第17話 サバロリ前夜祭(アマネ・エーデライト視点)

 小さかったころのわたしは、何でもできる気がしていた。


 両親はいつも忙しかったけれど、代わりにわたしがねだるものを何でも買ってくれる。でもほしいものなんて直ぐに底がつきてしまって、わたしは玩具なんかじゃなくてもっと面白いものを探していた。


 その日、わたしは親にレストランへ連れて行ってもらった。本当は小さい子供は入っちゃいけない高級なお店だったんだけど、両親がお金持ちなのとわたしはそこらの子供と比べて物静かだったから許されたらしい。


 そのお店にはピアノがあって、綺麗なお姉さんが静かな曲を弾いていた。


 わたしはレストランを出るとき、演奏が終わって休憩中だったお姉さんに話しかけた。


「わたし、入江茉莉いりえ・まつりです。お姉さん、ピアノすごく素敵だった」


 お姉さんはにっこり笑って、優しくしてくれた。話した内容はもう覚えていないけれど、わたしは次の日ピアノを買ってもらった。


 ピアノの練習は、楽しかった。わたしは直ぐに上達したし、何年も続けていればお姉さんみたいになれると思った。


「わたし、もっとピアノが上手くなりたい」


茉莉まつりちゃん、上達早いからプロになれるよ」


 先生にそう言われて、わたしはその気になって毎日一生懸命練習した。


 それから数年ほどたつと先生から推薦されて、コンクールにも出るようになった。だけど中々入賞はできなかった。


「わたし、他の子より練習してるのに、どうして?」


「まだ茉莉ちゃんは手が小さいから、難しい曲は弾けないからかな。課題曲は子供でも弾けるものになっているんだけど、それでも指のなめらかさとかがどうしても、体の成長が早い子と比べると、難しくなっちゃうの」


「じゃあわたしも、もっと大きくなったら、もっと上手にピアノが弾けるようになる?」


「もちろん。それから練習ももっとしたら、コンクールでも一番になれるよ」


 先生が言っていたことは、多分嘘じゃなかったと思う。


 だけど、わたしは大きくならなかった。

 わたしだって、ちょっとずつは大きくなったけれど、でも周りの子供達と比べたら周回遅れだ。


 わたしが一センチ大きくなったら、他の子が五センチも十センチも大きくなる。


「ヴァイオリンもやってみない? 茉莉ちゃん、指先が器用で耳が良いから、きっと上手くなるよ」


 先生は、わたしにピアノはあきらめたほうがいいと言ったのだ。


 ヴァイオリンも楽しかった。先生が言うとおり、わたしはヴァイオリンも直ぐに上達した。

 だけど、コンクールに何度か出たくらいで、もういいかな、と突然思ってしまった。


 楽器じゃないことも始めた。スポーツとか、語学とか。でもどれもあまり長続きはしなかった。


 絵を描き始めて、それが漫画になったのも偶然だ。


 描いた漫画を出版社に持ち込んだのは、大学生になって直ぐのころだ。


「え、持ち込みって君?」


 応対してくれたメガネのお姉さんは、目の下に薄黒いクマがあって、いかにも過酷な仕事を日々しているのがわかる。


「そうですけど」


「ごめん、ここアダルトコミックの編集。君はどう見てもまだだから、知り合いの少女漫画の編集紹介し――」


 連絡先を間違えたらしい。


 もともと数ヶ月前に漫画を描き始める前は、学校であった美術の授業で絵を描いたくらいで、漫画に関しては描いたのは初めて読んだこともほとんどない。


 だから雑誌名も知らないものばかりで、適当に目立ったものへ持ち込みしたいと連絡していたのだ。


「わたし、成人ですけど。今年で十八歳」


「う、嘘!? え、だって」


「学生証見ます?」


「え、でもアダルトコミック……描くの、君?」


「描きます。持ってきたの、普通の漫画ですけど」


 売り言葉に買い言葉だったのかもしれない。


 別に、外見が子供っぽいことへコンプレックスはさほどなかったけれど、それでも勘違いされるのは腹が立ったし――なにより、全然似ていないはずのピアニストのお姉さんと編集のお姉さんがどこか重なって見えたのだ。


 ただ問題はいくつかあった。


「入江さん……じゃなくて、ドサ子先生。いつも非常に早い仕事で助かってるんだけど。この前も急な雑誌の空きに埋め対応してもらってさっそくデビューしてもらったわけだけど」


