第33話

 僕はひたすら陽の落ちる方角に荷馬車を走らせた。


 疲れていたんだな……。

 隣には僕の肩に寄り添いながらマイカが寝息をたてていた。


 かなり走った。

 そろそろピウスも限界だろう、休ませないと……。


 手頃な水場があったので、馬車を停めてここで夜を明かすことにした。



 パチッ、パチッ……。

 焚き火の中で木片の爆ぜる音が鳴るたび、めまぐるしく動いていた頭が落ち着きを取り戻していくようだった。


 炎を見つめながら、ついさっきまで自分の身に起きていた非現実的な出来事を思い返す。


 あれは……本当に聖女様だったのだろうか。

 僕の怪我やモーレスさん達の怪我もなかったことのように、綺麗さっぱり元通りになっていた。


 木の根に包まれてしまったミハイル祭司……。

 僕なんかじゃ遠く考えも及ばないような力だってことはわかる。


 忘れられた存在……か。

 一体、彼女はどこに消えてしまったんだろう……。


「ん……シチリ?」


 毛布に寝かせていたマイカが目覚めた。


「ここにいるよ」


 僕を見るとマイカがにこっと微笑んだ。


「冷え込んできたからね、ハーブティー飲む?」


 コクンと頷くマイカ。

 コップにハーブティーを注ぎ、マイカに手渡した。


「熱いから気をつけて」

「ありがとうございます」


 ふー、ふー、とマイカが息を吹きかける度に、白い蒸気が広がった。


「あと半日くらいで国境かな」

「もうそんなに来たんですね」


「うん、ちょっとピウスには無理させちゃったな」


 眠っているピウスに目を向ける。


「朝、起きたら大好きなニンジンをあげないとですね」

「うん」


「シチリは眠ったのですか?」

「いや、何だか全然疲れてなくてね……不思議だけど」


 あの時包まれた、あの光のお陰なのだろうか。


「なら、いいのですが……無理はしないでくださいね」

「うん、わかってる」


「隣、座ってもいいですか?」

「えっ⁉ も、もちろんだよ、さ、さぁどうぞ」


 僕は慌てて座っていた丸太の上にマントを敷いた。


「そんな気を遣わなくても大丈夫ですよ、ふふふ」


 毛布にくるまったまま、マイカは僕の隣にちょこんと座った。

 しばらく焚き火を見つめていたマイカが呟くように言った。


「国境は越えられるでしょうか……」

「通行証が無いと追い返されるのが普通かな……」


 焚き火に薪をくべながら、僕は答えた。


「そうですか……荷馬車には薬しかありませんし……困りましたね」


 モーレスさんに卸す予定だった薬草や、予備の薬が積んだままだったのだ。

 最悪の場合、それらを売れば食料を買う金は作れる。


 だが、どのみち、時間の問題だ。

 薬がなくなれば、どうしようもなくなってしまう。


 どこからか仕入れるわけにもいかないし……。


「あ……」

「どうしたんです?」


「そうだ、薬! 薬だよ!」

「薬?」

「出られるかも! 国境を越えられるかも!」


 僕は嬉しくて思わずマイカにハグをしていた。


「あ、ご、ごめん……嬉しくてつい」


 マイカは少し照れながら、

「ううん、平気です」と顔を振って、「それより、何か良い方法でも?」と僕に尋ねた。


「思い出したんだ。薬の商いってかなり優遇されていて、急ぎの場合は通行証なしで通してくれることがあるんだ。特に他国からの薬や薬草なんかは手に入らないものも多いから」

