異なる者たち
玄関の戸を開けると、奥から塩の小皿を持ったおヤチがやってきた。
「お帰りなさいませ、旦那様。御廟様も、いらっしゃいませ」
「こ、こんばんは……」
挙動不審にしながらも、くるくると身体を回して清めの塩をかけられている楪に、紲は思わず噴き出した。
「な、なんですか」
「いや、悪い。錆びたオルゴールの人形みたいで、滑稽でな。くくっ」
「全っ然悪いと思っているような言い方に聞こえないんですけれど!?」
むっと睨んでくる彼女を、流れのままにいなす。これでいい。滑稽だと思ったことは事実だが、騒がしくすることで意識を『
「電話でも話したが、今日からこいつの世話も頼む」
「かしこまりました。お召し物などはいかが致しましょう?」
「今日はもう遅いから、明日、着替えを取りに帰らせる。すまないが、今夜はお前の寝間着を貸してやってくれ」
「ご随意に。お夕飯を温めておりますが、お召し上がりになりますか?」
「頼む」
淑やかに会釈を残し、足音一つ立てずに去っていくおヤチの後ろ姿に、楪はほうっとため息をついていた。
「人ではないと伺ったせいか、何か見惚れてしまうような、引き込まれるものを感じますね」
「そりゃあ、そうやって人間を拐かしてきた物怪だからな」
「と言いますと、狐とか、狸とか……?」
「その辺りは飯を食いながらな。こっちだ」
居間に入ると、ちゃぶ台の前でヨジロウが待っていた。
こちらに気付いた彼は、軽い調子で楪に手を挙げて見せる。
「さっきぶりだな、娘。無事で何より」
「さっき……? どこかでお会いしたこと、ありましたっけ」
楪はきょとんと首を傾げている。
「山でバケモノに襲われた時、俺が乗ってきた白狐がいただろ」
「ああ、あの時の! ということは、この方も人ではないのですね」
「ヨジロウじゃ。まったく、儂のような美男子を憶えておらぬとは、由々しき女子だの。良き男を見極められぬようでは、悪い男に引っかかるぞ」
「引っかからねえからこそ、憶えてないんだろうよ」
「憶えていなかったことは申し訳ありませんが、ヨジロウさんは美男子というより……お爺ちゃんみたいですね。見た目はお若いのに……」
「お主ら、揃いも揃って酷い言い草ではないのかなあ!?」
襟元がはだけるほどに、ヨジロウが飛び上がった。
くわ、と見開かれていた目は無視し、紲は楪を促して座布団に腰を下ろした。
特製の煙草をふかす。清めの塩は振ってもらったが、念を押すに越したことはない。くゆらせた香りをそれとなく楪の髪に纏わせていく。
「紲。それでは変態のようだぞ」
「うるせえ、黙ってろ」
余計な茶々には歯を剥いておく。幸い、楪は何のことか分からずに目を瞬かせていた。
縁側に出て残りの分を純粋に煙草として味わっていると、居間に元気な声が飛び込んできた。
「ちょりーっす! マスターお帰りっすー。女の子同伴でご帰宅とか、豪気っすねえ。うらやまけしからんっすー」
にやにやと笑顔を浮かべた甚平姿の男の子が、食事の載った盆を抱えて、ちゃぶ台の前までやってくる。
「ガキは寝てろ。飯抜くぞ」
「残念っしたー。オレはもう夕飯済んでるんすよねー」
「誰が夕飯っつったよ。明日からの飯を抜くだけだ」
「なん……だと……」
ぐるんと目をひっくり返して白目を剥きながら、それでも配膳の手を休めない人間離れした少年に、楪が手伝おうと腰を上げかけた態勢のままで固まってしまっている。
「お、どしたの姉ちゃん。壁にはまって動けない系エロ漫画の真似っすかー?」
「その辺にしておけ、マタ」
「マタ!?」
紲が少年の名前を呼ぶと、今度は楪が白目を剥いた。
「ほいじゃ改めて、真多呂人形のマタっす。マタちゃんって呼んでー? 気軽にかーまちょ」
「ええと、その……よろしくお願いいたします?」
「硬っ! かった! 姉ちゃん真面目っすか。パイセンって呼んでいいすか。あ、おっぱいはあんま大きくないみたいだから、そっちの意味じゃない、ふつーのパイセンね!」
「あ……あの……漆山さぁん」
