第4話

 町で消耗品や食料を買い込み、家路につく。

 いつもは買わないけど、彼女のために林檎も買ってみた。


 あの子……喜んでくれるかな。

 んんっと喉を鳴らし、髪を手櫛で整えたあと、家のドアを開ける。


「た……ただいまー……」

「あ! シチリさん、おかえりなさーい!」


 台所から彼女の声がする。何だか楽しそうだな……。

 行ってみると、彼女はジャガイモのスープを作っていた。


「お塩はありますか?」

「あ、うん、ここに」

「ありがとうございます」


 彼女は手渡した塩をひとつまみ鍋に入れ、味見をした。


「うん、できました」

「へぇー、美味しそうだね」


「あ、ごめんなさい、たぶんお腹が空いていると思って、勝手に作ってしまったのですが……」

「ううん、ありがとう、助かるよ。あ、良かったら、これも一緒に食べない?」


 僕は買ってきた林檎を見せた。


「まぁ、美味しそうな林檎ですね!」

「でしょ? さ、スープは僕が運ぶから、君は向こうで待ってて」


「え、でも……」

「いいから、いいから」


 彼女の背中を押してテーブルに向かわせる。

 自分以外の食器を使うのは何年ぶりだろう……。


 台所からテーブル席にちょこんと座る彼女を見て、僕は無性に嬉しくなった。



    *



「――んっ⁉」

「どうですか?」


 期待に輝く瞳が僕を真っ直ぐに見つめている。


「お……美味しいよ、うん!」

「わぁ、よかったです……お口に合わなければ申し訳ないなと思って……」


「そ、そっか、そんなこと気にしなくても良いのに……」


 こ、これはどういうことだろう……?

