第5話

 オレは一旦野久保の身体を元の場所へ戻し、周囲を見回した。こんなに目立つところへ死体を遺棄したのなら、まだその辺りに実行役がいるかもしれない。

 オレは後処理を頼むべく刑部さんを呼び出しながら、大通り沿いから駅前へ向かって細い通りを進んだ。人目を避けながら立ち去るなら、監視カメラが少ない細い道を選ぶだろう。

 ヘボ探偵のオレの目論見は見事に外れ、犯人と思しき怪しい人物は見当たらなかった。刑部さんに遺体の情報を電話で伝える。もう五分も早歩きで進めば、駅前に出てしまう。交差点では左右の道も入念にチェックする。もうほぼ駅前と行ったところまで来ると、ようやく怪しい人物が目についた。

 全身黒尽くめのロングコートを着た、ヒョロ長い小僧。横で腕を組んで歩いているのは、確か牧のところのお嬢ちゃん。最近は護衛、監視を怠っていたが、久しぶりに見るお嬢ちゃんは、フードを被った怪しい小僧と随分仲が良さそうだった。

 オレはできるだけ自然体を装って、お嬢ちゃんに声を掛ける。

「よお。久しぶりだな」

 オレは白い息を吐き、両手を擦り合わせながら二人に近付いた。小僧の方は明らかにオレを警戒しながら、鋭い目で上から下まで目を走らせている。小僧の身体、いや身に纏っている黒いコートから、ごく僅かに血の匂いを感じた。

 お嬢ちゃんは、「ああ、どうも」と彼方も寒そうな様子で、会釈した。前はもっと服や見た目に金や時間をかけていた印象だったが、随分質素で地味な見た目に変わっている。

「急に冷え込んだのに、朝からデートかい? 随分元気だな」

 オレの言葉に、お嬢ちゃんは慌てて首を横に振った。

「いえ、別にそんな関係じゃ」

「別に、隠すことじゃないだろう。牧にチクるつもりもないし」

 お嬢ちゃんは、「編集長は今、関係ないでしょ」と取り繕うように言った。

「ちなみに、そこの坊主は初めましてかな」

 オレは話題を隣の小僧へ向けた。小僧は口を真一文字に引き結んだまま、オレを冷ややかな目で見ている。オレは自分の名前を名乗り、握手を求めて手を差し出した。

「どうした? 図体はデカいのに、人見知りなのか?」

 彼に向けて差し出した手は、徐々に冷えてきた。オレは握手を諦め、手を引っ込めた。ボロボロの手袋を付け直す。

「ガキでもないんだろ? 挨拶の一つぐらいしたらどうだ」

 オレは軽く拳を握り、胸を小突いた。彼の胸を叩く前に、小僧の手がオレの右拳を掴んで止めた。どこにそんな膂力があるのか不思議に思うくらい、細身に似合わない力強さだった。彼は更に力を強め、オレの拳を砕きにかかる。

「ちょっと、何してんの?」

 お嬢ちゃんが横から声を掛けると、小僧は力を緩め、オレの拳を手放した。

「ウチの子が、ごめんなさい」

 お嬢ちゃんは繰り返し頭を下げると、小僧の背中に手を当て、「ほら、もう行くよ」と声を掛けた。オレは「一つだけ良いかな」と小僧の前を塞いだ。

「野久保を殺ったのは、君か?」

 オレは何も言わない小僧の目を、ジッと見つめる。何の感情も読み取れない目は、一切泳ぐことなく、オレの目を真っ直ぐに見つめ返してくる。その目は、恐らくオレと同類だろう。

 そうか。アイツが、牧が言っていた例の人物か。どういう経緯でお嬢ちゃんと一緒に連れ立って歩いているかは不明だが、無理やり連れ回されているという雰囲気ではない。

「お前が、ノクターナスの小僧か」

「へぇ。オジさん、タヌキじゃん。まだいたんだ」

 小僧は右目を光らせた。オレは周囲の様子を確かめながら、僅かに後ずさる。小僧の側にいたお嬢ちゃんは、小僧の雰囲気が変わったことを察したらしく、「ちょ、こんな所で止めなよ」と慌てている。

「犬上さんも、止めてください。野久保って、何の話?」

 お嬢ちゃんはオレたちの間に割って入った。小僧はまだ戦闘態勢を解いていないようだが、オレはゆっくり構えを解いた。お嬢ちゃんの向こうへ見えるように、両手を上げて降参のポーズを取った。

