第2章 夏醒めのカタツムリ

私達にはそれぞれの思いがある。


あの日の出来事からこれだけの時間が経ったのかと思うと何処か感慨深い所もある。私は懐かしさに浸りながら日記を記していこうと思う。


昭和四十一年の入梅の候、東京は下町の日暮里駅から商店街通りを抜けて住宅街の中に構える設計事務所で私は忙しく働いていた。


名前は浦井 直純ただすみ。親しき仲間からは密やかにジュートと呼ばれている。今の事務所で働き始めてから、六年近くが経過していた。

休憩時間になると、窓の外の景色を眺めながら、私はあの日の仲間たちの事を時折思い出していた。此処にくる以前は、鶯谷にあったローズバインと言う店で働いていた。


当時男色である身を隠しながら生きるのは息苦しくも感じていたが、店で出会った人達との御陰で大分肩の荷が下りた。店が撤退した後、今の働き口で運良く拾われて、また周囲に自身の事情を慎みながら、ここで生きている。


時代もいざなぎ景気という、戦後最長の高度経済成長期が好調な最中に入っているところだった。以前よりも物流も良いせいで手に入れたいものが入りやすくなってきていた。就業時間が終わり、山手線で大塚駅で下車し、北口出入り口の商店街通りを歩いて二十分程の所に私の自宅がある。


私「ただいま。」

ナツト「おかえり。」

私「今日は休みか?」

ナツト「うん。今日ね俺がご飯作っているから、早く着替えて待っていて」


私にはナツトと言う恋人が居る。彼もローズバインで働いていた仲間で、その時に恋仲になった。彼の年は二十九歳。本名は深瀬淳哉。普段は、新宿駅の東口から近くにある大久保公園寄りの飲食店で働いている。私と一回りの差があるが外観から見れば仲の良い兄弟とも言って良いのかもしれない。


私「だいぶレパートリーが増えたな。これ何の和え物だ?」

ナツト「おからだよ。健康志向にね。ジュートの身体を気遣っています。なんてね」

私「できたもの運ぶよ。お椀も出すよ」


ナツトは以前まではあまり料理ができない方だったが、私が教えてあげているうちに楽しくなってきた様で、今では時間を見ては私と交互しながら料理を作っている。


私「いただきます。……うん、味噌汁上手くなっている。大根と人参を入れたのか。良いね。」

ナツト「ねぇ、この豚肉の炒め物はどう?」

私「ちゃんと火が通っているよ。ちょっと硬い感じもするけど大丈夫だよ」

ナツト「良かったぁ。ジュートが俺の先生みたいだから、もう言われるまでハラハラしていたよ。俺も食べようっと」

私「そう言えば、この間奥多摩の実家から電話来ていたよな。あれどうしたの?」

ナツト「あのね、親からちょっと家を手伝って欲しいみたいでさ。来月から一か月くらいなんだけど、大塚を離れるよ。」

私「随分急だな。お前、店はどうするんだ?長期の休み取れるのか?」

ナツト「店長がね、実家の話をしたら行って来いって許可もらえたんだよ。」

私「そうか。良かったな。親御さんも安心だな」

ナツト「俺、末っ子だけど姉達が嫁いでから、なかなか実家に戻って来れなくてさ。一応長男になるから、来てくれってお願いされてさ。」

私「取り敢えず期待されている感じってか。良いだろ、ゆっくりして来いよ」

ナツト「俺、ジュートと離れるの嫌だよ。何だったら一緒に来て手伝って欲しい気もするよ」

私「馬鹿言うなよ。俺も事務所が忙しくてそれどころじゃないよ」

ナツト「もう……」


ナツトがやや膨れ面になっているのを横目に、あまり相手にしないと幼児の様に駄々をこねてくる。こんな感じで彼とやりとりをしている。この時も私は至福を感じているのであった。夕食を済ませて後片付けをし、私が先に浴室でシャワーを浴びた。浴室から出ると、ナツトがテレビを見ながら、楽しそうに笑っていた。


私「何?娯楽番組か?」

ナツト「うん。この人芸人さんなんだけど、話が上手で面白いよ」

私「そろそろ布団を敷くぞ」

ナツト「もうそんな時間?早いなぁ」

私「お前も手伝え」


二人で布団を敷いた後、ナツトが思い切り布団の上にわざと寝転がってきたので、避ける様に促しても、嫌だと言ってきたので私は彼の背後から身体を持ち上げる様に引っ張り出した。


ナツト「もうジュート!くすぐったいから離してよ。分かったよ。布団整えるからさ」

私「お前も手強いな。子供じゃあるまいし何時までこんな事させる気だ?」


二人で笑い合いながら、照明の電気を消して、布団に入った。


ナツト「やっぱりそっちに行きたい。」

私「分かったよ。ほら、おいで」


ナツトは飛びつく様に嬉しそうに私の身体に抱き着いてきた。


私「そうだ。お前、前に指輪失くしたって言ってたこと、あれどうなったんだ?」

ナツト「それがね、畳の隙間に入っていたんだよ。あの時は色々騒がして御免なさい」

私「そうだったか。良かった。お前そんなにそそっかしかったか?」

ナツト「もう無事見つかったんだから良いじゃない。気をつけるから、許してよ」


ナツトは私の頬に口づけすると胸元に顔を埋めて眠りに付いた。私も彼の頭を撫でて静かに目を閉じた。


明くる日、職場の印刷室で資料を整理していると、専務から或る依頼をされたので話を聞いた。


私「立川の美術学校までですか?」

専務「ああ。この設計図を助教授に届けてほしいんだ。お願いできるかい?」

私「分かりました。行ってきます」


私は自家用車で立川市内にある美術学校に向かい到着して、校内の廊下を歩いていくと学生たちがそれぞれ授業を受けていた。


私「失礼します」

助教授「ああ。こんにちは。浦井さんだね?それ先生の設計図だね。わざわざありがとう。」

私「いえ、専務とはお付き合いが長いんでしたっけ?」

助教授「ええ。まあもう三十年近くなる。ほとんど依頼した事無かったんだが、今回快く引き受けてくれたんだよ。本当に助かった。先生に宜しく伝えてください」

私「はい。ではこれで失礼します」


構内のベルが鳴り一斉に学生達か廊下に出てきた。その時だった。見覚えのある人物が私の前を通り過ぎたので咄嗟に声を掛けた。


私「真木?」

真木「え?ジュートさん?!どうしてここに?」

私「仕事の用でここに来ていたんだよ。真木は?」

真木「僕はここで臨時の職員として働いています。ご無沙汰しています。…なんかすごく懐かしい。」

私「そうだったのか。互いにスーツ姿が新鮮な感じがするな。真木の方が様になっているしさ」

真木「僕も三年勤務していますが、ネクタイがなかなか慣れないんですよ。特に今の時期が暑くてしょうがないというか。」

私「俺もだ。外して取り掛かりたいくらいだ」

真木「あれからお店の皆さんとはお会いしているんですか?」

私「いや。連絡は取ってない。今ナツトと一緒に暮らしているくらいだよ」

真木「ナツトさん?一緒に住んでいるんですね。彼も元気ですか?」

私「あぁ。相変わらずだよ。真木、折角の機会だから、互いの連絡先交換しないか?」

真木「そうですね。ちょっと待っててください。……じゃあこれ、実家ですが、僕の連絡先です」

私「俺も……はい、渡しておくよ」

真木「また此処には来るんですか?」

私「もしかしたら、今日だけかもしれない。」

真木「週末近くになったら、僕から連絡します」

私「分かった。またな」


真木は私に会釈をして、教務室へ向かっていった。私は車に戻り、会社へと帰って行った。久しぶりに会った真木の印象は以前よりもすっきりとして清楚な雰囲気をした感じだった。確かにあの日から五年は経つからそれなりに皆も変わるだろう。


専務「浦井、どうだった?」

私「無事、渡しました。あと私事なんですが、校内に旧友と再会できまして。もうびっくりしました」

専務「そうか、それは良かったな。休日にでも会ってやったらどうだい?」

私「えぇ。連絡先を交換したので、そのうち会う予定です」

専務「そうだ。これ、先方から新規で入った資料だ。目を通しておいてくれ」

私「分かりました」


夕暮れ時、私は退勤後、新宿駅の東口の階段を登り、広間に出て、暫く歩いていくと、線路沿いの信号を渡り、狭い路地を抜けた先にあるナツトの働く飲食店へ来た。


店員「いらっしゃいませ」

私「一人なんだけど、空いてますか?」

店員「奥の席が空いてますので、そちらにお掛けください」


案内された一番奥の席に座ると、別の店員がやってきた。


ナツト「いらっしゃいませ。浦井様」

私「あぁ。ナツ…いや、淳哉。久々に来たよ。」

ナツト「こちらメニューです。……ねぇ、なんか嬉しい事でもあった?」

私「いや?そう見えるかな?……先にビールをお願いします」

ナツト「かしこまりました」


ナツトの働く飲食店は店内が狭いが奥行きのあるモダンな雰囲気がある場所だった。注文したビールが来て、私は早速一口、二口と口に入れてはその潤いのある喉越しに深く溜息を出した。


メニュー表を見て何を注文しようかと思って眺めていると、独逸の国から輸入しているソーセージがお勧めだと書いてある表記に目が止まり、それと併せてつまみになる品を注文した。私が座席から店内の客人達を見渡していると、時々ナツトが此方を見ては微笑んできた。

忙しい店内に彼も余裕があるのかと、思わずクスリと笑ってしまった。追加で注文したソーセージと付け合わせのつまみが運び込まれてきた。

程良く湯気が立っていて、香りも良く食欲をそそる様な逸品に思えた。


ソーセージを一口いただき、その後にビールを飲んでいると何処か贅沢を味わっている感じにも思えた。客層を見ても、自分と同じくらいのサラリーマンが多く見れた。ナツトがいつも話してくれている様に、人気があるのも判る気がした。食後レジカウンターで、会計をしているとナツトが寄ってきて、また来て欲しいと話しかけてくれた。


再び新宿駅の構内に戻ると、隙間がないくらいの人の波に押されながら、改札口を抜けて、電車に乗って自宅へと帰って行った。居間の灯りを点けると、鏡に写った自分の顔がほろ酔い加減になっていた。ベランダの窓を少し開けて、胡座をかいて煙草を取り出し、ライターで着火して一服した。

先程訪れた飲食店のナツトの姿を見て、彼も懸命に楽しく働いているんだなと思うと微笑ましく感じた。部屋着に着替え、押し入れから布団を取り出して敷いてから、灯りを消して眠りについた。


同週の金曜日の晩、私とナツトがテレビを見ながら、雑談をしていると、電話が鳴ったので、私が出てみると、相手は真木から掛かってきた。


私「明日?あぁ、今のところ予定はない。会っても良いよ。」

真木「それじゃあ、上野の美術館に行きませんか?今展覧会が行われているんです」

私「分かったよ。明日の十一時ごろだな、駅で待ち合わせしよう」

真木「では、明日、お願いします。失礼します」

ナツト「今の誰?」

私「真木だよ。ローズバインで一時アルバイトしていた学生だった彼だよ」

ナツト「ああ、あの眼鏡の掛けた人だね?どうして再会できたの?」

私「先日、専務の依頼で立川の美術学校にいったんだ。その帰り際に校内で偶然会ってね。そこで臨時の職員をしているらしい。その時に連絡先を交換したんだ。」

ナツト「彼、元気だった?」

私「ああ。少しだけ大人びた印象に見えたが当時のままの感じもあったよ」

ナツト「職員かぁ。優秀だなぁ。俺もお店の皆と会いたいな」

私「そうだね。ママや他の人たちも今何をしているか気になるよな。」

ナツト「ジュート。こっち来てよ」

私「どうした?」

ナツト「もう。気付いてるくせに…来てよ」


私がナツトの隣に座ると、彼は私のズボンのベルトを外して、チャックを開けるとおもむろに下着に顔を埋めるふりをしてきた。


私「お前、少し気が早くないか?」

ナツト「いいじゃん。ゆっくり、させてよ」


ナツトはズボンを脱がすと下着のゴム口に口で下着を咥えて左手で同時に下着を脱がせていった。性器を頬で頬ずるように摩り、性器の先を下で舐め始めてから、口の中に全て含み上下に舐めてきた。私も彼の息遣いに高揚しながら、彼の頭を撫でて、いつしか弄られる感覚に私自身も全身に鳥肌が立つ様に興奮してきた。


私「ナツト……あまり強く齧るな。痛いよ」

ナツト「もっとしゃぶってあげるよ。ジュートだってこれ以上したいくせに……」


どちらかと言えばナツトは嫉妬深いのかも知れない。たまに私が少しでも親しくする他の男性の話をし出すと、多少は会話は聞いてくれるものの、一方で私に刃向かうかの様に私の身体を求めて来る傾向がある。彼此十年来の付き合いだ。お互いを知れば知るほど、深い仲になって来るというのは、こういう分類に入るのかも知れない。


私「ナツト、布団敷こうか。流石に畳の上では寝返りを打つ時に身体が痛いんだ」

ナツト「俺が出すよ。待ってて」


今の梅雨時、湿度が高くなっていてジメッとした空気が漂ってくる。私は胸元や背中から流れてくる汗が止まらなく、流石に自分から衣服を脱いだ。ナツトは布団を敷いたから、上に乗って欲しいと告げた。寝そべる様に身体をうつ伏せの状態にすると、ナツトは私のうなじから背筋、腰回り、尻の順に舌で舐めていき、彼の勃起した性器を私の尻の間に当てて、腰を振り出した。


ナツト「さっき、真木と電話をして……どんな気持ちで話していたの?」

私「普通に会話していただけだ。……お前、考え過ぎだ。」

ナツト「まだ、彼が好きなの?」

私「それは無い。頼むからそんなに強く突かないでくれ…」


正直、ナツトの精力は年々上昇傾向にある様だ。あまり考えたく無い事だが、彼も私の知らない所で、他の男に抱かられているのではないかと、言うくらいみなぎる力を感じる事が多々ある。逆に言えば、私が精力が怠ってきているのかも知れないと、頭の中で色々と考えているうちに、ナツトは絶頂に達していた。


私「お前。少しは加減を知れ。するにも程があるぞ」

ナツト「俺はジュートと居る限り、君の欲するものは全部奪いたいってくらいだから……」


お互いに背を向けて寝転がると、時計は二十三時を過ぎていた。私は上がった息が止まらず、台所に行き、冷蔵庫から水を出してコップに注いで一気に飲んだ。振り返るとナツトは全裸のまま眠っていたので、上からタオルケットをかけてあげた。私も下着を履いて、もう一つ布団を取り出し、彼の横で眠りについた。


翌日、待ち合わせをした上野駅の構内に待っていると、真木が人集りの中から現れて来た。上野公園口の広場に近くにある国立西洋美術館に入ると、空調が効いていて涼しげな中に、結構な数の人達が訪れていた。モネやゴッホといった、近代画家の絵画が展示されていた。私はある展示物に目が止まった。ゴッホのひまわりという絵画だった。ローズバインで常連客から頂いたあの向日葵の絵を思い出した。その絵を眺めていると、真木もその事に気付いてお店の事が懐かしいと話しかけてくれた。美術館の外に出て、上野恩賜公園の敷地内の散策路を二人で歩いていた。


私「今の職場が三年経ったのか。仕事はどんなことをしているんだ?」

真木「主に教授や助教授、非常勤講師の方の補助的な手伝いです。時々生徒ととも立ち会う事もありますが、皆必死でデッサンやアイデアを練りながら試行錯誤して講義に励んでいます。」

私「そう見ていると、真木も自分の事を思い出すこともあるだろう?」

真木「はい。僕も当時は講義についていくのに色々苦労しましたが、こうしていられるのも教授らの御陰です。食らいついていた甲斐がありました。」

私「俺は、高等学校卒業してから、陸軍学校に入って、その後戦争が始まり出兵したんだ。俺の方がお固い感じだな。まだお前の方が羨ましく思うよ。」

真木「出兵は絶対的命令でしたよね。逆らうなんてし出したら、日本の恥だとも言われてましたよね。ただもうそんな時代は当の昔。こんなに平和になるなんて、日本も強いですよね」

私「あぁ。そう言えば、真木は実家は確か呉服問屋だよな?後継ぎとかは言われていないのか?」

真木「僕は次男です。兄が継いでいるのですが、僕も時々手伝うこともあります」

私「お前、着物とかに似合いそうだな。機会があれば見てみたいな」

真木「自宅に来たら、見せてあげてもいいですよ」

私「御両親は俺を知らないだろう?簡単に上がり込むのは失礼な感じもするが……」

真木「友人だと言えば大丈夫ですよ。近いうちに話しておきます。」


暫く歩いていると、不忍の池に来ていた。ベンチがあったので二人で腰を掛けた。

池の中に咲いている蓮の花に水滴が滴り落ち、陽に当たりながらそよ風と共に揺れていた。


私「あれから、自分の話は両親に言えたか?」

真木「はい。話しました。初めは父が呆れた顔をされて途方に暮れた感じでしたが、母が慰めてくれた分、時間と共に少しは分かってくれました。ただ、将来の結婚の話になると、今でも口論します。男か女か選べって言われますし。」

私「不安になるのも仕方あるまい。二人の気持ちも分からなくはないからな。」

真木「きっとジュートさんは迎えてくれますよ。まぁどういう経緯で出会ったかは考えないと。」

私「スナックで出会ったと言えば良いんじゃないか?」

真木「それは怒られますよ。冗談きつい……」

私「どちらにしても、黙っていれば関係を持った仲だとは気づかれまい。私もその時になれば対応するから。」

真木は池の方を見ながらこう呟いていた。

真木「ジュートさんが恋人だったら、親はどんな反応するんだろう?」

私「真木?」

真木「いいや。仮のお話ですよ。すみません、つい出てしまって。こう並ぶと当時の事色々思い出すんですよ」

私「真木も店で懸命に働いていたからな。」

真木「はい。皆さんに良くしてもらって楽しかったです。ああいったお店の人達はなかなかいませんでしたよね。」

私「そうだな。ローズバイン程、働き手に手厚い所なんて無いもんな。」

真木「何処かで皆さんと会える機会があれば良いですよね。」

私「そうだな。俺はママの連絡先は知っているが、番号が変わっている可能性もあるかも知れない」

真木「僕もママに会いたいです。思いやりの強い方でしたし。都内にはいらっしゃるんですよね?」

私「おそらくな。新しい店でも経営してそうな気がするし」


彼と他愛ない会話をしているうちに当たりは薄暗くなってきた。


私「少し早いけど、飯でも食いに行くか?」

真木「はい。是非ご一緒したいです」


私達は、少し離れた浅草まで地下鉄の銀座線で乗って行き下車してから、浅草寺の通り沿いの脇にある居酒屋に入った。


真木「牛すじの煮込みですか?」

私「あぁ。此処の店はホッピーも有名な所なんだ。好きな物頼んで良いよ」


店内の賑わいの中、真木はメニューを見ながら、つぶ貝煮と胡瓜の味噌つまみを頼んだ。


私「お前、結構飲むんだな。美味いか?」

真木「はい、美味いです。もう喉乾いていたんで、生き返りました。」

私「お酒大分飲めるようになったんだな。」

真木「ええ。職場の人達にもよく飲みに連れて行かれるので、気がついたら飲めるようになりました。」


真木がジョッキグラスで飲む姿を見ていると、私は親心の様に感じる瞬間が出ていた。暫くすると、遠くの方から雷鳴が聞こえてきて、次第に通り雨が降ってきていた。少しだけ中で待っていようとしていたが、止みそうな気配がなかった。


