終末世界の推し語りをするだけの尖ったエッセイ

汐海有真(白木犀)

第一回 好きなことに理由なんていらない、という有名言説に相反しているかもしれない

 こんにちは、白木犀はくもくせいです。初めましての方向けに自己紹介をしますと、小説を書くのと読むのが大好きな大学生です。どうぞよろしくお願いします〜!


 ……エッセイをね、書きたいんですよ。


 何故かと言いますと、「カクヨムWeb小説短編賞」が現在絶賛開催されているんですよね。二つ部門があるうちの一つ、「令和の私小説」部門はエッセイを募集しているみたいなので、新しく書きたいなあと思った訳です。


 募集テーマは、「他人の知らない〇〇の世界」「己の過剰な偏愛」「人生を変えた衝撃の初体験」「誰にも信じてもらえない不思議な話」「墓場まで持っていくつもりの秘密」の五つですね。この五つのテーマと長時間睨めっこした結果、「己の過剰な偏愛」を採用しようかなあと思いまして。


 私の好きなものは色々あるんですけれど、今回のエッセイで語るのはこちら――「終末世界」です!(どんちゃらどんちゃら〜)


 さて、皆さんは終末世界、好きですか? 私は大好きです。「そもそも終末世界って何だっけ」という方向けに軽く説明を挟みますと、文字通り「何らかの形で終わろうとしている、もしくは終わってしまった世界」のことです。おそらく。


 ……え、趣味が悪い、ですか? いやはや、そんなことおっしゃらないでくださいよ〜! このエッセイで10,000字弱くらい終末世界について推し語りをされたら、読み終える頃には貴方も、「終末世界……嗚呼、何て素晴らしいんだろう……もう終末世界なしでは生きていけないよ……」という気分になっていると思いますよ〜! わくわくしますね!


 ところで、このエッセイは四話構成にしようと思っていまして、それぞれに簡単なトークテーマを設けておこうと思います。ノープランで語ると、はちゃめちゃなエッセイが出来上がってしまいそうなので。


 ということで、今回のトークテーマは「そもそも、どうして終末世界が好きなのか」です。


 実は以前書いた別のエッセイで、これに似た話はしていたりします。なので、若干その内容の焼き直しになってしまいはするんですが、偏愛の理由を説明することは大事な気がするので、語ろうと思います。ここでは、主に三つの理由を取り上げてみますね。ではでは、いきましょう〜!


 *・*・


①終末世界は、非日常的である


 まず前提として、私たちが生きているこの世界は、簡単には終わりません!(ばーん)


 ……え、急に現実的なことを言い出すね、ですか? いや、なんと、私もちゃんとわかっているんですよ。


 そもそも現在、地球には80億くらいの人間が生きているそうです。80億ですよ、80億。すっごい沢山いるんですよ。人間に限定せずに他の生物にまで目を向けるとすれば、もう数え切れないくらい存在しているという訳ですよ。


 世界の終わりを何と定義付けるかにもよりますが、生物の激減(それが既に起こったか、これから起こるかはさておき)は要素としてありがちな気がするので、そう考えると中々世界って終わらないんですよ〜。少なくとも、日常の延長線上にあるというよりは、非日常的な要因が絡み合ってくると思います。


 非日常的な要因としては、色々考えられるものはありますが、「環境の劇的な悪化」「巨大な隕石の衝突」「未知のウイルスの大流行」「強大な力を持つ兵器の使用」「侵略者の襲来」――辺りが挙げられますかね。


 現在コロナ禍なので、三個目に若干近しいものはあるかもしれませんが、それでも「終末世界」と呼ぶほどでは全くないと思います。どちらかと言うと、ゾンビものの創作物のイメージか強いかもしれませんね。


 平穏な日常が好きな反面、こうした非日常的な要素に、心のどこかで惹き付けられてしまうんですよね。ライトノベルとかによくいる「平凡な日々を過ごしており、異世界召喚を夢見ている」みたいな主人公と近しいものがあるかもしれません。



②終末世界は、人々の感情を動かす


 例えば突然、一週間後に世界が滅ぶことになったとします。


 そのとき、「へえ、そうなんだ〜。さて、温かい紅茶でも淹れて、読書しながら一息つくかな。」という感じの行動を取る人って、余りいないと思うんですよ。


 多かれ少なかれ、何かしら感情を揺さぶられると思うのです。例えば、まだ人生でやりたいことが沢山ある人だったら、世界の終わりを嘆き悲しむでしょう。また、死んでしまってもいいと思いながら生きている人だったら、嬉しいと思ってしまうかもしれません。どうしようもない現実に、怒りを覚える人もいる気がします。


 そんな感じで、人によって様々な感情の揺さぶられ方をするのが、いいと思うんですよね……!


 小説を書いている身としては、人間の感情の動きというものが、やっぱり好きなんですよね〜。そういう側面を描写しているときって、楽しかったりしますしね。


 という訳で、強力な揺さぶりを与えてくる終末世界は、いいと思いますよ〜!(親指を立てながら)



③終末世界は、残酷である


 ①で、終末世界はこういう要因によって起こり得る、という例を挙げました。その例を改めて見てみてほしいのですが、この辺りの事象、起こったら割とどうしようもないんですよね。


 個人の力ではどうにもならないことによって、世界が滅びる――何というかこれ、すっごく残酷ではないでしょうか。


 そう、残酷なのです。


 ……それが、いいんですよ〜!


 私の小説を覗いてくださったことがある方は、何となく察しているかもしれませんが、私は割と「残酷」という概念が好きだったりします。というか、言葉から好きかもしれません。ザンコクっていう響き、改めて考えてみるとかっこいいですよね。(そこ?)


 否応なく訪れる死。壊れていく世界。零れる数多の涙――何というか、よきです。本当によいです。これだから終末世界は、やめられませんね。


 *・*・


 という訳で今回は、「そもそも、どうして終末世界が好きなのか」ということについて、語ってみました。偏愛をさらけ出しすぎて、引かれたような気もしなくはないですが、まあよしとしましょう。


 ではでは、第一回はこの辺りで!



【次回予告】


「終末世界は大好きですけれど、実際に生きている世界が滅ぶことになったら、多分号泣ですね……」


 エエッ?! これだけ終末世界を推しておいて、この人現実は終末世界にならないでほしいの?! ブレブレだ〜!


 次回、『第二回 世界が終わる頃に食べるおいしいご飯は、きっと何割増しかでおいしいよね』もよろしくね!

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