第10話

 ここで下手な素振りを見せると、ゼロくんとの関係、秘密の暮らしが編集長まで筒抜けになってしまう。私はできるだけ自然に見えるよう、「別にそんな関係じゃーー」、ないですよと言うつもりだったのに、途中で割り込まれた。

「ーー別に、隠すことじゃないだろう。牧にチクるつもりもないし」

 犬上さんの物言いにカチンと来て、つい、「編集長は今、関係ないでしょ」と口走ってしまった。完全に相手のペースで、追い込まれている。このままでは核心に迫られるのも時間の問題な気がする。

 私は犬上さんの視線を盗んでゼロくんを見やるものの、犬上さんの視線もゼロくんに向けられていた。

「そこの坊主は初めましてかな」

 犬上さんの問いかけに、ゼロくんは微動だにしない。「仕事」を終えた直後の、背筋がゾクゾクするような冷徹な目で、犬上さんを見つめ返している。半ば睨みつけるような視線は、流石によろしくないような……。

「自己紹介がまだだったな。オレは犬上。この街の便利屋だ」

 犬上さんは、「そこのお嬢ちゃんとは、ちょっとした知り合いでね」と言いながら、ゼロくんに「よろしく」と右手を差し出した。友好の証に握り返されることを期待したその手は、ゼロくんの前で宙に浮いたままになっている。

「図体はデカいのに、人見知りなのか?」

 犬上さんは、ゼロくんの顔を見上げる。ゼロくんは相変わらず無言を貫き、犬上さんの握手を拒む。犬上さんも辛抱強く右手を差し出していたのに、流石に冷たくなって来たらしく、しばらくすると手を引っ込めて、年季の入った手編みの手袋をはめた。

 彼はゼロくんを見上げ、「挨拶の一つぐらいしたらどうだ」と手袋をはめた右手を軽く握り、ゼロくんの胸を叩こうとする。ゼロくんは拳が身体に触れる前に、片手で掴んだ。そのまま力を込め始めたらしく、犬上さんの顔が痛そうに歪んだ。

 私はゼロくんの腕を掴み、「ちょっと、何してんの?」と止めに入った。ゼロくんは特殊な身体だから何ともないだろうけど、犬上さんはそうじゃない。私が声をかけると、ゼロくんはようやく犬上さんの手を解放した。

「ウチの子が、ごめんなさい」

 犬上さんに頭を下げながら、口をついて出た「ウチの子」という表現に密かに慌てる。自らヒントを与えてどうするんだと思いながら顔を上げても、犬上さんはそこにあまり興味がないようだ。どうやら、編集長にバラさないというのは本当らしい。

 私はゼロくんを見上げ、「ほら、もう行くよ」と声をかけた。今のは見過ごしてもらったけど、このままでは致命的なボロを出しかねない。二人で犬上さんから離れようとした瞬間、「一つだけ良いかな」と犬上さんは前を塞ぐように回り込んだ。

 素通りしようとするゼロくんに、犬上さんは彼の目をジッと睨んだまま、「野久保を殺ったのは、君か?」と尋ねた。ゼロくんは視線を逸らすことなく、犬上さんの目を正面から睨み返している。

 犬上さんは不意に鼻を鳴らし、「お前が、ノクターナスの小僧か」と呟いた。今まで無言を貫いていたゼロくんは、「へぇ。オジさん、タヌキじゃん。まだいたんだ」とフードの奥にある目を光らせながら言った。

 二人のやり取りに私の処理が追いつかないうちに、ゼロくんは半歩ほど下がって間合いを取った。ゼロくんの全身から放たれる雰囲気や、その目つきも身に覚えがある。どうやら彼は、犬上さんを敵と認識したらしい。夜間ならまだしも、明るい上に人通りも増えて来たこんなところで、本気の戦いなんてありえない。

 私はゼロくんに、「こんな所で止めなよ」と声を掛けているのに、対峙している犬上さんも何故か楽しそうに笑みを浮かべ、彼なりの構えを取っている。

「犬上さんも、止めてください。野久保って、何の話?」

 私は二人の間に割って入り、犬上さんに大人の対応を求めた。急に持ち出された「野久保」って人の話も、私にはよく分からない。私が身体を張って止めに入ると、犬上さんは構えを解いて、両手を上げた。どうやら、降参を意味するようだ。

