未来へ報いる一矢

「あれは……どうしたら良いのでしょうか」


 戸惑う楪のところへ、漆山家の花子さんがやってきて、與次郎の背に乗った。


『あれは、あかいいとと、おもわれますー』

『なんじゃと? ……そうか、そういうことか』

「何か分かったんですか?」

『うむ。「ムコ」の足を見てみぃ』


 與次郎に顎で促された先を見れば、ムコの右前足のくるぶしに、触手と同じ、くすんだ赫色の枷が嵌められているのが分かった。まるで注連縄のようにきつく巻き付けられたそこから壊死した肉が原因で、あの触手たちが生まれているらしい。


『楪、赤い糸の話は知っておるよな? 現代でこそ指から糸が伸びる話が定着し、性質もそのようになっておるが、元々、月下老が司っていたのは糸ではない。足首同士を結んだ赤い縄のようなものが、縁結びの原点じゃ』

「じゃあ、あの足枷は……」

『赤い糸じゃろうな。貴奴が悪霊と化しているのは、ムカサリ絵馬に描いて無理矢理縁を結んだ、楪という花嫁を迎えるため。だが、先ほど聞いておったが、どうやらあの男は赤い糸の信仰をこれっぽっちもしておらんらしい』


 そう言って、與次郎は怖気に身を震わせた。


『赤い糸を手繰りて死を告げるはずの者が、その糸の信仰をしておらぬなら、二律背反でその身が朽ちていくのは当然の帰結じゃろう』

『じゃろー』


 花子さんも肯定している。


「ですが、それが分かっても、どうすれば……」

『またちゃんが、てきにんかとー』


 彼女に言われるがままに、楪は『真多呂童子』の札を払った。


「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん、っすー」


 現れたマタに、花子さんが『かくしかまるうまー』とかいつまんで状況を伝えた。


「うへえ、クソだるいっすね。ま、やってみるっすけど。久々のお勤めっすもんね!」


 拳の骨をぽきぽきと鳴らしながら、マタは歯を見せて笑った。


「そいじゃ、花子。撤収させてくれっす」

『りょー。よんびょうろくさん、はじめるよー』


 ホイッスルの合図で、花子さんズが撤収していく中、マタは與次郎の醸す神風の中で気を練っていた。

 真の姿――角の生えた童子の鬼に還った彼は、不敵に笑って見せる。

 その笑みを挑発と受け取ったムコが、咆哮とともに触手の槍襖を撃ち込んできた。

 しかし、マタもまた動じる風もなく、爛々と見開いた目で触手を睨み返した。


「同胞よ、出でい!」


 彼が号令をかけると、たちまち、空中で触手の勢いが止まった。


『ガ、ァァ……!?』

「これは……?」


 楪が見たものは、無数の触手の先に、無数の呪いの人形が貫かれた、凄惨な光景だった。


「赤い糸だっつー話っすから、とりあえず、相手と結んでおいたっす。あれっすよ、ダッチワイフ? 人形と疑似結婚生活するような人、いるっしょ?」

『きゃー、へんたーい』

「ぶーぶー、いいじゃねっすか。そういう人がいてくれるおかげで、こうして概念をぶち上げることができてるんすからね」


 マタが得意気に笑う。


「けど、大丈夫なんですか? 呪いの人形さんたちにも、魂があるんでしょう。あんなバケモノと結ばれるなんて、あの子たちも望まないんじゃ……」

「その心配をしてくれるだけで、オレたちも冥利に尽きるっす。安心してください、パイセン。人形と結婚する概念をぶち上げただけっすから、今、ムコと繋がっているのは、外側ガワである人形部分なんす。前に、ヤドカリみたいなもんだって言ったっしょ? あの人形たちには悪いっすけど、また別の宿を探すからモーマンタイっすー」


