顕現

 久方ぶりの肉体は随分とよく馴染んでいた。もっとも、久方ぶりというのは頭で理解している事実でしかなく、体感としてはひと眠りの間程度。主観としては、叩き起こされたかと思いきや眼前に妖怪大戦争が繰り広げられていたようなものだ。

 どこかにドッキリの札でも掲げた黒子が控えてやいないかと、周囲を睥睨する。

 奥の芝スペースで見慣れたGT-Rが暴れ回っているのに目を凝らそうと額に手を当てたところで、紲は違和感に苦笑した。


「(成程、そういうカラクリか)」


 随分な綱渡りをしたらしい。振り返り、酷い面をした楪へと手を伸ばす。

 握り返してきた小さな手の表面にマメの感触があったことに驚く。その一瞬が隙となった。


「敵は一人だ、やれ!」


 思わず目を奪われてしまうようなイケメンが、これまた酔いしれてしまいそうになる声で叫ぶ。さすがは俺のツラと声である――ただ一点、オツムの中は残念のようだが。


「紲さん!」

「問題ねえよ」


 スワンプマンのような異形たちが一斉に飛びかかるのを、紲は体を楪の方へ向けたままで一瞥した。

 刹那、一陣の烈風が飛来し、異形たちを八つに裂いた。

 腐敗した肉のような残骸があっけなく地に墜ちる光景に、キズナが目を見開いている。


「何を、した……?」


 お粗末な質問に、紲は噴き出しそうになった。この場合『何をしたか』ではなく『ナニがやったか』が適当である。


「なあ。速すぎて見えなかったってよ」

「動体視力が落ちているのだろうよ。若いのに可哀そうなことじゃ」

「ンなわけあるか。俺の体だぞ」


 宇宙飛行士の試験さえゆうにパスできるはずだと恨みがましい半眼で、隣に立った白狐が変化した銀髪の男を見やる。


「よ、ヨジロウさん……?」


 稲荷の神使・那珂與次郎。かつて秋田から江戸までを疾く駆け抜けた、神速の飛脚。


「久しいな、楪。だが、瞳に涙を浮かべるのはもう少し待っておれ」

「えっ……?」


 目を瞬かせる楪に、紲とヨジロウは、立てた親指を後方へ向けた。

 五色池の霊域と化した山に、常世と現世とを繋ぐ青白い灰灯かりがご来光のように鎮座している。千本鳥居を映す光の鏡を潜って現れ出でるは、『漆山紲』という存在を構築する、一心同体の化生かぞくたち。


「お爺ちゃん、あまりドヤ顔してると、運動会のお父さんみたいになるっすよー」

 ――付喪神の域に在る妖・真多呂童子。


『ひとりなんにん、ころころすればいい?』

 ――七怪談の王たる口伝の幽霊・三頭竜花子。


「旦那様、お下知を」

 ――『九化け』こと鼬の物怪・熾貂女谷地。


 傍らで息を呑む音に頬を緩めてから、紲は表情を引き締め、刮目した。


「ようしテメエら、俺たち家族を敵に回したこと、思い知らせてやれ!」

「「『「御意!!」』」」


 四種四様の気配がにわかに膨れ上がり、各々散らばった。

 コンと一吠えで三尾の白狐へと姿を変えたヨジロウは、一人で大立ち回りを続ける英の下へと飛び、車をゆうに上回るスピードで異形たちを蹴散らしていく。

 突如現れた神の気配にたたらを踏み、やがて背を向けて逃げ出そうとする者もあらわれるが、それは煉獄の境界線が許さない。古来より火事の元凶とされた貂の化身・おヤチがくすりと微笑むだけで、たちまち異形は火だるまとなり、延焼していく。


「おっ、あっちにニコラ姐さんもいるんすね。行ってくるっすー!」


 マタがパチンと指を鳴らせば、呪いの人形たちが流れ星となって山を下った。それを阻止すべく飛びかかろうとした異形らは、我が家の『山形の花子さん』が変身した三つ首の竜に片っ端から喰われていく。


 最早一方的な蹂躙だった。忙しなく周囲を見渡したキズナが、ぎりと歯噛みする。


「何だ、こいつらは……」

「俺の家族だよ。戸籍謄本には載ってねえけどな」

「ふざけやがって。こんなの聞いてねえぞ!」

「……俺の顔で地団太踏むなよ。みっともねえ」


 溜息で一蹴する。聞いていないのはこちらも同じなのだ。自分の置かれた状況はだいたい察しも付くが、何が起こっているかは俄然意味不明である。


「で、アレは何だ?」

「それが……ニコラさんの話では、二人以上の魂が混ざっているのだとか」


 楪の答えに、紲はわずかに首を傾げて唸った。

 確かに、奴から発される気配は淀みがあり、そう視えるのも無理はないか。


「少し違うな。奴の中には無限の存在があるが、同時にんだ」


 紲の提出した見解に、キズナはぴたりと動きを止めた。半狂乱に取り乱していたのがまるで嘘だったかのように、すうと血の気が引いて、冷酷な眼差しへと変貌する。


「図星だな」


 看破された慄きや恐れの色とは異なる態度が気にかかるが、少なくとも、今のヤツの佇まいならば及第点といえよう。


「さて、それじゃあ白状してもらおうか。……ああいや、やっぱいい。俺が当てる」


 紲は手のひらを翳して待ったをかけ、思考を巡らせる。


 この地は飯豊町。かつてツーリングで訪れたことがあるため、景色は知っていた。ならば真っ先に浮かぶのは、石清水八幡宮で元服をしたことにその名が由来し、東北征伐の折にも手ノ子に八幡様を分けて参った八幡太郎こと源義家。