 編集のお姉さんは、メガネを片手で押さえながら顔をしかめていた。わたしの持ってきた原稿を複雑な顔でめくっている。


「なんでまた百合なの。前回は急だったし、まあ百合もいいかなってオーケーだしたけどさ、あのときもできれば次は男でって頼んだよね?」


「……わたし、男上手く描けないみたいで」


 そもそも男に興味がなかった。だからと言って女に興味があるわけでもないけれど、ただ綺麗な女性への憧れみたいな部分がわたしに絵を描かせようという気持ちにさせていた。


 身近に父親以外の男がほとんどいなかったこともあるだろう。その父親も仕事で忙しく、最近はろくに顔も合わせていないくらいだ。


「ま、百合も需要無いわけじゃないし。それとさ、もっとキャラのバリエーションも増やしてほしいな」


「キャラ……。わたしのキャラ、少ないですか?」


「うん、外見はみんな違うけど、性格って言うのかな、中身がほとんど一緒。……ドサ子先生、あんまり交友関係広くないでしょ? せっかく大学生なんだしさ、もっと友達増やして遊んできなって。そしたら自然と描けるキャラも増えると思うから」


「はぁ」


 既に入学から数ヶ月経っていて、わたしは今更大学で友人を増やそうという気持ちにはならなかった。

 ずっとそうだ。小学生のころから、何人か親しい友人はいるけれど、数は増えない。多分わたしが人間関係よりも優先したいことが多いことが原因だろう。あまり人付き合いに時間も割きたくなかった。


 いろいろ考えて、ネットで交友関係を増やしてみることにした。


 ちょうどその頃からVtuberというものが流行っていて、わたしは絵が描けるから少し勉強すればアバターを自作することもできた。


 ただ人前ではきはきと話せるわけでもないし、あまり気をつかいたくない。結果として生まれたのが不思議系のキャラで、それに合わせてアバターも妖精をイメージし、ふわふわした大人のお姉さんにした。


 上手くいったところと失敗したところがあった。


 まずわたしのキャラは、想像以上にVtuberのファンから受け入れられて、配信をすれば視聴者が大勢来てくれるようになった。


 ただ視聴者はコメントをくれるだけで、交友関係が増えたとは言いがたいし、キャラを増やす手助けにはならなかった。


 もともと漫画のために始めた配信活動だったから、やめてしまうかと思った。

 だけど配信者仲間というのができて、わずかにだけれど交友関係が増えた実感もあって、もう少しだけ配信を続けることにした。


「アマネは、リアルでは大学生なんだけどぉー。ケイも学生さんなんですぅ?」


『えええっ!? いやだからリアルの情報は……えっと、あの……高校……じゃなくて、学生――あ、そう、働いてない!』


「えー、働いてないってなんですぅ? アマネもうちょっと詳しく知りたいなぁ-。アマネのことも教えるからぁ」


『アマネさんダメだって、ネットでそんなうかつにリアルの情報話しちゃ! もう住所とか年齢とかそういうの冗談でも言っちゃだめだからね? 俺と約束して!』


 ――でも結局はネットでのつながりで、相手の姿がほとんど見えてこない。

 ネットではリアル情報は言うのも聞くのもダメらしく、深い関係性にはつながりそうになかった。


 これだと漫画のキャラを作るための参考にはできない。


 そこで思いついたのがオフ会だった。


 一番交流のある性別不詳組と呼ばれる面々に声をかける。

 特にグループで活動していたわけではなかったけれど、何故か視聴者たちの間から、そういうグループ単位で認識されているようになって、わたしも性別不詳組と呼ばれるようになっていた。


 ――性別不詳、もしかしたこの中に男もいるんだろうか。


「ドサ子先生、男の練習はどう? 進んでる?」


「まだ上手くいってない」


「うーん、ドサ子先生絵も上手いし一部のファンはいるからさ、コミックスにもできたし……これからももっと売っていきたいんだけど、編集長が次こそノーマルでって、百合は絶対ダメだって、言ってるんだよね。やっぱどうしてもメインの読者層って百合じゃなくて男女の絡みが好きだから、そっちじゃないとどうしても人気も伸び悩んじゃうし」


「……そう、ですか。わかったわ」


 編集のお姉さんが浮かべた困った表情を思い出す。


 本命は、甘露かんろケイというVtuberだ。


 ケイは、年頃の女性なら自然と身につける間合い、壁みたいなものを持っていない。無防備で、なのに人には口うるさいところがある。――多分、女の子じゃない。


 あとの二人、三宅猫みやけねこミィと藤枝ふじえだトモは、どことなく同性のように感じるが、確証はない。


 ただこの中の誰か一人が男なら、交流を深めて漫画の参考にできるだろう。


 ――ケイは、からかうと少し楽しい。どうせ観察するなら、ケイがいいかも。


 人と関わって、楽しいなんて思うことは本当に珍しかったから、とても不思議な気持ちだった。


 そうして、わたしはほんのわずか希望と期待を胸に、オフ会を企画したのだ。



 ―――――――――――――――

 最後まで読んでいただきありがとうございます。

 次話から新章です。


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