 そう言っておどけるように、マタはムコの方に振り返った。


「さあ、同胞よ。とくと聞けい! カーストドールズ・ナイトフィーバー・参の型『流れ星ごっこ』! 総員戦闘用意。神風特攻隊、かかれっすー!」


 マタが令を布くと、触手に結び付けられていた人形たちがカタカタと共鳴を始め、一斉にムコへと降り注いだ。


『ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?』


 爆発のように地を震わせる音がして、ムコの巨体は土煙に覆われる。固唾を飲んで見守っていた楪は、しばらく待っても音沙汰のないムコの様子に胸を撫で下ろした。


「良かった、やりましたか」

「うわああああっ!? パイセンそれダメ! やってないフラグっす!」

「…………へっ?」


 マタの慌てた表情に、楪は素っ頓狂な声を上げた。

 やがて、落ち着いた土煙の中から現れたのは、じゅくじゅくと音を立てて肉体を再生させているムコの姿だった。


「言わんこっちゃねー! これだからゲームしてねえ連中は困るんすよぉ!」

「ひぃぃぃ、ごめんなさいぃぃぃ!」


 がっくんがっくんと胸倉を掴んで揺らされ、楪は涙目になりながら謝った。もう、今日は涙を見せないと決めていたのに。


『しかし、再生能力はちと厳しいかのう』

「もう燃やすしかないんじゃねっすかー?」

『うぇるだーん』


 子どもたちの提案に與次郎は苦笑しながらも、合点がいったように唸った。


『楪、おヤチをここに』

「えっ、あ、はいっ」


 楪は四枚目の札を取り出し、払った。

 現れたおヤチは、こちらを見て、ふふっ、と微笑んで見せる。


「ご安心召されませ、楪様。後は私どもにお任せを」

「心強いです! けれど、燃やすって言ってもどうするんですか。おヤチさんが使うのって、大入道ロボ? なんですよね」


 首を傾げていると、おヤチはくすくすと笑うばかりだった。


「大入道は、あくまで道具の一つに過ぎません」


 そう言うと、彼女はおもむろに歩みを始めた。


「古より、鼬が現れた家は火事に遭う、と言われます。それこそが、我ら鼬の怪の本質。巷では『狐七化け、狸八化け、貂九化け』と申します。神格ではヨジロウ様ら稲荷に劣れど、侮りあそばされませぬよう」


 妖しく揺れる眼光が、ムコを見射抜いた。


「それでは皆さま、参りましょうか」


 おヤチがそう言うと、楪は與次郎から降ろされた。


「ほいじゃ、パイセンはそこで見ててくれっすー」

『ぶい』


 状況が分からずに困惑している楪に、花子のサムズアップが贈られた。


「何を、するつもりなんですか?」


 訊ねると、與次郎が一言『すまぬな』と沈痛な声音で言った。


「えっ……?」


 茫然とする楪を尻目に、與次郎たちは、今もなお再生を続けている腐肉塊を取り囲んだ。


 北の門に稲荷の神使が。南の門に付喪神の妖が。

 西の門に鼬の物怪が。東の門に口伝の幽霊が。


 見た覚えのある光景に、楪は弾かれるように走る。


――後は私どもにお任せを。

「そんな。だめ……だめっ!」


 しかし、既に結界は貼られてしまったようで、視えない壁に阻まれてしまう。縋るようにへばりつき、何度も何度も壁を叩くが、びくともしてくれない。

 おヤチの優しげな眼差しと目が合った。


「だめ……」

「楪様。貴女は、健やかに」

「だめだよ……」


 彼女が何をしでかそうとしているのか、悟ってしまった。

 禁呪の再現だ。

 おヤチは、ヨジロウたちの力を借りて、疑似的に紲と同じことをやってのけようとしている。


「この身九十九に燃え盛れ、千代は八千代に照り明かせ――」


 彼女が呪文を唱え始めると、結界の中に、炎が立ち込め始めた。

 幻想的なそれに映し出されてゆらゆらと揺れる影は、まるで、おヤチたちが舞を奉納しているようにさえ見える。


「一切方焦熱処より木転処、即ち十六焦熱。現世に入らば総てを掃い、常世に入らば小千世界かいと化し、中千世界たんと化し、大千世界の色さえ燻さん! 毒は毒を以て、邪は地獄の極熱を以て――貂式・火生三昧耶法『三千大千大焦熱地獄!』」


