最終話


    *



 モーレスは真新しい墓標の前にしゃがみ込み、ワインの瓶を供えた。

 墓標にはこう彫られている。


『アーミティッジ・ヘンリー』

"彼は私達に惜しみない知を与えた――この言葉の続きはいつか君の友が刻むだろう"


「よぅ、爺さん、シチリは行っちまったぜ……」


 フッと鼻で笑い、

「そっちは、ローレンスとよろしくやってるか?」と、優しい声で語りかけるモーレス。


 後ろでは、ヘンリーと親交のあった町の人達が黙祷を捧げていた。


 モーレスはゆっくりと立ち上がり、丘の上から眼下の街並みを眺める。

 強い風に吹かれ、菩提樹が葉音を立てた。


「あの子ら、元気にやってんのかねぇ……」

 隣に来たミレイが腰に両手を当て、ため息交じりに言った。


「さぁな……まぁ、あいつらなら、上手くやるさ……」

「そうだね」とミレイは返し、短く笑う。


「マーカスは?」

「まだ見つからないね」


「そうか……」

「なぁに、あいつは簡単に死ぬような玉じゃないさ、そのうち何食わぬ顔して、いつもの席で酒でも飲んでるさ」

「くっくっく、違いねぇ……」


 マーカスの捜索は続いていたが、行方はわからずじまいだった。

 荒らされていた街外れの酒場でマーカスを見たという話もあったが、結局、有力な手がかりとはななり得なかった。


「大聖堂の連中は?」

「相変わらず使者は来てるみたいだね、何人か今回のことを聞かれたそうだよ」


「……大丈夫なのか?」

「問題ないよ、本当のことなんて誰にもわかりゃしないんだから。目の前で見た私達だってわかりゃしないだろ?」と、ミレイが笑う。


「フッ、それもそうだな……」

「で、あの子の家はどうするんだい?」


「ああ、一応、アンナに片付けてもらってるが……農園もあるし、俺が預かることにした」

「そうかい、ま、それがいいね」


 モーレスは大袈裟なため息をつき、

「まったく、最後まで世話を焼かせやがってよぉ……」と空を見上げた。

「ふん、あんたも素直じゃないねぇ」

「うるせぇ」


「おーい、ふたりとも! サボってんじゃねぇぞー!」


 酒盛りの準備をしていたバートン達から声がかかった。


「おぅ、すぐ行く」

「さ、浴びるほど飲んで、さっさと忘れちまいな!」


 ミレイがモーレスの背をバチンと叩き、先にバートン達のところに向かう。


「いてて……ったく、加減しろって」


 後に続くモーレスは、オネットの墓に目を向け、

「約束は守ったぜ」と、小さく呟いた。



    *



 パランティア・ウェストライトブリッジ――。

 シクレッタからさらに西にある、小さな田舎町。


 この町には最近できたばかりのハーブ店があった。

 評判の看板娘の噂は、隣町まで聞こえるほどだ。


「じゃ、また来るねぇ」

「はーい、ありがとうございましたー」


 エプロン姿のマイカが元気よくお辞儀をした。


「ふぅ……あ、そうだ、これも片付けなきゃ」


 籠一杯に盛られた薬草を店の奥へ運び、その後は店先にある鉢植えに水をやる。

 その様子を眺める近くの女店主達は、皆一様に目尻を下げていた。


『しかし、ほんとうに働き者だねぇ』

『ああ、賢くて器量もよし、言うことないよ……うちの孫のところに来てくれないもんかねぇ』


『無理無理、マイカちゃんはお爺ちゃんっ子だからねぇ、本当に偉いよ。店を切り盛りしながらちゃーんとお爺ちゃんの面倒までみてさぁ……それに比べてうちの馬鹿息子ときたら……』


『でも、なんだって、こんな辺鄙な田舎町に来たんだか……』

『そりゃあ、お爺ちゃんの療養のためでしょ~、ほんと泣けてくるわよねぇ』


 女店主達が井戸端会議に花を咲かせていると、一人の若者がマイカのところにやって来た。


『ほら、また来たよ』

『あ~あ、花束なんか持っちゃって』

『この辺じゃ見かけない顔だね』


 噂をされているとも知らずに、若者は顔を真っ赤にしながらマイカに声をかけた。


「あの……! す、すみません!」

「はい、いらっしゃいませ」


 マイカは、にこっと微笑んで若者を出迎えた。

 若者の顔がさらに赤くなる。


「い、いえ、僕は客ではなくてですね……いや、客でもありますが、厳密にはその……」

 若者はぶるぶるっと顔を振り、仕切り直すように花束をマイカに差し出した。


「マイカさん! は、初めて見た時から好きになりました! あ、あなたはこの花よりもうつくしい! どうか、僕とお付き合いしていただけませんかっ!」

「ごめんなさい」

 ほんの一瞬の間も無くマイカは答える。

 

