ムカサリ~オナカマ探偵漆山紲の怪異録~

雨愁軒経

第一部【死告ノ赫イ糸】

プロローグ

 道の駅で仕事上がりの足湯をひとしきり堪能し、ぼうっと舞鶴山の夜桜を眺めてから、きずなは愛車・バンディットの下へと戻った。タンクバッグにタオルを仕舞っていると、待っていたかのように、ケースの中でスマホが画面を光らせた。


 苦笑しながらメットを被り、インカムで通話を受ける。


『紲くん、今どこかしら?』


 懇意にしている警察官、長南おさなみはなぶさは、こちらを気遣いつつもやや焦ったような色を隠しきれない声で切り出した。

 そんな彼女の様子に、紲は冗談のアイドリングをかけることなく、バイクにキーを挿す。


「天童の道の駅だ」

『良かった、近そうね』

「事件か?」

『まだ判らないわ。今うちで受け持っている事案の親族なのだけれど、さっき、電話している最中に消息不明になってしまったの』


 紲は目を細めた。英は、電話が切れたとは言わなかった。通話中に起きたというのは珍しいが、ふと振り返った時に相手が消えてしまうといったことはままある。


 ……十中八九、取り込まれたな。


 そして、そんな『神隠し』のような事象を取り扱うのが、紲たちの生業だった。


『住所はラインで送ったわ。休んでいるところに、ごめんね』


 彼女の詫びの直後、ピコンと通知が鳴った。それをコピーして、バックで開きっぱなしの地図アプリにコピー。どうやら共同住宅の一室のようだ。部屋番号だけ消してルート検索をかけた。


 道の駅を出て、天童温泉街を抜けるように市内中心部へと向かう。ものの数分で、件のマンションが見えてきた。


「五階っつったか。田舎くんだりにしちゃあ、割と良いとこの人間だな」


 そんな人間の話は入ってきていない。まだこちらへ回される前の仕事だろうか。


 紲は愛車の左サイドに指を滑らせた。カウルを改造して取り付けたケースが開き、二重構造となった中のフレームが持ち上がって、一振りの日本刀が姿を現す。

 鞘を固定するロックを外して取り出し、マンションへと突入した。


 一階ずつ、エレベーターが上がるごとに濃くなっていく気配。一日履き潰した靴で土砂降りに遭った日の靴下を生乾きさせたような、割とありふれたようで、いつまでも慣れることのない、じわじわと背筋をなぞって来るいやな臭いだ。


 目的の階へ到達する。部屋番号を思い出すまでもなく、場所は判った。端の部屋だ。


「一室だけ霊道に取り込まれてんぞ、おい……」


 紲は大きくため息を吐いた。正直、気配の大きさの時点では温泉帰りの物見遊山程度に見ていたが、少し面倒くさい手合いらしい。

 すっかり重くなった肩の荷を振り払うように、刀でドアの前を一薙ぎしてから、六根清浄、と小さく呟きつつ、紲はドアノブに手をかけた。


 開け放ったドアから差し込む星明かりで中を窺う。玄関は綺麗に整頓されている。

 棚にかけられたりしている靴の種類から考えて、家族で住む家。だが、英はとある人物との連絡が消失しただけで援軍を要請してきた。つまりマルガイ様は、最近一人暮らしに人物ということだろう。


 靴も脱がずに押し入り、リビングへ続く扉を開ける。ふと、子守歌が聴こえた。

 異質の淀みは夜の闇の中にあっても視えてしまう。ぐったりとした髪の長い女を腕に抱き、痰の絡まったような下卑た声で囁くように歌う、生者ならざる首無しの人型。声色から察するに、男か。


「楽しそうだな、俺も混ぜろよ」

『――誰だッッッ!』


 こちらに気付いた男が飛び退ろうとするよりも早く間合いを詰めた紲は、奴の首の断面を踏み潰すように――一応女には当たらないよう気を払いつつ――ケンカキックで蹴り飛ばした。


