第11話
「依頼人の身を案じるのは、そんなに可笑しいか?」
オレの言い分に、ルリ子はハッと息を呑んで目を丸くした。
「とっても自然だわ。それが、その日出会って、一緒にドライブしただけの相手であっても、真っ当な反応ね」
納得したのなら、そのまま引き下がってくれれば良いのだが、ルリ子は「でも」と話を続ける。
「アナタの信条は一応、ハードボイルドじゃなかったかしら。依頼人とは言え、ほぼ赤の他人にそこまで思い入れる理由は、何なのかしら?」
「オレのやり方に、ケチをつけようって言うのか」
「いいえ。ただ、興味があるだけ」
「理系の権化が、文系に転向か? 今更人間性に目覚めてどうするつもりだ」
オレの軽口に、ルリ子は溜め息をついて肩をすくめた。彼女は不意に立ち上がると、壁際に備え付けられていた戸棚から、コーヒーカップとインスタントコーヒーの瓶を取り出した。
「インスタントだけど、アナタもどう?」
彼女に尋ねられて初めて自覚したが、さっきから喉が渇ききっている。やりとりが聞きにくかったのなら、申し訳ない。さっきの糸口ではオレが口を破らないと判断して、一種の気分転換を兼ねた打ち手にも思える。
ルリ子はオレの分もコーヒーを淹れてくれた。備え付けの電気ポットからインスタントコーヒーへ湯を注いだだけのブラックだったが、素直にありがたかった。熱さに口の中の傷が悲鳴を上げるが、オレはそれを無視して、熱いコーヒーをガブガブ飲んだ。
オレに向かい合ってコーヒーをゆっくり飲んでいたルリ子は、ようやくどう切り込むかを決めたらしい。しっかり顔を作って、最後の気付けとばかりに、コーヒーに口をつけた。
「ロジャーに執着する背景が分からないと、拘束も尋問も理不尽なままよね」
ルリ子の言葉に、全面的に同意する。そこが分からないまま、一方的にそちら側が社会正義と言われても、何一つ納得できない。
「牧くん経由で耳に入れたつもりだけど、ウチの残党が武装蜂起を計画しているって話は、覚えてる?」
彼女は「残党」と表現したが、彼女の仕事、作品と言い換えても良い。野久保と再会した日に、牧からそんな話を聞かされた気がする。
「研究所の閉鎖やら、オレの生体組織廃棄が早まるやら、急に聞かされて焦った記憶がある。その話とロジャーに、何の関係が?」
「順を追って話すから、慌てないの」
ルリ子はオレを子ども扱いしながら、視線を上にやった。話を必死に組み立てているようだ。彼女の手によって今の体に改造された身には、見た目こそ合わないが、母と子と表現してもおかしくはない。
「今回の件をちゃんと話すには、我が父、ジョセフ・グリーンバーグの論文に遡るわ」
「おいおい。ロジャーの話を聞きたいだけなのに、随分と飛ぶじゃないか」
「良いから、マジメに聞いて頂戴」
彼女はオレの横やりにもブレることなく、自分が組み立て話の入り口に戻った。これにきちんと付き合うのも、ある種の拷問かもしれない。鞭による痛みより、眠気を堪える拷問の方がキツいとも聞く。可能な限り、早く話し終えてもらうようにしよう。
「父の論文がどういうものか、大筋はご存じよね?」
彼女の問いかけに、オレは頷いた。
「確か、オレたちの遺伝子が先人たちの遺伝子とは僅かに異なる、欠損が見られるという内容だったな?」
「そう。人間を復活させる過程で、失われた遺伝子がある、厳密には別種の生き物であると発表した」
当時としてはセンセーショナルな発表だったらしく、「街」によって取扱注意の研究とされ、表社会からはなかったことにされている研究だ。最も、「街」では最重要の基礎研究として、今も重要視されているモノの一つだ。
その失われた遺伝子を補い、遺伝子を欠損させたという罪を負った堕天使である機械共と、人の子を生み出すというネフィリム計画が立ち上がり、その一角としてノクターナスの連中や、オレたち、タヌキのような取り組みも発生している。
「一連の研究を支えた生体組織の納入業者、その内の一社がエリスン・マーストン社よ。日本国内では調達しにくい生体組織を、何故か高い精度で生成できて、種類も豊富に量産できる体制を持っていた、数少ない業者ね」