真木「傘何処かで、ないですかね?」

私「まだ待ってみよう。止むかもな。」


三十分程経つと、雨があがり、道が煌めく様に濡れていた。私と真木は店を出て、仲見世通りを越して、銀座線浅草駅の構内まで歩いて行った。


私「大分酔ったな、顔赤いし」

真木「顔に出やすいんですよ。ジュートさん、まだ飲めそうな顔してますね」

私「いや、今日はもう十分飲んだ方だよ。構内の風が気持ちいいな」

真木「また一緒に飲みに行きましょう。こんな風にご一緒した事がなかったから、また楽しみたいです」

私「俺もだ。お互い時間が合えば、また行こう」

真木「僕で良いんですか?」

私「あぁ。あまり普段外食行くのも少ない方だし、こうして誰かと一緒に飯食いに行くの久しぶりだったから」

真木「ナツトさんとは、外食されないんですか?」

私「彼奴とは勤務の時間があまり合わなくて、タイミングが合えば行くくらい。」

真木「お二人とも本当に仲睦まじいんですね。そういったパートナーって少ないですよね」

私「そう?仲良い人達は沢山いるよ。お前、今は付き合っている人は?」

真木「いません。もう、さっきも飲んでいる時に言いましたよね?忘れましたか?」

私「悪い。俺も酔ったな」


プラットホームに電車が入ってきて、乗車すると直ぐに発車した。真木は扉付近に身体を寄せて、気分良さそうに眠ろうとしていたので、肩を揺すって目を覚まさせた。


真木「僕、次で乗り換えるので。また今度連絡します。今日はありがとうございました。」

私「気をつけて帰れよ。またな。」


真木が乗り換える停車駅に到着すると、彼は手を振って歩いて行った。私は上野駅に着くと、山手線に乗り換えて、大塚駅の自宅へ帰った。


数日後の晩、夕食を済ませて、ナツトが浴室へ行っている間、電話がかかってきたので、出てみると、かつてローズバインで常連客として来ていた、寫眞しゃしん館を営む石田様から来ていた。


私「ご無沙汰してます。どうして僕の電話をご存知で?」

石田「ローズママから聞いたんだよ。ママも元気で、今は新宿でお店を経営してるみたいだよ」

私「あの、今日はどの様なご用件でかけてきたんですか?」

私「久々に二人に逢いたいと思っていてね。三田の寫眞館に来れそうかな?」

私「週末でしたら、私は行けますが、ナツトが休みが取れるか聞かないと分からなくて……あっ今彼が来たので聞いてみます」

ナツト「誰から?」

私「寫眞館の石田様だよ。お店の常連客だった方だ」

ナツト「石田様?お久しぶりです。はい、僕は元気です。……あぁ、お休みですか?今月と来月はもう予定が入ってしまっていて。九月だと、おそらく大丈夫だと思います。」

石田「それじゃあ、また月末近くになったら、連絡するよ。ジュートにも宜しく伝えておいてね」

ナツト「はい。失礼します」

私「やっぱり月末にならないと、出勤表の調整できないのか」

ナツト「うん。店長になんとか相談してみるよ。次、お風呂入って良いよ」

私「あぁ。入るね」


私は浴室へ入り、シャワー浴びている時に、先日の真木と浅草で飲んだ時の事を思い出していた。彼の変わらない仕草や細くて長い手、ジョッキグラスを飲んでいる時に下唇に濡れて、顎から滴る水滴等がはっきりと覚えていた。シャワーに当たりながら少し俯いて、以前彼とビジネスホテルで一夜を共にした事が頭の中に浮かんできた。何故今頃になって、そんな事が思い出したのかは分からない。きっと忘れかけていた何か伝えようとしていたに違いない。しかし、どう思い返しても思い出せない。


そうしているうちに、浴室の扉が開いたので、シャワーを止めて振り返るとナツトが細い目をして私の表情を見てきた。


私「急にどうしたんだ?」

ナツト「また考え事していたでしょ?」

私「何をだ?」

ナツト「シャワーを流す音が出っ放しの時は、必ずと言っていい程、考え事しているよね?その癖止めたらどう?」

私「仕事の事を考えていたよ」

ナツト「嘘。他の男でしょう?もうバレているよ」

私「……真木の事だ。この間飲みに行った時の事を思い出していたんだ。」

ナツト「彼の仕草とか?」

私「……お前、そんなに見透かす事が出来る奴だったか?」

ナツト「もう何年一緒に居ると思ってるんだよ。ジュート、そういう所、顔に出やすいよ」

私「まぁ……仕草は見ていたな。」


すると、ナツトは私の左腕に掴んできて、口づけをしてきた。


私「お前、身体濡れるぞ。浴室から出ろ」

ナツト「構わないよ」


ナツトはしがみつく様に私の身体を抱きしめて、唇を交わしてきた。次第にナツトの半袖のシャツが濡れて、所々湿ってきたので、離れる様に促したが一向に止める気配が無く、暫く互いに抱き合っていた。


私「もう、良いだろう?」

ナツト「真木の事、忘れられる?」

私「飯を食うぐらいなら、会うの許してくれよ」

ナツト「分かった。ご飯なら良い。もう凄い濡れちゃった」

私「だから早く出てくれって言っただろう…」


ナツトが浴室から出て行くと、私は再びシャワーを軽く浴びた。その後、浴室から出て、部屋着を着て、冷蔵庫の中から缶ビールを出して、卓上に座りグラスに注いで、一口飲んだ。ナツトが傍に寄ってきて、自分も飲みたいと言ってきたので、私がやや呆れ顔で飲みかけのグラスを渡すと嬉しそうに飲んでいた。

就寝時、私の入る布団の中にナツトが入ってきた。彼は幼児の様に私の胸元に抱きついてきた。


ナツト「おねだりしたい事がある」

私「どうした?」

ナツト「俺、ベッドが欲しい」

私「まぁ、この部屋だと、入れても良い事は良いかも知れないけど。」

ナツト「じゃあダブルベッドにしたいな」

私「あれは高いぞ?シングルサイズの少し広めの物でも良くないか?」

ナツト「俺も出すから。男同士なんだし、大きい方が良い。ダブルにしようよ」

私「取り敢えず考えておくよ。もう寝よう」


数週間、私はナツトと池袋駅に隣接する新規で開業した百貨店に行き、寝具のコーナーにベッドを探しに来ていた。ナツトが欲しがっているダブルベッドが置かれている所に来た。


ナツト「このくらいだと、やっぱりちょうど良い大きさだね。」

私「そうだな。二人なら大丈夫なくらいだが……十五万円?これ、家賃よりも高いじゃないか……」

ナツト「この大きさはあの部屋に入ると、場所を取ってしまうけど、悪くはないな……」


流石の私も値段を見て驚いた。ナツトは自分も出すから買おうとせがんできたが、悩んだ末に購入する事に決めて、明日から必死で働いてくれと彼にも警告するかの様に伝えた。

翌月、ナツトが奥多摩の実家に帰って行ってから、数日経った或る日の土曜日に、真木から電話がかかってきた。


真木「流石に今日そちらに上がると言うのは、無理な話ですよね?」

私「いや。大丈夫だ。良かったら、家で夕飯でも一緒に食べないか?」

真木「それじゃあ僕も一緒に何か作らせてください。料理するの好きなんです」

私「そうか、じゃあ大塚駅で待ち合わせをしよう。十七時頃でも良いか?」

真木「はい。では後程伺わせていただきます」


此処に住んでから初めての客人になる。真木も嬉しそうに話をしていたので、色々振る舞ってあげようと、私は早速献立を考えていた。待ち合わせの時刻が近づいていたので、衣服を着替えてから自宅を出た。三十分後、真木が駅に到着して、商店街のスーパーへ買い出しに行った。自宅に戻り、台所で食材の下ごしらえをして調理にかかった。炊飯器のご飯が炊きあがった頃、卓上に品物を並べていった。


私「それ鶏肉?」

真木「はい。鶏肉のソテーと付け合わせにジャガイモ、インゲン、人参のグラッセを添えました」

私「美味そうだ。食べよう」

真木「いただきます」

私「うん、肉が柔らかくて美味しい。良く料理しているのか?」

真木「母も父の手伝いをしているので、小学生の高学年くらいからは兄と一緒に作ってきています」

私「偉いなぁ。だからこれだけ作れるのか」

真木「ナツトさんはご実家に?何か経営されているんですか?」

私「奥多摩の旅館だよ。割と老舗な所なんだ。彼奴俺とご両親にも久々に逢わせたいって言っていたな」

真木「奥多摩かぁ。子供の頃、川で渓流釣りに行った事があります。涼しくて気持ち良いんですよ」

私「そうか。今年の内にでも行きたいなぁ。」

真木「ナツトさんも今お仕事忙しいんでしょ?あまり外食もされないし、旅行とか行きたくても時間が上手く確保できていませんよね?」

私「彼とは十年以上の付き合いになるが、殆ど旅行とか日帰りでも行ったことが無いんだ。彼奴きっと我慢しているに違いない」

真木「これから時間作れたらいいですね」

私「あぁ。真木は今学校休みか?」

真木「はい。夏季休暇です。ただ生徒と違うんで出勤する時も数日在ります」

私「明日は休みか?」

真木「はい。今週はお休みです。」

私「今日このまま泊まって行かないか?」

真木「そのつもりで……この鞄に詰め込んできました」

私「用意周到だな。分かった。…これ、部屋着貸してやるから着替えてきなよ」

真木「ありがとうございます」

食後、後片付けをして食器棚に茶碗などを閉まっていると、真木があのベッドを眺めていた。


真木「それにしても、随分大きなベッドですよね。良く入り切れましたよね。」

私「そうなんだよ。御陰で部屋が狭くなってしまってね。ナツトにせがまれて買ったんだよ」

真木「ナツトさんも強引ですよね。あのベッドの上に掛けてもいいですか?」

私「ああ。良いよ」


真木はベッドの上に腰を掛けるとそのまま仰向けに倒れて心地よさそうに暫く寝そべっていた。幼児の様に嬉しがる姿を見ていると、なんだかナツトの事を思い出してしまい笑ってしまった。


私「真木、珈琲飲むか?」

真木「はい。いただきたいです」


やかんに水を張りコンロに火をつけて沸かしている間に、ドリッパーやミルや珈琲豆を用意して、フィルターにミルで砕いた珈琲を入れて、お湯を注ぎ、抽出した珈琲をカップへと注ぎ、真木に手渡した。私も自分の分を淹れて、壁際に腰を下ろした。


私「音楽は聴くかい?」

真木「レコードあるんですね。是非お願いします」


洋楽のレコードを掛けると、真木は学生の頃に聴いていた曲に似ていて懐かしいと話していた。


真木「僕も一人暮らししたい」

私「予定はあるのか?」

真木「今は家の事と学校の事があるので直ぐには出れませんね」

私「どのあたりに住みたい?」

真木「僕、来年が任期満了になるんです。だから、次の仕事先を決めておかないと行けなくて」

私「そうか。どんな職種を考えている?」

真木「未だ画家を目指しているんで、また学校関連のところに就職したいですね」

私「あれから絵は描いているのか?」

真木「はい。仕事の合間に描いています。」

私「今度見てみたいな。機会があれば実家には行っても大丈夫そうか?」

真木「ええ。そのうち話しておきます」

私「こういうのもなんだが、また私をモデルに描いて欲しいなって。そんな良い顔立ちや身体つきではないが、良かったらどうかと思って。」

真木「ああ、勿論良いですよ。なんなら、今スケッチブック持っているんで、ちょっと描きましょうか?」

私「へぇ、持ち歩いているのか。じゃあ、お言葉に甘えてお願いします」


真木は鞄からスケッチブックと鉛筆を取り出して、ベッドの上に座って欲しいと告げてきたので、彼の隣に座り、早速描いてもらった。わずか二十分程で私の顔の肖像画を描いてくれた。


私「流石だな。私そのものだ。」

真木「それ、ジュートさんにあげます。今切りますね……どうぞ」

私「ありがとう。ファイルケースにでもしまっておくね」


私が絵をケースがある本棚にしまうと、彼は後片付けをしたあと眼鏡を外していた。


真木「ジュートさん。隣に座ってください」

私「どうした?」

真木「顔、もっと近くで見せてください」


真木は私の頬に片手で添えて、暫くの間表情を眺めていた。


私「さっきの絵に描き足りないところでもあったか?」

真木「もう少し瞳を綺麗に描けば良かったなって」

私「俺も大分年取っただろう?そんなに見つめて来ないでくれ」

真木「貴方はあの頃と変わらないですよ」


真木は私の頬に口づけをしてきた。私も彼の唇に親指でなぞる様に触れていくと彼は目を瞑った。私はそのまま口づけをして暫くの間、交わしていた。


真木「僕の事、下の名前で呼んでください」

私「貴彦だったよな?」

真木「僕は淳弥と言います。本名を隠していたのは、あの店で働くのに当時の知人達に知られたくなかったからです。御免なさい。」

私「それじゃあ、ナツトと呼び名が一緒なんだな。」

真木「混乱してしまいますか?」

私「いや。それはない……とは言えないな。こればかりは。」

真木「ふふっ。でも、貴方には淳弥と呼ばれたい。……呼んでください」

私「淳弥……淳弥」

真木「まだナツトさんが離れられないですよね?」


真木は上半身の上着を脱ぎ、再び私の唇に口づけをしてきた。


真木「唇、柔らかい。気持ち良い……」


真木は私の身体を仰向けに倒して、口づけを交わすと、首元を嚙り、上着の裾から腹や胸を弄り始めて、捲し上げた上着を床に落とした。真木が私の腹部の上に身を乗せて、また何度も口づけをしてきた。


真木「僕は2人が恋人同士でも、こうして口づけを交わすのも構わない。抵抗しない限り、僕は何度でも貴方に喰らい付いていきます」


彼が私の下半身の下着の中に手を入れると、思わず声を出したが、彼は私の下腹部に顔を寄せて、性器を舐めてきた。私にはナツトが居るのに、他の男に身体を預けるとは、いかなる事だと考えてしまうが、真木に対しては反発する事より受け入れてあげたいという欲がある。以前も似た様に彼と情交をする事に躊躇いなく抱き合っていた事を思い出していた。私は額の上に右腕を乗せて、自分の喘ぐ声に心地よさを感じていた。気がつくと真木は私の顔を眺めて、静かに微笑んでいた。


真木「ジュートさん、こういう時は素直ですよね。だから僕、貴方が好きなんです」

私「お前のも、舐めていいか?」

真木「はい。してください。」


私も真木に身を任せる様に性交をした。一時間程は経ったであろうか。お互いがベッドの中に入り、私は真木の方に横向きになり、彼は仰向けで天井を見つめたまま私に話しかけてきた。


真木「東京は星が見えないですよね」

私「あぁ。いくら晴れていてもなかなか見れないよな。」

真木「疎開先で見た山奥の星は凄く綺麗で、よく夜中に起きて窓から眺めていました。」

私「私もフィリピンの奥地でよく夜空を眺めていたよ。確か星も見えていた筈」

真木「いつ空襲の警告音がなるかと思うと、寝れない時もありました。星空はあれが何よりの慰めだったかも知れません」

私「私も激戦地で色々な物が目に焼き付いてしまい、今でも時々戦地を駆け抜ける夢を見てはうなされて、飛び起きる事がある。ナツトがよく気にして声をかけてくるんだ」

真木「自分が怖く感じる時もありますよね?」

私「そうだな。二十年以上は経つがなかなか身体から抜ける物でもなくて、厄介だよ」

真木「ジュートさん、もうあの大戦は世界には起こらないですよね。」

私「無いな。何処かの国では紛争があるみたいだが、日本は起こる事は無い。こうして生き延びてこれている事が何よりの奇跡だ」


真木は私の身体に身を寄せて抱きしめてきた。私達だけではない。この世に生きる全ての人達が体験した事実があって、誰もが忘れてはならない出来事を後世に伝えていかなければならない現状がある。いつしか深い睡魔が来て、私はそのまま眠りについた。


翌朝、目を覚ますと真木はまだ眠っていた。起こさない様にそっとベッドから降りて、蒸している居間の窓を開けて、空気の入れ替えをした。洗面台で顔や歯を洗い、朝食を作ろうとしていた時に、真木が起きてきた。


真木「おはようございます。」

私「おはよう。眠れたか?」

真木「はい。ベッドがこんなに心地が良いなんて、気分が良いですね」


彼は欠伸をしながら背伸びをして若干の寝ぼけ眼で私の背中にもたれ掛かってきた。


私「うん?」

真木「お腹、空きました。」

私「今作っている。先に顔を洗って来い」


暫くして卓上に出来上がった品を並べていると、真木が座り込んで、眠そうな目をしていた。


私「お前、寝れたか?」

真木「僕、少し低血圧気味なので、目が覚めるまで時間がかかるんです。気にしないでください」

私「飯出来たから食べよう」


真木は味噌汁につけると、自然と目が覚めて、そのまま箸をつけて食べていったので、私は安堵した。着替えを済ませて、玄関に靴を履き、扉に鍵をかけた後、駅まで真木を送って行った。


真木「それじゃあ僕は帰ります。昨日はありがとうございます。」

私「気を悪くしていないか?」

真木「はい。来て良かったです。久しぶりに貴方に抱かれるなんて、凄く嬉しかった」

私「何かあったら連絡して来いよ」

真木「はい。あの…お願いしたい事があって」

私「何?」

真木「ナツトさんが帰省している間に、期間限定で、僕の恋人になってくれませんか?」

私「ナツトの事はなんて説明すれば良い?」

真木「今度、僕の実家に来てください。両親に紹介したいんです」

私「そうなると、何処か理不尽な所も出てくるんじゃないか?」

真木「僕の身勝手で申し訳ないですが、好きな人が居ることを伝えたいんです。」

私「何か急ぐ事でもあるのか?」

真木「父から女性の婚約者になる人を紹介されたんです。どうしても断りたくて…」

私「俺で大丈夫か?」

真木「はい。きっとわかってくれる筈です」

私「いきなりの話で状況がまだ分からないが、取り敢えずまた真木に連絡するよ。それで良いか?」

真木「はい。待ってます。では、行きますね。また。」


真木は走り早に改札口へ向かって行った。私は自宅に帰って来て、窓辺の棚に置いてある昨夜真木が描いてくれた絵を見ていた。彼の都合に合わせて期間限定の付き合いをするのは、いかがなものかと考え込んでいた。ナツトに対して隠し事をするのは、後に彼奴の機嫌を損ねてしまうものであるし、収集が付かなく四面楚歌になったら、別れ話を切り出してくる事にもなり得る。いや、あまり深く考え込まずに先ずは真木の実家に行って、向こうの反応を伺うしかない。


一週間後、私は真木の実家がある渋谷区の千駄ヶ谷に訪れていた。家に到着すると、蔵構えの由緒ある二階建の造りになっていて、思わず見入ってしまった。


私「俺、こんな簡易な身なりで大丈夫か?」

真木「えぇ。そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。この奥に玄関があるんで行きましょう」


正門から中庭を通り、玄関の前に立つと、中からある女性が来ていた。


母親「いらっしゃいませ。貴方が浦井さんですか?」

私「初めまして。浦井と言います。」

母親「さぁ、中へ入ってください」

真木「浦井さんどうぞ」


玄関から縁側の間を通り、居間へと案内されると、真木の父親が椅子に腰を掛けていた。


父親「こんにちは。ようこそおいでくださいました。ソファにおかけください」

私「初めまして、浦井と言います。」

父親「淳弥からお話は聞いています。八年前からお知り合いと言う事で?」

私「はい。共通の知人を介しまして、最近になってまた再会して、親しくさせていただいています」

真木「浦井さん、日暮里の設計事務所で働いているんです」

父親「設計士なんですか?」

私「いえ。事務員として勤務しています」

父親「そうなんだね。来て早速で何ですが、淳弥との……つまり親しくしていると言う事についてですが、淳弥をどの様な仲と見ているのですか?」

母親「貴方……浦井さん、いきなり失礼ですよね。もう少し雑談でもした方が良いかと」

父親「いや。私達も淳弥の事で、近々婚約の件で進めていきたい話もありましてね。二人がどれだけ親密な仲になっているのか、伺わせていただきたいんです」

私「率直に申しますと、淳弥君とは……男女の様に恋仲になっているんです。説明が難しいのですが、お互いに男性の身であるのですが、両性愛者として親しくしているんです」

父親「私はそう言った事には関与はしたくない方なのだが、予め淳弥から聞いて、初めは大変驚きました。いくら反対をしても、自分は引き下がらないと強いて言う物ですから……」

真木「お父さん。それについては浦井さんには突く様な事をしないで欲しいです。」

父親「私も知人から聞いた話、男や女性がそれぞれ同性同士で、恋人になるなど……どうも受け入れ難いところがあってね。その様な如何わしい飲食や風俗店にも出入りしているなど、あまり考えたくないところもあるんです」

