第9話
神殿に来たばかりの頃、ミュリエルは聖女候補の中でも落ちこぼれだった。
治癒魔法が大して使えなかったからだ。かすり傷くらいしか治せない。
治癒魔法が使えると分かって神殿に集められ修行を始めても、途中で治癒魔法が全く使えなくなる者もいる。そういう者が少なからずいるので、聖女候補としての期間があるのだ。
ミュリエルもこの調子なら治癒魔法が遠からず使えなくなるだろうと、誰からも期待されていなかった。
修行なのにミュリエルは治癒魔法のやり方はほとんど教えてもらえず、同じく落ちこぼれ組だったペトラと一緒にひたすら神殿周りを走ったり、掃除したり。期待されていないとそんな扱いだ。深い切り傷を治せるほどの力のある子達は熱心に当時の聖女が指導していた。
雑用と運動の日々の中、突然その瞬間は訪れた。
鉱山の落盤事故で、複数の聖女と優秀な聖女候補たちは王都から離れた町に派遣されていた。災害や大規模な事故の時は聖女が派遣されるのだ。
ペトラと雑談しながら神殿のイスを拭いていると、神官が走って来た。
「大通りで馬車が暴走した! 貴族含めて怪我人多数。治癒魔法が使える者は今すぐ来てくれ!」
神殿から近かった現場へ居残り組の皆で走って向かった。いつも走らされていたから息切れせずに楽だった。他愛もないことほどよく覚えている。
「息子を! 息子を助けてください!」
「夫が馬に踏まれて!」
「誰か! 息をしていないの!」
現場は阿鼻叫喚だった。既に事切れている人もいる。意識のない人を抱いて泣き叫ぶ人も。
ペトラと手をつないでいたが、彼女は神官によって別の場所に連れていかれてしまった。
「君! ミュリエル! 君はこっちだ! 同意は取った! 弱くても何でもいいからとにかく治癒魔法をかけろ!」
神官に手を強く引っ張られた。目の前に自分と同い年くらいの男の子が横たわっている。両足が変な方向に曲がっていた。
かすり傷くらいしか治せない私が治癒魔法をかける? この子に? 何の冗談だろう。
できなかったらどうしよう。いや、そもそも絶対に治せない。なんで? どうしてこんなことになっているの?
「聖女様、どうか……どうかお願いします」
男の子の横に跪いた彼の父親は仕立ての良い服を着ていたが、この騒動で埃だらけだ。縋るようにミュリエルを見ている。
どうして? どうして聖女たちはこの場にいないの?
あ、そうか。鉱山のある町に向かったからか。いや、聖女イーディスは高齢だから同行していないはずだ。唯一王都に残っている聖女を探したが、100歳を超える高齢とは思えない動きで白髪を振り乱しながらイーディスはもっと重症の人々に治癒魔法をかけていた。
父親は男の子の手を取ると、泣きながら話しかけた。
「レックス。聖女様が来てくださったよ。もう大丈夫だ」
聖女じゃない。なんなら落ちこぼれの聖女候補だ。この男の子は全然大丈夫じゃない。
神官がミュリエルの肩をおさえて男の子の横にしゃがませる。男の子は薄く目を開けた。
「ん……せいじょ……さま?」
ミュリエルは自分の無力さに無性に泣きたくなった。イーディスは忙しそうで頼れない。今、イーディスを呼んだらミュリエルのせいで誰か死ぬかもしれない。でも、呼ばなければこの男の子はこの後医者にかかっても後遺症が出るかもしれない。
後遺症は怪我の中でも治癒魔法で治すのが難しいのだ。後遺症が治るまで何度も何度も神殿で治癒魔法を受けなければいけない。
「せいじょさま……ありがとう」
男の子はミュリエルを見て安心したように笑った。
ミュリエルはさらに泣きたくなった。「ごめんなさい」と心の中で男の子に謝る。聖女候補になってから「ありがとう」と誰からも言われたことはない。こんな自分にありがとうなんて言って欲しくない。その言葉はふさわしくない。でも、ほんの少しだけ嬉しい。
せめてイーディスの手が空くまで。彼女の力がそれまで持つかは分からないけれど。それまでこの男の子の痛みを少しでも和らげよう。
涙をこらえて、男の子の足に震えながら手をかざす。
見たことがない強い光が視界を覆った。光が消える頃には男の子の両足は治っていた。
落ちこぼれ聖女候補だったミュリエルに‘覚醒’が起きたのはこの時だった。
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