「スマン、オレが悪かった。今日は引き下がるよ」

 オレは二人に背を向け、事務所に向かって歩き始めた。オレの背後では、お嬢ちゃんが小僧に色々と話しかけている。時折、オレに対する文句や愚痴も混ざっていたが、今日のところは一旦身を引く。

 お嬢ちゃんはともかく、あの小僧の疑いはまだ完全に晴れた訳ではない。ノクターナスとなれば、複雑怪奇な犯行、コロシも朝飯前だろう。お嬢ちゃんと一緒にいたことをどう処理すべきか。事務所へ戻るまで散々悩んだ挙句、一旦保留で処理することを決めた。まだまだ材料が足りなさすぎる。

 オレは刑部さんに連絡を取り、野久保の遺体が無事に回収されたこと、警察への根回しも上手くやってくれたことを確かめた。彼に感謝を伝え、野久保が打ち捨てられていた現場にもう一度立ち寄ってみる。

 現場はまだ、警察の検証が続いていた。不用意に接近して、妙な因縁をつけられたくはない。オレは怪しまれる前に早々に踵を返し、誰にも見られないよう事務所へ戻った。


 事務所へ戻った後は、すぐに身支度を整えて「狸」の営業に入った。昼前から準備して店番をしていたのに、普段に輪をかけて客の入りが悪かった。

 大量に残ったカレーを前に頭を抱えていると、刑部さんと一緒に牧が店に入ってきた。オレはカレーの残りと店の片付けを刑部さんに引き継ぎ、一旦事務所へ戻って着替えを済ませた。

 牧はカウンターで、開店準備に勤しむ刑部さんを邪魔しないよう、一人でグラスを傾けていた。オレも勝手にビールを注ぎ、牧の隣に座って一口飲んだ。オレは人心地つけると、ナッツを口に放り込んだ牧に訊ねる。

「多忙な編集長が、日が高い時間から飲酒とはな」

「野久保への献杯代わりだ。仕事にもすぐ戻る」

 彼はデカい図体に似合わない優しい声音でそう言った。繊細な手つきでグラスを手に取り、喉を鳴らす。その面持ちは、相当沈んでいるように思えた。

「お前にしては、珍しいじゃないか」

「そういうお前こそ、声が震えてる」

 牧の指摘に、オレはハッとした。自分でも気がつかないうちに、気持ちが弱っている。

「仲間の死なんて、何度も経験してるのにな」

 牧の言葉に、オレは「全くだ」と同意した。戦地で同僚が散っていく様も何度も見たし、戦後に自らの手でそのシチュエーションを作り出すことも多々あった。野久保と再会してからも、オレは仲間を手にかけた。

 人が死ぬことなんて、当たり前だったはずなのに、なぜか今、無性に悲しい。

 牧は胸ポケットを探り、定型の茶封筒を取り出した。彼はそれをオレに差し出した。それを受け取り、軽く振ってみると写真が数枚入っているようだった。オレは封を開け、中身をカウンターに出してみた。

 小さな男の子の写真と、その母親らしい女性が写った写真、見事な栗色の髪をした欧米人らしい男性が仲睦まじく過ごしている写真も入っていた。

「アイツの息子と、奥さんか」

 オレがそう言うと、牧は頷いた。

「正確にはこれが元奥さんで、こっちが再婚相手。アメリカ人だそうだ」

 オレは牧が最後に示した旦那の写真をじっくり見た。優しそうな男性に見えた。牧の補足に寄れば、彼らは先日アメリカへ出国し、向こうで永住するための手続きに入るという。

「野久保もそれは知っていて、家族が出国する前に買い戻すんだと仕事に励んでいたそうだ」

「お前はそれを知りながら、割の良い仕事を回さなかった」

「手は汚さないと、ポリシーを掲げていたからな」

 牧は突き放すように言うと、手が空いていた刑部さんにビールのお代わりを注文した。オレは写真を三枚とも封筒に入れ直し、牧に突き返した。牧はそれを見ることもなく、刑部さんの手から受け取った新しいビールに口をつけた。

「オレたちにとっては、あの世の方がまだ近いのにな」

 牧のぼやきが、オレの胸を締め付ける。

 いないはずの人間に、パスポートは取れやしない。誰かになり変われば、子どもに気づいてもらえない。最もあの年齢では、本当のパパのことなんて、すぐに忘れてしまうだろう。

「だからって、殺される理由はない」

 牧はそう呟いたオレの顔を見て、「全くだ」と言った。その声は、いつもの牧より微かに低く、怒気を含んでいるように思えた。

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