私「確かに、私は前職は貴方のおっしゃる通り、如何わしい店で働いていた事もあります。」

真木「浦井さん……」


私「今日初めてお会いさせて、こう申すのは失礼なことになりますが。ただこれだけは言わせてください。私はどんな事を言われても、どんな風に思われても構いません。私が居たお店では……誰一人私らの様な人間を邪険扱いした者はおりませんでした。日本人はおろか、世界中でも私らと同じ様に苦しみながら、密やかに暮らしている人達は沢山いるんです。その様な少数派の者達が、いつかの多くの人達に解ってもらえる時代が来てくれると……信じています。だから、私はどう見られても良いです。淳弥君の事はどうか……ご家族様で見守っていただきたいんです」


母親「浦井さん。頭を上げてください。私達家族は淳弥の事を大事に育ててきました。だから、親としてこの子の意見も尊重してあげていきたいんです」

父親「母さん……」

母親「貴方が淳弥と親しくしてくれるのは大変嬉しいです。ただお互いの将来の事を良くお考えになりながら、お付き合いして欲しいんです。それはお分かりいただけますよね?」

私「はい。ご承知の上でお付き合いさせていきます。彼もご実家の継承もある事ですし。改めて考えていきます」

父親「貴方の様な実直な方で正直安心しています。長い目で淳弥の事見てあげてください」

私「ありがとうございます。」

真木「ありがとうございます」

父親「今日はもう少し家に居なさい。淳弥、自分の部屋にでも案内したらどうだ?」

真木「はい。これから案内します」

父親「私は店頭に戻ります。浦井さん、ゆっくりしていってください」

私「はい。」


真木の父親が居間の外に出ていくと、母親が反対側の縁側の中庭がある引き戸を開けて見せてくれた。母親が出て行き、私と真木は二人で会話をしていた。


私「此処からの眺めは良いな。」

真木「そんな大した事は無いです。広いだけですから」

私「親父さんに叱られるかもしれないと思っていたけど、話を聞いてくれて有り難いよ。」

真木「僕も何か言われるかと色々考えていたけど、ジュートさんの事分かってくれて良かった。」

私「一人でも良いから、俺らの事を気づいてくれる人がいると、また安心するな」

真木「正直、僕らはまだ恵まれている方だと思います。言えずに苦しんでいる人だっていますし。」

私「真木は婚約の件はこれからどう伝えるんだ?」

真木「少し先延ばししてくれそうだから、今後の事は僕だけで考えます。」

私「また何かご両親に言えない事が在れば私に伝えても良いんだぞ」

真木「ジュートさん、お気遣いありがとうございます。さぁ、二階に行きましょう。案内します」


真木は自分の部屋がある二階へと案内してくれた。扉を開けると、彼の部屋は6畳ほどの作りの居間だった。


真木「畳の上で申し訳ないです。どうぞ座って。」

私「緊張したよ。でもご両親とも穏やかな人で良かった」

真木「今、飲み物を持ってくるから待ってて」


暫く待っていると真木が飲み物を持ってきてくれた。


私「うわっ、サイダー?ちょうど飲みたかったんだよ」

真木「どうぞ飲んでください」

私「いただきます。……あぁ、落ち着いた。美味しい。」

真木「瓶の物持って来たから、さぁもう一杯飲んで」

私「ありがとう。そこの奥にデッサンが固まって置いてあるんだね」

真木「えぇ。学生の頃から描き貯めたものです。見ますか?」

私「ああ、見たい」


真木は美術学校の時から描き続けている絵画を何枚か見せてくれた。彼自身曰く、力強い物に惹かれやすい事もあり、その中の何点かは何かがみなぎる様に躍動感溢れる物まで描かれてあった。

私「これは、女性?」

真木「あぁ、それね。幻想的なタッチで描いた人魚の水彩画ですよ」

私「円形の水槽の中にいる人魚か。不思議な絵だな」

真木「異次元的なタッチが多いって良く言われたよ。自分ではそんなつもりでは無いですよね」


真木が部屋の扉に鍵をかけて、外から誰も入って来ないようにとした。

私「何故鍵をかけた?」

真木「逃げない様にする為に……」

私「何か言ったか?真木、どうした?」

真木「何でもない。時々親が勝手に入ってくる時があって、特に絵を描いている時に来られると集中が途切れてしまうんだ」

私「今日は私を描くのか?」

真木「いえ。防犯用って事も考えてかけました。あまり気にしないで」

私「お前、何か企んでもいるのか?」

真木「そんなに警戒しないでください。……僕の事、何か怖いですか?」

私「それは無い。まぁ、良いだろう」


真木が私に対して何をしたいかは大体分かっていた。ビジネスホテルに行ったあの時だって、直ぐに彼からドアの鍵をかけたのだった。


真木「ジュートさん、今の時間は誰も2階に上がってくる事はありません。また、しませんか?」

私「俺にナツトが居るのに、どうして直ぐに求めたがるんだ?」

真木「貴方こそ、何時だって何処ででも出来る人なのに?」

私「何時でもとは、程があるぞ真木」


私は彼の腕を引き、身体を抱き寄せて、耳元で囁いた。


私「少しだけなら構わないが……」


すると、真木は吹き出しながら笑ってきた。


真木「ジュートさん、僕もからかい半分で言っただけですよ。間に受けないでください」

私「そうか。それなら結構だ」

真木「でも、嬉しいです。僕の事、考えてくれていないなら、今日家に来る事もないでしょう?」

私「お前が婚約を止めたい事で、頼れるのが俺しか居ないと言っただろう。誰の為に時間を作ったと思う……」

真木「何時でも真剣なんですよね、ジュートさんって」

私「頼りになる事なら、頼まれた事は最低限引き受けたいし。お前の為になるなら、少しは力にもなってあげたい所もあるしな」

真木「僕の為ですか?」

私「そうだ。何か悪いか?」

真木「揶揄からかうと言うのは冗談です。折角僕の為を思って来ていただいているのに……すみません」

私「そこまで落ち込まなくて良い。困っている仲間が居るなら、俺でも良いなら、手を差し伸べてやりたいんだ」


真木は扉の鍵を開けて、俯きながら話していた。


真木「鍵をかけるなんて、子供じみた事をしてすみません。ナツトさんの所に行かせたくないんです。僕は……やきもちをやいています」

私「真木……」

真木「貴方方が羨ましいです。本当の家族の様に親しくしている仲で、お互いの事を良く分かっていて。近くに同性愛の事に理解していただいている仲間が居て……そんな理想の現状があって生きていれるなんて、他から見ても素敵じゃないですか」

私「俺達なりにも、それなりの苦悩はあるよ。毎日が気分が良いなんて日はない。俺が年上という事もあるし、何時まで一緒に長く居れるかさえ分からないよ」

真木「それでも、幸せですよね?」

私「あぁ。ナツト一人の事ではない。周りに生かされている事もあるし、与えてくれた分、恩を返さなければならない事もある。」

真木「恩を返す事は技量も必要ですしね」

私「まあな。ナツトの奴は兎も角、真木はまだ与えられる物の質を知っていく事も大事だしな」

真木「例えばどの様な?」

私「分からん、お前次第だ。出会う機会のある分だけ、その時に考えろ」

真木「僕もまだまだ半人前か……」

私「そうか?充分親孝行しているだろう?出来ているから、俺を此処に呼べたんだぞ」

真木「はい。感謝しています」


真木が落ち込んでしまい、これ以上言葉が出なくなってしまった。暫く沈黙が続く中、私はある提案をした。


私「この後何かあるか?」

真木「いえ。何も無いですが。何か?」

私「風呂行くぞ」

真木「え?」


私と真木は彼の母親に挨拶をした後、家を出て、千駄ヶ谷から数本電車を乗り継ぎ、代々木公園駅の近くにある銭湯へ行った。大浴場の中には年配の客が多く見られて、その中で私達は若い客層として紛れていた。洗い場で身体を洗い、浴場の中へ入ると先程の緊張感から解放されたかの様に湯に浸かっていた。


私「どうだ、気持ち良いだろう?」

真木「はい。小学生以来、来ていなかったので、凄く久々です。天井が高いですね」

私「二十代の時、京王線沿いに住んでいた事があって、良く此処に通っていたんだ。確かにこうして見ると広いな。」

真木「なんか、こういう所に来るのも良いですね?」

私「そうだろ?こうして嫌な事から解放させてやる事も大事だよ。」

真木「ジュートさん、僕忘れていました」

私「何?」

真木「愉しむという事。貴方が以前僕に何事も愉しむ事が大事だって教えてくれたじゃないですか」

私「そうだったな。思い出したよ。あの頃お前も色々悩んでいただろう?銭湯でも何でも娯楽を見つけて愉しむ事が良いって事だよ」

真木「また貴方に気付かされました。……はぁ、熱いな。僕、先に出ます」

私「あぁ、俺ももう少ししたら上がるよ」


真木は先に浴場から出ていき、十分後に私も上がっていった。脱衣所で予め持ってきていた手拭いで身体を拭き、衣服を着ていると、ある物に目が入ったので、番台の人に声を掛けてお金を払った。


私「おばちゃん、あの冷蔵庫の珈琲牛乳二本もらうよ」

番台「あぁ、良いよ。……はい、お釣りね」

真木「何ですか?」

私「はい、珈琲牛乳。懐かしいだろう?」

真木「僕、初めて飲むかも知れません」

私「そうなんだ。一緒に飲もう」


透明な牛乳瓶の中に入ってある珈琲牛乳の蓋を開けて、二人で飲んでいると、小さな子供がクスクスと笑いながら、私達を見ていた。


真木「甘くて美味しい。結構気持ちもすっきりしますね」

私「良かった。やっと笑ったな」

真木「ジュートさんも今日自宅に来て、大分強張っていましたよね」

私「そうだな」

真木「あぁ美味しかった。ご馳走様でした」

私「じゃあ、そろそろ行こうか」


銭湯から出て駅へ向かう途中、二人で会話をしながら人通りの少ない夜道を歩いていた。

私「今日は風が気持ちいいな。今時期の夜道も悪くはないな。」

真木「ジュートさん、今日は色々ありがとうございました。」

私「こちらこそ実家にお邪魔させて話もさせてくれてありがとうな。ご両親に宜しく伝えてくれ」

真木「はい。また、近いうちご一緒させても良いですか?」

私「ナツトの居ないうちにそんなに俺と抜け駆けでもしたいか?」

真木「いえ。そんなこと言わないでください。抜け駆けだなんて…」

私「冗談だよ。気晴らしに俺とあちこち行きたいんだろ?」

真木「ええ。会えるうちはご一緒させてください」

私「分かった。また連絡するよ。新宿まで一緒に帰ろう」


代々木公園駅から小田急線の電車に乗り、新宿駅に着くと、お互いに別の路線に乗り換えて各自自宅へと帰って行った。私は自宅に着くと、真木から借りた手に持っていた手拭いを渡すのを忘れてしまった。彼の家に電話をすると母親が出て来て、手拭いの事を伝えると差し上げますと返答してくれた。電話を切り暫くすると、もう一度電話が鳴ったので出てみたら、ナツトからだった。


ナツト「ジュート、何処か出掛けていたの?」

私「ああ、さっき銭湯に行っていたんだ。」

ナツト「そうか。だから電話出れなかったんだね。あのね、今度家族がジュートを連れてきたらどうだって話をしていてさ。今月の最後の週の金曜日、奥多摩まで真木も連れて家で泊まらない?」

私「真木も一緒に?いいのか?」

ナツト「うん。仲間が沢山いる方が楽しいじゃん。是非来てよ」

私「俺も当日早退できるか会社と相談してみるよ。真木にも伝えておくから」

ナツト「分かったよ。連絡待っているね。……ねぇジュート」

私「何?」

ナツト「大好き。」

私「何だよ。じゃあまたな。おやすみ」

ナツト「おやすみなさい」


翌週、就業先の事務所で打ち合わせが終わり、私は上司に休暇が取れるか相談をしていた。


専務「そうか。奥多摩かぁ。一泊か?」

私「はい。最終週の金曜日なんですが、当日の昼に早退したいんです。調整効きますか?」

専務「そうだな。今のところ職場も落ち着いている事だし、それであれば一日休んでも大丈夫だよ。ゆっくり行って来なさい」

私「分かりました、ありがとうございます。後程休暇届を出します。」

専務「確か浦井の友人の旅館だよな?親しく出来る仲間が居て良いね。」

私「色々彼とも付き合いが長いんです。親戚の子達がいるんで、遊び相手になってあげようと考えています」

専務「取り敢えず楽しんできなさい」

私「はい。」


私の休暇はなんとか取れた。後は真木の都合を聞いてからになるな。


数日後の晩、自宅に真木から電話がかかってきて、奥多摩の旅館に泊まる事を伝えたら、是非行きたいと返答して来た。


真木「僕も子供が好きなので、お会いしたいです。ご一緒させてください」

私「分かった。後程ナツトにも連絡しておくよ。」

真木「あの、今週の土曜日は予定はありますか?」

私「いや無いよ。飯でも食いに行くか?」

真木「はい。何処にしましょうか?」

私「そうだな。新橋にでも行ってみるか?」

真木「ええ。行きましょう」


当日の夜、新橋駅の高架下にある飲食店が並ぶ場所を歩いて行き、繁華街の中にある居酒屋に入った。


真木「僕もビールで良いですよ。あと焼き串の付け合わせを食べたいな。」

私「俺もビールにするよ」


注文したビールと焼き串が来ると、二人で乾杯をして、共にビールを流し込む様に飲んでいった。


真木「仕事はどうなんですか?忙しい?」

私「まだ閑散期だから、新規の仕事の量は少ない方かな。真木は?

真木「僕も休暇中とあって、ひたすら事務作業をしています。」

私「そういえば絵は描いているのか?」

真木「えぇ。描きたい課題が見つかって、今、下絵を描き始めたところです」

私「出来上がったら、俺にも見せてくれないか?」

真木「はい。自信は無いんですが。見せても良いですよ」

私「いつもなら堂々として描いたって言うのに、何かまたあったか?」

真木「僕個人の事だけなので、大した事ではないです。気にしなくて良いですよ。……すいません、ビール二つお願いします。」

私「もう飲んだのか?あまり飛ばしたりするなよ。」

真木「その辺はセーブしますから。ジュートさんも飲みましょう」


私自身の性癖なのか、真木が飲み物を飲んでいる時に、彼の口元や喉などを眺めていると、自然と身体が熱くなってきて、あの時に出す声までも想像する。大衆の場なのに、そんな事を悠々と考えてしまう。実際私は彼の事をどの位思っているのだろうか。ただの身体の関係で繋がって居たいのか、一人の人間として見守って居たいだけの優しさだけで接しているのか、脳裏が意乱するかの如く、落ち着いて整理がつかなくなってきてしまっている。自分はこんなに厄介な人間だったかと思うと、何処か情けなくなってしまうのである。そうこうしているうちに、真木が私より酔いが早く回ってきたのか、彼は薄ら笑いを始めてきた。


真木「僕もジュートさんみたいに、色んな人に愛されたい」

私「真木、大分飲んだな。もう出ようか?」

真木「ローズバインに居た時だって、皆んなジュートさんの傍に寄ってきて、楽しそうにして居た。僕は一人で孤立していた気もあった事だし」

私「もう昔の話だ。今はあの時とは違ってきている。こうして真木と顔を合わせているだけでも、安心するんだよ」

真木「僕は変わりましたか?」

私「あぁ。学校に就いてから、雰囲気も優しくなった。今が楽しいだろう?」

真木「楽しいですよ。ジュートさんと一緒に飲んだりしているのが、どれだけ幸せか……」

真木はそのままカウンターの上にうつ伏せになり、眠りかけていた。

私「真木……ったく、お前飲み過ぎたな。」

真木「今日、このままジュートさんの家に行きたい。」

私「親御さんには何て伝えてあるんだ?」

真木「友人宅に泊まるって言ってます。だから、連れて行ってください」

私「取り敢えず店を出よう。ほら、立って」


真木は眠たそうにしながらも、自力で立ち上がり、私達は店を出て駅へと向かって行った。大塚駅に着いて、路地を歩いていると、真木が嗚咽をし出したので、私は道の端に寄せて、背中を摩ってあげた。自宅へ着くと、灯りを点けて、居間の奥の間のベッドの上に真木を座らせた。


真木「ジュートさん、お水いただけますか?」

私「あぁ。……はい、ちゃんと持って飲みなさい」

真木「ありがとう。……はぁ、さっきよりは落ち着いたかな。すみません、もう一杯ください」


再び彼に水の入ったカップを渡すと、ゆっくりと飲んで、枕元にある本棚に眼鏡も外して置いていた。真木は無言で私に向かって手招きをしたので、何かと尋ねたら身体に抱きついて来た。


真木「今、貴方の絵を描いています。だから、また、裸を見せてください」

私「描いているの、俺のなのか?」

真木「好きな人を描いて何が悪いんですか?僕は間違えた事なんかしていない……」


真木は私をベッドに仰向けに寝かせて、口づけをしてきた。吐息混じりで口の中に舌を入れてきたので、私も応える様に自分の舌を絡ませた。


真木「酔いが覚めて来たみたいです。ジュートさん……目隠ししても良いですか?」

私「隠してどうするんだ?」

真木「二人で楽しみましょう」


真木は鞄から、スカーフの様な物と細い縄を取り出した。私に衣服を脱ぐ様に促してきたので、肌着一枚の状態になると、真木はスカーフを私の目を覆い後頭部で縛った。


私「その縄はどうするんだ?」

真木「またベッドに寝てください。両腕も枕の上に上げて」

私「縛り付けるのか?」

真木「はい。痛くしないんで、怖がらないでください」


私は視界が真っ暗になっているせいか、少しだけ怖さを感じていたが、真木が優しく口づけしてくると、気持ちが軽くなっていた。彼は私のシャツを胸元まで巻くし上げた。再び何か取り出す様な音が聞こえて来た。すると真木は首筋から何か柔らかい物を身体に触れさせて来た。私の胸や腹、脇の下から下腹部にかけて、持っているものでなぞる様に触ってきた。


私「真木。それ、何を持っているんだ?」

真木「羽根箒はねぼうきです。気持ち良くないですか?」

私「あぁ。」


真木は私が羽根箒で身体の箇所を触れる度、身体が反応するのを見て、彼もまた興奮を覚えていた。真木もまた上半身の衣類を脱いで、私の首元から下腹部、ズボンのチャックの所にかけて唇で舐める様に弄ってきた。私はその時、暗闇を必死で駆け抜けていく自分の姿が頭から思い浮かび、以前夢の中で見た向日葵畑が焼かれている光景が出て来ていた。


私「真木、止めろ。向日葵が燃えている」

真木「ジュートさん?」

私「これ以上燃やさないでくれ。頼む……っ!」

真木「ジュートさん、どうしたんですか?」


私はあの悍ましい場面が目の前で燃えているのに、恐怖を感じて、真木にスカーフを外す様に告げた。息が上がりながら目を開くと真木の顔を見て、身体を起き上がらせて、彼の身体にしがみつく様に身を寄せた。


真木「ごめんなさい。縄解きますね……悪夢でも思い出したんですか?」

私「いや。大丈夫だ。お前のせいじゃない。少し昔の事を思い出していただけだ」

真木「レイテ島の事ですか?」

私「店で働いていた時に時々見ていた夢で、向日葵畑が空襲で焼かれる風景が出てくる事があったんだ。今も似た様な画が浮かんできたんだよ」

真木「お互い辛い思いをしてきたのに、こんな事をして…僕はどうかしている」

私「……淳弥。良いんだよ、俺も最近、どうやら臆病になってきている気もするんだ。きっと年のせいかもな」

真木「ジュートさんは臆病なんかじゃありません。怖さを感じる事は至って一般的なものです。怯えて損をする事でも違いますし。……僕が居ますから。」


真木は私に口づけをして、肩に手を回して抱き締めていた。


私「今度は俺がお前を抱く。良いか?」

真木「飽きるまで抱いてください」


私は真木の頬に両手で暫くの間口づけをし、お互いのズボンを脱ぎ捨てて、真木を四つん這いに寝かせ、彼の背中や腰、尻を唇で噛みながら、愛撫していった。右手で下半身の下着の中を弄ると、彼が早くいきたがっていたので尻の穴に性器を挟み、全身で突いていった。夜中にかけて2回は性交を繰り返していった。お互いに抱き合う度、顔を見つめ合いながら、彼の白く細い身体を確かめて、身を寄せ合っていた。

