第五章 999本の向日葵を信じて
第1話 天狗の過去
揺さぶっても優しく叩いても全く起きる気配のなかった玉藻前を置き去りにし、私はいつも通り学校へ向かった。一応気持ち程度に布団をかぶせて姿は隠しておいたので、万が一母に部屋に入られても捲られない限りバレはしないだろう。
「行ってきます」
いつも通りの通学路。いつも通りの学校。いつも通りの移ろう景色。それが今日は、いつもとは少し鮮やかで濃いものに思えた。その理由はもちろん、今日で母による一週間遊びに行くの禁止令が、ようやく解除されるからである。一週間というのは、その後に楽しみがあればあるほど長く感じるもので、実際私の体感時間は一ヶ月ほどだ。それくらい本当に長くて厳しい禁止令だった。
そして、一週間の最後の日――つまり今日の放課後我慢をすれば、秘密を打ち明けられてから初めて夏芽さんと顔を合わせることになる。自覚すると今から心臓がバクバクとうるさい。友達相手に緊張するのは変な気もするけれど、久しぶりとなればそうなるのも不思議では無いだろう。
頭の中でそう考えながらガラガラっと音を立てて教室に入り、自分の窓際の席へ着いて荷物整理をし始める。
――ふと、窓の外に小さく見える色とりどりの花が咲く花壇が目に入った。
花を見て思い出したが、そういえば夏芽さんのあの話を聞いてから、ずっと考えていたことがある。それは、私がまだ夏芽さんと出会ったばかりの頃、一度だけ見たあの夢のことだ。私が記憶している限り、あの夢では二輪の花が登場していた、と思う。結構前の話なのでもうあまり覚えていないのだが、確か一輪は途中で消えてもう片方の方はずっと咲いていた。あと、ドロドロの赤っぽい液体が、一輪消えた後に現れたのも覚えている。
その事で、私は夏芽さんから聞いた話と、その夢がやけにリンクしていることに気がついたのだ。夢の中で消えた花は摘み取られた百合の花で、ずっと咲いていたのは向日葵の花。つまり、私と夏芽さんだ。
私が思うに、あの夢は私の中にある魂――百合の花――が当時のことと夏芽さんとのことを思い出してと訴えかけて作られた夢なのではと考えている。まあ、勝手な私の予想でしかないけれど、夢に村人らしき人物も出てきていたような気がしなくも無いので、多分そうだろうなと思う。
これを話せば、夏芽さんはどう思うだろう。喜ぶ? 驚く? それとも……。
それも含めて、私は早く夏芽さんに会いたい。会って話がしたい。と、夏芽さんもそう思ってくれているだろうか。
そうだといいな。そんな願いに近い思いを馳せながら、いつも読んでいるお気に入りの本を机から取りだした。
「ええっ!? 知ってたんですか!?」
「まあね……。それより百合ちゃん声が……」
落として落として、と西日が入り込む部屋の中で天狗さんに注意される今日この頃。私は夏芽さんの話に続き、彼からも衝撃的な話を聞かされていた。
「わ、私と夏芽さんのこと知ってたんですか……!?」
驚きが隠せない私は、口元に手のひらを添えて、いかにも驚いていますジェスチャーをする。だってどうやって。私はまだ話していないのに。
聞きたいことは山ほどあるのに、パクパクと声が出ず口を開閉するだけの私は、さながら公園の池の鯉のようだった。同じことを思い浮かべたのか、猫又さんが隣で吹き出し笑い転げている。
「僕はね、まだ神様になって少しの夏芽に一度助けられてるんだ。……いや、実際今も助けられているんだけど。その時、僕は何も知らぬままあの神社に訪れていてね。たまたまそこに居合わせた人間に見つかったんだ。見つかってしまった僕は、慌てて逃げようとするんだけどいつの間にか周りを取り囲まれてしまってて、逃げようにも逃げられなかった」
少し切なそうな表情で唐突に始まった天狗さんの話は、聞くに絶えないものだった。見つかったあとはいわれのない中傷や暴力を受け、まだ幼かった彼は抵抗できるものがなかった。されるがままに人間の黒い感情を受けていると、突然辺りが光り始めた。今度はなんだと彼が上を向く。するとそこには、今と何ら姿形の変わらない夏芽さんが人間たちを見下すように見つめていた。その表情は普段の彼女とは似ても似つかない冷酷で恐ろしい表情だったという。
「そして、神様の怒りをかってしまったと恐れた人間は、慌てて逃げ帰っていったよ。僕は蹴られたところが痛くて蹲ってたんだけど、そしたら夏芽が大丈夫? って心配して手当までしてくれてね。さっきの表情は何だったんだってほど柔らかい表情だった」
「……もしかして、人間が入って問題があったというのは……」
「そう。僕のことだよ。あの日から、夏芽は神社に結界を張るようになったんだ」
そういうことだったのか。ポンと手を打って納得の意を見せる私に、天狗が優しく笑う。
そして、その表情を崩さないまま話の続きを話し始めた。
「夏芽は手当をしてる最中に、百合ちゃんの話をし始めたんだ。ぽつりぽつりと、初めはこんなところ本当はいたくないんだけどねって苦笑いで言いながら。……夏芽、言ってたよ。百合ちゃんとまた出会えるかもしれないから私はここにいるって」
「えっ」
だからきっと今頃、百合ちゃんに会えなくて寂しい思いをしてるんじゃないかな。
そう語る天狗さんに、私は今すぐにでも神社に向かいたい衝動に駆られる。この禁止令がなければ、私は確実にダッシュで夏芽さんに会いに行っていたことだろう。一人で神社の境内を掃き掃除する彼女の姿を想像し、余計にその思いは強くなる。
「今日で、禁止令終わりなんです。だから明日、学校から帰るその足で神社に向かって夏芽さんに抱きつきます」
「う、うん。そうしてあげて。……とまあ、これで百合ちゃんの疑問は解決したかな?」
「あ、はい。ついでに天狗さんの過去も知れて満足です」
「ついでかぁ……」
結構喋ったつもりなんだけど……と苦笑いを浮かべる天狗さんから視線を猫又さんに移し、「猫又さんも知ってたんですか?」と問う。そして返ってきた答えは、意外にもイエスだった。
「私も天狗と似たようなもんさ。初めてあった日、百合もいたろ? あの時、百合が賽銭箱の方へ離れていった時に話してくれた。どうやって打ち明けようーって悩んでたねぇ。やっと話したのかいって感じさ」
「みんな知ってたんですね……」
なんだ、昨日悩んで損したではないか。呆気に取られる私にそんなことより、早く続きをやるよ、とトランプを足で指す猫又さん。私は呆れながら返事をし、なぜか帰らず未だベッドの上で寝息を立てる玉藻前を見る。
こうしてまた夏芽さんと一歩近づけたのは、あの日秘密を教えてくれた紛れもない玉藻前のおかげだ。そんなつもりがこの狐になかったとしても、仲が深まった気がするのは事実だ。
「……ありがとうございます」
私は真剣衰弱の準備を天狗さんに任せて、部屋の中央からベッドの方へ移動し、聞こえるか聞こえないくらいの声量でつぶやくように玉藻前にお礼を述べた。が、普段あまり素直にお礼を言えるような人間では無いので、だんだんと恥ずかしさが湧き上がってくる。それを誤魔化すように猫又さんたちの所へ戻り、カードを並べる手伝いをした。聞こえていなければ意味が無いのに、聞こえていませんようにと矛盾した気持ちを抱きながら。
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