第6話

 徐々に迫り来る年末に備え、手が空いている間にオフィスで掃除と書類整理に励んでいると、ケータイが鳴った。電話の相手は牧からだった。

「野久保の遺体は、無事に処理されたそうだ」

 彼は、研究所の関連施設へ赴いているらしい。彼も係員に又聞きした伝聞調だったが、「街」の手によって、野久保の遺体は適切に処置され、仲間の眠る専用の墓地へ埋葬されたようだ。

 あのまま警察が処理していれば、身元不明の変死体で終わっていた。牧や刑部さんの尽力にも感謝しろよ、とオレは空のグラスに向かって呟いた。

「それともう一つ。保管庫に残ってるのは、お前の心臓と一部の血管組織ぐらいらしい。例の武装蜂起なんざ関係なく、可能なら早々に閉鎖したいんだと」

 そんなこと、わざわざ教えてもらわなくてもいい。「街」の施設なら、事前通告なく閉鎖や廃棄を結構してもおかしくないだろうに、わざわざ取り置いてくれているのは、牧や周囲の協力があってこそ。オレは胸の内では感謝を述べつつ、「余計なお世話だ」と悪態をついて電話を切った。

 オレはケータイをその辺に置き、元の作業へ戻るべく顔を上げると、そこにヒョロ長い若い男が立っていた。さっきまで誰もいなかったはずだが、音も気配もなくオフィスに入ってきて、電話が終わるまでオレの前に立っているとは。

 妙に落ち着き切っているのも、年恰好を考えると違和感がある。両手は上着のポケットに突っ込んだまま、どこにも力感はないのに、隙も見えない。こんな坊主、普段ならいつでも一発ぶん殴れるはずだが、妙な素振りを見せれば、即座に返り討ちに合いそうだ。

 オレは一旦無視を決め、作業を再開した。よく分からんガキに、時間を割く暇はない。悪戯で迷い込んだだけなら、放っておけばそのうちいなくなる。心霊現象か、何かの見間違いの類いなら、やっぱり無かったことにするのが一番だ。

「ねぇっ!」

 オレがしばらく作業を続けていると、痺れを切らした男が口を開いた。図体はデカいが、声の印象は随分幼い。年齢的には、せいぜい二十歳そこそこってところだろう。オレは顔を上げるも、手は休めない。

「狸の便利屋って、オジさんのことでしょ?」

 彼は相変わらず、少し高い声でこちらの反応など気にすることなく、落ち着いた調子で続ける。

「野久保って人を、始末して欲しいんだけど」

 彼の口から飛び出した言葉に、オレは思わず手を止めた。

「坊主、今なんて?」

「だから、野久保を始末して欲しいんだって」

 彼は生意気さを前面に押し出し、突っぱねるように言う。こいつが何を言っているのか、オレにはよく分からない。

「おい、坊主。野久保って、どこの野久保だ? それに、始末って」

「野久保って言えば分かると思ったけど、ほら、年がら年中サングラスしてる、変わった眼をしてる野久保さん」

 彼は「始末っていうのは」と言いながら、親指を横に出し、自分の首の前に持っていくと、空中で素早く一の字を書いた。彼は「便利屋のオジさんなら、分かるでしょ?」と肩をすくめる。

 その野久保なら、変死体で発見されたばかり。遺体の処理も埋葬も終わったと聞いたところだ。始末も何もない。

 さっきほっぽり出したケータイが、再び鳴り始めた。目の前の男を睨みつけながら、オレは牧からの電話に出た。

「おい、どうなってる!」

「急になんだ。一から順を追って話せ」

 牧は電話口で謝ると、事の経緯を説明してくれた。ドクター沼から連絡があり、久しぶりに野久保が訪ねてきたとのこと。野久保は自らの眼を持ち込んで、取り替える手術も受けて行ったそうだ。

「それで、野久保は?」

「その後の行方は分かっていない」

 沼先生も、肝心なところで機転が効かない。

「今、自分の眼って言ったか?」

 牧は、ドクター沼から聞いた話を繰り返し、野久保の遺体を処理した後の「眼」の行方についても教えてくれた。ちゃんと「街」で適切に廃棄した記録があるようだ。

 ありふれた生体組織の一種。保管庫から盗み出すよりは、廃棄の前後や過程で手を出す方がハードルは低い。それにしても、野久保の死と遺体の処理が必要にはなる。オレは牧との通話を切り、ずっとこっちを見ていた男に向き直った。