翌朝、私達はお互いが目を覚ますと、外はにわか雨が降っていた。


私「おはよう。」

真木「おはようございます。」

私「寝れたか?」

真木「御陰様でぐっすりと眠れました……くしゅんっ。」

私「寝冷えでもしたか?」

真木「みたいですね、でも大丈夫です。」


私は真木の背後から身体を抱き寄せて、少しの間目を閉じて雨の音を聞いていた。


真木「ジュートさん、もう十分抱いたでしょう?」

私「雨の音が心地よい。お前の肌も綺麗で……こうして居たくなる」

真木「早く服を着ましょう。先にトイレ貸してください」


私は彼がトイレに居ている間、冷蔵庫の中を見ていたら、食材が少ないことに気が付き、衣服を着て出かけて行こうとしていたが、真木は朝食は自宅で取ると言い出した。


私「本当にいいのか?」

真木「ええ。あまりお腹もすいてないですし、自宅に帰れば、食べる物もあると思います」

私「じゃあ、駅まで送るよ」


雨が降る中、私達は商店街の路地を一つの傘の中に一緒に入りながら歩いていた。

暫くしてから、雨は止み傘を閉じて、また歩き出した。駅の出入り口に着き、真木は傘は必要ないから返すと渡してきた。


真木「次はナツトさんの旅館ですね。凄く楽しみにしています。」

私「彼奴も行ったら喜んでくれる筈だ。帰り気をつけて帰れよ」

真木「はい。では、また会いましょう。ありがとうございます」


最終週の金曜日、私と真木は新宿駅で待ち合わせをして、中央線で青梅まで行き、乗り換えをしてから奥多摩まで向かった。奥多摩の駅に到着して、改札を出ると、旅館の従業員でナツトの親族に当たる人が迎えに来てくれていた。


私「渡辺さん!ご無沙汰しています。」

渡辺「ジュート君、元気そうで良かった。こちらは真木さんでいいのかな?」

真木「はじめまして。今日はありがとうございます」

渡辺「いえいえ。さぁ、車の方へ行きましょう」


渡辺さんはナツトの叔父に当たる方で人当たりの良く気さくな方だった。山間部の川沿いを眼下に車が走らせると、私は窓と開けて、心地よい風に当たっていた。真木も顔を出して、山間の頂上を見上げていた。旅館に到着すると、仲居さんが出迎えてくれた。


仲居「こんにちは。ようこそおいで下さいました。お久しぶりですね。」

私「こんにちは。本当久しぶりです。旅館の皆さんも元気ですか?」

仲居「ええ。活気があって皆楽しく働いています。お荷物を持ちますので、中へお入りください」

ナツトの旅館は年季の入った古い造りになっているが、私にとっては何処か実家に帰って来たような気分になっていた。仲居さんに部屋を案内されて、和室の部屋に入り、荷物を置いて、窓辺の縁側に顔を出すと、反対側の窓辺から子供たちの声が聞こえてきた。


ナツト「おーい!ジュート、真木!」

私「ナツト、来たよ。久々だな。」

ナツト「今行くから待っていて」


ナツトが部屋に入ってくると親戚の子供たちが駆け寄ってきた。


子ども「ジュート!ようこそおいでくださいましたぁ」

子ども「来てくれたんだね、嬉しい!」

私「ああ、二人とも元気そうで良かった。夏休みは今月で終わりかい?」

子ども「うん。あのね、宿題がまだ終わらなくてさ。ジュート見てくれる?」

私「良いよ。あっちの部屋に行こうか?」

子ども「行こう!早く行こうよ!」

私「真木も行くか?」

真木「私はここで待っています。一緒に行ってあげてください」

私「終わったらすぐ戻るから。」


私は子供たちに両手で引っ張られながら、控室の居間にやってきた。テーブルの上で宿題を教えてあげていると、ナツトの母親が中に入って来た。


母親「ジュートさん、来て早々この子達の面倒を見てくれてありがとう。」

私「いえ、良いですよ。僕も皆に会いたかったし。自分の子供みたいで可愛いですし」

母親「今日は夕食は存分に振る舞いますから、この子達の事宜しくお願いします。あんた達、ジュートさんの事少しだけにしておきなさいよ。お客さんなんだからね」

子ども「はーい」

子ども「ジュート、此処の割り算教えて」

私「うん、此処はね…」


一時間ほど子供達の宿題をひと通り見てあげた後、部屋に戻るとナツトと真木が待っていた。


ナツト「子供達の事見てくれてありがとう。二人共しつこくなかった?」

私「そんな事無いよ。素直に聞いてくれて、宿題も進んでいたよ」

真木「子供達、ジュートさんの事知っていたんですか?」

私「あぁ、3年前にも子供達に会いに来た事があって。その時から、あだ名で呼ばれているんだ」

真木「それじゃあ、ナツトさんの事も皆さん知っていて?」

ナツト「僕が同性愛者である事は子供以外家族も旅館の皆んなも理解してくれているんだよ。」

私「皆んな優しいよね。俺も初めて来た時、何言われるか内心ハラハラしていたけど、親御さんに付き合っている事を打ち明けたら、逆に喜んでくれたんだ」

真木「皆さん心が広いんですね。凄いなぁ」

ナツト「初めはお店で働いている事を隠していたけど、ジュートの事を話したら、自由にやれって。そのままのお前で良いって言ってくれてね」

私「お姉さん達は今何処に?」

ナツト「館内で他のお客さんの対応をしているよ。ねぇ、今のうちに露天風呂行ったらどう?」

私「そうだな。真木、行こうか」

真木「えぇ。行きます」

ナツト「僕、仲居さんの所行ってくるから、二人で入ってきて。じゃあまた後でね」


ナツトが部屋を出て行き、私と真木も浴衣に着替えて、露天風呂へと向かって行った。一階のフロントの広間から続いていく十度程の勾配の下がる長い階段を降りていく途中で、私は仲居さんに声を掛けられた。真木は露天風呂に行くと言い出したので、先に行かせた。


仲居「向こうの部屋でナツト君が呼んでいるから、行って来て」

私「彼奴が?分かりました。行ってみます」


私は首を傾げながら、呼ばれた部屋の中に入った。室内は狭く棚の中には置き物が積んであった。するとナツトが入って来たので声をかけてきた。


私「こんな狭い所で呼び出して、どうしたんだ?」


ナツトは私を抱きしめて、無言のまま暫く辺りが静まり返っていた。


ナツト「会いたかったよ。ずっと忙しくてさ、バタバタしていて、身体も疲れていて。ジュートに会ったら早くこうして居たいって思っていた」

私「たかが四週間振りだろ?大袈裟だな」

ナツト「大塚に帰ったら、沢山甘えるから」

私「馬鹿だな。」


私はナツトの両耳を自分の両手で塞ぎ、音を立てながら口づけを交わした。ナツトも嬉しそうに笑みを浮かべて息を上げていた。


私「真木が待っているか、風呂に行く。誰か来ないうちに出よう」


扉を開けて誰か居ないか確かめながら、部屋を後して、露天風呂へと向かった。浴室の前に真木が立って待っていた。二人で脱衣所で衣服を脱ぎ、室外の露天風呂へ出ると、眼下に多摩川が流れているのが目に入ってきた。風呂に浸かると程良い湯加減で、気持ちがほぐれていった。


私「眺めが良いな。晴れていて良かった。」

真木「向こうの道路って先程僕等が通ってきた所ですよね。それにしても、此処は木々の緑が濃くて、良い風景だな」

私「絵でも描いたくなった?」

真木「はい。こういう風景画も良いですね」

私「俺らこの間も銭湯に行ったばかりだよな。良い意味で裸の付き合いをしているな」

真木「あはは。言われてみたらそうですね」


私は真木が旅館に向かう電車の中で、少し俯き加減に目線を下に向けていたので、悩み事でも出来たのかと思っていたが、こうして彼の笑顔を見ていたら、一安心していた。風呂から上がり、部屋に戻ると、ナツトや仲居さん達が夕食の用意をしてくれていた。テーブルに腰を掛けて、並べられた品々を見て私はあまりにも豪勢な食事に唖然としていた。


私「ナツト、これ懐石料理にしては、随分豪華じゃないか?」

ナツト「俺も此処までしなくても良いって言ったんだけど、女将であるうちの母親が張り切って板前さんに特別に注文したらしくてさ。あり得ないよね」

真木「此処までのお料理、見た事ないですよ」


3人分の食事が運び終わり、皆で箸を付けて食べていると、ナツトの父親が中に入ってきた。


父親「どうもご無沙汰してます。浦井君、真木さん、今日は来てくれてありがとうございます。」

私「こちらこそありがとうございます。お料理もこんなに沢山作ってくださって、なんと御礼をしたら良いか……」

父親「いや、良いんだよ。いつも淳哉と親しくしてくれて、本当に感謝しています。此奴、迷惑かけていませんかね?」

私「それは無いです。私こそ淳哉君にお世話になっていることばかりで。楽しく暮らしています。」

ナツト「お父さん、こちら真木さん。前にいた店で短期で働いていた事があって、それで、最近になって再会したんだ」

父親「そうか。真木さんもこんな古びた所ですが、ゆっくりして行ってください」

真木「はい。こちらこそありがとうございます」

父親「お二人共、淳哉の事、これからも仲良くしてやってください。愚息ですが、私達家族が彼にしてやれる事は最大限支えていきたいので。お願いします。」

ナツト「お父さん、もう良いよ。また明日帰る時に挨拶するからさ。」

父親「じゃあこれで失礼します。ごゆっくりお過ごしください」


会釈をすると、ナツトの父親は朗らかな顔をして、部屋を出て行った。私も以前初めて挨拶した時には、お互い緊張してぎこちない会話をしていたが、ナツトの母親が仲介する様にその場を宥めてくれた事がきっかけで、打ち解ける事が出来た。食事が終わると、三人でビールを飲みながら会話をしていた。


ナツト「もうお腹一杯。あんなに食べたの今まで無かったよ。」

真木「僕もです。あんなご馳走をいただく事が出来たなんて。旅館の皆さんに有り難くしないと。」

私「なんか不思議な光景だな」

ナツト「何が?」

私「こうして三人で話をするなんて、今まであったか?」

真木「そういえば無いですよね。お店でも殆ど会話した事無かったですし。」

私「あの時は、皆んな客人の相手をしていたから、忙しく働いていたな。懐かしいよ」

ナツト「皆んな、今どうしているんだろうね?」

私「ローズママの連絡先を知っているくらいだな。あと、常連客だった石田様。この間、連絡来てナツトと一緒に会いたいって言っていたな」

ナツト「石田様、どうしたんだろうね?」

私「また記念寫眞でも撮りたいんだろうか?今度聞いてみるよ」

真木「集合寫眞が有ったら、皆んなの絵でも描いたいな」

ナツト「そうだ、真木。絵の方は進んでいる?」

真木「それなりに。画家になるにはまた離れて行きそうな気がしているよ」

私「そんな事言わないで、兎に角続けて描いていろよ。見てくれる人は出てくるからさ」

真木「そうですね。悩んでばかりも、居られないですし」

ナツト「悩みか。ジュートって悩みとか無いの?」

私「俺?唐突だな。大した悩みは無いかな。」

ナツト「その単純さが良いよね。俺、ジュートに対してあれこれ悩んでいる事あるのにな」

真木「何ですか?」

ナツト「あのね、ジュート、他の男に色目使って俺の知らないうちに会っているんだよ」

私「馬鹿言え。色目とかこの年でお前みたいに色気出しながら出来るか」

ナツト「目の前に、真木がいるじゃん」

私「はっ?」

ナツト「俺が居ない間、真木と会って何しているの?」

私「飯とか食いに行って、お互いの仕事の話とかしているよ」

真木「そうですよ。お酒もいただいたりして、そのくらいしかお話しません」

ナツト「飲んでから、ジュートの自宅で何しているの?」

私「お前、何を疑っているの?」

ナツト「八年前だっけ、二人で上野のビジネスホテルに泊まったって。」

私「あれは昔の話だ。真木が俺らと同じ様に同性愛者である事を家族に言えなくて、悩んでいた事があって、誰も居ない所で話がしたいから、行っただけの話だ」

ナツト「別にホテルじゃなくても、他の場所でも話せる話じゃん。…隠さないで話してよ」

私「そうだ。彼と関係を持っている」

真木「ジュートさん。」

私「ナツトの居ない間に、家に泊まらせた。俺が我慢出来なくて……彼に求めた。」

ナツト「真木。どうだった?」

真木「何をですか?」

私「彼に抱かれて何か感じなかった?」

真木「ジュートさんは、素直な人だなって印象です。2回程させていただきましたが、この人の性感帯を色々知る事が出来て嬉しいと言うか……」

ナツト「彼、どちらかというと絶倫だしね。色んな体位もしてくるし。いくときの突き出し方も激しいしね。」

私「あのな……俺を目の前にして何を言うんだ。場をわきまえろ」

ナツト「だって本当の事じゃん」

真木「痛い時、本当に痛いんですよ」


二人の剥き出しな会話に流石の私も顔を片手で覆ってうなだれてしまっていた。


私「ちょっと煙草吸ってくる。下に喫煙所があったよな。風に当たりたい」

ナツト「逃げるんだ?煙草は部屋で吸っても良いんだよ。」

私「ナツト……真木の前で止めろ。直ぐに戻るから」


私は一階の広間の廊下の脇にある喫煙所で窓の外を見ながら煙草を吸っていた。折角真木が気分転換になると思い、連れてきたのに、ナツトの奴、相当ストレス溜まっているんだな。都内に帰ったら沢山私に甘えたいか……。こういった山奥にいるのであれば、多少は気分が緩和する筈だが、彼にとっては、逆に寂しい思いを何処かでさせてしまっているのかもしれない。ただ真木との肉体的な関係はこのまま続けていく訳にもいかない。今後辛い思いをさせてしまっても、ナツトとの関係にもこじれてしまいそうで、その辺りを二人にどう修復させていこうか、一人で考えていた。

暫くして部屋に戻ると、真木が一人でビールを飲んでいた。


私「ナツトは部屋に戻ったのか?」

真木「はい。ナツトさん、むきになって申し訳なかったって言ってましたよ」

私「彼奴、熱が入ると意地っ張りになるところがあるからな。お前もさっきは言い過ぎだぞ」

真木「すみません。僕もつい釣られて言ってしまいました」


すると、仲居が部屋に入ってきて、布団を敷く用意をするのに来たと告げた。

私「何もわざわざ来なくても、私らでやるのに……」

仲居「女将から行ってくださいとお話があったので、来ました。折角の淳哉さんのお客様ですし、そのくらいはさせてください」

私「では、お願いします。真木、窓際の椅子に座ってて」


布団を敷き終わると、仲居が一礼をして部屋を後にした。


私「ビール無くなりそうだな。追加して持ってきてもらうか?」

真木「僕は結構です。さっきから飲んでいますし」

私「真木、ナツトの奴何か言っていたか?」

真木「……ジュートさんの事、どうしたいんだって言われました」

私「お前は、俺とどう付き合っていきたい?」

真木「出来るなら……僕はまだ貴方と関係を続けていきたいです。」

私「ナツトに何て言う?」

真木「隠してもバレるのは承知ですが、自分に嘘をつきたくないです。」

私「私の事をどう思っているんだ?まさか本気にしているとか?」

真木「肉体での繋がりだけでも良いです。貴方を、愛しています」


真木は私の座っている布団の上に座り、顔を近づけて話を続けた。


真木「未練がましいですが、僕のしている事は正当だとは言えません。でも、一番好きな人には、正直に居たいんです。」

私「俺がもし嫌だと言ったら?」

真木「……嫌なんですか?」

私「今はその時では無い。お前を嫌いになれないんだ。俺も未練がましいんだよ」

真木「ならば、同時にお付き合いしてください。僕は真剣です」

私「また酔ったか?」

真木「酔っていますが、貴方への告白には酔っていません。」

私「こっちに来い」


私は真木を自分の太腿に寝かせる様に寄せて、頬に口づけをした。


私「俺もナツトに煙たがられても、真木とはまだ一緒に居たいんだ。」

真木「それ、本気で言っているんですか?」

私「あぁ。俺も博愛主義者だからな」

真木「そんな……自分に酔いしれているんですか?」

私「笑うなよ。個人の信念があるんだ。プライドというか。……このまま引き裂かれるのは嫌だな」

真木「僕の手を絡ませて握って」

私「あぁ。」


言われた通りに、真木の手を握り締め、彼の唇を舌でなぞりお互いの舌を絡ませていくと、真木は私の手を自分の下着の中に入れて、お互いの手で性器を愛撫していた。私は彼の上体にまたがり、羽織りを脱がせて、肩を肌蹴させると、甘噛みしながら舌で舐めていた。更に真木の乳首を吸う様に舐めていくと、彼は喘ぐ声を出し、自分の左手の親指を噛み始めた。


真木「ジュートさん、加減しないで。もっと淫らになりたい」


真木の要求して来た事に応える様に、私は彼の浴衣の裾を腰の辺りまで捲し上げ、下着を脱がせて、私の両肩に彼の両脚を掛けて、性器をしゃぶる様に舐めていった。真木は布団のシーツを強く握り締めて、上体を反りながら涙声を出していた。


真木「どうしよう、気持ち良い……貴方が、此処に居てくれるだけで、幸せだ……」


私は肩に脚が掛けてある状態で、自分の下着を脱ぐと、お互いに硬くなった性器を擦り合わせながら、表情を眺めていた。あまり聞いたことの無い彼の吐息混じりの声に、私自身も興奮していた。気持ちが昂り合い、頭の先を突き抜けるような解放感で満たされると、真木は身体を起こして、私の身体を抱きしめて来た。


真木「また変な声を出しちゃった。」

私「身体、熱くないか?」

真木「熱いよ……貴方を全身で感じている。気が狂いそうだ……」

私「淳弥?寝ているのか……」


真木は余程気持ちが良かったのか、私の肩にもたれて眠りについていた。彼を布団に寝かせて、上から羽根布団をかけてあげた。床の枕元に点いている灯が真木の穏やかに眠る顔を優しく照らしている様に見えた。私も乱れた浴衣を整えて、布団に横になり、真木の表情を暫く眺めていた。

彼を抱く事は自分の本音を誤魔化しているわけではない。私自身も彼の前ではありのままの自分で居たいと考えている。ナツトと言う恋人が居ても、こんなにも抱くことが出来るだなんて。交わることでお互いを知る事ではなく、普段の何気ない会話の中で触れあってお互いの事を知っていきたい。そんな風に自然と言える日が来るように願いながら、私も眠りに付いていった。


翌朝、朝食を済ませて、身支度をしていると部屋にナツトがやってきた。


ナツト「おはよう。どう?眠れた?」

私「ああ、御陰様でぐっすりと眠れたよ。」

真木「僕もこんなに清々しい朝を迎えれたのは久しぶりな感じです」

ナツト「良かった。二人ともなんか顔がすっきりしている。今、荷物を仲居さんたちが運んで車に乗せていくからさ。もう出れそうかな?」

私「ああ。じゃあ行こうか。」

真木「はい。」


一階のフロントに行くとナツトの父親が待っていてくれた。従業員の渡辺さんが手荷物を車に乗せてくれた。


父親「また是非こちらにお越しください。皆でお待ちしています。浦井さん、しつこい様だが、淳哉の事末永くお願いします。此奴に色々世間体の事教えてあげてください」

私「こちらこそ今回はありがとうございました。僕も淳哉君と時間が取れたら、旅行でも行きたいですし。年上なんで楽しく面倒見てもらいます。」

父親「お気をつけてお帰り下さい。」

私「では、僕らはこれで失礼します。ナツト、待っているからな」

ナツト「うん。また連絡するね」


見送ってくれた人達に会釈をして車に乗り、旅館を後にした。奥多摩駅に着き、渡辺さんから荷物を渡されて、挨拶をして、改札の中に入って行った。二時間後、新宿駅に到着して、真木とそれぞれ別れて、自宅へと帰って行った。


