第4話 多分これは恋心
変な夢のことを忘れかけているまま一週間を過ごした土曜日の朝、私は前日に明日は休日だと喜んで夜更かしをしたせいで、起きた時間は何と十一時を越えていた。
まあ、特に誰かと遊びに行く用事なんて無いので、昼近くに起きてもどうということは無いのだけれど。
しかし、自分のせいとは思いつつ休日の半日を寝て過ごしたのは少々ダメージがデカイ。
憂鬱な気分のまま下の階に下りると、母は呆れた表情をこちらに向けながらおはようと言ってきた。
「ま、もうお昼だけどねぇ」
わざと聞こえるようにそう言っているが、事実なので何も言い返せない。
来週こそは、ちゃんと早起きして見返してやろうと心の奥底で静かに決意した。
それはいいとして、あと半日のこの日をどう過ごそうか。
夏芽さんのところに行ってもいいけれど、いつも行っているので今日は何か違うことがしたい。
昨日の続きの漫画を読もうかとも思ったが、そんな気分では無いことに気づき候補から外れる。
着替えながら悶々と考え続けていると、母が思い出したように言葉を発した。
「ねえねえ、なんか今日暇そうだし、すぐ近くのスーパーに……」
「やだ」
嫌な予感がした私はすぐさま返答を出す。
たしかに、おつかいとなればいつもと違うことだが、もしスーパーでクラスメイトと出会ったらと考えると胃が痛い。
それなら家でいつも通りゴロゴロしている方が良いだろう。
母にそう伝えると、あからさまに不服そうな表情を浮かべたかと思えばすぐさま名案を思いついたという表情に変わる。
「じゃあ、今日の夕飯にハンバーグ無くてもいいんだ?」
「うっ……、自分で行けばいいじゃん」
「いやいや、私は娘の運動不足を気にして言ってるの」
「嘘だ……」
ハンバーグ無し、というこれまたダメージのデカイ一言で私の心は揺らいだ。
昨日予約していた大好物のハンバーグが無いなんて、考えられるはずもない。
それをわかって言っているのだから、本当にこの母はタチが悪い。
しばらく議論をしたが、ハンバーグを人質に取られた私は、結局材料を買うためのお金を握りながらなくなくスーパーへ歩いて行ったのだった。
「――お買い上げありがとうございました」
無機質な機械音声と、ジャラジャラお釣りの出る音を聴きながら、私はそそくさとスーパーから退散した。
傍から見れば不審者だが、クラスメイトに会うという致命傷を避けるためには仕方の無いことだった。
スーパーから数メートル離れたところで、ようやく私はほっと胸を撫で下ろす。
ここまで離れたら見つけられることもないだろう。
…………いや、冷静に考えたら、私はいつも隅の方で本を読んでいるだけの人間。
スーパーですれ違おうが、道端ですれ違おうが、そもそも会ったとしても気づかれないのでは。
「………………べ、別に気にしてないし……友達なら夏芽さんたちがいる、し」
自分で言うとさらに虚しくなった。
先ほど、スーパーでお金を払う時も、店員さんではなくセルフレジであったことにほっとしたので、そろそろ本当に人見知りを克服しなければ。
誰もいないのをいいことに、私は大きく重たいため息を吐いた。
と、その時、私の重たいため息を吹き飛ばすような明るくて楽しげな声が耳をさした。
それも、とても聞き覚えのある声が。
「くっくっ……! 会う約束をしていたとはいえ、まさか吹っ飛んでくるとは思わなかったよ。何してたんだい、天狗」
「はは……、ちょっと兄を怒らせてしまったみたいでね。気づいたら吹っ飛んでたんだよ」
「ほう、兄がいるのかい」
「ああ。……まあ、仲は良いのか悪いのかよく分からないって感じだけどね」
道の曲がり角から顔だけ出し、目でも確認すれば、やはり声の正体は猫又さんと天狗さんだった。
花壇の縁に二人で座り、何やら中睦まじく談笑している。
前々から、何となく彼女らは仲が良さそうだと思っていたが、それぞれの表情を見るにこれはもしや。
友達は少ない私だが、恋愛については少女漫画での知識があるので、鋭い方だと認識している。
つまり、二人は友達的な仲良しでなく、恋愛的に仲が良いのではと思ったのだ。
もちろんまだ確定した訳では無いけれど、初めてこのような場面に出くわした私はそんなことそっちのけで、ずっと眺めていたいと思うくらいには興奮していた。
ふるふると頭を振って雑念を払い落とし、そっと耳を澄ませて二人の会話を耳に入れる。
「猫又は兄弟とかいないの?」
「さあ? 覚えていないねぇ。長年生きてるとそんなこと忘れちまうよ」
「へえ、そっか。…………じゃあ僕のこともいつか忘れてしまうのかな」
「えっ?」
私は思わず胸を押さえた。
声に出して、尊いと叫びたいのはやまやまなのだが、それをしてしまうと二人に気づかれてこの話の続きが聞けないままになってしまう。
それは嫌だ。
猫又さんは何と返事をするのだろうか。
気になってずいっと顔を、というより体全体を曲がり角から出す。
バレるかもしれないという考えは頭になく、ただこの話の続きを聞かせて欲しいという欲しかなかった。
静かな沈黙が流れる。
何も言わなくなった猫又さんを心配に思ったのか、天狗さんがワタワタと慌てふためいていた。
私が笑いそうになったのは無理もない。
こんな緊迫した雰囲気でそんな変な動きをされたら、誰だって吹き出しそうになるものだ。
私が一人で笑いを堪える中、猫又さんの綺麗で少し儚げな声が辺りに響く。
「馬鹿だね。私は友達のことは忘れないよ。あんたも、百合も、ついでに夏芽も。……夏芽ほどじゃないけど、私も記憶力は良いんだ」
「……! そっか。なら良かった。僕も、ずっと君たちのことは記憶に刻み込まれるだろうな」
「なんだい。急にそんな話をして」
「えっ? い、いやなんでもないんだ。忘れていいよ」
夏芽さんがついで扱いされていることは置いておいて、元々赤い顔をもっと赤くして猫又さんから顔を逸らす天狗さんに、私は思わず「うっ」と声をもらしてしまった。
当たり前だが、曲がり角から体全体を出していた私に二人は気づくわけで。
「あれ、百合じゃ……」
「ゆ、ゆゆゆ百合ちゃん!?」
「あははは……、どうも……」
真っ赤な顔の天狗さんが物凄いスピードで私に駆け寄り、これまた物凄い形相で肩を揺さぶり始める。
頭が取れそうだったが、それよりも表情が焦りと恥ずかしさを詰め込んだ顔だったので、先ほどの変な動きも相まって私は思わず吹き出した。
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