涙目で助けを求めてくる楪に、紲は頭を掻いた。
タバコの火を消して食卓へ着くついでに、お転婆なガキの頭に拳骨を落としておく。
「はうあっ!? 痛ったぁ~……配膳してあげたのにぃ。ちょっとした無邪気じゃないっすか!」
「調子に乗りすぎなんだよ。言っておくが、無邪気も邪気なんだからな?」
「へっ、調子に乗って何が悪いんすか。驕れる者は久しからずと言うっすけど、驕れもしない奴なんざ生きてる価値ないっしょ! ――あ痛だぁ!?」
二度目の拳骨で、ようやくマタが大人しくなった。
「改めて紹介する。こいつがマタ。例の寛永雛に憑いていた霊――ああいや、正確には付喪神の域にまで達しているんだが、まあ、座敷童とでも思ってやってくれ」
「はあ。どこかで見た覚えがあると思ったら、お呪いのお人形さんだったんですね」
「居ついてるだけだから、別に呪ってるつもりはないんすけどねー。ほら、ヤドカリを指さして、『貝を呪ってる』なんて言わねーしょ?」
教鞭を執るかのように指を立てて見せるマタに、楪がくすくすと表情を綻ばせた。
「なんだか、漆山さんみたいですね」
「ありゃ、理屈っぽかったっすか? でもまあ、何とかは飼い主に似るって言うっすからねー」
「俺を飼い主だと思っているなら、もう少し従ってほしいもんだ」
「それはそれっすー」
もう一度鉄拳制裁をくれてやろうかと思ったが、居間へおヤチが入ってきたことで気勢を削がれた。
「あらあら、賑やかでございますね」
こうした時にふらっとやってくるだけで場を収めてしまう、空気の読める女だ。
「申し遅れました。鼬のおヤチと申します。昔は河北の八幡様で大入道を用いた拐かしなど、やんちゃをしておりましたが、ご縁があり、今は旦那様に仕えております。何卒、よしなに」
そう言って、彼女は深く座礼をした。
しばらく見惚れていた楪だったが、はたと我に返ると、倣って頭を下げる。
「ヨジロウ、花子は?」
「この時間であれば、寝ておるだろうな」
「そうか。楪、うちにはもう一人いるんだが、紹介するのは明日になりそうだ」
そう言って、楪へと向き直り、居住まいを正す。
「漆山紲だ。紲で構わん。よろしく」
「あ、ひゃい。こちらこそ。不束者ですが!」
何故か慌てた様子の楪に、おヤチが口元に手を当てて優しく笑っている。
なんだか締まらないような気がした。本当に、彼女を雇うべきだっただろうか。今でも、いや、今後もずっと、迷っていくことになるのだろう。
紲は思考を振り払うように食卓へ向かって手を合わせ、箸を取った。
おかずは山菜の醤油漬けだった。一口頬張った楪が、んーふー! と声を上げる。
「ピリ辛で美味しいですね。これ、何なんですか?」
「えごまの葉を漬けたものです。ご飯に合うでしょう?」
「はい、とっても!」
そう言って楪は、噛みしめるように二口目を食べた。おいひい、おいひいと繰り返しながら三口目を含んだ彼女の頬に、つう、と一掬の涙がこぼれていく。
紲は、おヤチたちと目配せをして、食事の間は彼女をそっとしておくことにした。マタなどは珍しく気を利かせたのか、いつの間に席を外していた。
事故があってから一週間。楪は一人で食卓に着いていたのだろう。あるいは、ろくに食べることさえしていなかったのかもしれない。
「そうか、それでこんな貧相な胸に……」
「旦那様。デ・リ・カ・シー」
どうやら心の声が漏れてしまっていたらしい。
しかし当の楪は、こちらの声など聞こえていない様子で、ただ、温かい食事に夢中だった。
食事を終えた食器類をおヤチが下げていってから、紲は切り出した。
「さて、楪。明日から助手をしてもらうことになる訳だが……まず、うちがどんなことをしているかは知っているな?」
「はい。お化けに関する探偵さん、ですよね」
「はっは、愛い喩えよの。霊能探偵も、楪にかかれば形無しじゃな」
ヨジロウの茶化しに、楪は気恥ずかしそうに歯を見せた。別に褒めてはいないのだが。
「けれど、紲さんはどうして、霊能探偵をされているのですか?」