九月の上旬の頃、ナツトは奥多摩から大塚の自宅に帰ってくる電車の中で、本を読みながら時間を潰していた。立川駅で乗り換えをしたが、間違えて東京駅行きのホームへ入っていき、そのまま乗車して、彼は疲労でいつの間にか眠ってしまい、気がついた時には御茶ノ水駅まで辿り着いついていた。仕方あるまいと思い、次の東京駅で他の電車に乗り換えて帰ろうとした。駅に着いて、乗り換えをするホームに続く階段を降りて、暫く歩いていると、或る小さな掲示板が目に入った。ナツトは其処に書かれている物の中に、或る人物の名前を見つけて驚いた。


ナツト「浦井直純様。生存を待つ。浦井絹子。…此れジュートの事かな?」


ナツトは他の場所にも伝言板があるかと思い、改札口を抜けて、二百メートル先にある別の大きな伝言板を見つけた。人混みを掻き分けながら、伝言板の前に立ち、各自書かれている伝言を辿っていくと、先程と同じ内容の伝言が書かれてあるのを発見した。


ナツト「浦井直純様。日野で家族と待つ。絹子。……間違いない。ジュートの家族の事だ」


その後、大塚駅の自宅に着いて、勤務先の会社に電話をしたが、既に退勤したと告げられた。自宅に着き、荷物を片付けていると、商店街で買い物を済ませて帰宅した私に、真っ先に告げて来た。


私「ナツト帰って来てたんだな、お疲れ様。……どうした?そんな怪訝そうな顔をして?」

ナツト「ジュート。僕、今日東京駅まで、間違えて乗り過ごしてしまったんだけど、たまたま乗り継ぎの構内にある伝言板でジュートの名前が書かれた物を見つけたんだ」

私「何て書いてあった?」

ナツト「浦井直純様。生存を待つ。浦井絹子。……他の場所にももしかしたら、あると思って、探しに行ったら、"日野で家族と待つ。絹子"って書かれてある物を見つけたよ。ジュートの家族で間違いないよね?」

私「絹子は俺の母親の名前だ。確かに見たんだな?」

ナツト「うん。近いうちに東京駅に行って、ジュートも伝言板に書いて来たらどう?進展があるかもしれない」

私「今更か。あれだけ電報を送り続けていたのに、今になって連絡してくるなんて。どうしたんだろう。」

ナツト「兎に角、ジュートも生きている事を伝えて、逢えるなら会った方が良いよ。僕も一緒に行くから。ね?」

私「本当に母親本人なんだろうか?信じられないな……」

ナツト「ジュート。信じてあげよう。何か急ぐ事でもあるかも知れないよ。」

私「そうだな。取り敢えず、明日、仕事の帰りに駅に行ってみるよ。早いうちが良い」


翌日の夕方、私は日暮里から東京駅まで電車で向かい、ナツトが見つけた伝言板の所に着いて、数多く書かれてある伝言の中に、彼から教えてくれた名前を見つけた。浦井絹子……確かに母親の名前だ。私は駅員に声を掛けて、この人物と接点がある事を伝えると、折り返し伝言板に書いても良いと返答してくれたので、伝言を書いた。


私「"浦井絹子様。生存確認有り。返事待つ。直純。"……これに気がついてくれたら、母で間違いない。」


私は僅かな希望でもあるなら、一刻でも早く母親に逢いたいと切実に願っていた。

一週間後、再び、東京駅に行き、先日書いた伝言板の前に立ち、目を追いながら探していた。すると、次の伝言を見つけた。


私「"直純様。九月二十日金曜日、中央線十八時着のホームにて待つ。浦井絹子"……お母さん。貴方で間違いないんですね……」


帰りの電車の中で、私は小学生の頃家族と過ごした日々の日常を思い出していた。父親は海軍少尉として、士官を務めていた事があった。その為家にいる時間は少なく、母と兄妹で過ごす時間が多かった。戦争が始まった後、家族と離れてしまい、それから二十年以上が経っていた。もし逢えた時に向こうは何て反応してくるだろうか。色々な不安な思いを感じていると、大塚駅に到着していた。私は慌てて電車から降りて、改札を抜けて、電柱の灯りを頼る様にゆっくりとした足取りで自宅へ向かっていた。家に着くとナツトが先に帰ってきていた。


ナツト「おかえり。どうだった?伝言あった?」

私「ああ。折り返し返事があって、来週の二十日に駅のホームで待つって書いてあった。」

ナツト「二十日だね。俺、多分休めると思うから、今、仕事先に電話してみるよ」

私「あぁ。」


ナツトが電話をしている間、私は彼が途中まで取り掛かっていた作りかけの夕食の支度に手を付けて、卓上に並べていった。


ナツト「ジュート。当日早番に替わってもらえたから、一緒に行こう。俺、茶碗と箸出すね」


夕食を食べ終えて、台所で食器類を洗っている時に、また朧げに家族の事を思い出していた。暫く呆然としていると、ナツトから、水道が出しっぱなしだと、声を掛けられ我に返った。私はレコード機器にレコードをかけて、窓辺の隅に座り、煙草を吸っていた。暫くしてから、ナツトが私の横に座り込んできて、彼は私の肩にもたれかかっていた。


ナツト「お母さんってどんな人なの?」

私「高等学校までの記憶しか無いが、明るく気さくな人柄って感じの人だよ。当時の近所の子供達にも手作りの菓子を作って食べさせて上げていた事もあったんだ。父親が留守で空いていた分、人に振る舞う事が好きだった人柄だったな」

ナツト「その性格はジュートそのままだね。お母さんに似たんだね」

私「母の影響は大きいよ。確かにローズバインで居た時も、客人に愛想を振る舞っていたのも、そうかも知れないな」

ナツト「俺に会っても驚かないかな?」

私「俺が説明するから、その辺は任せろ」


私が吸っている煙草をナツトが手に取り、彼がそれを口元で吸い込むと、軽くせていた。私は笑いながら無理をするなと言うと、自分も吸えると言い出して、また吸っては咽せていたので止めさせた。


翌週の約束の金曜日、私とナツトは東京駅の北口の改札口で待ち合わせをして、構内を暫く歩き進んで行き、三番線の中央線のホームの中に待っていた。十八時を過ぎた頃、ホームに電車が入ってきた。通勤や通学者の人達で溢れかえる中に、私はナツトと手を繋いで、母親を探していた。五分後、人気が少なくなって来た頃に、唐草模様の風呂敷を抱えた一人の女性の姿が見えたので、近づいていくと、母の絹子がこちらに向かって微笑んで見ていた。私は駆け寄り、母の顔を見つめた後話しかけた。


絹子「浦井、直純さんですね?」

私「はい。そうです。お母さんで間違いないですよね?」


母が頷くと、私は右手で敬礼の姿勢をして母に告げた。


私「浦井絹子様。遅くなりましたが、浦井直純、昭和二十年八月二十日。戦地から無事帰還しました事を此処にご報告致します」

絹子「おかえりなさい。手を下げて頂戴。もう戦争は終わったのよ。元気そうで良かったわ」

私「お母さん、生きていて嬉しいよ。」


私は目に涙を浮かべながら、思わず母を抱きしめた。母も安心したのか、私の背中を摩ってくれていた。私達三人は構内の喫茶店に入り、飲み物を注文をした後、今までの経緯を話し始めた。


私「それじゃあ日野市に移ったのは戦後から直ぐだったんですね。通りで前の住所に電報を送っても、届かない筈だ。」

絹子「私達も貴方が都内に居るかどうか探そうとしていたんだけど、なかなか手段を得る事が難しくてね。」

私「崇史と佳子は今何処に居るの?」

絹子「崇史は千葉に。佳子は静岡に居るわ。二人とも結婚して、子供と暮らしている。」

私「お父さんは?」

絹子「十年前に海軍から引き上げて今病院にいるわ」

私「どうかされたんですか?」

絹子「航海中に体調を崩して、医師に診て貰ったら、肺に結核ができていたの。士官を退いてからは、それからずっと病院で生活しているわ」

私「僕もお父さんに会いたいです。会わせていただく事はできますか?」

絹子「勿論よ。お父さんも貴方に会いたがっている。都合がつけば会いに来てほしいの」

私「その前に話しておきたい事があります。妻の泰江よしえとは八年前に離婚しました。」

絹子「じゃあ泰江さんの実家には婿養子として、跡を継がなかったの?」

私「はい。僕は、自分の性の対象が男女共にある身なんです。両性愛という言葉を聞いた事はありますか?」

絹子「新聞の記事で見かけた事ぐらいしかないわ。貴方、両性愛者なの?」

私「はい。二十歳頃に気がつきました。それで、泰江と再会した時には男色の人達が出入りする飲食店で働き、その時に事情を伝えて、合意の上で別れました。」

絹子「そう。貴方も独りで大変な思いを抱えてきていたのね。こちらにいる深瀬さんはご友人?」

私「僕の恋人です。今一緒に暮らしています」

ナツト「改めまして。直純さんとは十年前からお付き合いをさせていただいています。」

絹子「そうなのね。なんだか、まだ飲み込めなくて申し訳ないけど……お二人とも兄弟の様に仲が良さそうな雰囲気ね」

ナツト「ありがとうございます」

私「お母さん。なかなか理解し難い所もあると思うけど、僕は彼と永く一緒に生きていく事に決めたんです。だから、つまり……」

絹子「貴方が決めた事には口出しはしないわ。お父さんにも、話はしないから安心しなさい。」

私「こんな人間に育ってしまって申し訳ないです。でもこれが事実なんです。」

絹子「直純、今貴方、楽しい?」

私「はい。公私共に充実しています」

絹子「それで、良いのよ。」

私「え?」

絹子「貴方も立派な大人になって私も安心しているの。逞しくなったわね」

私「お母さん……」

絹子「取り敢えずまた日野に来た時に、お話を聞かせて頂戴。私は今日はこれで帰るわ」

私「名刺を渡しておくよ。……一番下の電話番号が僕の自宅の連絡先です。」

絹子「ありがとう。無くさない様に大事にしておくわね。」


私達は喫茶店を出て、四番線の中央線のホームに母を見送りに行った。


私「何かあったら、直ぐに連絡してください。会社でも構わないから。」

絹子「分かったわ。近くなったら連絡するね。貴方達も体調に気をつけて。ご飯もちゃんと食べるのよ」

私「お母さんも気をつけて帰ってください。連絡待っています。」


電車の扉が閉まり、発車してからホームに私とナツトは電車が見えなくなるまで、見送って行った。二人で別のホームに移動して、大塚の自宅まで帰っていった。駅に着き、路地を歩いていると、ナツトが笑い出したので尋ねてみた。


私「お前、何でそんなに笑っているんだ?」

ナツト「ジュート、何か気がつかない?」

私「……え?俺いつからお前と手を握っていたんだ?」

ナツト「東京駅から電車に乗る時に、人混みが凄かったから咄嗟にジュートから握ってきたんだよ。それからずっと繋ぎっぱなし」

私「色々、考え事していたんだな。それより、周りの人達に見られてなかったか?」

ナツト「うん。時々、見てくる人もいて俺もドキドキしていた」

私「……言ってくれよぉ。」

ナツト「だって嬉しかったんだもん。こうして外で長く手を繋ぐ事ってないじゃん?……これからはこうして繋ごうよ」

私「馬鹿言え。近所や知り合いの人に見られたら、何て説明する?」

ナツト「仲良しなんですって言えば良いじゃん」

私「子供じゃあるまいし、言えるか。全く。」

ナツト「今日は、良いでしょ?」

私「あぁ。特別だ」


私が照れ臭そうな顔をしていると、ナツトは吹き出しそうになっていたが、私は内心、母に逢えた事で、気持ちが安堵し、彼を一緒に連れて行って良かったと実感していた。


月末近くになった在る日の日曜日の午後、自宅に一本の電話がかかってきた。日野の母親からだった。父親の容態が落ち着いているから、近いうちに来て欲しいと告げてきた。


一月の第1週目の土曜日、私は新宿駅から電車を乗り換えて、中央線で日野駅まで行った。タクシーで父親の入院する病院に着き、病棟の待合室で待っていると、母がやってきた。病室に入ると、酸素ボンベの呼吸器に繋がれた病床の父親の姿が其処にあった。


絹子「お父さん、直純が来ました。」

元晴「直純か?」

私「はい。直純です。ご無沙汰しています」

元晴「生きていて良かった。お前、幾つになった?」

私「四十歳です。」

元晴「そうか。顔を良く見せてくれて」

絹子「お父さん。直純、貴方に似て、良い男になったでしょ?」

元晴「あぁ。立派な顔立ちをしている。」

私「今日、果物を持ってきました。後でお母さんと一緒に食べてください」

元晴「お前、私の好物を知っていたのか。流石長男。しっかりしている」

私「具合はいかがですか?」

元晴「あぁ。今日は調子が良い。お前の顔が見れて、益々良くなった」

絹子「直純。私、花瓶の水を取り替えてくるから、もう少し話をしていて。」

私「うん。」

元晴「今日は泰江さんは一緒じゃなかったのか?」

私「忙しくて、僕一人で来ました」

元晴「そうか。あの人にも苦労をかけていると思うが、皆元気でいられてる事が何よりの幸せだ。お前も一所懸命働いて、養うんだぞ。」

私「はい。」


暫くして、父親に挨拶をし、母と病院から出て、今住んでいる日野の自宅に訪れた。


私「自宅から病院が近くて良かったですね。」

絹子「えぇ。日野は住みやすい街だから、近くに立ち寄るにしても、不便さはあまりないわ」私「お父さん、ずっと病院で生活するんですか?」

絹子「そうね。本人が調子が良くても自宅に帰れる事は出来ないって主治医が言っていたわ。」

私「そうですか。あんなに体力もあって丈夫な人だったのにな……」

絹子「あまり気にかけないで。貴方達兄妹が元気でいれる事があの人の延命にも繋がるのよ」

私「やはり、お父さんから泰江の事聞かれました。元気で暮らしているって」

絹子「良いのよ。この間話していた事はずっと伏せておくから、貴方も深瀬さんを大事にしていきなさい」

私「お母さん。此れで良かったのかな?」

絹子「何?」

私「お父さんに何も言わずに生涯を過ごしていくのが何処か居た堪れない所があって」

絹子「そんな事言っても、きりがないわよ。決めた事はきちんと筋を通しなさい。それで親孝行になるなら、私は安心よ」

私「ありがとうございます」

絹子「そうだ。深瀬さんに持って行ってもらいたい物があるの」

私「何ですか?」


母は箪笥から銀行の通帳と印鑑を取り出して、私の元に置いた。


絹子「……これ。少ないけど、生活の足しにして使って頂戴。」

私「いや、いただけません。額が大きくて、使うだなんてとんでもない」

絹子「深瀬さんとどうお付き合いしていきたいの?」

私「できれば一生涯暮らしていければ良いかなと考えています」

絹子「ならばこれはきちんと受け取ってください。貴方達の為よ。……私に頼っても良いんだからね」

私「再会したばかりなのに、僕も頼るのはどうかと……」

絹子「正直、貴方が男性が対象だなんて、驚いて、いても立ってもいられなかったわ。でも、貴方の持っている道理を通して欲しいから、貫いていってください。ね?」

私「分かりました。此れは大事にして保管しておきます。本当にありがとうございます」

絹子「深瀬さんは新宿で働いていらっしゃるんでしたっけ?」

私「はい。飲食店にいます。」

絹子「この間会って思ったのは……女性の様な可愛らしい方だなって印象だったわ。貴方は深瀬さんの事どう考えているの?」

私「彼奴は僕に人を愛する事を教えてくれた人です。」

絹子「人を愛する?」

私「外観は柔らかい雰囲気に見えると思いますが、内心は知見を広げていこうとする努力の人なんです。彼から気付かされる事もあります。この十年で、僕も大分性格も丸くなった気がします。彼の御陰でもあるのです。」

絹子「そう言われると、生真面目だった貴方も優しくなったわね。深瀬さんの影響もそうだし、色んな人達に出会って気付いた事もあったでしょう?」

私「はい。自分の進む道に迷いはありません。良い仲間に恵まれている証拠です」

絹子「それくらい自信を持っていられるのなら、心配しなくても良さそうね。」

私「お父さんに何かあったら連絡してください。直ぐに駆けつけます」

絹子「それまでは貴方も、頑張るのよ。無理、するんじゃないよ。」

私「はい。それじゃあ僕は此れで帰ります。」

絹子「深瀬さんに宜しく伝えてね」

私「はい。また来ます。お母さんも元気で居てください。」


母と玄関先で挨拶して、家を出た後、日野駅まで徒歩で歩いていった。駅に続く日差しの指す並木道を歩いて行く度に徐々に風は冷たくなっていき、途中で立ち止まり上着を来て、再び歩き出した。日野駅を出発して窓の外を眺めていると、桜や銀杏の樹木が山間に並んで其の眼下に住宅街が碁盤の目の様に綺麗に立ち並んでいた。私の母がこの様な穏やかな町に住んでいることに、私は胸をなでおろしていた。


大塚の自宅に戻ると、まだナツトが帰っていなかった。時計に目をやると十六時だった。部屋の静寂が纏っていく中、私は、徐にテレビをつけて暫く時間を潰していた。十九時近くになったので、夕食の支度を始めた。ナツトはまだ帰って来なかった。食事を一人で済ませて、食器の後片づけをして、風呂に浸かり、浴室から上がった頃には二十一時を過ぎていた。ナツトの帰りが遅いと感じて、私は彼に何かあったのかと、鼓動が鳴り始めていた。その二十分後にナツトは家に帰宅した。


私「ナツト、遅かったな。どうした?」

ナツト「ごめんね。新宿駅で人身事故があって電車が一時間停まったんだよ。」

私「それなら、何処かの駅で降りてでも電話でもしろよ。心配したぞ……」


私はナツトに不意に抱きしめて、力が抜けたように身を寄せていた。


ナツト「本当にごめん。一刻でも早く帰ろうとして急いで帰ってきたからさ。……ジュート、顏がなんかやつれているよ。今日、ご両親と会ってきたんでしょう?どうだった?」


私は彼の顔を見て安心したのか、急に胸に溜まっていた思いが込み上げて来て、涙が流れてきた。


私「悪い。今日母に会って、父にも会えて……俺、ずっと心の中で生涯孤独のまま生きていくんだって、二十代の時に覚悟していたんだ。ただ今日、父の病床での寝たきりの状態を見て、俺は何処かで親不孝者になってしまっていたんだなって、考えてさ。ずっと胸につかえていたんだよ。」


私はそのまま床に泣き崩れてしゃがみ込んだ。ナツトは懸命にそうではないと励ましてくれた。


ナツト「無事に再会できたんだから、親不孝者だなんて言わないで。ジュートは充分頑張ってきたじゃん。僕もそれを見てきているから、しっかりしてよ。立てるかい?ベッドに座ろう。何か飲みたいものでもある?」

私「白湯をもらおうかな」


私が手拭いで顔を拭いていると、ナツトはやかんに水を張ってコンロに火を点けて、沸いた頃に何か棚の所から取り出してカップにお湯を注いでいた。

 

私「ありがとう。……これ柑橘系の味がするな。何か入れたのか?」

ナツト「柚子茶だよ。ジャム状にした柚子が入っている。身体温まるでしょう?」

私「ああ、美味しいよ。」

ナツト「落ち着いて良かった。いつものジュートだね」


ナツトは優しく微笑んでくれた。遅くなったがこれから夕食と取ると言い、卓上で彼が食事をつけている頃、私は次第に眠気がさしてきていた。枕元にカップを置き、そのまま身体を横にして、ナツトの方を向いて彼を見ていた。