「そ、そうですよね……マイカさんのように素敵な方が僕なんかと……」

 若者はどんよりと今にも泣き出しそうな顔で呟く。


「いえ、違います」

 またも即答するマイカ。


「え?」

 若者が困惑した表情を浮かべる。


「私には決めた人がいます。それはもう、ずっと変わることはないんです。だから、決してあなたが嫌だからとか、そういうことじゃないんです」

「あ……あはは、なんだ、そっか、なるほど。はは、いやぁ~そうじゃないかと思ってたんです。はっきり言ってくれて良かった、うん。そっかそっか、お仕事の邪魔をしてすみませんでした、では――」


 若者は花束を握り絞めて走り去って行った。

 マイカが若者が落としていった一輪の花を拾い上げようとすると、花は風に吹かれ、空に舞い上がった。



    *



「ただいま~」


 私は玄関から中に向かって声をかけた。

 リビングに入り、カーテンを閉めようとして手をとめる。 

 白い灯台の周りを飛ぶ海鳥を眺めて、私は昔のことを思い出していた。


 最初にシチリとふたりで選んだのは、海が見下ろせる高台に建つ小さな家。

 赤い屋根が可愛くて、私は一目見て気に入ってしまった。

 しかも馬小屋もついていて、まさに私達を待っていたかのような物件だったのだ。


 シクレッタでの生活はとても情熱的だった。

 夏は浜辺に降りて夕陽を眺めたり、冬は暖炉の前で遅くまで語り合って過ごした。

 喧嘩なんてする暇がないくらい、常にお互いの好きをぶつけ合うのに夢中だった。


 次に選んだのは山間にあるロッジ風の家。

 シチリの実家に似ていて、とても落ち着ける家だった。

 私はシチリに教わった薬を作り、シチリは猟師のように狩りをして暮らしていた。

 夜は本を読んだり、ふたりで星を観に行ったり、時にはテントを張って外で過ごしたこともあった。


 ふたりだけの、とても濃密で、ゆっくりとした時間に幸せを感じた。


 でも、何度目かの冬に……ピウスが旅立ってしまった。

 とても、とても哀しかったけど、二人でピウスを弔ってあげた。


 墓標に『世界一、速い馬』ってシチリが彫ろうとしたのを必死でとめたっけ……ふふふ。

 結局、色々と相談して『ふたりの最愛の友、ここに眠る』と彫った。


 私はピウスに、彼をちゃんと迎えに来てあげてねってお願いをした。

 きっと私にはできないことだから……。


 それからシチリと相談して、また海の近くに引っ越すことにした。

 それが今住んでいるこの家だ。

 たぶん、この家が、最後の家になると思う。



 私はリビングを出て、シチリの部屋に向かう。

 少しだけ開いた扉から、オレンジ色の灯りが漏れている。

 ドアをノックしながら、ベッドで眠るシチリに声をかけた。


「ただいま、具合はどうですか?」

「あ……あぁ、おかえり」


 シチリが起き上がろうとする。

 私は慌てて側に駆け寄って体を支えた。


「無理に起きなくて大丈夫ですよ」

「うん……大丈夫、今日は何だか調子が良いんだよ」と、シチリが微笑む。

「そっか、よかったです」


 ベッドの脇に座り、シチリに寄り添った。

 いつものように、そっと優しく、私の頭を撫でてくれる。


 気付いたのはいつだったかな……。


 シチリの顔に小さな皺が目立ち始めた頃?


 それとも、シチリが良く休むようになった頃?