ルリ子は何故か胸を張り、誇らしげに言った。エリスン・マーストン社の協力があったからこそ、オレたちという作品、実験結果が残せている。どうだ、感謝しろとでも言いたげだが、それなら実験が終わった後の臓器の買い取りと移植手術の費用は、完全に無償化していただきたいものだ。
遺伝的に適性があるからと手術を受けたものの、社会的には死んだ存在として扱われてしまう。そうなると、保険が効かない上にまともな病院も受診できない。ドクターのところのような、金さえ積めば何でもしてくれるところでないと、元の身体には戻れない。
そんな状況を作っておいて、感謝されると思っているなんて。やはり、父あっての娘である。まぁ、本人的には実験過程で得られた不老の仕組みを自らに施しているとなれば、そういう態度にもならざるを得まい。
そこから先の話を切り出さないルリ子に、オレは「ロジャーは、日本法人の経理担当、だったか」と水を向けた。ルリ子はオレを指差して、「そう。問題はそこよ」と言った。
「『街』も、研究開発以外はザルだから、水増しとか架空請求も過度で無い限りノーチェックだったみたいで、ロジャーの手元には膨大な資金が流れちゃってね」
「それをしょっ引いて、回収したいと?」
ルリ子は首を横に振り、「そこはどうでもいいの」と言った。
「そこは、表の司法とか税務署の仕事だから」
「じゃあ、何が問題なんだ?」
「表に出せない膨大なお金を溜め込んでいたこと」
ルリ子の話は全く要領を得ないと思っていたが、ここでようやく「武装蜂起」が絡んでくるのか。
「武装蜂起、クーデターに必要なモノは色々あると思うけど、まずは」
「ーー金だな。それも足の付かない金が、あればあるだけ」
ルリ子はオレの言葉に頷いた。だから、ロジャーが狙われた。
「ロジャーとしても、お金を持って安全に国外、できれば母国へ逃亡したい」
「用心棒として、分け前を貰えれば十分ってことか」
ルリ子は再び、オレの推測に同意した。武装蜂起を企てる連中と手を組んで、少しでも安全に母国へ金を持ち出す。非常に合理的だ。
「つまり、アンタらとしてはロジャーの行方と危ない連中の居場所を突き止めて、武装蜂起、その先にあるクーデターなり、戦争なりを防ぎたい訳だ」
悲惨な百年戦争へ後戻りするのを防ぐというなら、確かに社会正義と言えそうな気はする。牧が好みそうな立ち回り、役回りでもある。
「別に、そこはどうでもいい」
ルリ子は呟くように言った。オレは思わず、「は?」と聞き返した。
「『街』は一枚岩じゃない。研究開発さえ進められれば、その過程で何が起ころうと気にしないし、お互いに食い違う、攻撃し合うこともある。そこがとっても面白くて興味深いんだけど」
ルリ子は、「街」の元になった寓話、そのダイナミズムを恍惚と語る。
「今回の武装蜂起も、一つの装置、一種の実験。過激派も穏健派も、それぞれ何をやるか準備を重ねているわ」
彼女が嬉々として語る姿に、オレは思わず全身を震わせた。そういう水面下の派閥闘争もあるから、ロジャーの不正蓄財も見逃されたし、武装蜂起に関しても、潰す動きも活かす動きも同時に走っている。
「それで、ロジャーの行方や思惑を掴んだところでどうしたいんだ? 肝心なところがまだ分からん」
「ロジャーは、全てを出し抜いた。だから、行方を追われている」
緩いところもあるとは言え、全能に近い気がする「街」や、武装蜂起を企てている連中を完全に振り切って、姿をくらましただと? オレは思わず吹き出してしまい、心の中で、ロジャーに拍手を送った。
「どう? 話す気になった?」
ルリ子は、首を傾げてオレの顔を覗き込んだ。側から見れば年若い小娘に色目を使われているように見えるのだろうが、実年齢を知るオレには吐き気を催す行為に他ならない。
「いいや。守秘義務が優先だ」
オレが突っぱねると、彼女は「そう。残念ね」と椅子から腰を上げた。オレがその様子を注視していると、彼女は「アナタの心臓は、まだ保管しておいてあげる」と言った。
「尋問に付き合ってもらったしね」
彼女はそれだけ言うと、側に控えていた守衛に合図を送った。守衛に身柄を拘束されるオレを見て、ルリ子は「じゃあね」と手を振り、白衣を翻して部屋を出て行った。オレは守衛の手によって、元の独房へ押し込まれた。
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