ナツト「どうしたの?」

私「いや。何でもない。今日はこのまま眠ってしまいそうだ。」

ナツト「ご飯食べ終わったら、そっちに行くから。待っててね。」


深夜一時過ぎ。見たことない景色の中に私は一人で一筋の光に導かれる様に歩いていた。洞穴から出ると、足元は今にも崩れ落ちそうな道が崩れる寸前だった。私は心と身体が離れていきそうな感覚に溺れるところで、ナツトがほの暗い沼から腕を伸ばしてそれに掴みかかった。愕然としながら悪夢に陥って居場所が分からなくなっていた。もがき苦しみながら、ナツトの声を頼りに現実に戻った。目を覚ますと、居間の灯が点いていて、彼が私を抱擁する様に寄り添っていた。


ナツト「落ち着いた?」

私「少しは。お前居てくれたんだな」

ナツト「何時もより凄く唸っていたよ。あの向日葵畑の夢?」

私「今日は違った。何かに埋まりそうになる所でナツトが救ってくれたんだ。」

ナツト「寝汗が酷い。タオル持ってくるから服脱いで」


上着を脱ぐと、肌着まで濡れていた。ナツトがタオルを持ってくると、私の身体を拭いてくれた。


私「……悪い。こんなに汗だくになっていたんだ。」

ナツト「良いよ。此れで寝冷えしてしまったら、風邪引いてしまうからね。下も脱いで。着替えも持ってくる」

私「全身までかよ。何でこんなに……。ありがとう、横に置いておいて」

ナツト「明日午前出勤するんでしょ?行ける?」

私「勿論行くよ。たかが夢だ。気にしてないから」

ナツト「明日帰ってきたら、ご両親の事聞いても良い?」

私「良いよ。もう寝よう。お前も仕事あるだろう?じゃあおやすみ」

ナツト「おやすみなさい」


翌日の就業先の事務所にて休憩中に、専務が皆に氷菓を差し入れしてくれた。今日は今の季節にしては珍しく気温が高く、冷たい物で喉を潤したいと考えていた。赤く滲む様に氷に蜜が溶けて、気分転換をするのに丁度良い喉越しだった。社員の人達と雑談を交えて、作業に取り掛かっていると、社内の電話が鳴り、他の社員が対応していると、以前設計図を届けに行った美術学校の助教授からだった。

専務が私にまた書類を届けに行って欲しいと依頼されたので、午後から行く事にした。


時間になり、車で学校に到着して、助教授の控え室に書類を渡しに行った。日曜日という事もあり、学生は殆ど居らず、校内が閑散としていた。駐車場までの道を歩いている間、ふと私は真木の事を思い出していた。突発的に彼に逢いたくなり、講堂の出入り口にある公衆電話に立ち寄り、真木の自宅に電話をかけた。


私「もしもし。浦井です。淳弥さんはいらっしゃいますか?……もしもし?俺だ。真木、急に電話をして済まない。今日時間空いているか?」

真木「それでしたら、これからお会いしませんか?今、お店に来客がいるんですが、少しの間なら会っても宜しいです」

私「分かった。今から向かうよ。では後程。」


私は真木の自宅へ車で移動し、近くの駐車場に停めて、彼の自宅の玄関先に行った。中から真木が和装姿で現れて、私の前に立った。


真木「急にどうされたんですか?」

私「お前に話しておきたい事があって寄ったんだ。時間は大丈夫か?」

真木「今、中にお客さんが来ているんです。一度外に出ましょう。」


真木は中庭の裏口にある狭い小道の所に案内してくれた。


真木「今日出勤日だったんですか?」

私「あぁ。今美術学校に行って書類を届けに行って来て戻ってきたばかりなんだ。その帰り道に急にお前に会いたくなって、連絡した」

真木「何か急ぐ事でもありましたか?」

私「色々考えている事があって。……真木、俺と関係を続けたいというのは、本気か?」

真木「はい。きちんと考えています。」

私「俺なりに考えたんだが、これ以上俺とは会わない方が良い」

真木「どうして……そんな事言うんですか?」

私「お前は俺以外の人と一緒になる方が幸せになれる。だから、今度改めて会う時間を作って欲しいんだ。」

真木「嫌です。いきなり来て、返事なんか出来ません。僕は貴方と一緒に居たいんです」

私「俺はお前が考えている以上に卑猥な男だ。誰とでも何処でも寝る男なんだよ。」

真木「構いません。それに貴方は今、僕に嘘をついている。卑猥だなんて……貴方はそんな人間じゃない。」

私「お前は見かけしか俺を知らない。ナツトと居ても彼奴の目の前で他の人を抱く野郎なんだ。だから、俺に構わないで欲しい……」

真木「止めてください!……そんな事言うのは、貴方らしくない。また日を改めて会ってお話ししましょう。」

私「なら、今、証明する」


私は真木の腕を引き、後頭部に手を回して、彼に口づけをした。真木は息苦しそうにしていたが、私は強引に唇を離そうとはしなかった。やがて、お互いが身を離すと、塀の角からある一人の若い女性が近づいていた。


紗子「淳弥さん?その方誰ですか?」


婚約者の紗子さえこだった。真木が彼女の声を聞いて目を見開いて、振り向いた。


真木「貴方もどうされたんですか?お母さんは?」


すると、背後から真木の母親が駆け寄ってきて、いぶかしい顔で私達を見ていた。


母親「貴方達、何をしているの?」

真木「お母さん。すみません、急遽浦井さんが僕に尋ねて来て……」

母親「こんな所で如何わしい事をして。貴方、恥ずかしくないんですか?」

私「淳弥さんにどうしてもお話ししたい事がありまして、来させていただきました」

母親「今日は来客があるんです。申し訳ないですが、お引き取りください。淳弥、行きましょう」

真木「浦井さん……」


三人が急かす様に家の中に入っていき、私は一人で立ち尽くしていた。白昼堂々とこんな事をするなんて、私もどうかしていた。襟首のネクタイを緩めて、溜息を付いた後、車に戻り会社へと向かった。

夕方、自宅へ帰るとナツトが出迎えくれた。


ナツト「おかえり。遅かったね、忙しかったの?」

私「あぁ。午後から急遽外勤もあって、それで遅くなった」

ナツト「ねぇ、買い物は済ませた?」

私「済まない……うっかりしていた」

ナツト「じゃあ今から一緒に行こう。簡単に済ませて早く帰って来ようよ。」


ナツトは部屋着のまま、上着を羽織り、私を連れ出す様に手を引いて、外に出た。商店街のスーパーに着くと、ナツトは食材を選び、私に何が食べたいかを聞いて来たが、何でも良いと言うと、即座に自分の好きな物を作りたいと言ってきた。自宅に戻り、私は部屋着に着替えていると、ナツトは台所に立ち、夕食の準備に取り掛かっていた。


私「今日随分早いな。まだこの時間だぞ?」

ナツト「良いの。今日は食後に食べたい物があってね」

私「何?」

ナツト「内緒。後のお楽しにしておいて」


夕食を済ませて、ナツトが鼻歌交じりで楽しそうに、冷蔵庫から何かを取り出していた。


ナツト「ねぇ、テーブルに掛けて待ってて」

私「何だよ。随分嬉しそうだな」


ナツトが卓上に一ホールの数種の果物が添えてあるケーキを運んできた。


ナツト「今日何の日か覚えている?」

私「えっと、誰かの誕生日?」

ナツト「やっぱり忘れている。今日は俺らが二人暮らししてから、八年経ったんだよ。その記念でケーキ買ってきたんだ」

私「そうか……八年。そんなに経ったか」

ナツト「もう勿体ぶって。ねぇ、早く食べようよ」


ナツトは取り皿とフォークを食器棚から出して、ナイフでケーキを切り分けて、先に私に差し出してくれた。


私「美味い。生クリーム殆ど食べた事無いけど、こんなに美味いんだな」

ナツト「そうだよね。果物も沢山あって美味しい。」

私「忘れてて済まなかった」

ナツト「良いよ。ジュート忙しいもんね」

私「そういや、誰かから電話とかって来ていたか?」

ナツト「来てない。誰かくるの?」

私「真木からは、来ないよな?」

ナツト「彼、暫く会ってないよね。……ねぇ、今度三人でご飯食べに行かない?」

私「お前さ、真木とどういう関係か分かってるだろう?」

ナツト「知ってる。だから、良いじゃん。真木はさ、基本真面目だし、媚びたり、嫉妬したりしてこないじゃん?俺は歓迎したいなぁ」

私「何かまた企んでいるな?」

ナツト「もう、そういうの止めようよ。ご飯くらい良いじゃん。ね、近いうちにさ。どう?」

私「まぁ、飯なら良いよ」

ナツト「後で連絡先を教えて。俺からかけるからさ」

私「電話の横の電話帳に番号が書いてあるから、見ておいて」

ナツト「分かった」


ナツトが気分の良い時は必ずと言って良い程、裏がある。私を疑ったり、嫉妬めいたりと、今まで幾度なく行なってきたある意味実行犯だからな。恐らくだが、私の居ない隙に真木と二人で会うつもりだ。きっと別れ話を持って行こうとしているに違いない。ナツトの事を知っているがこそ敢えて突っ込まない方が良いのだ。


予想は的中した。二週間後の平日、私が時間外勤務で夜遅くに帰宅する事になっている日の日中、ナツトは仕事の早番を利用して、真木を新宿駅の東口の広間に呼び出した。ナツトが真木と打ち合い、新宿三丁目のビル街が並ぶ地下の喫茶店に入って行った。


真木「今日は早番だったんですか?」

ナツト「うん。少しだけ早く上がらせてもらえたんだ」

真木「あの、折いってお話というのは何ですか?」

ナツト「いつまで、ジュートと関係を持つ気なの?」

真木「期限は決めていません。向こうが別れたいと話して来たら、その時に考えます。」

ナツト「何がきっかけでジュートに近づいたの?」

真木「僕はジュートさんとは、ある意味身体の関係から始まった様なものです。」

ナツト「僕もだよ」

真木「え?」

ナツト「僕も、ジュートとは当時ローズバインの居間で肉体的な関係から入っていったんだよ」

真木「その時って、後悔とかしなかったんですか?」

ナツト「全く無い。寧ろ僕から誘ったから、後悔なんてない。ジュートは当初は狼狽うろたえていたけど、次第にお互いを知っていって、今では、家族の様に接する事が出来ている」

真木「家族か。其れもある意味お互いが理解しあっているから、続けられて来れたんですよね」

ナツト「彼は最近になって君と再会してから、身体の何処かで熱を帯びていったに違いない。それで、真木の事、束縛したくなったのかもね。でもね、ジュートは君を義務で抱いているんだよ。彼はああ見えて多情な面もあるんだ。真木、それでも本当にジュートが好き?」

真木「えぇ。好きな事には変わりありません。多情……そんな人に思えないけど。やはり、そういう人なのかと考えてしまう事がある」

ナツト「三年前にね、二人であるゲイバーに行った事があるんだ」

真木「男色が集まる所ですか?」

ナツト「そう。当時、店に何度か行って、その時にある人に出会ってね。彼は渾名でミノリと名乗っていた。」


2人が過去の話しをしている一方で、私は事務所で忙しく社員と共に先方に提出する設計図や書類の最終確認に追われていた。


係長「浦井さん。この顧客名簿のダブルチェックをお願いしたいの。出来そう?」

私「はい。出来ます。確認しますね」


渡された顧客名簿に目を通し、記載漏れがないか確認をしていた。私は似たようなある名前に幾度かペンが止まり、とある事を思い出していた。


私「みのる……みのり……ミノリ……」


ナツトが真木に話しをしていた、あの上野のゲイバー。アメ横から少し離れた繁華街に様々な飲食や風俗店が軒を連ねている中に、あるお店に目が留まり、ナツトが遊び半分でお店に入りたいと言ってきたので、私も当初は軽い気持ちで中に入って行った。中には十代から三十代位の男性達がカウンターやスタンド席で楽しげに会話をする様子が垣間見れていた。ナツトと暫く話をしていると、一人の男性が近寄ってきた。


ミノリ「あの、今日は二人で来たのかい?」

私「あぁ。そうだ。そちらも此処の常連でも?」

ミノリ「まぁそんな感じかな。一緒に飲まないか?」

ナツト「良いよ。ねぇ、名前は何と言うの?」

ミノリ「ミノリ。皆んなからそう呼ばれている。二人は?」

ナツト「俺はナツト。彼はジュート」

ミノリ「ナツトとジュートか。宜しくね。」


ミノリは大柄で身長して百八十センチ以上はある体格の良い男だった。建築関連の職に就いているとも語っていた。私とナツトの馴れ初めを話すと、ミノリ自身も男色だと打ち明けてくれた。三人で会話が弾み、終電近くまでお店には居た。その後、数回店に通ううちに、ミノリは私に好意を抱いたと話していた。


ミノリ「ジュート、お前はナツトが恋人だと言っていたが、本当なのか?」

私「あぁ、今一緒のアパートで暮らしているよ」

ミノリ「それは羨ましい。なぁ、今度家に来ないか?ゆっくり酒でも飲みたいんだ」

私「ミノリの家?まぁ、良いけど。いつにしよう?」

ミノリ「次の日曜日なんかどうかな?」

私「じゃあ連絡先を交換しよう。」


約束の日曜日になり、ミノリの住む錦糸町の駅で待ち合わせをして、彼の家に向かった。自宅に着くと、ソファに腰をかけて、彼は冷蔵庫から酒類を数本並べていった。


ミノリ「ジュートは家族は居るの?」

私「いや。戦争で亡くした。」

ミノリ「そうか。俺は家族は居るけど、自分の事についてはあの店に来る人間以外誰にも話した事がなくて」

私「パートナーは?」

ミノリ「居ない。こう見えて臆病なところがあってさ。好きになった相手に何て打ち上げれば良いのか、分からなくてさ」

私「素直に話せば良いじゃん。好きだって、伝えれば自ずと分かってくれる筈だよ」

ミノリ「ジュート。俺、お前に……あぁ!何か胸がつかえる。何て言えば良いんだ?」


私はミノリの横に座り、手を握ると彼は目を丸くして私を見ていた。


私「俺と、試してみる?」


するとソファの上に私を勢いよく押し倒して、うつ伏せになり上着の中に両手を入れて胸を弄ってきた。すると、間髪入れずに下着の中の性器を思い切り握りしめて来たので、思わず声を漏らしてしまった。


私「ミノリ、いきなり其処を握りしめるのはきついぞ……あぁ、そんなに強く握るなって」

ミノリ「黙ってこのままさせてくれ。お前が欲しいんだ」


ミノリは私の頭頂部を片手で押さえつけて、下着を脱がせてきて、直ぐさま自分の性器を尻の穴に入れて突いてきた。前戯も無いまま、激しく腰を上下に突いてきて、私はただ痛みに耐えていた。其れが終わると今度は私の足の指を舌で鳴らしながら舐めてきて、脹脛ふくらはぎ太腿ふとももを噛みながら、愛撫してきた。やや呆れながらも此処は耐えるしか無いと思い、私も彼の乳首や脇の下を舐めて、上目遣いで顔を伺うと私の頬に両手で抱えて、徐に口づけをしてきた。


ミノリ「ジュート、逃げるなよ」


私は仰向けにされた状態で、私の顔側に尻を乗せて、下半身の上に彼の顔が来る体制になり、彼は私の陰嚢を口で含んで転がす様にしゃぶり始めた。私は目を瞑りながら、兎に角声を殺して、息もできないくらい歯を食いしばっていた。ミノリが顔に近づいて、やつれたような表情をする私に対して、こう言い放った。


ミノリ「ナツトはこのぐらいお前にしてくるのか?」

私「場合によるが、確かに近い事はしている」

ミノリ「向こうの洗面台に立て」


私は背中を押されながら歩き、言われた通り、洗面台の前にかがんで立った。ミノリが私の腰を叩いて、尻を反るような体制を取ると、またもや尻の穴に自分の性器を突っ込み始め、腰を強く突いて来た。洗面台も揺れながら、私は鏡に写る自分の姿に興奮をして、喘ぐ声を漏らしていると、ミノリは其れを見て、顔がにやついていた。彼が絶頂になり、私の背中を抱きしめて来て肩に顔を埋めて来た。


ミノリ「お前、これに耐えるの、すげぇよ……。」

私「満足したか?」

ミノリ「あぁ。益々気に入った」


彼の場合、行為が終わると自分が満足できれば、他人の気遣いなど一切してこないという所があった。はっきり言ってこの手の人間は、野獣の様な風貌にしか見えて来ない。私は彼から要求される度、労って欲しいと告げたが、一向に聞く耳を持ってくれようとしなかった。


ある日、ナツトと三人でバーで話をしていた時、男色限定の宿屋式の店が有ると聞かされて、試しに行ってみようと言う話題になった。私とナツトは初めは拒んだが、加減をするから、着いて行って欲しいとせがんできたので、その日だけなら良いと返答した。バーから歩いて十五分の所にある店に着くと、ミノリは私の手を引いて、その後をナツトがついていく様に中に入っていくと、室内はベッドが二つ置いてあった。


壁は年季が入っているのか、隣の部屋の話声が薄く聞こえ来るくらいの簡素な印象だった。ミノリは私とナツトが性交する姿が見たいと言ってきて、躊躇いながらも、私はナツトの服を脱がせて、恥も捨てて、ベッドの上で正常位の体制で性交した。ナツトがいきそうな高揚する姿を見て、ミノリはナツトの身体を離して、私を無理矢理自分の身に引き寄せて、隣のベッドに突き放してきた。ナツトはシーツで身体を覆い、壁側にしゃがむ様に震えていた。


私「おい、其処まで強引に離さなくても良いじゃないか?ナツト、大丈夫か?」

ナツト「僕は大丈夫だよ……ミノリ手加減してよ」

ミノリ「ジュート。どっちが欲しいんだ?ナツトか俺か選べ」

私「今の状況じゃ選ぶどころか、犯している様にも思える。今日は止めた方が良いぞ」

ミノリ「簡単に引き下がるか。ジュート、這う様に立て」


ミノリは私を四つん這いにさせて、尻の穴に中指を入れてきて、もう一方の片手で性器を掴み揉み込んで愛撫してきた。私が苦しそうに息が上がっているのを見て、ナツトが困惑しながらミノリに告げてきた。


ナツト「もう止めろ。ジュートが苦しんでいる。」

ミノリ「ナツト、ジュートの横に来い。唇で愛撫してやれ」


ナツトは此処で逃げてしまうと、私を裏切ってしまうかも知れないと思い、私の枕元に座り込み、唇の中に舌を入れながら口づけを交わしてきた。私は八方塞がりの状態になり、2人からそれぞれ身体をあちこち弄られていた。何ふり構わず喘ぐ声も出してしまっていた。力の加減の違いにいつしか身体の芯から快感を覚えてしまったが、この様な始末に後が立たないと頭を過り、次第に嗚咽しそうな気分に陥っていた。暫くして2人が私から離れると、眩暈の様に視界が回っていた。


ナツト「ジュート……ごめん。痛かったよね?」

私「ナツト。俺、生きているか?」


ミノリは衣服を着て、何かを急ぐ様に部屋の外に出て行った。私は呆気に取られて、ナツトを慰めながら、店の外に出て、自宅へと帰って行った。その後、ミノリからは連絡がとれず、バーに寄っても彼の姿は無かった。一体何のつもりで私達に近づいてきたのか、結局のところ事情が分からぬまま終わってしまった。過去の出来事を思い返しているうちに、気が付くと、私は職場を退勤して、大塚駅の改札口を出て自宅へと向かっていた。


所変わって、ナツトと真木がいる喫茶店にて、話の事情を聞き、真木は顎に片手で覆いながら、暫く視線を下に向けていた。


真木「そんな事があったんですね。ジュートさん、辛かっただろうな……」

ナツト「俺も被害者ですけど。まぁ、その場に耐えた彼が雄々しく感じたかなって気がしたな。」

真木「其れであれば、ジュートさんは多情な人間とは言えません。」

ナツト「彼の人の何が良い?」

真木「僕には持っていない、男らしさと父性の様な強さがあって……皆に平等で接してくる愛嬌の良い方だと思います。」

ナツト「確かに彼は誰から見ても平等な方だね。俺が嫉妬しても翻す様に上手く交わしてくるし。」

真木「自分に婚約者が居ても、手放したく無いです」

ナツト「えっ?」

真木「僕はジュートさんが消えていなくなるのが、怖いんです。他の誰かを愛して、彼を忘れるなんで……出来ないよ」

ナツト「そんな弱音を吐くと、ジュートは益々突き放すだろうな」

真木「此処まで彼の人を愛するなんて、予測もしなかった。ただどうすれば、この迷いが無くなるんだろうか?」

ナツト「真木。自分の弱さに怯む事なく打ち勝つんだ。どんな弱い自分でも良い。己を知っている事が出来ていれば自ずと道は開ける……ジュートなら、そう告げる筈だ。」

真木「まさに、あの人が言いそうな発言ですね。やっぱり、ナツトさんはジュートさんの事をよくご存知だ」

ナツト「俺も色々彼にしごかれてきたよ。箸の持ち方が雑だから綺麗に直せとか、あまり人前でクネクネするなとか、オヤジか近所のおばちゃんみたいに口うるさい所も沢山ある」