 私だけがあの頃のままだった。


 シチリは歳を重ねた。


 私も同じように老いていくんだとばかり思ってた。

 何も疑いもしなかった。


 でも、私だけが……あの頃のままだった。


「マイカ、風邪をひくよ……」

「ううん、大丈夫です。もう少しだけ……」


 シチリの手に頬を当てる。

 猫みたいに、すりすりと何度も頬ずりをした。


 ふと気付くと、外は真っ暗だった。

 いつの間にか眠ってしまっていたようだ。


「あ、ごめんなさい、シチリ――」


 見ると、シチリは気持ちよさそうに寝息を立てていた。

 私はシチリの額にキスをした。


「おやすみなさい、いい夢を見てくださいね」


 そう囁いたあと、毛布をかけ直して部屋の灯りを消した。



    *



 次の日の朝、部屋に行くとシチリが苦しそうに咳き込んでいた。


「ゴホゴホッ! ゴホッ!」

「大丈夫ですか⁉ い、いま、お薬持ってきますから!」


 すぐに私はリビングに走った。

 その辺が散らかるのも構わず、薬箱をひっくり返し、目当ての薬を握り絞めて部屋に戻った。


「シチリ! ほら、お薬ですよ、飲めますか?」

「……」


 無言で頷くシチリ。

 私はシチリを抱き起こして、薬を飲ませた。


「ゴホッ! ゴホゴホッ!」


 いつもよりもひどい発作だ。

 とても苦しそうにして、真っ赤になった顔を歪めている。


 見ているのが辛い。

 何もしてあげられないのが苦しい。


 胸が張り裂けそうになる。

 変わってあげられたら……せめて半分でも痛みを分けて欲しかった。


「シチリ……お願いですぅ……シチリぃ……」


 いつの間にか、私の視界は涙でぐちゃぐちゃになっていた。

 必死で背中をさすりながら、いつの間にこんなに痩せ細ってしまったのだろうと胸が痛んだ。

 私をひょいと持ち上げていた逞しい腕は、今では私よりも細い……。


「マイカ……」

「シチリ⁉ なんですかっ? ここにいますよ⁉」


「君は……な、泣いても……き、綺麗だね……」

 震える手で私の涙を拭う。


「も、もう! シチリったら……こ、こんなときに……」

「あぁ、楽になってきた……」

 シチリが水を飲む。


「久しぶりにこんなに水を飲んだな……何だか、生き返ったみたいだ……」

「よかった……咳がとまりましたね……」


 コップを受け取って、サイドテーブルに置く。


「ねぇ、マイカ」

「ん?」


 ――えっ?

 振り返ると、あの頃のシチリがいた。

 が、次の瞬間、それは錯覚だったと気付く。


「僕は……変わってしまったかい?」

「う、ううん、そんなことない! シチリは、ずっとシチリです!」


 嗄れた声、白くなってしまった髪、でも……何も、何も変わってない。

 いつも優しくて、私を一番に想ってくれて、楽しくて、かっこよくて、ちょっとだけえっちで……。

 シチリは……シチリは……。


「いいんだ、でも……これだけは言っておきたくて」

「い、いやです! そんなの元気になったらいつでも聞きますから!」


 涙を堪えて私が俯くと、シチリがそっと私の手を握った。


「マイカ……君への気持ちは、流星を見たあの夜から何も変わっちゃいない……。汽車に乗った時も、二人で初めて家を選んだ時も、こうしている今も、ずっと君を愛し続けてる……それが、僕のたったひとつの自慢なんだ……マイカ……」


「シチリ……シチリ……シチリぃ……だめ……だめです、許しません……許しませんよ!」

「……」


 シチリが私に倒れかかってくる。

 私はシチリをぎゅっと力一杯抱きしめた。


「シチリぃ……」


 悲しみが込み上げる。

 抑えきれない感情が堰を切ったようにあふれ出す。


「う……うわぁああああーーーーん、うわあああああーーーー!」


 叫んだ。

 泣いて、泣いて、泣き叫んだ。


 狂ってしまえれば……どんなに楽だろう。



「うわあああああーーーー!」



 彼のことを忘れられれば、どんなに楽だろう……。



「あああああぁーーーー!」



 シチリの中には、もう誰もいなかった。


 行ってしまった。



「うぅ……うぅわあああーーーん!」



 ピウスは来てくれた?


 私は……私のことは誰が迎えに来てくれるの?





 シチリ……逢いたいです。



 *



『一番海が綺麗に見える場所なんだよ』


 シチリはそう言っていた。

 ちょっと得意そうな、あの笑顔が忘れられない。


 世界にはまだ、シチリが見たかった素晴らしい景色があるはずだ。


 色んな場所へ行こう。


 色んな景色を見よう。


 色んな人に会って、色んな経験をしよう。


 お気に入りの白いブラウスと青いスカート。

 旅行鞄には、彼に貰った小さな鉄製の熊を入れて。


 私は店の扉の前に立ち、掛け札を『CLOSE』にする。

 静かに目を瞑り、そっと扉に手を触れた。


 シチリとの思い出が脳裏に流れていく。

 すべてが夢のようだった。



『――行こう、マイカ』



 風に乗って、シチリの声が聞こえた気がした。

 小さく頷いて、足を一歩踏み出す。



 私は旅に出る。

 いつか彼が迎えに来る日まで……。






    完



最後まで読んでくださってありがとうございます!

★やレビューお待ちしておりますっ!

よろしくお願いします!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

忘れられた聖女とひとりぼっちの薬師 雉子鳥 幸太郎 @kijitori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