第2話 兎を部屋から追い出す方法

「とりあえず帰るか」


 溜息をついて少し落ち着いた俺は、部室を見回して肩にかけたリュックサックの位置を調整する。美空みそら先輩のいなくなった部室に用はない。今日はさっさと帰って現実逃避をしたい。


「ちょっと待って。僕を置いていくつもり?」

「そこまで薄情じゃない。他に頼る相手もいないなら今日は泊めてやるよ」


 立ち上がったてるをなだめる。押しつけてきた相手が美空先輩じゃなかったら大学か警察に引き渡して終わりにするところだけど、しかたない。


「とりあえず俺のコート貸すから。これでその服を隠してくれ。あと頭のうさ耳ヘアバンドはとってくれ。朝はどうやって部室ここまで来たんだ?」

「この格好のまま。美空について行ってたらなんか別に声かけてくる人もいなかったし」


 美空先輩ならバニーくらい連れて歩いていても不思議じゃないもんな。むしろ面倒事に巻き込まれそうで話しかけたくないだろう。俺だって部室に入ったときから数分は現実から目を背けるために輝を無視していた。


 やっぱりこのまま連れ歩いたら、俺は美空先輩に次ぐ大学二位の変人扱いは避けられない。


「中が見えないようにしっかり着ろよ。ちょっとデカいけど肩からずり落ちたりとかやめてくれよ」

「わかってるってば。僕だって着たくて着てるわけじゃないし」


「じゃあ何で着てるんだよ」

「えっと、変装のため?」

「目立ってたら変装にならないだろ」


 いったい何から隠れようとしていたんだ。その格好で紛れることができるのはいかがわしいバーかカジノくらいだ。


 コートを着せて前を閉めると、膝下くらいまで丈がある。おかげて少し暑そうに見える以外はおかしなところはない。


「よし、寄り道せずにまっすぐ帰るぞ」

「わかってるってば。子供扱いしないで」


 着ているもののインパクトがあったせいであまり考えていなかったが、コートで隠してみても輝は女の子にしか見えなかった。小柄だし肌も俺と比べるときめ細やかで日焼け一つない。少し病的に見えるほどの白さがある。


 美空先輩とはまったく違うタイプだが、街で輝が美人だと思うかと聞いてみれば、大半は首を縦に振るだろう。


 立ち姿もモデルのように決まっていて、見れば見るほど男だとは信じられない。


「そんなじろじろ見るな!」


 そう言って俺の腕をポカポカと叩いてくるが、全然痛くないどころか柔らかい感触すらするくらいだった。


 大学の構内を男女で歩いていたらどう思われるだろうか。仲のいい兄妹にしては、妹ばかりが美人すぎるか。


 大学の裏門を出て、通りを二つ過ぎると、真新しいマンションの入り口が見えてくる。俺が立ち止まると、輝は12階建てのマンションを見上げながら体をのけぞらせた。


「まさか、ここに住んでるの?」

「そうだよ。何かおかしいか?」


「おかしいよ。大学生って働いてないんでしょ? こんな高そうなマンションに住めるわけないじゃない」

「まぁ、俺の金で家賃払ってるわけじゃないからな」


 本当はもっと普通のアパートでいいと思っていたが、一人暮らしをするとなったら、心配した母さんがここを見つけてきたのだ。大学にも近いしもう決めてきたというのならわざわざ断る理由もない。


「オートロックだ。初めて見た」

「初めては言いすぎだろ。そりゃ実際に使って入ることは少ないだろうけど」


 別に毎日使っていれば驚くこともない。ただのセキュリティでしかないんだから。さっさとロックを解除すると、エントランスすぐにあるエレベーターに乗り込む。


「運動不足みたいだし、階段で登れば?」

「それがいいなら一人で勝手にやってくれ」


 部室のある4階でもこっちは汗が出てくるっていうのに。俺がエレベーターのボタンを押すと、輝はもう同じことは言わなかった。光っているのは最上階の12階のボタンだったからだ。


 エレベーターから降りて自分の部屋に向かう。この1201号室が俺が1ヶ月前に手に入れた待望の一人暮らしの部屋だった。


 俺がドアを開けると同時に狭い隙間をすり抜けるように先に輝が中に入っていく。


「うわぁ、広ーい。この部屋僕がもらっていいの?」

「いい訳ないだろ。俺より先に入るな」


 男の一人暮らしの割には、部屋は片付いている、と思う。いつ美空先輩を呼んでもいいようにだ。その努力も1ヶ月でそろそろ心が折れそうになってきていて、キッチンには昨日食べたインスタントラーメンを作った鍋がそのままになっていたり洗濯物が干しっぱなしになっていたりするが。


 俺の許可もなく勝手に部屋の中を歩き回って、輝は目に付くドアを片っ端から開けまくる。


「おい、もう少し遠慮ってものはないのかよ」

「だってさ、部屋が4つもあるんだけど! 一人暮らしでしょ?」

「家族向けだからな。3LDKなんて引っ越すまで知らなかったんだよ」


 わかっていたら了承なんてしなかった。おかげで自分の部屋と家から持てる限りのマンガやゲームを押し込んだ趣味部屋を作ってもまだ一部屋余っている。そのおかげで輝一人くらいなら簡単に泊めてやれるのだが。


「本当は美空先輩のための部屋だったのになぁ」

「同棲する妄想とかしてたの? 気持ち悪いんだけど」

「うるせえ。無駄に広い部屋の有効活用だよ」


 これで部屋が埋められたら本当に美空先輩は来てくれなくなるかもしれない。そもそも男の一人暮らしの部屋に遊びに来るなんておかしい話だから、ただの妄想でしかないが。


「ん? そうだよな。男の部屋に女の子が一人で泊まるなんておかしいよな」


 俺が何の気なしにこぼした言葉に、はしゃいでいた輝の動きが止まる。


「やっぱりおかしいかな?」

「おかしいだろ。おかしいっていうか危ない」


 冷静に考えればそうだ。恋人とかよっぽどの友人なら別として、普通はきちんと線引きしているものだろう。


「そっかー、そうだよねー」


 輝は明らかに挙動不審で、目が産卵期の鮭くらい激しく泳いでいる。


「もしも、もしも僕が女の子だったら、どうする?」

「そりゃ、もちろん追い出すだろ」


「薄情者!」

「いや、今時未成年の女の子を家に泊めてたら俺が警察に捕まるだろ!」


 言い放ってふと気が付く。輝はどこからどう見ても女の子だ。本人は男だと言い張っているけど、男である証拠も女である証拠もない。

 もしも輝が女だということがわかれば、この部屋から追い出すことができる。


「ふふ、ふふふ」


 我ながらなんという悪魔的な考え。面倒な子守から解放されるだけじゃなく、あくまでも社会が許さないという理由もつけられる。


「その変な笑い方やめてよ、キモいから」


 そんな罵声も今の俺には通用しない。

 男か女かわからないお前の可能性を一つに収束してやろう。


 首を傾げる輝に宣言したい気持ちを抑えて、俺はひとまず着替えを済ませるために自室へと向かった。

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