 悲鳴を上げてテーブルを巻き込み倒れていく男を尻目に、床へ投げ出された女を起こしてみたが、声をかけながら軽く揺すっても、目覚める様子はない。

 首筋に指を当てる。脈はあった。するりと流れ落ちた髪によって見えた顔が意外にも幼かったことに驚いた。暗闇に目を凝らせば、着ているものもどこかの制服のようだ。


『……うぅ、返せ』

「悪いがこいつは保護させてもらう。つか、首無えのにどうやって喋ってんだお前」

『ユズリハを、返せェ!!』


 脳内にメガホンでも押し当てたように響く金切声とともに、首無し男が突進してくる。


 それを紲はなんなく刀で切り伏せ、返り討ちにした。両断した男の姿が宙に掻き消え、霊道の臭いが薄くなり、玄関から吹き込んだ風でカーテンが揺れた。

 遠くに聞こえる車の走行音が、現実世界に戻ってきたことを教えてくれる。


「……杞憂だったか?」


 マンションごとでもなく、個人でもなく、一部屋だけを取り込むという精緻な呪い方に思わず身構えたが、肩透かしに終わってくれたようだ。


 紲は刀を鞘に納めて腰のベルトに差し、ぐるっと肩を回すと、少女を抱えて外へと向かう。

 しかし、玄関に行き着いた時だった。

 晩酌のお供は何にしようか、などと瞬いた間に、開けっ放しにしていたドアが勢いよく閉まった。同時に、再び霊道の中へと取り込まれた感覚が体を襲う。


『……カエセ』


 声に振り返ると、リビングの暗闇の奥から、奴の気配が膨れ上がってくるのを感じた。


「うっそだろおい」


 すぐに撤退すべきだろう。だが、玄関のドアは鍵がかかっていないのにもかかわらず、何か強い力によって閉ざされている。


 紲は舌打ちをして、ドアを三回ノックした。


「はーなーこさーん、あっそびましょー」


 すると『はーあーいー』との可愛らしい返事があり、ひとりでにドアノブが回る。扉の向こうから、おかっぱ頭に赤いスカートの幼い女の子が、夜景をバックに迎えてくれた。


「サンキュー、助かったぜ花子」

『おやすい、ごよう。ぶい』


 ドヤ顔でピースサインを出す花子だったが、その表情がすぐ、ハッとしたものに変わる。


『しむら、うしろうしろー』

「ちっ、もう来やがったか!」


 紲は戦闘態勢をとろうとしたが、吹き荒れてきた不可視の圧力によって、部屋の外まで放り出されてしまった。

 ドアを開けたことが災いしたか、あっという間に体はマンションの外にあった。追いかけてくるように霊道の領域が迫る。このまま落ちて死ねば、間違いなく取り込まれる。事件性アリの行方不明者として、近日中に地元新聞の三面に載るだろう。冗談じゃない。


「ったく、連れていけりゃあ何でもありの連中は手荒で困る。花子、足止め任せた!」


 ジャケットの内ポケットから、一枚の霊符を取り出す。紙の神札に、招霊の枝で作った鳥居と、供物である油揚げを乾燥させたものを貼り付けただけの簡易的な儀式札だ。


「――六根清浄。急ぎ律令の如くせよ。現出でませ、『那珂なかつ與次郎よじろう』!」


 腕を振り払うと、札は護摩火に燃えて幽世へと消え、それによって一瞬開いた道なき道から神風が吹きこみ、体を助けてくれた。

 永遠に身を委ねたくなるような柔らかい感触から降り、アスファルトに着地する。


「悪いな。コーヒーブレイク中だったか?」

『何、気にするな。花子が出ていった時から構えておったよ』


 全身をまばゆいしろがね色の毛で包んだ式神の白狐が、軽く喉を鳴らした。直立した時の紲の頭程の高さにまで及ぶ巨躯と、特徴的な三本の尾が、神の眷属であることを知らしめていた。


 かつて飛脚として秋田の久保田藩に仕えていたが、江戸との通り道であった現・山形県東根市の村娘と恋に落ち、それを疎ましく思う者によって手にかけられ、村に災厄を齎したとされる稲荷である。霊感のある者が稲荷を嫌うのは、専らこのような『鎮められた稲荷』のことを指す。

 紲とは、観光スポットである東根の大ケヤキを一目見ようと訪れ、駅からぶらついていた時に彼の神社を発見したのが出会いだった。気のいい式神である。


 少女を與次郎に託し、バイクのところまで離してもらっていると、花子が降りてきた。


『あのくびちょんぱ、じみにつよい』

「そうか、了解。お疲れ」


 ぷくうと頬を膨らませてむくれている彼女の頭を撫でて、家へ帰す。

 マンションを振り仰ぐと、丁度、こちらへ首無し男が飛びかかって来るところだった。


 刀を抜いて構えるが、男が引き連れてきた家具が降り注ぎ、紲は飛び退る。しかし、その隙を突かれて、強い霊障ポルターガイストの力に刀を奪われてしまった。

 向きを変え、主の心臓を一突きするかのように鋭く迫る刀を、辛うじて避ける。アスファルトに突き刺さるほどの速さで発する、愛刀の申し訳なさそうな風鳴が耳に残った。


「おいおい、鬼王丸が打った古月山の霊刀だぞ。ン千万だン千万。丁重に扱えっての」

『大事ないか、紲』


 駆け付けてくれた與次郎に手のひらで返し、刀を引き抜く。そこで、ジャケット左腕の二の腕部分がぱっくりと裂け、血が垂れていることに気が付いた。


「テメエ……」


 お気に入りの刀に、お気に入りのジャケットまでやられたと来た。

 築き上げた瓦礫家具の山に腰かけ、ゲラゲラといやらしく嘲笑う首無し男を睨みつける。


「何笑ってんだよクソ野郎が。その面もいい加減気に障って来たし、そろそろ黙らせるか」


 紲は腕の傷口を中指でなぞり、たっぷりと絡めてから――


「俺の体は特別性でね。『オナカマ』って知ってるか?」


 右の眼に、そっと押し当てた。


「――我がしんは朱雀門。我がしんは高天原。此く宣らば。此く聞食さむ。、江戸秋田を駆けては、奔馬の如く熱く、駿馬の如く疾く。其、六田が奸計に遭いては、狂飆が如く鋭く、颶風が如く烈しく。八幡稲荷が末席、白地螺鈿、現世と常世の狭間にせいなるともがらよ。種種の罪事、遺る罪は在らじと、祓い給い清め給え。六根清浄。力を貸してくれ、『那珂與次郎』!」

