第36話 下手な演技が開ける箱
「手札は確率には関係ない、か」
配られた2枚のカードを見ながら、俺はさっき美空先輩から聞いた言葉を思い出していた。
手元に回ってきたのはスペードの10とQ。最高の役であるロイヤルストレートフラッシュのパーツ。揃う可能性は限りなく低くてもこれだけで運が回ってきたような気がする。だけど、美空先輩に言わせればそれも浅はかな考えなのかもしれない。
向かいに座る父親はポーカーフェイスを貫いていて、手元のカードの良し悪しはまったくわからない。隣の美空先輩はどんなカードでも楽しそうにプレイするから、それがいいカモフラージュになってやはりどんなカードが入ったのかまったくわからなかった。
コミュニティカードが開かれる。
5枚のカードにはKとJが並んだもののストレートにもならずに、俺の手はQのワンペアにしか育たなかった。とは言っても普通なら戦えない役じゃない。輝が賭けの対象になっていなくて美空先輩が参加していなければ勝負するだけの価値はある。
隣の美空先輩を横目に見る。見ても勝負の参考にならないと思っていたのに、その横顔はこのゲームで初めて少し難しい顔を作っていた。
「さて、レイズだ」
俺の思考を遮るように、チップ同士がぶつかる音が鳴る。あと2枚しかないチップを父親は投げ捨てるように自分の前に並べた。
「おいおい、
「だったらどうした? そうやって勝てる見込みのある時にリソースを割けないでいると、その他大勢と同じで何も成すことはできん」
「そうかよ。だったらコールだ。俺にだって勝てる見込みはある」
俺は1枚チップを場に並べる。美空先輩を脅威に思っているのと、勝負に行かないのは違う。あの難しい表情はこのゲームが始まって初めて見た顔。不本意だけど、それを向かいにいるこの父親も同じように違和感を察知したのかもしれない。
だったら、最初から考えていたタイマンの勝負と同じ。引導を渡すには十分な女王の微笑みだ。
「ショウダウンだ。後悔するなよ」
手札が開かれる。父親の手は2のスリーカード。手の内のワンペアがうまく育った結果だった。
「どうした? 早くチップを渡さないか」
渋々テーブルの上を滑らせるようにチップを渡す。形勢は一気に逆転。俺の手元にはレイズ1回分で吹き飛ぶ命しか残っていない。
「うーん?」
美空先輩はJのワンペアで、初めての負けがついた。それだけでも十分驚異的な豪運なんだけど、しきりに首を捻っているのが気になる。
「どうかしました?」
「うん、何ってことはないんだけど、さっきまでと変わった気がして」
「もしかして、あいつが何かイカサマでもしたんじゃ」
「でもそれなら今までと同じカードを使ってるし、ディーラーのあの人が何かしたらこーくんならわかるでしょ?」
そう言われて慣れない手つきでカードを集めるディーラー役の事務員を見る。やっぱり演技でもなさそうだ。こういう父親のところで暮らしていたから、イカサマの方法は色々と知っている。そのためにカードをあらためたんだし、父親の動きは常に警戒している。
寂しくなった手元のチップを弄びながら考えていると、重苦しい空気を察したように輝が久しぶりに口を開いた。
「ねぇ、僕にも一本くれない?」
「タバコを、ですか?」
「他に何があるって言うの、この流れで」
少し躊躇った後、秘書は自分の胸ポケットから紙タバコを1本取り出して、輝に手渡した。
「おいおい、ちょっと待て。未成年の喫煙は法律で」
「さっき言ったでしょ。僕は若い女の子の方が高く売れる、って」
受け取ったタバコを指でくるりと回し、こなれた手つきでくわえる。そこに秘書の灯したライターの火が燃え移る。薄く煙をたなびかせて先に灯った赤い光が強くなる。
「ゴホッ! ゴッホ!!」
そして、輝は盛大にむせた。
「だから言ったじゃねぇか! ってかやっぱ吸ったことないのかよ!」
「別にっ! 久しぶりだからちょっとびっくりしただけだし」
「もう嘘バレてるから諦めろよ」
もう一度輝がタバコを口元に戻そうとするところをふんだくる。テーブルの上。父親の使っている灰皿に押し付ける。灰を擦り付けながら火が消えていく。銀色の灰皿に黒い汚れが広がっていく。
「ん? なんだこれ?」
底面の汚れに違和感を覚える。何本か吸ったはずの灰皿なのに灰の量が少なく見える。観察してみるとわざわざ隅に灰が寄せられているし、火を消すためにタバコの火を押し付けた場所もやけに灰皿の隅に寄っている。
まるで底が見えていないと困るというように。
「もしかして、これって。こんな古典的な方法を使うはずが。それに位置だって」
灰皿を鏡代わりに使って反射させた相手のカードを盗み見るイカサマはよくある。ただそんな方法なんてあからさま過ぎて使えない。指輪やコインのような小さなもので隠しながらするものだし、俺だって灰皿が置かれたときにその位置とディーラーの関係を確認している。
それでもカードを反射させてみると、やけにぼやけたシルエットが浮かんできた。
「イカサマ防止だ。塗料が塗ってある。そのくらい当たり前だろう」
「ふーん。なるほどな。わざわざそんな言い訳を用意して言ってくれるなんて、ずいぶんと追い込まれてたらしいな」
試しに持ってきたカードをひっくり返す。ぼやけた灰皿の底面にカードの背面の柄が映る。直接見たときには見えなかった黄色の点が浮かんでくる。
「これだけあれば十分何の役かわかるよな」
「んー? どういうこと?」
美空先輩が俺の背中から覗き込んでくる。
「つまり、カードの裏側を灰皿に反射させて見れば勝てるかどうかわかるってわけだよ」
ようやく咳から復活した輝も近付いてくる。
3人に囲まれたまま、父親は歯が砕けそうなほど食いしばっている。向こう側で秘書が諦めたように首を振っていた。
「さて、イカサマがバレたなら当然負けだよな?」
「……そいつはやる。好きにしろ」
「今までもらったものの中で、初めて嬉しいプレゼントだよ」
嫌味をたっぷりと込めて言い放つ。父親はもう俺の顔を見るつもりもないように俯いて伏せていた。認めざるを得ない敗北。それも自分が舐め腐っていた息子にイカサマを見破られて、反抗する気力なんて粒ほどもわいてこないようだった。
輝の腕をつかむ。めちゃくちゃ不満そうな顔で輝は俺の服の裾を握り返していた。
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