ナツトの咄嗟に出た愚痴に真木は笑いながら、飲み物を一口飲んだ。


真木「ナツトさんとこんな風に穏和に話が出来るのも、此れも彼の人の御陰なのかな。」

ナツト「本来なら俺は真木に嫉妬する所なのに、其れをも通り越しているな。君の人柄がそうさせているのかもね」

真木「本当はお二人みたいに僕にもいつかパートナーが出来れば良いんですがね。」

ナツト「婚約者の女性とは、どうするの?」

真木「彼女は時間をかけて僕の素性を話していきます。きっとジュートさんの事も理解してくれる筈です」

ナツト「まぁその辺は上手くやれれば良いと思うよ。其処までジュートを考えているなら、俺も口出ししない。ただ、俺は絶対に別れないからね」

真木「いつか別れさせますよ。」

ナツト「あまり強気に出ると何かに痛い目に遭うよ」

真木「死ぬ気で居る心積もりですから……」

ナツト「真木……」

真木「僕も真っ向から己と戦いたいです」


翌週、自宅に1本の電話がかかってきたので、ナツトが出てみると真木の母親から来ていた。私が電話に出ると相談したい事があると話してきた。


私「私単独でそちらにお伺いしても宜しいんでしょうか?」

母親「えぇ。平日の日で申し訳ないんですが、お時間取れますか?」

私「では、明後日の午後にそちらに行きます。失礼します」

ナツト「話って何だろうね?」

私「真木自身の事らしいが、詳細は当日話すと言っていた。大した事でもないと思うが、取り敢えず伺って話を聞いてくるよ」


当日の日中、仕事を中休みとして使い、真木の家族に会う為に千駄ヶ谷に向かった。自宅へ着くと、玄関から婚約者の紗子が出てきた。居間に案内され、椅子に腰をかけると、早速真木の事について話をしていた。


紗子「わざわざお仕事を休まれてまで、来ていただいてありがとうございます。」

私「いえ。あの、今日はどう言ったお話で?」

紗子「淳弥さん、実は今年に入ってから、殆ど絵を描いていらっしゃらないんです。」

私「この間、こちらにお伺いして彼の部屋にあった何枚かの絵を見せていただきました。」

紗子「あれは、以前に描かれたもので、最近は全く手についていない状態なんです。」

私「何かあったんですか?」

紗子「淳弥さんのお兄様について、お話は聞いていますか?」

私「詳細は聞いていないですが、此処の跡を継いでいると伺っています」

紗子「実はお兄様、三年前にご病気で他界されたんです。なので、本来なら此処のお店を継ぐのが、淳弥さんにあたるのですが、画家になると言って、拒んでいるんです」

私「そうでしたか。僕はてっきり画家を目指す事を後押ししていました。そう言った事情があったんですね」

紗子「なので、浦井さん、貴方からも彼の人に説得する様に伝えていただきたいんです。勿論絵は彼の生きがいなので、描いていって欲しいんです。」

私「何故僕に打ち明けてきたんですか?」

紗子「お付き合いが長いと伺っています。それであれば、私達より貴方の方が受け応えしてくれると考えたんです。協力してくれますか?」

私「分かりました。後程彼にお会いして話をします」

紗子「貴方が誠実な方で良かった。」

私「其れはどう言う事でしょうか?」

紗子「この間、裏口の小道の所でお二人で話されている声を聞いて……お母様が卑猥な事をしていたと言い放ちましたが、違いますよね?」

私「いえ。私から彼にわざと口づけをしました」

紗子「じゃあ……彼をどう思っているんですか?」

私「僕は彼にとっては友人の一人に過ぎない方です。しかし、お互いが好意を持って接しているのは事実です。」

紗子「私には良く分からない事だらけで、淳弥さんとどう接すれば良いか、本当は聞きたいんです」

私「彼の事、ご家族からは聞いていますか?」

紗子「両性愛者だとは伺っています。」

私「紗子さんは其れについてどうお考えですか?」

紗子「私は……誰かを愛する事には口を出したりはしません。ただ今後の事を明確にしていただきたいのは本音です。浦井さん、どうかこれ以上彼の人に関わる事は避けてはいただけないでしょうか?」

私「僕も近々彼にその事について、話をしようとしています。私には恋人が居ます。其れを承知で淳弥さんと接するのは……今考えてみたら、やはり、皆さんを巻き込んでしまっていたんですね」

紗子「直ぐには仲違いになるなとは言いません。皆で説得すれば、いずれか考えも変わってきてくれると信じています。浦井さん、お力添えください」

私「分かりました。紗子さん、取り敢えず慎重に事を進めましょう」

紗子「はい。」


ある程度の事情を聞いたところで私は玄関先で紗子に挨拶をして外に出ようとした時、にわか雨が降ってきた。


紗子「此れ、傘お使いください」

私「済まない。では、次回お伺いした時にお返しします」

紗子「貴方は優しい方ですね。お話ししやすい方で良かった」

私「こちらこそお邪魔してすみませんでした。ではまた。失礼します」

紗子「お気をつけて」


外が次第に西風が強く吹いている中、傘を開いて急ぎ足で駅へと向かい、会社に戻って行った。


数日後の土曜日、私は真木を自宅に呼び、先日紗子から聞いた話を伺おうと待っていた。


私「お前、眼鏡はどうした?」

真木「それが来る途中で足を引っかけてしまい、道端に落としてしまったんです。ある程度は見えますので心配しなくても良いです」

私「中に入ってくれ……この間お前のお母さんから連絡が来て、自宅に伺ったんだ」

真木「何を話されたんですか?」

私「お前、絵を描いていないってどういうことだ?」

真木「実は去年から、なかなか筆を持つことが怖くなってしまったんです。構図は浮かんでくるものの、キャンバスに向かうと手が止まって震えてしまうんです」

私「何が原因で?」

真木「貴方に話しておきたい事がありまして……」

私「お兄さんの事か?」

真木「聞いたんですか?」

私「ああ。すでに亡くなっていると聞いた」

真木「今年の六月が丁度祥月命日で三回忌でした。その亡くなる三年前に入院して、家族で看病していました。」

私「何の病気を?」

真木「胃がんです。数年しか持たないと宣告されてその通りになりました」

私「お兄さんの事、どう思っていたんだ?」

真木「兄とは五歳年が離れていて、僕の事を可愛がってくれていました。聡明で面倒見の良い、誰からも慕われる方でした。僕の….…初恋の相手でした」

私「初恋?」

真木「十二歳の頃でした。気が付いた時には、家族と言うより、一人の男性として見るようになっていました。わざと抱き着く度に、兄の背中が愛おしくなっていました」

私「それがきっかけで男性と接したいと?」

真木「ある意味そうです。兄が家を継いでからは忙しくて会話が少なくなりました。その頃、ローズバインで貴方に出会ったんです。何処となく兄の面影のある方だなと、そう見る様になっていました。」

私「お兄さんとの面影を重ねて、俺に寄って来たのか?今までそんな風に求めていたのか?」

真木「違う。兄と貴方を重ねるなら、此処まで貴方の傍には近寄りません。兄は兄です」

私「自分の背負っている悩みや傷を、消し去ろうとしていたんだな。俺ごときの為に……」

真木「貴方を愛する事が重荷になっていますか?」

私「俺はお前を抱いている時はナツトの事は忘れている。真木一人として向き合っていたのに、過去を宥める為に抱くなら、お前とは、これ以上触れられなくなる」

真木「見捨てると言う事ですか?」

私「いずれかは俺達がしてきた事を忘れて欲しいんだ。俺も、自分の今後がある」

真木「絵を描く事も諦めてはいません。貴方からも簡単に別れる訳にはいかない」

私「真木。此処は現実だ。小説や映画に出てくる様な甘い話なんて無いんだぞ」

真木「家族は捨てません。でも、跡は継ぎたくない。だから、僕と一緒になって欲しいんです。」

私「婚約者を裏切る行為は許さん。だったら俺はお前の前から消える」

真木「僕に協力してくれるんじゃなかったんですか?!それならあの家には戻らない。誰に許されなくても、僕は貴方に付いていく」

私「自分に甘えるな!俺としても、見切りを付ける時が来た様だな」

真木「ジュートさん……僕は兄が居なくなって、暫く抜け殻の様に彷徨い続けていました。でも貴方と再会して、脆くなった心が修復できていったんです。お願いです、あともう少しだけ傍に居させてください。」


真木は泣きながら私に向かって土下座をしてきた。私も胸が苦しくて、彼に手を伸ばしたいくらいだった。此処で彼を引き裂くと、違う何かに溺れさせてしまうからだ。真木は繊細だ。とてももどかしくてやり切れないが、彼の性格を考慮して、私は少しだけ折れる様な素振りを出した。


私「真木、顔を上げろ」

真木「嫌だ。協力してくれないなら、此処から動かない」

私「頼む。お前の家族の為に家に戻ってくれ。自分の為に絵を描いてくれないか……?」

真木「……まだ居てくれますか?」

私「俺も逃げない。もう少しだけなら傍に居るから」

真木「必ず……描いて見せます。時間をください」

私「今日はもう帰れ。此処で彷徨うろついているなら、その分を絵に費やせ。出来たら真っ先に俺に伝えろ」


真木は顔を上げて袖で涙を拭き、帰る支度をしていると、ナツトが帰ってきた。


ナツト「真木、来ていたんだね。」

真木「すみません。用が出来たので今日は帰ります。ジュートさん、お話聞いてくれてありがとうございます」


真木は私達に一礼して家を後にした。


ナツト「真木、目が赤くなっていたよ。泣いたの?」

私「少し口論になって、泣かせてしまった。暫くしたら立ち直れる奴だから気に掛けるな」

ナツト「あのね、今度から土曜日が早番になって日曜日が公休になったんだ。久々に土曜の夜、ジュートと一緒に長く居れる。ふふっ」

私「そんなに嬉しいか?」

ナツト「あれが出来るうちは毎週しようよ」

私「そっちの話か。ならば、俺は一人で外に飲んでくるかな…?」

ナツト「ケチ。なら、俺も付いていく」

私「一人でゆっくり気晴らしにしていたいよ」

ナツト「ねぇ、昨日石田様から連絡来てたよね。なんて話?」

私「記念寫眞を撮ろうかっていうらしいよ」

ナツト「良いね。石田様、良いタイミングで来てくれた」

私「タイミング?」

ナツト「俺らの事だよ。今年が八年目って事でさ。またケーキでも買って、何なら毎週お祝いしようよ」

私「あのな……全く。この間だって結局あのケーキ食い切れなくて、一階の大家さんに上げただろう?」

ナツト「一ホールじゃない。一カットの色んな種類のケーキを買うんだ」

私「食い盛りの学生かよ。」

ナツト「兎に角、石田様が言ってた日時に休み取れるか、相談する。石田様にも会えるのが楽しみだ」

私「そうだな。」


十一月に入った或る日の午後、私とナツトは三田の寫眞館へと訪れていた。中へ入ると、石田様が笑顔で出迎えてくれた。


石田「やぁ二人とも。ご無沙汰していました。その顔は元気な証拠だね?」

私「こんにちは。やっとお会いできましたね。僕らずっと石田様にお会いしたいって言い続けていたんです。」

石田「君達。もう私はあの店の常連客ではなくなったんだ。だから名前を様で呼ぶのは止めてくれ。」

ナツト「では石田さん。今日は折り入ってお話があると聞きましたが…どのような事で?」

石田「二人は出逢ってどのくらい経つんだ?」

私「十一年です」

石田「そうか。もうそんなに経つか。いやね、私の提案なんだが、君達の挙式的なものを開こうと考えていたんだ。」

ナツト「挙式ですか?でも、同性愛者はそういった事には国では不正行為に当たるとか…」

石田「挙式と行っても、正式なものではなくオリジナルで簡易的なものにしたいんだ」

私「ちなみに場所や正装はどう手配するんですか?」

石田「狭いですが……良かったら此処で」

私「此処の寫眞館で?」

石田「他に宛がなくて申し訳ないが、質素だが君達の為に執り行いたいんだよ」

ナツト「誰かは呼ぶんですか?」

石田「ああ。昔の知人達に声を掛けていてね。ローズママや洋子さんをメインに来ていただこうと予定している」

私「皆にか。僕らの為にお時間を作っていただけるんですか?」

石田「そうだ。何も細かい事は気にしなくて良い。皆で二人を改めて祝福したい」

私「万が一第三者の人間にバレたら、ややこしい事にならないかな?」

石田「君たちは色々な危機を乗り越えて来た仲だ。怪しまれない様に匿うから、その辺は私に任せてくれ」

ナツト「また、石田さんに僕ら甘えていいのかな?」

石田「良いんだよ。たった一日の事だ。そこまで怖がらなくても良い。」

私「日時はどうしましょうか?」

石田「土曜日辺りはどうかな?当日臨時休業して行うから。」

私「大丈夫です」

ナツト「俺も仕事を入れ替えれば出来ます」

石田「よし。此処まで来たんだから、後は進めていこう。衣装は私の知人の仕立屋が居るんだ。寸法を測るのにまた呼び出してしまうが、来週また此処に来れるかな?」

私「はい。一緒に行きます。仕立屋さんに宜しくお伝えください」


石田様の突然の提案に正直驚いた。しかし、二人の為に式を挙げてくれるなんて、私達はなんて恵まれた事なんだろうとナツトと一緒に心底実感していた。


或る日の二十二時。歩道の人気も無くなりかけていた頃、電話が鳴ったので出てみると、紗子からかかってきた。聞いたところによると、三日前から静岡へ外泊している真木と連絡が取れなくなり、心配して私のところに告げてきたという。ナツトも気にかけていたが、動きようがないので、彼からの連絡を待とうと話していた。二日後、私が働く事務所に再び真木の母親から電話が来て、本人が帰って来たと返事があった。その日の夜、私から真木の家に電話をして、彼から事情を聞いた。


私「何故連絡を途絶えていたんだ?皆心配していたぞ」

真木「すみません。河口湖の付近に住む友人の家に外泊していました。」

私「何をしに行っていたんだ?」

真木「絵を描きに行っていました。描きたい物に出会う事が出来たんです」

私「どんな絵を描いた?」

真木「次の日曜日、僕の自宅に来てください。その時に見せます」


約束の日曜日、真木の家に訪れて、彼の部屋に入っていくと、キャンバスに或る風景画が描かれていた。

私「此れは、富士山か?」

真木「はい、赤富士です。今時期に見れたのが珍しく、見た瞬間に筆を持って描きあげました。」


真木の描いた赤富士は空の背景に馴染む様に美しく、活力に満ちて豊かな色彩の筆触だった。私も思わず溜め息が溢れ、暫く絵を眺めていた。


真木「出来れば貴方とあの景色を見たかったくらい、飲み込まれそうな鮮やかさでした。数日粘って描いた甲斐がありました。」

私「紅と朱色の交わりが良い。敢えて人影も入れていないから、引き立つな。」

真木「帰りの朝もそびえ立つ富士山を眺めながら、東京に戻ってきました」

私「家族に迷惑をかけるなって、言っただろう?」

真木「母は捜査願いを出すなんて大袈裟な事を言っていました。……次回はちゃんと事前に言いますから」

私「困った息子だな」


真木は微笑し、キャンバスを布で覆い引き戸側の壁に立て掛けた。


私「真木、頼みがある。」

真木「どうしました?」

私「今月末の土曜日に、ナツトと知り合いの寫眞館で挙式を上げる事にした」

真木「お二人の?」

私「あぁ。特別に祝ってくれると話してくれてね。当日お前にも来て欲しいんだ」

真木「僕は出席しても良いんですか?邪魔にならないかな……」

私「ならないよ。寧ろ居て欲しいんだ。来てくれるか?」

真木「検討させてください。」

私「返事待っているから」


私は上着を羽織り、玄関先で真木に挨拶した後、家を出て、新宿のナツトの働く飲食店へと向かった。店内に入り、席に着いて注文をして、他の客の声に耳を傾げながら、煙草を一服した。店員にナツトが居るか聞いてみたが、早番で退勤したと返答された。此処に来て真っ先にナツトの顔が見たかった。食事を済ませた後、私は他の居酒屋へと行き、何杯かビールなどの酒類を注文をして、飲みあさっていた。


何故か幾ら飲んでも酔えず、二時間程経った後、席を立とうとした時に、脚が崩れてその場にしゃがみ込んでいた。気が付かないうちに、身体に酔いが回っていた。再び立ち上がり、いつの間にか重たく鉛がのし掛かった様な感覚で、店の外に出て、暫く長く続く人混みの中をふらつき具合で歩いて駅へと向かった。大塚に着いた頃には深夜1時以降になっていた。家の鍵を開けて勢いよく扉を閉めると、玄関先で倒れ込み、更に泥酔した身体が重たくなって起き上がるのが困難だった。


私「おい、ナツト!居るか?!ナツト…!」


ナツトは既に寝ていたのにその罵声の様な声を聞いて、居間の照明を点けた。


私「ナツト。立てない……先に水をくれ。」

ナツト「其処まで飲んだくれになって、何しているんだよ?」

私「いいから、水をくれ」


ナツトは呆れて、コップに水を注ぎ、私に渡してくれた。息が上がってまだ頭の中が響く様に痛みを感じていた。私は寝転がりながら、独り言の様に喋り込んでいた。


私「俺が今まで彼奴にして来た事の何が悪いんだ?彼奴を抱いたことの何が良くない?義務じゃないぞ。合意だ。お互い愛し合ってやったんだぞ。真木は苦しんでいたんだ。だからちょっとでも……ちょっとでも俺の愛を受け入れてやって、宥めたんだ。それの何がいけない?お前ら、男色に対して不平等なんて失礼だぞ?!」

ナツト「ジュート。起きて。さぁ、立ってよ。」


ナツトが私の肩を回して、靴を脱がせてから、私をベッドの上に放り投げる様に横にさせた。


私「服、脱がせてくれ。お前を抱きたい」

ナツト「こんな酔っぱらいの相手はしないよ。俺は布団で寝るから、ジュートは此処で寝て」


襖の引き戸を強く閉めて、ナツトは押し入れから布団を出して床に敷いて、身体を覆うように被って眠った。私もそのままベッドのシーツを纏い、身を包む様に眠りについた。


翌朝、目が覚めて、引き戸を開けると、ナツトが朝食を作って、卓上に並べていた。私は2日酔いの状態で未だ頭痛が治らなかった。


ナツト「おはよう。まだ辛いみたいだね。取り敢えず顔洗ってきてよ」


洗面台で顔を洗った後に私は慌てる様にナツトに駆け寄った。


私「今日月曜か?」

ナツト「そうだよ。二十三日。祝日の日だよ。会社休みだよね」

私「そうか…良かっ…あぁ目の奥や首が痛い。何処かで打ったのか?」

ナツト「ジュート。ゆっくりして居なよ。俺は今日は遅番だから、昼から出るよ。」

私「俺とした事が…多分だが帰ってきてから、叫んでいた記憶がある。何話していた?」

ナツト「確かに叫んでいたけど覚えていない。」

私「そうか。それにしても久々に昨日は飲み過ぎたな。いつ以来だ?」

ナツト「本当夜中帰ってくるの久しぶりだったよね。まぁもう良いじゃん。気持ち的にすっきりしたんじゃないの?」

私「済まない。」


少しだけ寝冷えしたせいもあってか、身体が何となく寒気がした。ナツトが作ってくれた味噌汁が温かく、噛みしめながら飲んでいるとナツトが微笑んでいた。十一時の時間になり、ナツトが出勤をして家を出ると、私は珈琲が飲みたくなったので、やかんに水を入れてコンロに火を点けた。押し入れから毛布を取り出して、身体を包んで居間に座り、お湯が沸くのを待っていた。気がつけば、来週はナツトとの挙式だ。西洋式で執り行うと話を聞いているが、一体どんな物になるのか、想像がつきにくかった。仕立て屋に衣装の寸法を測ってもらったが、仕上がりがどうなるかもあれこれ考えている間に、やかんのお湯が沸騰していたので火を止めた。


