リポグラム46

福沢雪

リポグラム46

 最初に長崎が、「な」を指定した。

 県花や県鳥と同じく、ひらがなの「な」を県のシンボルに掲げたのだ。


 しばらくは誰も気に留めなかった。しかし一年後の国勢調査で、ゴシック体の「な」を見て長崎を連想する国民は五パーセントもいた。


 この結果を受け、同じく「な」で始まる長野と奈良は焦った。長崎の行動は独善的で公共の利益に反すると、遅まきながらに遺憾の意を表明した。


 しかし「な」はすでに長崎の字だと、一部の国民が認識している。たとえ生産量の日本一が浜松になったところで、国民に餃子の街を尋ねれば返ってくる答えは宇都宮だ。一度ついてしまったイメージは簡単に覆せない。


 各地方自治体は、「都道府県字」の議論を始めた。


 地方において名物の有無は、観光及びふるさと納税で財政を左右する。日頃から国民が親しんでいるひらがなは、県花や県鳥よりもイメージ戦略として有用だ。費用対効果は小さくない。


 どの自治体も、都道府県字の制定を急いでいた。


 その背景には、まず文字の「かぶり」がある。長崎における「な」のように頭文字をシンボルとする場合、どうしたって早い者勝ちだ。


 さらにひらがなは五十音と言いつつも、実際は四十六文字しかない。指をくわえて見ていれば、四十七都道府県のどこかはあぶれてしまう。


 指定した文字を使わず文を書くリポグラムという手法になぞらえ、各自治体によるひらがなの奪いあいは「リポグラム46」と称された。


 列島各地で議論が活発する中、「な」を長崎に奪われた長野が「の」を、同じく「な」を逸した奈良が「ら」を県字に指定した。


「いやあ、焦りましたよ。『もう「ら」しかあらへん!』って」


 奈良県知事が述べたスピーチは、語呂のよさから後に流行語大賞にノミネートされている。幸いなことに「の」と「ら」で始まる都道府県はないため、二県に対するクレームはなかった。


 こうなると、首都たる東京に注目が集まる。


 ひらがなで書けば「とうきょうと」と「と」が二字も入っているため、誰もが東京は「と」を指定すると思っていた。


 ゆえに栃木、徳島、富山らは早々に「と」をあきらめ、別のひらがなを県字にすべく有識者を招いて勉強会を行っていた。


 同じく「と」を二字含む鳥取県は、未練があるのか態度を保留した。


 一億四千万人が見守る中、ついに都知事が都字を発表する。


 誰もが予想していない、「い」だった。


 考えるまでもなく、「い」は「とうきょうと」に含まれていない。しかしひらがなの中で「い」は、もっとも多く使われている字だ。すべての国民に都政を意識させようという、都知事の思惑が垣間見えた。


 この東京都の発表は、世間にふたつの悪影響を与えた。


 ひとつははしゃいだ鳥取の若者が、車のタイヤ痕で砂丘に巨大な「と」を描いて逮捕されたことだ。しかしドローンが上空から撮影した文字は、どう見てもアルファベットの「y」だった。途中で車がスタックしたらしい。


 もうひとつの悪影響は、大阪が「ふ」を府字に指定したことだ。


 日本語には濁音と半濁音がある。「ぶ」も「ぷ」も大阪をイメージする文字にすることで、東京以上の経済効果を狙っていると考えられた。


 こうした頭文字以外を都道府県字にする戦略は、特に政令指定都市を抱える県に波及した。兵庫県は大阪理論に則り「ひ」を県字に制定し、神奈川県は東京メソッドに基づいて、使用頻度の高い「う」を県字に指定した。


 大阪が「お」を府字に制定しなかったことで、岡山県は歯噛みした。頭文字である「お」はもちろん、「か」や、「や」にもライバルとなる県が多かったため、早々に「ま」を県字に指定していたのだ。


