第14話

「それじゃあ、アンタから伝えて貰えるか?」

 犬上さんはゆっくり落ち着いた口調で言った。誰に何を伝えればいいのか、イマイチピンと来ていない。頭が回っていないことがバレないように、「あの〜」と別の話題を切り出してみる。

「本当に黙っててくれますよね?」

 私的に、絶対に外せないポイントを確かめておく。言質を取ったからと言って実際にどうなるかは分からないけど、本人の口から言葉にしてもらうだけでも、安心感が違う。犬上さんは何かを察したように頷きながら、「ああ。秘密は漏らさない。例え相手が牧であってもな」と答えた。

 とりあえず、犬上さん経由で編集長にバレることはなくなった。こちらからの確認作業が通ったからには、相手の要請も素直に受けよう。私は犬上さんに、「出来るだけやってみます」と返した。

 犬上さんは伝える相手や伝言の詳細を解説することもなく、「それで構わない。よろしく頼む」と椅子に腰掛けたまま深々と頭を下げた。こちらもそれに合わせ、慌てて頭を下げ返す。

 隣に座っていた珠緒さんは、唐突に「二人ともいいなぁ」と呟いた。

「大人の創ちゃんか……」

 彼女は随分感慨深げに、遠くを見つめながら言った。犬上さんは彼女の様子をじっくり観察し、「気になるのか」と尋ねた。彼女は間髪入れず、「もちろん」と即答した。

「幾つになっても、私には大事な弟分ですから」

 珠緒さんは誇らしげな様子で言い、それを聞いていた犬上さんもかすかに微笑みながら、「大したもんだな」と嬉しそうだった。二人の間で、私の知らない世界が繰り広げられている。残念ながら、そこへ介入する材料が私にはない。

 仕込み開始の時間が迫っているらしく、珠緒さんは厨房の方を見た。斜向かいに座っている犬上さんは、一瞬私のことを見た気がする。彼はすぐに珠緒さんへ視線を移し、「そろそろ、お暇するよ」と切り出した。

「六花ちゃんも悪かったね。すっかり、長居した」

 彼は私と珠緒さんに挨拶すると、椅子から腰を上げた。彼が帰るのであれば、私も退散する頃合いだろう。珠緒さんの仕事を邪魔しないよう、犬上さんと共にお店を出た。犬上さんはお店の前で、下へ向かうエレベーターを呼び出していた。私は彼に見られながら、立ち入り禁止の看板を跨いで上の階へ上がった。

 一旦帰らなくても仕事には向かえるが、念の為に忘れ物がないかだけチェックする。部屋の前でカバンを確かめると、問題はなさそうだった。今から降りれば、犬上さんが呼んだエレベーターに飛び乗れるかも。

 私は慌てて登って来たばかりの階段を駆け下り、犬上さんの隣に並んだ。彼の前ですっ転ぶようなヘマをせずに済んでよかった。犬上さんが先に乗り込むと、私を気遣って扉を手で押さえてくれた。

 二人でゴンドラに収まり地上へ降りていると、犬上さんがパネルの方を向いたまま口を開いた。

「アンタも今から仕事か?」

 私は操作パネルに反射する犬上さんの目を見て、頷いた。二人きりの空間で、下手なことは口にできない。私が押し黙っていると、向こうもそれ以上何かを訊いてくることはなかった。

「あまり、気を許しすぎるなよ」

 エレベーターを降り、ビルの外へ一歩出たところで、後ろから犬上さんが急に声を掛けてきた。私は思わずビックリして、後ろを振り返る。彼が何を知っていて、何を想定してそう言ったのかは分からなかったが、私は精一杯の強がりをかき集めて「分かってます」と答えた。これ以上、彼の近くにいると、色々おかしくなりそうだ。

 私は彼に深々と頭を下げると、まだ出社には早いというのに、小走りでオフィスへ向かった。角を曲がり、犬上さんが見えなくなったところで、普段通りのペースに落とした。オフィスへ辿り着く前に、コンビニのイートインでも寄って行こう。このまま、変な調子で仕事をすると、とんでもないヘマをやらかしそうだ。