「オレが悪かった。今日は引き下がるよ」

 犬上さんはその場で踵を返し、彼の事務所へ通じる通りへ歩いていった。私はそれを見送って振り返ったのに、ゼロくんはまだ犬上さんの行く末を目で追いかけながら、戦闘態勢、警戒を続けていた。

「流石にもう良いでしょ」

 私がそういうと、ゼロくんはようやく構えを解き、全身から醸していた殺気を引っ込めた。ゼロくんはまだ、向こうに見える犬上さんの背中を見送っている。

「全く。急に何なんだろうね」

 私は「いきなり因縁付けるなんて、ただの輩じゃない」と犬上さんには聞こえないように陰口を叩きながら、ゼロくんの背中を押した。犬上さんが角でも曲がって見えなくなったのか、ようやくその場から動き始めた。


 ゼロくんを伴って部屋に戻ると、パトカーや救急車が地上を行き交う様子が窓から見えた。犬上さんとやり取りしていた時は気がつかなかったけど、様々なサイレンも聞こえてくる。

 窓を開けて周りを見渡してみても、近くで煙や火の手が上がっている様子はない。火災を報せる鐘の音も聞こえないし、何かの事故か事件でも起こったのだろうか。こういう時はテレビでも付けたいけど、この部屋にはテレビも受信設備もない。私はカバンからケータイを引っ張り出して、リビングの椅子に腰掛けた。

 外から戻ったゼロくんは、瞬く間に自室へ籠り、周りが賑やかなのも一切気にせず、眠りに就いている。どれだけ寝るのが好きなんだろうかと思いを馳せながら、大手のニュースサイトを開いた。

「近所で、変死体発見?」

 新着だからか、詳しく報道しても伝わらないからか、具体的な住所、地名は伏せてあったけど、速報と周囲の状況を鑑みるに、同じ事件な気がする。

 私はブラウザを閉じて、オフィスに電話を掛けた。自室から三面鏡と化粧品が入ったポーチを持って来て、誰かが出るのを待ちながら、最低限のメイクに着手した。ベースメイクはすでに済んでいる。あとは要所要所に手を加えれば十分だ。

 電話には、錠さんが出た。若干眠そうな声で、ゆっくりしゃべる。

「変死体の件、何か知ってる?」

 私が尋ねると、彼女はゆったりしたテンポで私の言葉を繰り返し、「その件ならもう、風祭さんと編集長が動いてます」と言った。いつ睡眠を取っているか分からない編集長ならともかく、日勤の風祭先輩がもう取材に乗り出しているとは。

「現場は分かる?」

「編集長がよく行くバーの近くです」

 編集長がよく行くバーと言えば、犬上さんのオフィスがあるビル。私は錠さんに「ありがとう」と伝え、電話を切った。中途半端だったメイクを仕上げ、朝の散歩用だった髪も手を入れる。

 自室へ戻って仕事用の服へ着替え、カバンに必要なものを詰め込んだ。脱いだばかりのコートを引っ掴んで、部屋を出る。上着に袖を通しながら階段を駆け下り、お店の前でエレベーターに乗って地上へ向かう。

 急いでいない時なら気にならないけど、一度やってみると良く分かる。ゼロくんやお兄さんみたいに、飛び降りても平気な能力があるなら、確かにそうしたくなる。今から私もノクターナスに入れてもらって、改造手術を受けようかしら。

 ただ、手術を受けようにも組織は解体、研究所も閉鎖されて技術者も行方知れず。改造された身体だと、私生活にどんな支障が出るのかも、詳しいことは分かっていない。

 私は余計なことを思い描きながら、自分の記憶と周囲の様子を頼りに現場へ向かった。犬上さんのカレーの匂いに惹かれて吸い込まれたビルの手前から非常線が張られ、そこから奥の大通りへ抜ける路上を塞ぐように、野次馬が集まっていた。

 この様子だと、今日の間借りカレー、犬上さんのお留守番中は売上が厳しいだろうなと思っていると、通り抜けられそうにない人混みの向こうに、風祭先輩と編集長の姿が見えた。私がそちらに手を振ると、彼らは驚きと呆れのハーフアンドハーフな表情を浮かべ、こちらに顔を向けた。

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