「野久保が何をやらかしたか、知ってるんだな?」

 男は肩をすくめ、「さあ?」と言った。

「僕に分かるのは、殺し損なったって事だけ」

「殺し損なった?」

 男は口の端を上げ、不敵に微笑んだ。

 警察も、「街」の連中も、地下組織の絡んだ変死体の身元照会は甘くなる。「街」の分析力があれば、すぐに真偽の判断がついただろうに、利用価値がなくなった廃棄物には、金も時間も費やさないのが、彼らの流儀らしい。

「一度は野久保を殺ろうと思ったんだな?」

「せっかくのスカウトを無下にされたんでね」

「スカウトねぇ……」

 オレは改めて男の風貌を確かめた。頭の先から足の先までじっくり眺め、「スカウト」の意味を探る。健全な活動のスカウトとは、とても思えない。その顔立ちは、最近見た誰かに似ているような気もする。

「一回殺ったなら、もう一回自分達で殺ればいいじゃないか。こんな穴蔵に事務所を構えるロートルなんか頼らずに」

 野久保と思われる遺体が発見された現場から、そう遠くない場所で、殺り損なった話をしている割には、動じている様子は見られない。実に堂々と、変わらぬ調子でやり取りを続けている。

 彼、あるいは彼らの元へ、捜査の手は及んでいない。あるいは及んだところで狼狽えるような連中ではないらしい。そんな手練れの連中に、もう一度同じことをやれない理由は見当たらない。ましてや、初対面のうだつの上がらないオヤジに、金を払って依頼するような道理もない。

「僕らも忙しいからさ。彼の、一番のお友達に頼ろうと思って」

「一番の友達? オレが?」

 野久保も友達が多いタイプには思えなかったが、オレ以外に親しい友達はいたはずだ。古巣へ入る前の友人知人だって、いたに違いない。目の前の小僧は、何を持ってそう判断したのか、オレには見当も付かない。

「だって、よく会ってたじゃん。最近は特に」

 最近の尺度は合わないが、それまで疎遠だった割には、この一、二カ月で会う頻度は確かに増えた。野久保のことを気にかける時間、思いを馳せる時間も、間違いなく増えている。つまり、オレと野久保がマークされていた?

「オジさんも、擬死者なんでしょ? いつものように、裏切り者を始末する感じで頼みたいんだけど」

 先日の黒尽くめのガキといい、目の前の小僧といい、長年必死に隠してきたつもりの正体が、こうも簡単に見抜かれるとは。オレの努力とは一体何だったのか、今更ながら虚しくなってくる。オレはすっかり小さくなった自尊心を必死にかき集め、余裕を装った。

「どこの誰とも分からんガキのふざけた仕事なんか、受けられん」

「全額前金でも?」

 彼は背後に隠していたアタッシェケースを机の上に置くと、こちらに向けて中身を見せた。全て本物なら、オレの心臓を買い戻し、ドクター沼に手術をお願いするのに十分な札束が詰まっていた。

「金じゃなくて、ブツが良ければ奪ってくるけど」

 彼は眉を上げ、首を傾げた。「街」や保管庫の警備は並大抵のモノではないはずだが、彼や彼の仲間たちなら、難なくこなせる自信があるようだ。だったら尚更、野久保のことなど自分達で処理できるはずだ。わざわざオレに依頼する理由、意図が分からない。

 オレは目の前の金に後ろ髪を引かれながらも、アタッシェケースを閉じて相手に突き返した。動揺を何とか押し殺し、毅然とした態度で小僧に向き合った。

「お前の依頼は、お断りだ。それを持って、さっさと帰れ」

 オレは手を払い、仕事の邪魔だと追い立てる。彼はオレに動じることなく、アタッシェケースを邪魔にならないところへ置いた。

「これは置いていくから、やりたくなったら、よろしく頼むよ」

 彼は「お邪魔しました」とアタッシェケースを残し、オフィスを出て行った。

 事後処理をされ、埋葬もされたはずの野久保が、生きている。野久保に何が起きていて、今どこにいるのか。事務所の片付けを再開しても、野久保のことが延々と引っかかり続けた。

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