第10話 門限という名の壁
――とまあ、昨日はあんなことを言ってしまったが、まさかその翌日に玉藻前の力を借りたいと思うとは。
「早くしろよお前ー。白井さんワーク提出出来なくて困ってんじゃん」
「いやいや、お前もそう言いながら終わってねぇじゃん」
「俺すぐ終わるし。というわけで白井さんごめんね?」
「……はあ」
ひっそりと心の中で早く帰りたいのにと愚痴を言う。そしてついでに、私が彼らに一発いれる図も想像する。口じゃなくて、その手を動かせ、と。
普段は絶対関わらないであろう男子に、私自ら関わりに行っているのにはもちろんそれなりの理由があった。
遡ること、数時間前――。私は授業内に完成できなかった美術課題を家で仕上げたので、それを提出するため職員室に来ていた。
美術の先生に作品を手渡すと、「おお」と感嘆に近いような声が彼から漏れ出る。実は私、こう見えても手先が器用なのだ。今回の課題は器用さをふんだんに使える細かい作業が多かったので、私自身作っていて楽しかったし、そういう気持ちが作品にも表れていたのかもしれない。この先生が普段感情を見せることは少ないというのに感嘆の声を聞けた私は、嬉しくて心の中でガッツポーズをしていた。
そこまでは良かった。
しかし、問題はその次で、私が職員室から出ようとすると高い声で呼び止める声が聞こえてくる。パッと声がした方を振り向けば、そこには作文の件でお世話になった宮島先生がほっとしたような笑顔で立っていた。
この時点で既に嫌な予感はしていたのだが、先生から逃げることなどチキンの私には到底できるはずもなく。
「今日課題にしていた国語のワーク、放課後に集めて持ってきてくれないかしら?」
引きつった笑顔で、それを承諾してしまったのだった。
「はあ……」
私の放課後が、男子のワークを提出するためだけに削られていく。というか、なぜ今日提出の課題を家でやってこないのだ。時が経てば経つほどだんだん不満が募っていく私は、ついついため息をこぼしてしまった。
慌てて口を塞いだが、どうやら能天気の彼らには聞こえていない様子。先ほどと何ら変わらない態度でワークに向かっている。
それにほっとしながらふと時計を見れば、長針は五を短針は五と六の間を指していた。もうこの時間では、神社に行く時間は無い。今日は授業中に面白いギャグを思いついたので、絶対に夏芽さんに披露しようと楽しみにしていたのに。
本日何度目かのため息を、今度は絶対男子二人に聞かれないよう小さくもらす。
すると、片方の男子が大きな音をたててワークを閉じた。それに被さるようにして、もう一人の方もワークを閉じる。やっと終わったー! と雄叫びをしながら。
それはこっちのセリフだと唇を尖らせつつ無言でワークの回収し、私もやっと帰れることに口角を少しあげた。これでようやくクラス全員分が揃った。ワークをトントンと机で揃えて教室のドアへ向かう。早く宮島先生に提出しに行かなければ。
帰り支度を始めた男子たちに背を向けて、廊下を猛ダッシュで駆け抜ける。この時間帯は部活動などでほとんどの先生が校舎にはいないので、廊下を走っても怒られる心配がないのだ。
私は別に特段走るのが好きな人間ではないのだが、歩く時とはまた違った景色の移ろいの速さには目を見張るものがある。特に夕焼け空の下を走るのがお気に入りだ。ただ、好きなだけであって足は速くないけれど。
外から差し込む西日を肌に感じながら走っていれば、いつの間にか職員室に到着していた。ハァハァと息を整えてから戸に手をかける。
「失礼します。ええっと、宮島先生はいらっしゃいますか」
「あっ、白井さん! ありがとうー!」
「いえ……」
笑顔でワークを受け取る宮島先生に一礼してから、職員室の戸を閉める。いろいろ文句は心の中でぶちまけたが、まあ何だかんだいってお礼を言われると気持ちが良い。普段あまり人と関わらないからか、余計に。
かと言って、やはり自ら進んでワークの回収を手伝おうとは思わないが。私だって神社に遊びに行きたいのだ。宮島先生には悪いけれど、次からは別の快く引き受けてくれる人に頼んでもらいたい。桜田さんとか。
下駄箱から外に出ると、空にはまだまだ水色が広がっていた。これくらい明るいなら、神社に行けるのではないかという淡い期待が胸を高鳴らせるが、時間を見てハッと我に返る。
うちは門限なるものが存在し、それを破れば一週間遊びに行くの禁止令が出されるのだ。今までの私であれば、友達いないし破ったとしても遊ばないしと全く気にしていなかった。しかし、今は夏芽さんや天狗さん、猫又さんなど私にも友達ができた。彼女らとは毎日遊んでおり、今更一週間も遊べないというのは正直かなりキツイ。
私は額にしわを寄せて唇をキュッと結ぶ。今まで全く気にしてこなかった門限が、まさかここで大きな壁となって阻んでくるとは。悔しいが、約束は約束だ。それに、今日行けないことよりも、一週間行けないことの方が何より辛い。
私はグッと堪えて、神社に進みそうな足を家へ方向転換しズルズルと運んでいく。
そして、沈んだ気分で着いた私の部屋には。
「お、やっと帰ったのか百合。ふふん、高貴な私がいなり寿司を食べに来てやったぞ」
「…………は」
我が物顔で居座る小さな狐が、九つの尻尾を揺れ動かしていた。
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