『応!』


 傍らに控えていた白狐が祝詞に応えて吼えれば、その巨躯は光となり、大いなる御力となって紲の体に流れ込む。曰く付きの血を以て捧げた瞳は金色に輝き、顔には隈取が浮かんだ。

 首無し男が不可視の圧力をかけてくるが、今の紲の体ならば、押し返してなおあり余る力で走ることができる。


『――――ッ!』

「ようやく顔色を変えたなクソ野郎。これが俺の力、『口寄せ』だ。まぁ、本職オンナと比べりゃちいと弱いが……テメエをぶっコロすには十分だ!」


 紲は駆け出した。神使の飛脚の力を借りた体は、地を蹴る毎に、神風を纏っていく。


『ア……ァ……母さん。母サん!』


 狼狽えた首無し男は、いやいやと頭痛を堪えるように首を振り、遥か遠くへと飛び退った。


「(母さん……だあ?)」


 飲み屋帰りのおっさんたちをすり抜け、車の間を縫いながら、紲は指で印を組む。


「帰命し奉る、揺るぎなき不動の守護者よ。破魔伏魔の憤怒を賜したまえ。ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン!」


 小咒の真言を唱え、抜刀。不動明王の御力を降ろした古刀は、その刀身を、倶利伽羅剣の如き猛炎で包んで夜を照らした。


「今度こそ終わりだ、クソが!」


 苛立ちを剣に乗せて、首無し男を断ち切る。


 今度こそ祓った。目の前で、奴の体が灰と化すところを確認した。

 肩で大きく息をしていた紲は、霊道が閉じたところで、思わず膝を付いた。咳き込むと、口を覆った掌にわずかに血が残る。


『たわけ。神道と仏道の力を同時に行使するからだ』

「本っ当融通利かねえよな。不動明王も、元を辿ればシヴァ神だろうが」

『同一視はされているが――』

「御不動様として信仰されている以上は別物、だろ。何度も聞いたよ」


 体の内側から響く小言を一蹴し、マンションまで戻ってくると、路肩に横たえさせていた少女が、苦悶の表情でもがいているのが見えた。


「おい、大丈夫か!」


 口寄せを解除して傍に駆け寄り、その細い体を抱えると、制服の袖から小火のように赤く光る筋が見えた。


「どういうことだ、こりゃあ」


 刺青のように刻まれた呪縛の紋は、左手の指先から腕に向かって伸びているようだ。紲はハッとして、彼女の胸元のボタンを外す。紋は下着の内側――心臓の位置にまで到達している。

 何があるのか確認すべく下着の縁に指をかけると、その瞬間、呪紋は忽然と掻き消え、まるで初めから何もなかったかのように、少女の呼吸が穏やかなものになった。


「……ったく、ビビらせんなっての」


 大方、首なし男を祓ったことで呪いが解けたというところだろう。

 ならば良し、と一息ついて、紲がどっかと尻をついたところだった。


「ちょっと君、何をやっているんだ!」

「あン?」


 棘々しい声に首だけ振り返ると、二人の警察官がこちらを見下ろしていた。


「……ご苦労さんなこって」


 傍から見れば、大の男が女子学生をひん剥いている構図だったと気が付いた紲は、大人しく両手を挙げて見せる。


「ジャケットの、右の内ポケットを見てくれないか」

「はあ?」


 若い方の警官が上着を少女にかけている間に、残った警官に声をかけたが、彼は訝しげに目を剥いて唸った。


「それに君、その腕の怪我はなんだ。そこの瓦礫の山も何なんだ!」

「説明するから、ポケット見てくれって。この通り、抵抗はしねえからさ」


 頭の上で腕を組み、足も胡坐にしてやると、ようやく警官は、至極面倒くさそうにしながらも、ジャケットの胸ポケットを探ってくれた。

 警官が取り出したのはカードケースだ。もっと直接的に言うのならば、警察手帳から記章を抜いたような代物である。


「これは……おい!」


 手帳を開いた警官は、より強張った声で相方を呼びつけると、声を潜めて「十三課だ」と伝えた。


「というわけで、以降のことは長南警部補に訊いて欲しいんだが……その前に」

「……何だ」

「こいつ、オレん家まで送ってくれませんかねえ?」


 手組みを解いて拝むと、警察官たちは、これまた面倒くさそうにため息をくれた。

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