 私はいつもとは違う道のりで、普段は行かないコンビニへ針路を変えた。


 自分のデスクで編集長の赤が入りまくった原稿を手直ししていると、錠さんが熱いお茶を淹れてくれた。彼女は隣の席で私の仕事を眺めながら、暇そうにしている。

「例の変死体事件って、結局どうなったの?」

 錠さんは、独り言のように呟いた。私は目をモニターから離さず、手も止めない。できるだけ余計なことを考えず、「身元不明で着地するみたい」と、周知と思われる情報をそのまま伝えた。質問を切り出した張本人の割に、彼女は興味がなさそうに「ふーん」と返事をした。

「じゃあ、被害者遺族の取材とかも厳しそうだね。折角のネタなのに」

 ネタという表現は流石によろしくないとは思うけど、それでご飯を食べている以上、私には何も言えない。仮に、「野久保」だという人だったとしても、そこから先の取材はどうすれば良いのだろう? まずは犬上さんや、犬上さんの周囲の人物に聴き込みになりそうだけど、そうなると編集長も入ってきそうだ。

 編集長と一対一で向き合っての取材とか、今はこちらが揺さぶられそうだから、できれば避けたい。被害者や、真相を知りたい人には申し訳ないけど、「身元不明で着地」以上の記事には、発展させないのがベターな気がする。

「茂上、出来たか?」

 奥の部屋で延々と電話していた編集長は、こちらの部屋へ戻ってくるなり、ビシッと言い放った。電話を終えて戻ってきたはずなのに、ケータイを睨みながら、次の電話を掛けようとしている。

 私は原稿を上から下までスクロールして、修正漏れがないことを確かめ、データを上書き保存した。編集長に「今、終わりました」と伝えると、彼はケータイを耳に押し当てながら、「分かった。後で見る。お前はもう、上がって良いぞ」と言った。

 私は時計を確かめ、「えっ?」と聞き返した。遅番の定時にはまだ二時間ほど早い。電話が繋がらなかったのか、編集長は顔を上げてこちらを見る。

「オレがしばらく、外出するんだよ」

 彼はデスクの横に置いた大きなカバンを拾い上げ、慌ただしそうに卓上の荷物を詰め込んでいく。

「外回りなら、私も同行しますけど」

 私も外出に備えて支度を始めると、彼はマフラーを首に巻きながら、「ダメだ、ダメだ」と言った。

「大事なお客さんの、大事なアポだ。同行なんかさせられん」

 彼は上着を羽織ってカバンを持つと、空いた手で再び電話をかけ始めた。ケータイを耳に押し当て、「錠、後は頼んだ」と言い残して、足早にオフィスを出て行った。

「で、どうする?」

 椅子から立ち上がり、編集長が出て行った方向をボーッと眺めていた私に、錠さんが声を掛けてきた。彼女の声に私はハッと、意識を取り戻した。お尻を椅子に戻しながら、後ろを振り返る。

「どうしよっか?」

 私は聞かれたままを、彼女に返した。どこかへ取材に赴いて直帰するならまだしも、定時までオフィスに二時間もいれば、もう一仕事ぐらいは出来そうな気がする。ただ、編集長不在では、次の持ち玉も特にない。遅番では電話もそんなに掛かって来ないし、錠さんが一人いれば十分賄える。

 ただ、私がオフィスを出てしまえば、早番の人が出社して来るまで、私たちのシマは錠さん一人になる。監視がいなくなった瞬間から、錠さんは自分のデスクでやりたいようにやっている。事務員としての仕事もきっちりこなしているが、手際が良すぎて暇を持て余している。

「私のことは、お気になさらず。それより、今出た方が良いんじゃない?」

 錠さんは定番のトランプゲームを立ち上げ、そちらに集中しながら言った。この時間なら、早番の人と行き違うこともない。過度に避ける必要もなさそうだけど、ここは彼女の言葉に甘えておこう。

 私は途中でやめた外出準備に取り掛かった。自分の端末をシャットダウンして、机の上を片付け、外用の靴に履き替えた。コート掛けから上着をピックアップして、「じゃあ、お先に」と聞いてなさそうな錠さんに挨拶して、オフィスを後にした。

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