不意に、彼女がそんなことを訪ねてきた。
そういえば、この生業を始めて以来、こうした質問は初めてだった。依頼者たちにとって、自分は事態を解決してさえくれれば良く、そのバックボーンなどには興味がない、あるいはそんなことまで気にかけている余裕がないからだ。
「俺は、『オナカマ』の一族の末裔なんだ」
「オナ……カマ……?」
「今の中山町に存在した口寄せ巫女のことだよ。青森なんかでは『イタコ』と呼ぶが」
「ああ、そちらならば聞いたことがあります。ですが、あれっ? オナカマさんは巫女さんなんですよね。紲さんは男性ですけれど……?」
「ちょいと訳ありでな。実は、俺は一度死んでいるんだよ。死んだ直後に、再び体へ俺の魂を口寄せしてもらい、こうして生きることができていてね」
自分でも驚くほど、するりと口にすることができた。
忌まわしい過去。今でも悪夢として気まぐれに苛んでくる、災厄の記憶。同時に、愛する女から命を救ってもらった、大切な想い出。
あの日のことを思い出すと、複雑な感情が胸の内に渦巻き、酸っぱい唾液が込み上げてくる。
「おかげ様で、条件付きではあるが、男の身でありながら力を行使することができている」
「たしかに、一度死にかけたことで、といった話は聞きますね。事故で生死の境をさまよってから超能力を得た、とか。何故なんでしょう?」
「そっからは少し込み入るな。イザナミとイザナギが黄泉比良坂で壮大な夫婦喧嘩をした神話は知っているだろう。これ以来、イザナミは『黄泉大神』と呼ばれているが、もう一つ『知識大神』とも呼ばれているんだ。つまり、死に近づくことこそアカシックレコードを覗き見ることに繋がるという思想の源流だな」
「おうふ……難しい話ですう」
参ってしまった楪に、「だろうな」と笑いかける。
アカシックレコードとは、時間どころか時空まで、四次元的にすべてを網羅した知慧のことである。これを宗教によっては『悟り』だとか、『一切智智』とも呼んでいる。生者でありながらそこに至ろうとするのが、俗に言う『即身仏』となるための修行だ。我らが山形の地では、出羽三山の信仰もあり、即身仏の数は日本でも類を見ない多さとなっている。
「ええと、紲さんの力の起源は、イザナミノミコトってことでいいんです?」
「そう訊かれれば、どうなんだろうな。里では十八夜観音を『オトヤ様』と呼んで信仰していたが……今や神に物怪に幽霊に妖怪にと大所帯だからなあ」
「やーい、やーい、節操なしーっだあああ!?」
「突然出てきたと思ったら。嫌なら出て行ってもらっても構わねえんだが?」
「この家の子供でいさせてくださいっす……」
三つ目のたんこぶを擦りながら、殊勝に見せた態度でマタが呻いた。
そこへ、おヤチがコーヒーを持って戻ってきた。「カフェインレスです」という有り難い一言を添えて、カップと食後の菓子が配られる。やはり反省などしていなかった、楪の分までふんだくろうとするガキの手は、まさかのおヤチによって引っ叩かれた。ざまあみろ。
紲がコーヒーに口を付け、タバコに火を点けたところで、ヨジロウが口を開いた。
「まあ、紲は斯様な講釈を垂れよったがな。お主に言いたいことは、そういった複雑怪奇なモノを相手にしている生業であるから、気を引き締めろ、ということじゃ」
「何だ、上手いコト纏めてくれたじゃねえか。年寄りの知恵袋だな」
「まだ言うか! そんな失礼な輩には、こうじゃ!」
わっしと飛びかかってきたかと思うと、ヨジロウは紲の手にあったクッキーをかっぱらっていった。生き馬の目を抜くとはこのことだろう。さすがは健脚の稲荷。
「っけんなクソ狐!」
「いー、っだ。偶には供えい、たわけ」
「面白そうなんでオレも混ぜてちょ!」
「お爺ちゃんなのか子供なのか、分かりませんね……」
「お二人は仲が宜しいですから……」
ガンをくれ合っている野郎三人を、女性陣が呆れた顔で眺めていた。
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