 匂いも見た目も文句なし、どこから見ても美味しそうなジャガイモのスープ……。


 なのになぜ……⁉


 ちゃんと塩も入れてたし、特に変な食材を入れたわけでもないはずだ。

 僕の舌がおかしくなっちゃったのかな……。


 恐る恐るスープを口に運ぶ。

 うっ……やはり得体の知れない味がする……今まで味わったことの無い味だ。


「あのシチリさん……無理してませんか?」

「え⁉ そんなことないよっ!」


「本当……ですか?」


 上目遣いになる彼女にドキッとする。

 うわぁ、目がおっきいな……綺麗な猫みたいだ。


「ほんとほんと! うん、美味しい!」


 僕はスープを一気に飲み干し、パンで味を誤魔化した。

 なんとか残さずに食べられたな……。


 見ると彼女は涼しげな顔でスープを飲んでいる。

 うぅ~ん……好みの違いなんだろうか……。


「料理はどこで覚えたの?」

「ん~……誰かに教わった気がします、大勢で一緒に作っていたような……」


「へぇ! すごいすごい、ちょっと思い出せてるね!」

「でも、まだ自分の名前も……」


 彼女は目を伏せ、哀しそうに俯く。

 その儚げな表情を見て、僕は無性に彼女を守ってあげたくなった。


「名前なんて自分の好きなように決めればいいんじゃない? あ、そうだ、せっかくだから少し考えてみようよ」

「名前……ですか」


「うん、そうだなぁ……」


 僕が腕組みをして考え始めると、彼女も姿勢を正して「む~」と難しそうな顔をした。 

 ――ふふ、一生懸命考える姿も微笑ましいな。


 その時、ふと、ギンバイカという美しい花のことを思い出した。

 聖花としても知られ、祝い事に送られることが多い。


「ギンバイカっていう綺麗な花が咲くハーブがあってね、マートルともいうんだ。でも、マートルだと男っぽいから……そうだ『マイカ』でどうかな?」

「マイカ……」


「あ、もちろん君が気にいらないなら……」


 ふるふると顔を振り、パッと蕾が開いたように表情が明るくなった。


「気に入りました! シチリさん、私、今日からマイカです!」

「僕たち、年もそんなに変わらないよね? シチリでいいよ、マイカ。よろしくね」


「あ……はい、シチリ」


 二人で照れ笑いを浮かべる。

 この日、僕達はやっと自己紹介をすることができた。



    *



 ――何かがおかしい。


 ベッドの中で自分の両手を見つめ、開いたり閉じたりしてみる。


「…………」


 マイカを起こさないよう、静かにベッドから出て外に出る。

 早朝のひんやりとした冷たい空気が、火照った寝起きの体に心地良かった。


 日課のストレッチをしながら体をほぐす。


 ――やっぱり、変だ。

 僕はその場でぴょんと跳ねてみた。


 ――軽い。

 そうだ、やっぱり異常に体調が良い。


 いつものような倦怠感や筋肉痛が一切なく、活力に満ちあふれている。


「いったい……」


 何か変わったものでも食べたかな……。

 その時、ふとマイカの作ったスープを思い出した。


「……まさかね」


 まぁ、こういう日もあるだろうと、僕は大して気にもとめずに菜園の様子を見に行った。



「おはようございます」


 声に振り返るとマイカが立っていた。

 ちょっとまだ眠たそうな顔をしている。


「おはよう、眠れた?」

「はい、とてもゆっくり眠れました」


「それは良かった」


 僕はそう答えて畑の雑草を抜く。

 マイカは隣にしゃがみ、僕の顔を覗き込むようにして、

「この畑はシチリの畑なのですか?」と聞いてきた。


「うん、そうだよ。元々、何もなかったところを父が開墾したんだ。今は僕が跡を継いで薬草とか野菜を育ててる」

「そうなのですね……」


 何か気になっているような顔だが、聞きたいことは大体察しがつく。

 こういうことは先に言っておいた方がいいかな……。

 それとなく自分から切り出した。


「僕の父は五年前に病気で、母は僕がまだ物心つく前かな、ふたりとも先に天国に行ってるんだ」

「……じゃあ、ずっと独りで?」


「そんな珍しいことじゃないよ、僕以外にも両親がいない人はたくさん居るし、それに僕の場合は、父がこの菜園を残してくれたからね。恵まれてる方だと思うよ」


 努めて明るく返すと、マイカはこくりと頷き、僕の真似をして雑草を抜き始めた。


 本当に不思議な子だな……。

 こうして側にいてくれるだけで、いつもどこかで感じていた空虚感がなくなってしまう。


「……あの、何かお手伝いできることはありませんか?」


 畑を見つめたまま、マイカが言った。


「え、もう手伝ってくれてるでしょ?」

「あ……」


 ぽかんと口を半開きにして僕を見る。


「くく……あははは!」

「も、もう! シチリ、そんなに笑わないでください!」


 ほんのり頬を赤くして、マイカがそっぽを向いた。


「ごめんごめん」

「……」


 マイカは黙って草をむしっている。


「ほら、機嫌直して、朝ご飯にしようよ」

「じゃあ、私、スープ作ります」


「あ……うん、お願いしようかな、じゃあ、適当に好きな野菜持っていって」

「わかりました! えーっと、何にしようかな……」


 マイカは楽しそうに野菜を選んでいる。

 あんな顔見せられちゃ、スープの味なんてどうでもいいな。


 朝食を終え、仕事の支度をする。

 やはり、マイカのスープは奇妙な味がしたが、昨日ほどではなかった。


 二回目ということもあって、舌が慣れたのかも知れない。


「じゃあ行ってくるね」

「はい、雑草抜きと薬草絞りは任せてくださいっ!」


 マイカが腕をぽんぽんと叩いて見せる。


「ははは、無理はしなくていいからね、じゃ」

「いってらっしゃーい」


「いってきます」


 手を振り、僕は荷馬車を発進させた。

 しばらくして振り返り、小さくなった自分の家を眺める。


「早く帰りたいって思う日が来るなんてなぁ……」


 手綱を握りながらそう呟き、遠くに見える街並みに目を細める。

 体調はすこぶる良かった。

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