第33話 兎が檻に閉じ込められた経緯

 急に呼び出されて不機嫌そうな顔で事務所に入ってきた輝の目が、驚きで大きく見開かれた。


「なんで、こーすけがここにいるの?」


 初めて会った時と同じバニーガールのスーツを着て、輝は唖然とした表情で口を開いている。事情が理解できないとでも言いたそうだけど、それはこっちのセリフだと返したい。


「とりあえず立ってないで座れよ」

「え、えっと、うん」


 いつもより静かで借りてきた猫、もとい兎みたいな輝は小さな体をさらに縮みこめるように丸めながら美空先輩に寄り添うようにソファに座る。居心地が悪そうなのは向かいに座った父親の視線が嫌なんだろう。


「それで、なんで輝がこんなところで働かされてるんだよ。ボランティアなんて言ってたけど嘘なんだろ」

「嘘、というのは正しくないな。この女が無償で働いているのは事実だからな」

「そういう遠回りな話はいらない。早く全部話せよ」


 いらだちが募る。一秒でも早く輝と美空先輩を連れてここから離れたかった。


「別に私から教えてやる必要はないだろう。本人の口から聞いたらどうだ?」

「本人って、輝から?」


 俺は視線を父親から輝に向ける。怯えたように体を跳ねさせた輝は考えるように視線を俺から逸らした。言いたくないことを隠しているのは誰から見ても明らかだったけど、無理に話せと言う気にもなれない。


「どうした? 何も言えないなら持ち場に戻ってもらおう。私の息子がわざわざ君を連れて帰ると息巻いているというのに」


「こーすけが? 息子?」


「そうだ。お前が助けを求めたのはこの山王遊技の跡取り息子、大山幸佑だ。私の息子を選んだお前の目利きは認めてやろう」


 混乱している輝はまばたきが増えて瞳の焦点が合っていない。でもそれは俺も同じだ。内心ではまだ輝が父親と知り合いだという事実をまだ飲み込めていなかった。


「ねぇ、輝ちゃんはどっちがいいの?」


 膠着こうちゃくしていた俺と輝の間に笑顔の美空先輩が入ってくる。


「ここでこーくんに話して一緒に帰るのとこのままここで働くのとどっちがいいか、っていう話。今なら観測するまでもなく、自分で結果を決められるんだよ。それってとってもいいことじゃない? だって考えて悩まなくったって結果がわかっているんだから」


「わかってるって、そんな」

「大丈夫。こーくんなら絶対なんとかしてくれるから」


 自慢気な美空先輩はまるで不安も疑いの欠片も持っていないような口振りで、俺の方を振り向いた。こんな時に日和ったことを言うつもりなんてない。ただ声は出なくて真顔のまま頷いた。


「……話す」

「うん、それがいいよ」


 まだ俯きがちなまま輝はポツリとこぼす。その手を美空先輩が両手でしっかりと握っていた。


「私は、親に売られたんだ。その男に」

「売られた?」


「海外でギャンブルやって大負けしたの。その借金を肩代わりする対価として私はコイツに売られたんだ。若い女ってことにすれば、使い道も多くて高く売れるでしょ?」


 まるで顔も知らない他人事のような言い方だった。


「ディーラーとしての技術を教え込まれて、こうやっていろんな国で仕事をさせられてたんだ。それが嫌になって逃げだして、でも行く当てもなかったところで美空に拾ってもらったんだ」


「私、ナイス判断!」

「今大事な話してるんで、ちょっと黙ってもらっていいですか?」


 目を泳がせる美空先輩を無視して輝に話を促すと、少し心が軽くなったのか、さっきより声が明るくなったように感じられた。


「こーすけの家に住めるのはよかったけど、最初は外に出たら見つかりそうで怖かった。でも最近はちょっと警戒が薄れてて、こーすけも忙しくてあんまり相手してくれなかったからちょっと遊びに行ったんだ。そしたら、見つかっちゃって。出ていった振りをして戻って来いって」


「そっか。自分から出ていったわけじゃなかったのか」


 少しだけ安心する。その一言だけで、最後に引っかかっていた何かがとれて消えていった。


「心配かけたなら、ごめんね」


 そこまでわかれば十分だ。あとは向かいで薄ら笑いを浮かべたこいつから輝を取り戻すだけ。


「よし、じゃあ決まりだ」


 俺たちのやりとりを面白くなさそうに見ていた父親に向き直る。


「輝は連れて帰る。いいよな。人身売買なんてバレたらごまかすのも簡単じゃないだろ?」


 じっと俺の顔を見る。すぐに折れるだろうと思っていたのにニヤリと薄汚い笑みを浮かべた後、このクソ野郎は、閉じた扇子で輝の顔を指した。


「渡してやっても別に私は困らん。親が文句を言わなければ握り潰すくらい私にはできないことはない。だが」


 今度はその汚い笑みが俺に向かう。


「タダでやるのは簡単すぎる。たまには子供に試練を与えるのも親の役目だろう? 今日、この場所は日本に初めてできた合法のカジノだ。一つ勝負して決めようじゃないか」


「勝負?」


「お前が勝ったら、その娘は連れて帰って好きにすればいい。うまいこと処理もしておいてやろう。私が勝ったら、大学などという無駄な遊びはやめて実践で学んでもらおう。うちの会社でな」


「さっさと働け、ってことか」


「そういうことだ。そろそろ座学にも飽きただろう? 億や兆の金を動かして初めてわかることはたくさんある。教科書なんて薄っぺらいものには載っていないものが、な」


「それで覚えたのが不正の握り潰し方かよ」


「何とでも言え。いずれお前にもわかることだ。おい、いつまでぼさっと突っ立っている。早く支度を始めろ!」


 父親が怒鳴ると、事務所にいたスタッフたちが慌てて部屋を飛び出していく。今度はこっちの輝と美空先輩が顔を曇らせる番だった。


「勝てばいいんだろ。それだけだよ」


 輝を連れて帰る。そう決めた。俺は大きく息を吐いてにやけ顔を浮かべる父親を睨みつけた。

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