第3話

 沢の流れが落ち着き、僕達が家に戻れたのは夜明け前だった。


 家に入り、ひとまず彼女を椅子に座らせて温かいミルクを飲ませた。

 小動物みたいに両手でマグカップを抱えて、少しずつ口を付ける仕草はとても愛らしい。


 思わず見入っていた自分に気付いて恥ずかしくなった。

 さて、助けたのはいいが、これからどうすればいいのやら……。


 僕の家は森の近くで、町からは離れている。

 ご近所さんも居ないし、噂になるようなことはないと思うが、いつまでも隠しておくわけにもいかない。彼女が悪者に攫われたのなら尚更だ。


 領主様に相談をした方がいいのだろうか。

 でも、領主様は……あまり良い噂を聞かない。


 特に女性関係の噂は、耳を塞ぎたくなるようなものばかりだ。

 美しい彼女を見れば、きっと……。


「シチリさん?」

「あ、いや、どう? 口に合ったかな?」


「ええ、とっても美味しいです」

「それは良かった」


 うん、しばらくウチで様子を見れば良い。

 そうだ、落ち着けば彼女も何か思い出すかも知れない。


「その、何もないところだけど……君さえ良ければ落ち着くまで居てもらって構わないから」

「……」


「ほ、ほら、何か思い出すかも知れないし」

「……本当に、ご迷惑じゃないですか?」


 申し訳なさそうに僕を見る。


「もちろんだよ! 困った時はお互い様だしさ!」

「シチリさんは優しいですね……」


「――⁉」


 ヤバい、耳が熱くなってる。

 どうしよう、恥ずかしいな……。


「あ、いや……そうだ! ちょっと僕、これから仕事に行かなくちゃならないんだけど、留守番を頼めるかな?」

「はい、私で良ければ」


「うん、お腹が空いたら、台所にパンがあるよ、あと、喉が渇いたら水はここ、ミルクは一度沸かした方がいいかな。あ! お手洗いは外の小屋で、まぁ、お昼には戻るから、自分の家だと思って楽にしてね。そうだ! 着替えだけど……これ、女の子用の服が母のしかなくて……」


「うわぁ、ありがとうございます、嬉しいです。可愛いですし、私は気に入りました」

「ほんと⁉ そう言ってもらえると助かるよ、またちゃんと用意するから……」

「ふふ」


 なぜか彼女が楽しそうに笑う。


「どうしたの? 僕、何か変なこと言った?」

「すみません、シチリさんがあまりにも一生懸命だったから、つい……」


「え⁉ ひどいなぁー、そんなに僕、必死だった?」

「はい、とっても」


 にっこりと微笑む彼女を僕は直視できなかった。



    *



 荷馬車を走らせ、オルディネの町に着く。

 モーレスさんの店前で荷馬車を停め、店内に入った。


「おはようございます、モーレスさん、いらっしゃいますか?」


 カウンターで声を掛けると、店奥からまだ眠そうなモーレスさんが出て来た。

 いつ見ても、冬眠明けのクマみたいだ。


「おぉ、シチリか……どうだ調子は?」


 モーレスさんは煙草に火を点け、ぷふぅーっと美味しそうに煙を吹いた。


「お陰様で何とか間に合いました」

「へぇ、間に合ったのか? どれ、ちょっと見せてみな」


 僕はカウンターの上に置いた麻袋の口を開いて、ラクテウスブルーを取り出した。


「ほぅ……」


 モーレスさんの顔つきが変わった。

 急ぎ煙草を何口か吸ったあと、すぐに灰皿でもみ消し、ラクテウスブルーの品定めを始めた。


 葉を指先で揉み潰し、それを舌先で少し舐める。

 その後、カウンター奥から別のラクテウスブルーを取り出し、花の匂いや色を比べていた。


「シチリ、こいつはどこで手に入れた?」

「え⁉ あ、えーっと、沢の近くの岩場で……」


 モーレスさんは何も言わず、おもむろに店の扉を閉めて鍵を掛けた。

 そしてカウンターに戻り、腕組みをして僕の目を真っ直ぐに見据える。


「正直に言ってみろ、こいつはどこで手に入れた? ん?」

「……それは、その……」


「あのなぁ、シチリ。こんな上物、この辺じゃ採れねぇのはお前が一番わかってるだろ?」

「……」


 駄目だ、モーレスさんの目はごまかせない。

 僕は彼女のことだけは伏せ、それ以外の一部始終をモーレスさんに話した。


「やれやれ、禁域か……、どおりでモノが良いわけだ」

「すみません、どうしても間に合わせたくて……」


「ったく、無茶するところまで似やがって……いいか、二度と沢は渡るな。あと、このことは誰にも言うなよ? もしバレたら捕まっちまうぞ」

「え……」


「当たり前だろ、あそこは入っちゃいけねぇのさ。とりあえず、向こうで採ったモノは全部置いていけ、適当に理由をつけて捌いといてやる」

「は、はいっ!」


 僕は慌てて、研究用にと摘んできた小花や珍しい草も全部カウンターに出した。


「よし、これで全部だな」


 モーレスさんはそれらとラクテウスブルーを束ねて奥にしまうと、カウンターの上に銀貨一枚と銅貨七枚を置いた。


「ほら、お前の取り分だ」

「でも……」


「何を遠慮してる? これは正当な対価だ、いらねぇのなら俺がもらうぞ?」

「す、すみません、いただきます!」と、慌ててお金を革袋にしまった。


「それでいい。シチリ、来週はポーションを十本頼めるか?」

「はい、もちろんです!」


「じゃあ、頼んだぞ」

「ありがとうございます!」


 僕は小さく手を挙げるモーレスさんに頭を下げ、店を後にした。

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