 着物の裾を翻したおヤチは、その影から真なる姿・鼬の物怪となって現れ、吼えた。

 かつて不動明王の力を体得した修験者たちが振るっていたという『火生三昧耶法』。それを常世幽世の住人たちが執り行えば、それは性質が反転し、地獄の呪法となる。


 後には何も残らない熱が、ムコの呪われた躰を溶かしていく。


「だめええええええ――――――――!!」


 楪の絶叫も空しく、結界の中に閉じ込められるようにして逆巻く劫火は、ムコの断末魔と共に、閻魔の化身の竜となって天に立ち昇った。

 やがて、霧が晴れるように、結界が解けていく。

 それは、大切な家族たちとの別れを示していた。


「………………」


 とめどなく溢れる涙を袖で拭い、楪は立ち上がった。まだ戦いは終わっていない。『ムコ』のガワが剥がされただけで、まだ仁間淳平の魂が残っている。


『ァ……熱い……痛い……助けてくれ。助けてくれよぅ』


 仁間淳平が、手を伸ばして近づいてくる。枷のついたままの足を引きずるように、遅々とした足取りで。


 楪は梓弓の札を払い、足踏みをして矢をつがえた。

 獲物は動いているとはいえ、その歩みは遅々たるものだというのに、思うように狙いが定まってくれない。涙に霞む視界では捉え切れず、悲しみに震える肩では支え切れず。


「やらなきゃ、やらなきゃ、やらなきゃ……」


 みんなが繋いでくれた優勢をここで崩す訳にはいかないと、逸る心が募る程、狙いたい一矢のイメージから現実がぶれていく。


「(琴葉さん。どうか、私に力を……っ!)」


 私は勝たなきゃいけない。

 自分をあの世に引きずり込もうとする悪意を断ち切るために。姉と両親を弄んだ悪意を打ち破るために。そして――


「紲さんの助手でいるために!」


 高くは望まない。彼の気が貴女を向いていてもいい。だから、だからっ! せめて彼の傍にいることくらいは、許してください。


 不意に、手を支えてくれる温もりがあった。


 驚いて隣を見る。


 彼女はそっと微笑んで、楪に重なるように弦を引き絞ってくれる。

 嫉妬するほどに憧れた女性が、背中から抱き締めるように、支えてくれる。


 指からするりと吸い込まれるように放たれた霊矢は、五色の加護を纏って飛んでいき、仁間淳平の魂をかき消した。


「あ、あの……ありがとうございます」


 なんとか楪が言葉にすると、彼女は静かに、首を横に振った。

 オナカマ巫女の、見えていないはずである目が、こちらを優しく見つめてくる。


『巻き込んでしまって、本当にごめんなさいね。あのバカを、よろしく』


 そう言って彼女は一度歯を見せて、気恥ずかしそうに唇を噛んでから、またはにかんだ。


 一人、霊場の片隅に生き残った楪は、どっと膝から崩れ落ちた。

 涙はぽろぽろと、草の露となる。

 拭っても拭っても、視界は、霞んだままだった。






 * * * * * *






「とうとう、琴葉が動いたか。自分が動いてしまえば終わると言っていたのは、誰だったかの」


 楪から少し離れたところの廃墟の屋根から、青年の姿のヨジロウがため息をついた。

 それに、おヤチが「あら」とからかうように言う。


「ヨジロウ様は色恋の末に誅されたというのに、乙女心が解っていないのですね。終わると知っても、動かざるを得ないのが、心とというものではございませんか」

「そうか……そうさのう。そうよのう」


 ヨジロウは、自分が神として祀り上げられた日に想いを馳せ、目を細めた。


「あれからもう四百年。義宣公は健勝であるだろうか」

「ノスタルジックなのもいいんすけど、そろそろキツいんで、行かねっすかー?」


 マタの催促に、やれやれと肩を竦めて振り返る。


「そうさの。次に会えるのが、何年後かは判らんが」

「ええ、また逢いましょう」


 おヤチが楚々と身なりを整えて、用意を済ませた。


「ヨジロウ様は心配なさそうっすよね。お爺ちゃんって早起きっすから」

「日曜の朝のマタには負けるがの」

「そりゃあ、プ〇キュアは絶対に見ないとっすから!」


 能天気に振舞うマタの声を最後に、沈黙が訪れる。

 長く生きているとしても、こんな時に、どんな言葉をかければ良いかなど分からなかった。


 しかし、まあ、存外幸せな時間を過ごせただろうか。


「それでは」

「うっす」

『また、あした?』

「はっは、いいのう。また明日か!」


 花子の言葉に、皆が表情を綻ばせた。


「「「『また、明日』」」」


 手を拍ち合って、一人、また一人で背を向け、消えていく。


「きばれよ、紲」


 最後に残ったヨジロウも、目を閉じて――風と共に去った。

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