 結果「お」は大分県のもとへ転がりこみ、「漁夫の利」という言葉に関サバのイメージが付着した。


 一方、大阪が「ふ」を府字に指定したことは、福島、福井、福岡の二字かぶり県を動揺させた。


 この三県は、東北、中部、九州と地方が異なることから、「ふく」という二字を三県で共同使用し、相互に旅行者やインバウンドを誘致する方向で話がまとまっていたのだ。


 それが一転して、三県で「く」を争うことになった。血で血を洗うような奪いあいが懸念されたが、最終的に「く」は熊本の県字となった。


 福島、福井、福岡の三県は、その名称に含まれるどの文字もライバルとなる県が多い。「く」で敗れれば、さらなる争いに身を投じることになる。


 そこで福の三県は問題を平和的に解決するべく、福島は「も(桃)」、福井は「か(蟹)」、福岡は「め(明太子)」と、それぞれの名産品を連想させる文字を県字に指定した。


 三県がそれぞれ身を引いたこの「三福判断」は、先に「と」争いで敗れた徳島県に、「す(かぼす)」を指定するきっかけを与えた。


 それを受けて香川は「ん(うどん)」、高知は「を(カツオ)」という扱いにくい二字を県字に指定し、首相談話でも賞賛されている。


 困ったのは愛媛県だ。


 愛媛は「え」で始まる唯一無二の県として、堂々とそのひらがなを県字に指定していた。しかし同じ四国の三県は、みな名物に準じている。


「やはり地方は、みなで足並みをそろえるべきでしょうね」


 ワイドショーでもコメンテーターに煽られ、愛媛は「え」を「み」に変えよという同調圧力をひしひしと感じ、結果的に全国初の指定県字を変更した自治体となった。


 しかしこの変更に、山口県が待ったをかけた。


 先の「三福判断」のような水面下の交渉もなく、「や」を山形に、「ま」を岡山に奪われ、渋々「ち」を県字に指定していた山口は、我こそが「み」に相応しいと名乗りを上げた。みかんの出荷量では静岡、和歌山が上位だが、「みかん県」のイメージとしては山口も根強い。


 二県民が見守る県知事討論の末、「み」は無事に愛媛の県字になった。


 山口の県字は「な」になっている。これは愛媛の県花が「みかんの花」、山口の県花が「夏みかんの花」であることに準じた結果だ。


 もちろん「な」は県字のパイオニアである長崎のものだったが、長崎県知事は名物のちゃんぽんと同じ度量の大きさで、県字を「ち」に変更してほしいという山口の打診を受け入れている。


 この段階で、二十七字が都道府県字に制定されていた。


 新潟の「に」、北海道の「ほ」、和歌山の「わ」など、最初の一字で問題なく決まることは少ない。議論は列島中で盛んに行われ、最終的に四十六字が決まるまでに五年の歳月を要した。


 では四十七都道府県で、唯一文字を指定しなかった自治体はどこか。


 三十八字が決まった段階で、富山はまだ県字の指定ができていなかった。


 早々に起こった「と」争いで迷走し、「ま」では岡山に遅れを取り、そうこうする間に「や」を山形に持っていかれた。富山の名物と言えばチューリップだが、「ち」も先に長崎が指定している。


 当の県民以外でも、残されたひらがなで富山にもっとも相応しいものを考えることがブームになった。


 世論は愛媛・山口における、「県花の判例」を用いる方向に傾いていた。


 新潟と富山は、ともに県花をチューリップとしている。ならば県字も新潟と同じ「に」とすれば、最終的に四十七都道府県があぶれることもない。


 新潟は応じるつもりだった。しかし「に」からは富山が連想しにくいと、富山県知事は「ろ」を県字に指定した。


 なにに基づく「ろ」かと言えば、名物のシロエビの「ろ」だ。そこから富山を連想するほうが難しいが、この主張は若年層には受け入れられた。


 どうやらシロエビは関係なく、「ろ」が文字として「まあまあかわいい」ことが重視されたらしい。端的に言えば街中に「ろ」があふれるのは、「なんかかわいい」ということであるようだ。


 富山が「一字二県使用」を拒んだ結果、沖縄県があぶれた。


 列島で議論が盛んになっている間も、沖縄は静観、というよりのんびりしていた。そういう県民性なのだろう。


 とはいえ沖縄はシンボルとなる文字など制定しなくても、個性と知名度は群を抜いている。イメージ戦略の必要は最初からない。


 こうして「リポグラム46」は平和的に終了した。


 それにつけても我々日本国民は、この手のことに心血を注ぎすぎではないだろうか。群雄割拠時代における戦国武将、ゆるキャラ、ご当地フラペチーノなど、なぜ自分の都道府県の扱いを確認せずにいられないのか。


 郷土愛と言えば聞こえはいい。


 しかしある意味では、国民性をビジネスに利用されているとも言える。


 経済の活性化は悪いことではないが、「リポグラム46」という施策はあまりにも虚無だった。あれから十年たったいま、ひらがなで都道府県を連想する国民はいない。文字の奪いあいは新たな価値をなにも生み出していない。


「沖縄県の県字は、『オ』です」


 先ごろ、沖縄県知事がそう発表した。のんびりにもほどがある。


 さておき沖縄の発表は四十六字のどれともかぶらないのはいいが、カタカナなのが問題だ。


 各都道府県知事は「そんなんずるい!」というような意味の遺憾を表明したので、やがては文字をカタカナに変えた「第二次リポグラム46」が始まるのだろう。


 一次の結果を知る身としてはうんざりだが、きっとまた私はテレビにかじりついて夢中になってしまうのだ。

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