 しかしそうなると、得体の気配がブレていることに説明が付かない。義家の祖父・頼信の兄である源頼光であれば可能性はあるが、頼光と山形の地では関係がなくなる。


「手ノ子、飯豊、置賜……楪、この一件の主戦場はどこだ」

「米沢です」

「ああ、成程。だいぶ見えて来た」


 米沢を視野に入れれば、そこには紅と蒼の二大巨頭が控えている。

 先ず、歴史を紐解く上でその存在証明が揺らいでいる小野小町。だが性別や立ち居振る舞いを考えれば、答えは否。

 残るもう一方は、刀の腕も立つ人物。こちらであれば、気配がブレている理由も、姿かたちが『漆山紲』を模している理由さえも説明が付く。


「テメエの軸は、山吉新八郎だろ?」


 紲は口角を吊り上げた。それに楪が、聞いたことがありますと声を上げる。


「山吉さんって、赤穂浪士と戦った吉良側の剣客なんですよね?」

「よく知ってるな、そいつだ。あの野郎が俺の姿をコピーしているのは、吉良の影武者をしていた小林平八郎のせいだろう」

「んんっ? 小林、ですか? であれば、やっぱり二人が混ざっているんじゃ……?」


 小首を傾げた楪に、キズナが舌打ちをした。


「お前たちがそうしたんだろうがよ」

「えっ……?」


 憎悪の籠った目がこちらを睨め付けてくる。


「いいか。あの忌々しい赤穂浪士が討ち入りをしてきた時、吉良邸の泉水で大立ち回りをしたのは俺なんだよ! 清水一学じゃねえ、山吉新八郎だ! 堀部安兵衛と同門で、華々しい散り様を見せたのも、小林平八郎だ! 断じて一学じゃあねェんだよ!」


 キズナは己の胸を叩きながら、訴えるように叫ぶ。


「あいつに対して恨みがある訳じゃあねえ。俺が憎んでいるのは後世のクソ共だ。ドラマ映えだとかいう理由で、俺たちの生きた軌跡は、若かった一学に束ねられた! 存在を奪われた俺たちは、語るまでもない脇役モブとしていっしょくたにされた!! お前たちはいつだってそうだ。本当の悪なんてどうでもいいんだよ。自分たちが手を叩いて笑えさえすれば、罪なき者たちを平然と踏みにじる!!」

「本当の、悪……?」

「そうだろうがよ!? 赤穂浪士ヤツらを見ろよ。表向きは幕府からの処罰を受け入れたフリをしながら、後になって仇討ちだ? あんなものは忠義じゃあねえ。反逆。謀反。あれを悪しき暴挙と呼ばずして何と呼ぶ!?」


 紲は目を細めた。奴の悲鳴は理解できなくもない。事実、四十七士には切腹という罰が下されている。法に則れば、間違いなく赤穂が悪なのだ。

 問題は民意だ。幕府に不満を持っていた当時の民衆からすれば、赤穂浪士は英雄同然。結果現代では、四十七士は主君・浅野内匠頭も眠る泉岳寺にてまとめて弔われ、一方の吉良上野介は日本一有名な悪役として語り継がれている。話によれば、未だに墓が倒され、唾を吐かれることもあるらしい。


 『御所が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ』。そう謳われた名門も、ただ一つの英雄譚によって容易く崩壊する。


「最近じゃあ『年寄りを寄ってたかっていたぶることが可哀そう』などという意見もあるらしいな。俺たちは野生の熊か!? 人としてすら扱われないのか!? 見当違いも甚だしい!!」

「言いてえことは解らんでもないが、俺からすれば、黄泉返って暴れ回るテメエは、赤穂浪士と変わらないように思うがね」

「お前に俺の何が解かる……俺たちの憾みの、何がッ! 」


 胸を掻き毟るように掴み、憤怒の形相で血の涙を流すキズナに、紲は肩を竦めて返す。


「解からねえ、解りたくもねえ。ぶっちゃけどうでもいい。とりあえずその『まねっこどんどん』をやめろよ、鬱陶しい」

「誉れに思って欲しいな。歴史を糺す者として、漆山紲の名が刻まれるのだから」

「ハッ、正直に言えよ、虎の威を借りねえと存在すら出来ねえって」


 楪を下がらせ、刀を構えて相対する。

 奴から膨れ上がる殺気に、紲は思わず歯を剥いた。ガワは同等、なかみはこちらが凌ぐ――だが、剣の腕を比べれば、勝ちの目がどれ程あるか、まるで見えやしない。


「悪も、悪を称える者も、悪を見ぬ者も、全て罪だ。――罪を斬れ、弥陀の剣」

「駒姫まで混ざってんなら、少しは潔くいてもらいたいもんだ――帰命し奉る」


 刀を両の手で包むように指をかけ、印を結ぶ。


「揺るぎなき不動の守護者よ。破魔伏魔の憤怒を賜したまえ」


 飛びかかったのは同時だった。

 不動明王の炎と弥陀の剣の光は、一合しただけで周囲を眩く照らすほどの火花を散らす。生身ではなく『異なるもの』として現界していなければ、既に体が耐えきれなかったかもしれない。

 冷や汗を噛み砕くように歯を食い縛って、紲は迫り合う刀を強く押し込んだ。

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