「じゃあ、もしかすると……」


「うん、幸いなことに、積んであるのはヴェルダッド固有種のラクテウスブルーだからね、希少性って面ではこれ以上ないくらいだ」

「でも、薬はあっても、どうやって……」


「それはマイカに一肌脱いでもらわないとね」

「わ、わたしですか……?」


 キョトンとするマイカに僕は、

「起きたら作戦会議をしよう。さ、もう一眠りして」と、背中を撫でた。

「えー、気になりますぅ……」


「ほらほら、夜更かしは体に悪いから」

「シチリも起きてます」


「僕はいいの」

「ずるい……じゃあ、こうやって寝てもいいですか?」

 そう言って、マイカはポスッと僕にもたれかかってきた。


「えぇっ⁉ その……」

「あたたかいです……」


 しばらく緊張で硬直してしまっていたが、どうやらマイカは気にしていないようだ。

 僕はマイカの頭をゆっくりと膝の上に乗せ、寒くないように自分のマントの中に入れた。


「おやすみ、マイカ……」


 夜空の星よりも、このままマイカの寝顔を眺めていたいと思った。



    *



 朝になり、僕が紅茶を淹れているとマイカが目を覚ました。


「おはよう、眠れた?」

「はい……まだ少しぼうっとしてますけど……」


 目を擦りながら、マイカが上半身を起こした。


「深呼吸するといい」

 コクンと頷き、マイカは大きく両手を拡げた。


「すぅ~……はぁ~……うん、目が冴えてきました!」

「ははは、朝食できてるよ」

「やったぁ! 嬉しいです! もう、お腹ぺこぺこで……」


 木箱をテーブル代わりにして、朝食の目玉焼き、燻製ベーコン、野菜スープを並べる。


「うわぁ……美味しそうですね。ありがとうございます、シチリ!」

「さぁ、どうぞ召し上がれ」

「いただきますっ!」


 マイカはベーコンを口に入れ、ほっぺたを押さえる。


「ん~! 美味しいっ! シチリは料理が上手です!」

「ほんと? ありがとう。まぁ、森で食べると大抵美味しく感じるからね、それもあるのかな」


 照れながら答えると、

「いいえ、シチリが作ってくれたから美味しいんです」と、マイカが言った。

「そ、そっか、ありがとう」


「いえいえ、どういたしまして」

 冗談っぽく返してくるマイカ。


 僕達は互いの顔を見て、ぷっと吹き出した。

 そして、マイカはスープに口を付け、白い息を吐いた。


「シチリ、そろそろ作戦会議をしませんか?」

「そうだね、そうしよう」


 僕は立ち上がり、荷馬車の荷台からミレイさんの店で買った洋服を取り出した。


「ほら、これ。ミレイさんのところで買ったやつ」

「洋服ですよね?」


「うん、あの時、マイカが選んだもの以外にもミレイさんがいくつか渡してきたんだ」

「そうだったんですか⁉」


「ははは、ミレイさんらしいっていうか。でも、お陰で助かった」

 僕は舞踏会にでも行くような煌びやかなドレスを拡げて見せた。


「まるで貴族みたいですが……」

「いい? マイカは貴族のお嬢様で、僕はお抱えの御用薬師。心優しいマイカお嬢様は、隣国パランティアで病に苦しむ親戚のために希少なラクテウスブルーを届けにいくんだ」


「わ、わたしがお嬢様⁉」

「そうだよ、話は僕がするから、マイカはお嬢様っぽく振る舞ってくれる?」


「お嬢様っぽく……」

 不安げなマイカに、

「さぁ、そうと決まれば、練習しよう!」と、僕はドレスを手渡した。



 ドレスに着替えたマイカは想像を遙かに超える美しさだった。

 思わず言葉を失い、僕は呆然と見入ってしまっていた。


「シ、シチリ……?」

「あ、ああ、ごめん、いやぁ……驚いた。お姫様みたいだ」


「まぁ、シチリったら……恥ずかしいです」

「おっと、体が冷えちゃうね。毛布を被ってて」


「ありがとうございます」

 そっとマイカに毛布をかける。


「じゃあ、練習してみよう」

「えっと、どうすれば……」


「僕に合わせてくれる?」

「は、はい……」


 僕は大きく深呼吸をして、お芝居を始めた。

「私は御用薬師のシチリーニ、こちらはフランドル家のマイカお嬢様です、パランティアの御親戚のためにラクテウスブルーを至急届けなくてはなりません! どうか、お通し願いたい!」

「わたくしからも……お、おねがいするですわ!」

「ストップ」


「え……」


「マイカ、そんなに大袈裟にしなくて平気だよ。ちょっと丁寧なくらいでいいかな」

「わ、わかりました」


「では、もう一回。パランティアの御親戚のためにラクテウスブルーを至急届けなくてはなりません! どうか、お通し願いたい!」

「わたしからも……おねがいします!」


「うん、今のいいね。切羽詰まってる感じが伝わってきたよ」

「本当ですか⁉ 良かったぁ……」

 マイカは胸に手を当て、安堵の表情を浮かべた。


「じゃあ、次は駄目だと言われた時のパターンを想定してみようか」

「はい!」


 僕達は何度もシミュレーションを繰り返し、練習を重ねた。

 最初はぎこちなかったマイカも、次第にその才能の片鱗を見せ始める。


「おほほ、さぁ、存じ上げませんわ……」

「お黙りっ!」

「フランドル家の怒りを買うことになりますわよ!」


 マイカの迫力に思わず肩がビクッと震えた。


「すごい……マイカはお芝居の才能があるんじゃないかな」

「本当ですか⁉ ふふ、なんだか楽しくなってきて」


「よぅし、これなら行けるかもしれない」

「行くんですか?」


「うん、行こう、早い方がいい」


 二人で頷き合い、焚き火の後始末をした後、僕達は関所を目指して出発した。

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