カップに珈琲を淹れて、窓際の小さな丸い卓上の隣に腰を下ろし、再び毛布を被って珈琲に口を付けた。風で窓が揺れる音がしたので、目をやると、落ち葉が窓を擦り抜けて、再び風と共に何処かへ吹いて行った。今年も一ヶ月程経つと終わってしまうんだと思うと、哀愁感が漂う気にも覚えた。


翌週の土曜日の午前、私とナツトは三田の寫眞館へと向かった。石田様から衣装を渡されると、着替え室の中で慣れない正装に戸惑いながらも、ナツトとネクタイや襟首を一緒に整えて身支度をした。ナツトが鏡に写る姿に暫く眺めていた。


私「ナツト。良い顔、しているな」

ナツト「ジュートも。格好良い。」


扉の向こうから叩く音がしたので、返事をすると、ローズママと洋子さんが中に入ってきた。


ナツト「ママ!久しぶり。元気だった?」

ママ「久しぶりね。ええ、元気よ。二人とも、今日はおめでとう。」

洋子「お久しぶりです。おめでとう、今日の晴れの日を迎えて良かったわ」

私「二人とも、僕らの為に来てくれたなんて…何てお礼を言えば良いか…」

ママ「良いのよ。石田様が連絡してくれて、是非行きたいって言ってね。さぁ、時間がないから、二人とも其処の椅子に掛けて頂戴。」

私「何をするんですか?」

ママ「髪のセットよ。そんなボサボサして式なんか挙げれるかい?私が整えるから早く座って」

洋子「私はナツトのお顔に白粉を塗ってあげるわ。綺麗にしましょう」

ナツト「えっ?良いの?嬉しい、お願いします」


二人から身なりを整えてもらうと、其処にもう二人の人が入ってきた。


真木「ジュートさん、ナツトさん、こんにちは。」

私「真木、紗子さん。来てくれたのか?」

紗子「今日お二人が式を挙げると聞いて来ました。ご両親には内緒で来たんです。…うわぁ、凄く素敵です」

ナツト「ありがとう。真木、どうして?」

真木「石田さんに事前に連絡をしたら、今日のお話を聞きました。折角なのでお二人を祝福したいと思って」

私「紗子さん、僕らの事は気掛かりにはなりませんか?」

紗子「とんでもない。こうして見ると、性別は越えられるものがあるんだなと気付かされました。今日お会いできて良かったです」

ママ「皆んな。時間が近いから先に席に行って待ってましょう。二人とも、しっかりね」


皆が出ていくと、ナツトと一緒に撮影場所を式場に見立てある白いカーテンの前に立ち、合図が鳴るのを待っていた。やがて、音楽が流れ始めて、カーテンを開けると、皆が椅子に座り此方を見ながら拍手をしてきた。私とナツトは赤く長い薄い絨毯の様な道の上を歩き、石田様の立つ祭壇の前に立ち止まった。


石田「本日は皆様、お集まりいただきまして、ありがとうございます。ささやかではございますが、此方のお二人の晴れの日をご一緒にお過ごしくださいませ。……浦井直純さん、深瀬淳哉さん。これから貴方達を婚礼の儀として、執り行なって行きます。此方の文を読み上げてください。」


石田様からパートナーとなる誓いの言葉が書かれた文面を私とナツトと二人で読み上げた。


「本日、私達はご列席の皆様を証人とし、結婚の誓いを交わします。いついかなる時も、お互いに思いやりの気持ちを忘れません。二人で力を合わせ、笑顔あふれる明るい家庭を築きます。どんな時も、日々の会話を大切にします。支えてくださる皆様へ。感謝の気持ちを忘れません。何時までも手を繋いで歩ける、仲の良いパートナーになります。これらの誓いを胸に パートナーとして歩んでいくことを誓います。昭和四十一年十一月二十八日。浦井直純、深瀬淳哉。」

石田「続いて、此方にあるミニブーケの交換を行います。二人とも手に取ってください……では、お互いにブーケを交換してください。これにてお二人が改めてパートナーとして認められました。ジュート、ナツト。おめでとう。」

「ありがとうございます」


改めて皆が拍手をして、私達はお互いに顔を向き合って笑顔が溢れていた。絨毯の上を歩いていくと、皆がそれぞれ紙吹雪を撒いて祝福してくれた。カーテンの前に立ち、一礼をした。

式が終わり、石田様が私とナツトの寫眞と出席してくれた全員の寫眞をそれぞれ撮ってくれた。ママ達が私らを抱擁して祝福の言葉を告げてくれた。

普段着に着替えた後、皆と寫眞館で別れ、ナツトがブーケを入れる花瓶が欲しいと告げてきたので、渋谷の雑貨屋に立ち寄り、花瓶を買って大塚の自宅に帰って行った。居間に上がり花瓶に二つ分の花を添えて、ナツトが眺めていた。私が夕食の準備をしていると、ナツトも手伝うと言ってくれたので、二人で支度をした。後片付けをしている時に、ナツトが傍に寄ってきて、私の頬に自身の顔を寄せてきた。


私「今日皆んな来てくれて良かったな。」

ナツト「うん。あんな風に祝ってくれたのが本当に嬉しかったね」

私「なぁ、今日久々にしないか?」

ナツト「……良いよ」


ナツトが左手の甲を手前に出してきて、良く見ると薬指に指輪が無い事に気がつくと、私はまたやったのかと呆れて告げた。部屋中のあちこちを見渡してみたが、何処にも見当たらない。まさかと思い、衣装棚の下の畳の縁を覗いてみると、指輪がぴたりと挟まっていた。


ナツト「こんな事あるんだね」

私「お前な、これで三度目だろ?何故落とした物を同じ所に挟む事が出来るんだ?」

ナツト「偶然だよ」

私「取り敢えず引き棚にしまっておけ。大事な物だ」


ナツトは反省しているのか、下に俯いたまま、膝を立てて身体を丸めながら、テレビを点けた。


私「ナツト、其処まで落ち込むな」

ナツト「もう指輪、付けれないな」

私「そんな事ない。無くさない様に大事に持って居れば良いんだぞ」

ナツト「だって…」


ナツトの背中を抱きしめて、頭を撫でると彼は私の首元に顔を埋めてきた。


ナツト「何処にも行かないで」

私「え?」

ナツト「他の人の所には内緒で行かないでよ」

私「行かないよ。真木の事は、此れきりにする。ただもう一度会わせてくれ。けじめをつけないといけない。」

ナツト「約束してよ」

私「あぁ。」

ナツト「真木は人当たりが良かったから、今回は許せた。俺の元に戻ってきてくれたから。ジュート、愛想振り撒き過ぎなんだよ」

私「なぁ、早くしよう」

ナツト「気が早いよ。沢山前戯してからだよ」


私がナツトの耳たぶを囓り、襟元の中に手を入れて胸を弄ると、くすぐったいと笑いながら、私の唇を舌で舐めてきた。両脚で腰を締め付ける様にまたがってきたので、彼のシャツのボタンを外し、シャツの中の肩に手を入れて脱がせた。


ナツト「ジュート、今日は寒いからそっちも早く上脱いで。温まりたい」


私は自分で上半身の来ている衣服を脱ぎ、お互いの身体を密着する様に抱き合わせた。舌を絡めながら口づけを交わしていると、ナツトはこう呟いた。


ナツト「僕の、モノだけで居て」


ベッドへ向かい、私が照明を消そうとしたら、彼は今日は点けたままにして欲しいと、女性が振る舞うかの様に甘えながら伝えてきた。何時になくその仕草が愛らしく見えたのか、私も直ぐに気持ちが昂っていた。ナツトの下半身を全て脱がせると、柔らかく下がった性器の先を舐めていき、次第に硬くなったのを見て、四つん這いの状態に体制を取らせた。彼の性器を握りしめて、背筋から尻にかけてなぞる様に唇と舌で舐めていくと、ナツトが気持ち良さそうに喘ぎ声を出していた。

私も高揚する身体が抑えきれず、ズボンと下着を脱ぎ捨てた。彼の首元に触れようとした時、彼の性器から生温かい精液が出て、シーツにかかってしまった。私は止めようかと問ってみたが、ナツトは後ろを振り向き、涙目になりながら、こう告げた。


ナツト「ジュートに中でイって欲しい」


その薄ら笑みの表情を見た瞬間、強い愛着心が湧き、彼の背中をきつく抱きしめた。


私「続けるよ」

ナツト「次は俺の番だね」


彼と肌を重ねて自分自身の事も愛おしいと感じながら、二時間の滴り落ちるほろ苦い蜜の味に酔いしれていった。


翌月の師走に入った最初の週の土曜日。私は真木を呼び出して、新橋駅から近い銀座にある喫茶店に入った。


私「あれから家の方はどうだ?」

真木「両親と話をして、後々、跡を継ぐ事に進める方向で取り敢えずは和解しました」

私「ならば、紗子さんとはどうするんだ?」

真木「時間はまだあります。ゆっくり付き合って、それから考える事にしました。直ぐには結婚する事は無いと思います」

私「そうか。お前、俺とはこのまま続けていきたいか?」

真木「貴方が以前、見切りをつける時が来たとおっしゃっていましたよね。僕もそろそろ好転するのに良い時期なのかと考えています」

私「お前が本心で言っているのなら、俺も悔いはない。」

真木「この半年間、短い期間で貴方に本気になるなんて。人は此処まで愛する事に真っ直ぐになれるものなんですね。でも、ただ甘えて居たかった事には違いないです」

私「俺と居た事で心境はどう変わった?」

真木「良い仲間に恵まれて生きているんだなと、貴方方を通じて実感しています」

私「貴方方?」

真木「ナツトさんです。彼の人は貴方と同様、寛容な人間だと思いました。此処まで関係を持って許せる人物は居ますか?」

私「居る割合の方が少ないな。これで男女の仲だったら、火花を散らしていたに違いないかもな」

真木「お互い、男だから良かったのかな。いや、貴方だからこそ、自由を覚えれたのかも知れない」

私「多様性という言葉を聞いた事があるか?」

真木「多様性?」

私「俺達の様に性的少数派の人達が、何時の時代か、理解してくれる日が来ると、そんな話を耳にした事がある。何かの影に隠れず、恐れる事なく、正々堂々皆と平等に共に過ごしていく時間を、俺達自身が作っていくんだ」

真木「必ず来ます。僕もそう願いながら、家を守っていきたいです」

私「真木。」

真木「はい。」

私「良い表情だ。」


その後、店を後にして、地下鉄銀座線の地下の連絡通路を二人で歩いて行き、次に乗り換える路線の案内板の下に着くと、真木は私に握手を求めてきた。


真木「貴方に会えた事で、また色々教わりました。どうかお元気で居てください」

私「あぁ。お互い幸せで居よう」


私は彼の手を合わせ、握った勢いで肩に手を回し、耳元でこう告げた。


私「俺を愛してくれてありがとう」


真木は微笑んで、互いに手を離すと、彼は小さく手を振り、先に家路へと帰って行った。

私も大塚駅へと着き、商店街へ買い物をして家に帰るとナツトが洗濯物を干していた。冷蔵庫に買ってきた食材を入れて、窓際に居るナツトの背中に顔を埋めた。


ナツト「おかえり、ジュート」

私「ただいま」


彼とのこの何気ないやりとりがどんなに愛おしい事か。誰に知られなくても良い。分け合える物ではない。二人だけで充分幸せなのだ。無駄な物を省く様になっていけているのも、きっと時間の御陰なのかも知れない。


明くる日、ナツトが外出している間、私は神田の書店へと出向いていた。靖國通りに面する古書店街と呼ばれる歩道を歩き、ある店に入り、新作の書籍を探していた。中には古書も扱っているだけに、年季の入った香りで店内を充満させていた。自分よりも高い本棚の上に、手を伸ばそうとしたが届かず、小さな脚立を使って、読みたい書籍に手を付けた。何冊か立ち読みをした後、二冊購入し店を出た。


信号を渡り、反対側の歩道を暫く歩いていると、洋食屋から漂ってくる匂いに反応したのか、腹が鳴ったので、其処から三軒隣の飲食店に入って昼食を済ませた。大塚の自宅に着くと、ナツトはまだ帰っていなかった。早速書店で購入した書籍を鞄から取り出して、窓際に座って暫く読んでいた。一冊読み終わり、もう一つの書籍を開こうとした時、ナツトが帰ってきた。


ナツト「先に帰ってきていたんだね。」

私「その紙袋、何か買ってきたのか?」

ナツト「うん。後で開けるから……なんか凄く良い匂いがする。何か食べて来た?」

私「神田でカレーライスを食ってきた」

ナツト「神田?良いな、俺もあそこの通りの店に行きたい」

私「今度一緒に行こう」

ナツト「付いていけば良かったな……」

私「次に行く店、今度案内してくれよ」


すると、ナツトが私の太腿の上に頭を乗せてきた。


私「お前、最近猫みたいに寄ってくるな。どうした?」

ナツト「毎週この時間に一緒に居れるのが、凄く嬉しくてさ。良いじゃん、膝元に乗るくらい」

私「今年のクリスマス、何買うか決めた?」

ナツト「去年は外食したけど、今回は家で食べよう。オードブルもう予約してきた。」

私「もしかして百貨店?」

ナツト「うん。種類が幾つかあって迷ったけど、二人前くらいのサイズにしたよ」

私「百貨店は高いんだぞ?お前、幾ら使った?」

ナツト「少し位奮発しても良いじゃん。」

私「正月の分も幾つか用意しないといけないんだからな。ちゃんと予算考えてくれよ」

ナツト「ケチ。普段は節度を守って使っているのに。……オヤジ」

私「何だと?」

ナツト「オヤジだよっ!」

私「お前、立て!」


私はナツトにいつしかテレビで観た格闘技番組の技を思い出し、片腕を彼の首に掛けて、両脚で身体を固定させて、思い切り締め付ける様な体制を取った。


ナツト「まっ、待って!苦しい!ジュート、勘弁してよ!」

私「誰がケチでオヤジだ?!当然の事を言っただけだろう。もう少し食らえっ!」

ナツト「嫌だよ。離してってば!」


暫くの間、二人で戯れ合う様に時間を過ごして居た。


二週間程過ぎた、クリスマスの前々日、仕事から帰ると、ナツトは予定通り百貨店にて買ったオードブルを卓上に乗せて、夕食の支度をしていた。


私「え?クリスマスケーキも?」

ナツト「いちいち突っ込まないでよ。十五号サイズだから、俺らで食べれるよ」

私「……まぁな。これ、小ぶりだがワイン。お前、飲めるか?」

ナツト「うわっ嬉しい。グラス用意するね」


卓上が何時もよりも華やかだ。着替えた後、グラスで乾杯をし、オードブルに箸をつけ、二人で美味しく食べて居た。ナツトがケーキを切り分けて、私に渡すと、彼が一度席を立ち、ある紙袋を持ってきた。


ナツト「これ、プレゼント。中開けてみて」

私「……これは、何だ?」

ナツト「バンドルって言って、手首に着けるアクセサリーだよ。今、着けてみて」

私「あぁ。……へぇ、洒落ているな。」

ナツト「紙袋貸して。もう一つある。……どう?お揃いのだよ」

私「良いね。ありがとう。」

ナツト「ジュートは?」

私「そうだ、俺もある。……これ、読めよ」

ナツト「小説?短編集なんだね」

私「お前、漢字苦手だろう?分からない所があったら、教えてあげるから読んでよ」

ナツト「うん。ありがとう」


年末近くのある日の午後。私は休憩時間に事務所の屋上に上がり、フェンス越しから見える日暮里の街を煙草を吸いながら見渡していた。今までの出来事を少しだけ思い返しながら、自身の心境が頭を過ぎった。これから出会うであろう人や物達は、私の様な人間をどう向き合ってくれるのだろうか。ただひたすらに、今のままで、共有できる時代が来てくれるのだろうか。


そうこうしているうちに、南から吹く冷たい風が身体を纏ってきたので、事務所の中へと戻って行った。退勤後、自宅に着いて、夕食を済ませた後、読みかけの書籍を読んでいた。

静かな時の音と共に、私はまた様々な事を考えていた。

昔と今とでは思考も変わった。物事を知り賢明な姿勢で居ようと努める一方で、どんなに親しい朋友と居ても、歳を重ねる毎に気鬱さも一頻ひとしきり感じる様になっていた。私はこの街であとどれくらい暮らしていけるのだろうか。

まだ何も知らずに共に過ごす時間は、この先の未来に光をどう照らしてくれるのだろうか。共鳴。其れを知らずに朽ち果てていく者達もきっと多いに違いない。


ナツトが帰宅した。彼も夕食を済ませて、後片付けが終わると、私があげた小説を読んでいた。


ナツト「ねえ、この漢字何て読むの?」

私「つぼみだよ。」

ナツト「次から次へと出てくるな。これ、読破できるのかな?」

私「時間をかけて読みなよ。また初めから、読み返せば、今より速く読めるようになるよ」

ナツト「来年はジュートの誕生日だな……」

私「また何か考えているのか?」

ナツト「真冬だけど、また何処かに行きたいなぁ」

私「自宅に居る方が安心だろ?」

ナツト「折角祝うなら、近場でも行きたいよ」

私「お前が傍に居るなら、部屋で暖まって居たいよ」

ナツト「また格好つけた」

私「言いたい事ははっきり言うよ」

ナツト「本音?」

私「あぁ。本音だ。逃したくない」

ナツト「惚れ直した」

私「これからも遠慮なく言っていくからな」

ナツト「……明日の献立何が良いかな?」

私「お前、年末休みは?」

ナツト「明日からだよ。御免、言うの遅くなった」

私「じゃあ、二人で買い物へ行こう。御節の品も幾つか用意しないとな。」


翌日の昼前。私はナツトと築地市場外へ出向いた。狭い路地に各店舗が並び、店外では、鮪の解体や魚介類等の量り売りで、威勢よく人だかりの中を溢れんばかりの活気で熱を帯びていた。更に狭い路地裏にある各店に立ち寄り、試食をしながら幾つかの品物を買っていった。大塚に着いた頃には、十九時近くを回っていた。商店街を抜けて住宅街を歩いていると、ナツトが一つくしゃみをした。


私「なんでマフラーつけて来なかったんだ?」

ナツト「今日は温かかったから、無くても大丈夫かと思ったよ」

私「もう着くけど……貸してやるからしておけ」

ナツト「温かい。ありがとう」

私「おい、腕に絡んで来るなって。誰かに見られたらどうする?」

ナツト「構わないよ。少しくらい良いでしょ?」

私「……分かったよ。少しだけな」


私はこう思う。自分自身の足取りで進んでいければ良いのだと。他の誰かの真似をしなくても良い。私は私だ。


東京はまた時代が混沌としながら突き進んでいく。歩道橋から見下ろす電車が通り過ぎた後の風の匂い、雲の切れ間から照り続ける陽の光、雑踏の中で寄り合いながら聳え立っていく高層ビルの群れ、薄暗い連絡通路を渓流沿いの方角に向かって流れる様に歩いている人達、夜一夜に漂いながら集う蜻蛉達の響音おと、加速を恐れずに突き進む都市開発が発展していくこの玉石混淆ぎょくせきこんこうと謳われる麓で、息つく間もなく私達は生きている──。


昭和四十二年。また新しい年を迎えることができた。そしてまた一つ歳も重ねた。早春の風が吹き樹々も一斉に芽吹き始めた。私はまたこれからも続いていくこの長い道を歩いていく。また皆に会える時には笑顔で会えることと願う。此の日記は胸の中にそっと閉まって置こう。


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