の言を聞いて、オルテア様は少し考えてから言った。
「以前に説明した通り、『同化』とは自身の生命力と引き換えに反物質を生み出す方法だ。生み出した反物質の量が多いほど、反動が大きくなり、結果として身体が傷つく事もある。」
オルテア様はそこで言葉を一旦区切る。
「で、だ。その反物質を生み出す為に『同化』は行われるわけなのだが、一体『何』と『同化』しているのかは、今もって解っていない。」
「師匠、それはどういう?」
「暗黒剣技の最奥へと到達した者は、自然と『何』と『同化』しているのかを悟る、と言われている。だが残念な事に、暗黒騎士600年の歴史の中で、開祖である『始祖暗黒騎士フレイ』以外ではその最奥に至った者は皆無だという事だ。少なくとも記録に残っている限りでは、な。結局、『始祖暗黒騎士フレイ』しか、その『何』かがなんであるかは知り得なかったのだろう。」
思ってもみない事をオルテア様は言った。
「では、『同化』の本質とはなんなのですか?」
僕は思わずそう聞き返した。
「それは私にも解らん。」
オルテア様はあっさりとそう言った。
それでは、何をどうしろと言うのだろうか。
「だが、魔眼によって反物質は『視える』。反物質が一体なんであるのか、なぜ生み出す事が出来るのか、それは解明されていないが扱う事が出来る。『解らない』が『利用出来る』、それが暗黒剣技や暗黒魔法の実情だ。その事はよく覚えておけ。」
「つまり、得体の知れないものを解らないなりに使う方法、その基礎が暗黒闘気だと、いう事ですか?」
「まぁ、そういう事だ。ゆえに技術理論などが確立されず、師匠から弟子には感覚的に教える事しか出来ない。」
オルテア様の話で、暗黒騎士があまりにも少ない事に合点がいった。
教える側が解らないものを教えるのだから、感覚的に解ったものしか使えないのは当然だ。
つまり、暗黒騎士でさえ実態が把握出来ていない反物質を、おっかなびっくり使っているのが現在の暗黒闘気や暗黒魔法なのだ。
「そんなの、習得出来るんでしょうか。」
とても不安になる。
「それはお前次第だ……と言いたいところだが、こればかりは師匠である私の教え方にも左右されてしまう。よく解らないところは遠慮せずに聞け。」
「はい、判りました。」
「では、まずは反物質がどんなものかを視せよう。私の右手をよく視ていろ。」
そう言って、オルテア様は右手をかざした。
その右手の周り、ジワジワと黒いモヤのようなものが、滲み出る様に湧き出てくる。
そのモヤはオルテア様の右手に纏わり付き、右手を動かしても付いてくる。
アレが反物質……
そういえば、時々見かけた事がある。
風に吹かれた煤か埃だと思っていたのが、実は反物質だったのか。
「判るな?」
「はい。」
「では、これから
そう言うと、オルテア様は右手の反物質を払い、ふぅっ、と息を吐いてから、全身を緊張させた。
次の瞬間、オルテア様の全身から紫がかった黒い炎のような、濃い反物質が溢れ出た。
先程とは全く違う、凄まじい
背筋に冷たいものが流れ、僕は思わず足を一歩引いていた。
「これが……
何故か、ここから逃げ出したい衝動に駆られてしまう程、怖い。そう思った、そう感じた。
無意識にまた半歩、後退る。
「どうした、リコス。まだ半分も力を出してはいないぞ。」
「……!、これでまだ半分以下なんですか?」
「そうだ。そしてお前は、まずこれを習得するのだ。」
息を呑んだ。
暗黒騎士基礎の初歩である『暗黒闘気』で、それも本気を出してもいないのに、あんなにも重圧を感じた。
それを、僕が習得する……。
今更ながら、暗黒騎士が如何に恐ろしい存在なのか、そして僕はその恐ろしい存在を目指すのだと、改めて再認識をした。
オルテア様は暗黒闘気を消し、僕の目を真っ直ぐに見つめてきた。
まるで僕の覚悟を測るように。
「………判りました。ご指導、よろしくお願いします!」
僕は自身の覚悟を表すように、力を込めて返事をした。
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